願わくば 3





 歌仙が回復するのにさほど時間がかからなかった。

手入れ部屋を出て夕餉の支度をしようと厨に向かったがの姿がない。

自分を回復させたことが彼女に負担になったのかもしれないと思い、食事作りには誘わなかった。時間になればきっと出てくると思ったのだ。


しかし、日が暮れてもが姿を現すことはなかった。少し悩みはしたが、理由が分からない歌仙はの部屋に向かってみた。もしかしたら体調を崩してしまっているのかもしれないと心配したのだ。

「主、起きているのかい?」

灯りのついてない部屋の前で声を掛ける。

眠っているなら起こす必要がないと思うが、どうも気配がある。

「開けるよ」

声を掛けて障子戸を開けてみた。しかし、文机の前に彼女の姿はなかった。

気配を感じて視線を向けると部屋の隅で膝を抱えているの姿が目に入る。

「主、どうしたんだい? 食事の時間だよ。大広間で食べようと提案したのは主だよ?」

最初、歌仙は彼女の部屋に食事を運ぶことを提案したが、たくさん刀剣男士が来たときには大広間で食べることになるのだろうし、だったら最初から大広間を食事の場としてしまったらいいと言ったのだ。

歌仙も特に異論がなかったため、食事は大広間で取ることにした。

一緒に食事を作っているため時間を示し合せる必要がない。よって、今回みたいに呼びに来たのは初めてだ。

「歌仙兼定さん、ごめんね」

突然の謝罪に歌仙は首を傾げる。「入るよ」と断って部屋に入り、彼女の隣に腰を下ろす。

「何がだい?」

「今日、痛かったでしょ?」

「それは、まあ。僕の方こそ、主の期待に応えると言っておいて、情けない」

「そんなことないよ!」

顔をあげてきた彼女の表情を見て歌仙は内心慌てる。

「主、どこか痛いのかい?」

「痛くない。……情けないだけ」

「それは……、どうしてだい?主は僕の傷を癒してくれたじゃないか」

「あたしがもっと上手に出来てたら、仲間がもっとたくさんいたら歌仙兼定さんは怪我をしなくて済んだかもしれない」

「主は頑張っているよ」

諭すように歌仙が言う。

「でも、歌仙兼定さん、怪我したもん」

「僕が向かうのは戦場だ。そこで無傷なんてものはほとんどありえない。それに、今回のは引き際を誤った僕の責任でもある」

彼女はじっと歌仙を見上げた。

「僕の傷を治すのに、主は手引きを取ってきただろう?」

「手引き?」

「まにゅある、と言っていたかな?」

「あ、うん。まだ読み込みが足りないから覚えきれていなくて」

「手引書があんなに傷むまで読み込んでいた。主は自分のできる努力を惜しんでいなかった。その結果があれなら、それは主だけの責任とは思わない。努力せずにこうして小さくなっているなら、僕だって放っておくさ。努力というのは必ずしも報われない。でも、していない者よりもしている者の方が敬える。僕は君に膝を折って首を垂れることができるよ」

「あのね、歌仙兼定さん」

「ああ、そうだ。いつもそう呼んでくれているけど、君は主で僕は臣下なんだよ。歌仙と呼び捨ててもらって構わない」

「そこ!」

びしっと指を差されて歌仙は少し身を引く。

「どこだい?」

「“主”って言ってる。今までそんなふうに呼ばれてなかった」

指摘されて歌仙は視線を彷徨わせた。

「申し訳なかったよ。僕は、主をただのおなごだと思っていたからね。主として首を垂れるまでに至っていなかったんだ」

「でも、絶対に歌仙兼定さんの方がすごいと思う」

「そうかい?さっきも言ったけど、呼び捨ててくれないかな?長いだろう?」

「えと、じゃあ。歌仙さん」

「それがいいのかい?」

問われて彼女は頷いた。

「では、僕もそれでいいよ。ところで主。聞いてみてもいいかな?」

「なに?」

「なぜ主はここにいるんだい?君は最初に僕の事を神様と言ったね。得体の知れない者がいるのが分かっていて君はこんなところにやってきた。どうしてだい?」

ずっと疑問に思っていた。体力はあるようだが、何かが突出して優れているというほどでもないただの娘がなぜこんなところに単身やってきたのかと。

「あのね、歌仙さんも気づいてるかもしれないけど。あたし、勉強が苦手なんだよね。運動は、まあ得意だけど。でも、あたしの時代は勉強ができる方が評価されるの。運動だってどこか突き抜けて得意だったら評価されるけど、あたしは上の下。少なくとも評価されるほどでもなかった。そんなだから、お母さんがあたしのことを恥ずかしがってたの。こんな出来の悪い子が、って」

「母親がかい?」

「そう。でもね、あたしが審神者になれるって聞いた時すごく喜んだの。誇りだって。初めて凄く褒められた。あたしが世界を救うんだって」

「世界を救う? 随分と大きな話だね」

「そうでもないよ。過去が変わったら未来が変わる。ちょっと待ってね」

彼女はぺたぺたと四つん這いで移動し、文机の側に置いている鞄からノートを取り出し、それを持って戻ってくる。

「それは?」

「日本史のノート。みんなと話をするのにあった方がいいかなって思って。そうだな……織田信長って知ってる?」

「一応ね」

歌仙は頷いた。

「織田信長が、本能寺で死ななかったら、未来はどうなってたと思う?」

「そうだな……秀吉の天下はなかっただろうね」

「うん。秀吉の天下がなかったらどうなる?徳川家康が江戸幕府を築いていなかったら?」

ノートを捲りながらが疑問を零す。

歌仙は彼女に視線を向けた。

「もしかしたら、放っておいても織田信長は死んで次に豊臣秀吉がその跡を継いだかもしれない。でも、時期がずれていたら今の未来、あたしの過ごしていた時代が変わっていたというのが研究者の出した結論だった。過去が変われば未来が変わる。この国の歴史が変われば世界の歴史も変わる。それを阻止することができる刀剣男士をこちら側に呼び招くことができる審神者になれるってことは世界を救うってことにつながると言われているの」

なるほど、と歌仙は頷いた。

「では、尚更こんなところで腐っていられないのではないかい?君の母親が君を誇りだと言ったのだろう?僕も人の身を得るのは初めてだから中々うまくいかないことが多いだろうけど、失敗したら次を考えよう。どうだい?」

提案されては頷いた。と、同時に腹が鳴り、思わず噴き出した歌仙に「笑わない!」と真っ赤になった彼女が抗議の声を上げた。









桜風
16.3.7


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