薬研藤四郎が修行に発った本丸―一日目―







 そっと肩に何かが触れた感覚で瞼を明ける。
「主」
 声を掛けられて見上げれば、一期一振が膝をついていた。
「一期?」
 少し舌足らずの、起き抜けの声で名を呼ぶと「はい」と彼は返事をして「もう日が暮れます」という。
 ゆったりと顔をあげると確かに空が赤く染まり始めていた。
「朝夕は冷えます。お風邪を召されると大変です。毛布か何かお持ちしましょうか?」
 問われて審神者は首を振る。
「んー!」と声を漏らしながら両手を組んでそのまま上に持ち上げた。
「主」
 窘められて「はーい」と返事をする。
 着物で二の腕を見せるのははしたないということらしい。
 この城に来てノースリーブで本丸をうろついた時には複数人から同時に説教を受けたのを思い出す。
 文化の違いかと諦めながら、あの日以来、ノースリーブを着るときには薄いショールを羽織るようにした。薄くても布を羽織っていれば彼ら的にはモヤモヤ感はあるようだが、お説教までには発展しない。

 ふと、立ち上がろうとして審神者は動きを止めた。
 縁側に腰をおろし、欄干に凭れて居眠りをしていたのだが、どうもしびれているようだ。
(お尻が……)
 どれくらいの時間居眠りをしていたのかわからないが、とりあえず、自分の体重で尻がしびれる程度の長さは座っていたらしい。
「御手を」
 差し出された手を素直に取り、彼に体を引き上げてもらう。
「ありがとう」
「いいえ。ですが、随分と冷えておいでですよ」
 手袋越しでもその冷たさが伝わるようで少し驚いた表情を浮かべた。
「ああ、私は元々冷え性だから」
「女人は体が冷えやすいと聞きます。また体が冷えるのはよくないとも。どうかご自愛ください」
「ありがとう」
 労わりの言葉に礼を口にして審神者は歩き出す。
 ふらりとよろけたのはまだ痺れが残っているから。
 しかし、一期はその事情を知らないため大層心配する。
「お部屋までお送りします」
 その申し出になんと答えようかと審神者は悩み、素直にその厚意を受け取ることにした。
「近侍殿は、遣いか何かに出されたのですか?」
 周囲を見渡してもそれらしい気配がない。主が風邪をひくかもしれないというのに、と一期の眉間に皺が寄り始める。
「今は審神者の仕事中じゃないから」
「そうは申されましても、主のお側に仕えるのが近侍というものではありませんか」
 厳しい表情で言われて「はは」と審神者は軽く笑う。
「あれくらいが私にはちょうどいいんだよ」
 審神者の言葉に一期は嘆息を吐く。本人がいいと言っているのならこれ以上言う必要もないだろう。
「それに、この城の中は安全だからね」
「当然です」
 しかと頷く一期にクスリと笑みを零して審神者は自室へと向かった。

「一期はさみしいでしょ」
 ふいに向けられた言葉に少し考え「あれが望んだことです」と返す。
 おそらく、またしても弟が修行に出たことについての話なのだろうと思ったのだ。
「薬研は私の弟ですし確かに寂しさはありますが、それは他の者たちが修行に出た時も同じです。ただ、刀としてそうありたいと思う気持ちは良くわかりますので」
「そうでありたい?」
「強くなりたい。主をお守りしたい」
「こんなことを言ってはダメだと歌仙に怒られたことはあるんだけど」と一言置いて「私はそこまで守ってもらわなきゃいけない存在かという疑問はあるよ」と審神者が零すと「歌仙殿と同じ言葉を述べましょうか」とやんわりと問われた。
 この『やんわりと』というのが曲者で。
「いいえ、ゴメンナサイ」
 審神者は謝るしかないのだ。怖い。
「主がそのようにおっしゃるということは、私たちの目が節穴だということになります」
「はぁい」と返事をすると何か言いたげではあるが一期は言葉を飲んだ。
「薬研は」と話題を変えた一期を見上げる。
「あれはさほど賑やかな子ではありませんが、やはりいないとどうしてか、この城が静かに感じてしまいます」
「遠征にでたりすることもあったじゃない」
 長期の遠征だと数日城を空けることがある。
「そうですね。ですが、やはり遠征と修業は違います。薬研がこの城で初めての修行者というなら、その差はわからなかったでしょうが、修行に出て試練を乗り越え、そして戻ってくる頃には私の知っている薬研藤四郎とは異なっているとわかっていますから」
 これまで修行に出た者たちがそうだった。だから、きっと薬研もその例外ではないのだろう。

 審神者の部屋についても一期は下がらない。
「茶をお淹れしましょう。さきほど、随分と冷えておいででしたし、近侍殿もお戻りになられないでしょうから」
 言いながらテキパキと茶を淹れる準備を始める。
「じゃあ、お願いしようかな」
 断っても何だかんだで世話を焼かれそうなので厚意は素直に受け取ることにした。
 ふと、廊下を駆けてくる足音が聞こえた。
 軽い。ということは短刀か脇差か……
「主さん」
 障子戸を開けると同時に姿を現したのは乱藤四郎だった。
「乱」
 窘める声に「え?!」と彼も声を零す。
「なんでいち兄が此処にいるの?」
「さっき、廊下で居眠りしてたら一期に見つかっちゃって。体が冷えるよって起こしてくれたの」
「へー」と相槌を打つ乱の様子は落ち着かない。
「乱?」
「どうしたの?」
 一期と審神者がその様子に首を傾げていると「いち兄、それボクがするから」と言い出した。
「乱、何を目論んでいるのかな?」
 つい、と目を眇めて問う一期に「えっと」と言葉を探す乱。
「ねえ、乱。何かくしてるの?」
 不自然に背中に手を回したままの彼に審神者が問うと、乱はがくりと肩を落とした。
「あのね、これ。主さんと食べようって思って持ってきたんだ。鶴丸さんはさっきに庭で見かけたし、薬研もいないから寂しいかなって」
 後ろに回していた手を前に出す。
 右手と左手にひとつずつどら焼き。
「そういうことなら、素直に言いなさい。私は良いよ。主とお前で頂きなさい」
 乱に向かってそう言った後「湯呑をひとつお借りしてもよろしいでしょうか」と審神者に問うた。
「いいよ、もちろん。あとさ、ものは相談なんだけど。一期、はんぶんこしない?」
「いえ、私は……」と断ろうとしたが審神者が「いやいや、そうじゃなくて」と気を遣っての提案だと思っている彼の思考を否定した。
「夕飯まであとちょっとだし、残したら体調不良を疑われる。じゃあ、今おやつ食べなきゃいいじゃんって話になるかもしれないけど、やっぱり今ちょっぴりお腹空いている。ということで、一期とはんぶんこさせてもらったらちょうどいいかなって」
 せっかく気を遣ってくれた乱には申し訳ないんだけど、と付け足しながら乱に視線を向けると「ボクはいいよ」と彼が頷く。
「そういうことでしたら、お相伴にあずからせていただきます」と一期も頷いた。

 一期の淹れた茶を前に皆で手を合わせる。
「いただきます」といった審神者がどら焼きに手を伸ばし、割って大きな方を一期に差し出す。
「私は小さくても」
「いいからいいから。どうせ、いつもはみんなに大きい方を譲ってるんでしょ。たまには大きな方をもらいなさい」
 笑って審神者に指摘されて「では、」と少し気恥ずかしそうに受け取った。
 どら焼きを一口齧って、茶を啜る。
 コトリ、と乱は湯呑を置いた。同じく審神者も。
 一期は首を傾げる。
「ねえ、一期。お茶を淹れた経験は?」
「今はまだありませんな」
 笑顔で答えられた。
「主さん、ボクが淹れ直すよ」
「お願いしてもいいかな」
「乱? 主、お口に合いませんでしたか?」
「うーん、お茶風味の白湯かな?」
 苦笑を浮かべて審神者が返し、乱が問答無用で一期の湯呑も取り上げる。
 急須の中身を見て乱はため息を吐き、それを持って部屋を出て行った。
「あの、主……」
 窺うように見てきた一期に審神者はにこりと笑顔を作り、「今度ティーパック買ってあげるね」と返したのだった。









桜風
(16.10.5初出)


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