薬研藤四郎が修行に発った本丸―三日目―
| 日向は暑い。かといって日陰は少し肌寒い。着るものに困る季節だな、と四阿の縁側に腰を下ろしてぼうと空を見上げる。 城の季節は審神者の気分次第で変えることができるが、この城の審神者はそれを行わず、城の季節は暦どおりだ。 一部の者には初期刀の影響だろうと囁かれているが、本人に直接確認した者はいない。 どん、と膝の上に重力が掛かり、空を見上げていた審神者は視線を下ろした。 「えへへ、大将。隙あり」 天真爛漫な笑顔を浮かべた少年が審神者の膝にまたがり、向かい合わせに座っている。 「信濃」 粟田口派の短刀だ。 彼は比較的新参で、時折古参の粟田口派の短刀に世話を焼かれているのを目にする。 「どうしたの」 「大将がぼうっとしていたから。この機会を逃すのはもったいないと思って」 「機会?」 「俺、言ってるよね。大将の懐を狙ってるって」 見ると彼の右手には本体の刀剣がある。 「熱心ね」 肩を竦めていう審神者に「まあね」と信濃は得意げに胸をそらした。 「でも、だめ。というか、降りて。重い」 「ええ~」と不満そうな声を漏らしはするが、彼は素直に審神者の膝から降りた。 「ここなら空いてる」 置いておいたお茶セットを移動させてぽんぽんと隣を叩く。口をとがらせている信濃はそれでも審神者の隣に座った。 「大将、何やってたの?」 「うーん、特に何も」 ぼうっとしていただけだ。 審神者の執務なんて、普段はそんなに量はない。たまに時間を取られることはあるが、基本的に城に在れば一応義務は果たしていることになる。 とはいえ、人間というのは欲深い生き物で政府からの要求はどんどんエスカレートしていく。 だから「契約と異なる」という主張ができなくもない。 しかし、契約と異なるからと言ってこの城を去りたいかと問われれば迷わず否定する。 この城は好きだ。 城に在る者たちは皆優しい。 ――自分にとって過分な優しさだと思うくらいに。 だから、いつも彼らに何をどうやって返せばいいのかと自問自答を繰り返している。 それこそが政府の思惑に嵌ってしまっているかもしれないが、かといって当然に彼らの厚意を何の代償もなく受けることはできない。そういう性格なのだ。 「大将?」 ふと物思いに耽っていると不安そうに信濃が顔を覗き込んできた。 「ああ、なに?」 「薬研がいないことがそんなに寂しい?」 「ん? うーん、皆に聞かれる。なんでだろう?」 首を傾げる審神者に、少し信濃が不機嫌になる。 「でも、そうだね。寂しいね」 「薬研は特別に?」 「例えば、信濃が修行に出たらやっぱり寂しいと思うよ」 「本当?!」 「うん、本当」 頷いた審神者に「じゃあ、懐に入れて」と彼は本体を差し出してきた。 (「じゃあ」って何だろう) 疑問が浮かんだが、信濃藤四郎を受取り、膝の上に乗せる。 「そこじゃなくて」 「此処で我慢して」 苦笑を零しながら言うと「薬研に駄目って言われてるの?」とまたしても薬研の名が出て眉をあげる。 「どうしたの?」 「……別に」 「そう」 言いたくないことなら聞かない主義の審神者は相槌だけ打って、膝の上に載せている信濃藤四郎に視線を落とした。 するりと撫でると隣に座っている信濃が俯く。 「ああ、ごめん」 「ううん。ね、俺、鞘から抜いてもいいよ」 少し赤くなっていう信濃に審神者は首を振った。 「信濃藤四郎が鞘から抜かれるときは戦うときだけだからね。この城では真剣はご法度だし」 「俺がいいって言ってるのに?」 何かに遠慮をしているのならその必要はないというのだが、審神者はやはり首を振る。 「刀剣男士の本体はその魂そのものだから、軽々と目にするわけにはいかない」 「大将……」 「っていう、逃げ口上。結局覚悟がないのよね」 肩を竦めていう審神者に信濃は静かに首を横に振った。 「俺、ちゃんと役に立つから」 「期待してる」 「早く俺も出陣したい」 「もうちょっと待ってね」 審神者の言葉に頷いた信濃は「あ、」と声を漏らす。 「ねえ、大将。何か面白い話して。薬研の。俺がここに来る前の話」 「『面白い話』っていきなりハードルあげるなぁ」 苦笑を零して言う審神者に信濃は「はーどる?」と首を傾げた。 「そうねぇ……薬研と厚って、凄く面倒見のいいお兄ちゃんって感じじゃない?」 不本意そうに信濃は頷いた。 「私がこの城に就任して、そうだな……ひと月かふた月くらいかな。経った頃に、薬研と厚が派手な喧嘩をし始めたの。時々けんかしてるなって思ってたけど、その時のはちょっといつもと違って。でも、男の子同士だし、そういうのもありかなって思ってたら、取っ組み合いのけんかを始めてね。その時のはちょっとこれは止めた方がいいかなって声を掛けようと思ったのね。ほら、私は刀剣の手入れで皆を治すことができるけど、刀剣を介さない怪我は『審神者の力』ではどうすることもできないでしょ。私が廊下でこけてひざをすりむくのと同じ怪我だから、消毒とか軟膏を塗って治療することになる。これで骨折でもしたら直るのに時間がかかるし、痛いだろうと思ったの。そしたら私の隣に一期が立って、すっと私の前に手を出すのね。「ここは私が」って」 そこまで話して審神者は急須に手を伸ばす。 「俺が淹れてあげる」 「……淹れられる?」 先日の煎茶風味の白湯を思い出す。 「大丈夫。任せて」 不安しかないが、取り敢えず失敗は一度はしておいた方がいい。一期よりも信濃の方が指導はしやすい。 「えっと、続きね。一期が徐に二人に歩み寄ってその後にはおおよそ人の頭から聞こえていいものとは思えない固い音がしたの」 「……いち兄のげんこつ?」 「うん、げんこつがさく裂した。二人は蹲って暫く唸ってたわ。厚なんて舌まで噛んじゃったみたいでね。その後「二人とも、そこに直りなさい」って一期が言うの。怖かった」 「それは、怖い……。それでそれで?」 「二人はものすごく長い間正座して一期のお説教を食らったの。おやつ抜きで、お水が飲めなかったし、トイレ、えっと厠に行くこともできなかった。まあ、一期も同じなんだけどね。そこは本当に凄いと思った」 「だいたいどれくらい?」 「えっと、お昼ご飯を食べて一刻くらいしてから、光忠が夕飯を呼びに来るまでかな?」 「随分長いね。大将、それずっと見てたの?」 「うん、どこで落ち着くのか気になって。でも、私が見てたからお説教が長かったらしくて、後で「主の前でしたので、張り切ってしまいました」って一期に言われちゃった」 ははは、と審神者は笑う。 それ以降、なんだか不穏な空気があっても一期の咳払いでその空気は払しょくされるようになった、と審神者は続けた。 「俺、喧嘩しない」 「まあ、たまにならいいんだろうけど。一期の目に余るようだったら、げんこつは覚悟しておいた方がいいよ」 信濃は思わず自分の頭を擦る。 「あ、大将。お茶淹れたよ」 「ありがとう」 受け取った湯呑の中にはちゃんとしたお茶の色の液体がある。 一口飲んでみた。 「うん、信濃。お茶っ葉、どれくらい使ったのかな?」 「え? たくさん。その方が美味しいかなって思って」 贅沢品は贅沢しないと! というのが審神者のモットーで、だからこの茶葉は『高級』だ。 贅沢すると言っても、適量が最も美味いはずだ。たくさん使えばいいというものではない。 「信濃にも、今度ティーパックあげるね」 「大将から何かもらえるの?!」 目を輝かせて喜ぶ信濃に向かって笑みを浮かべた審神者は静かに頷いた。 |
桜風
(16.10.7初出)
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