薬研藤四郎が修行に発った本丸―帰還―






 ふと気配がして目を覚ますと目の前に人の顔がある。
 悲鳴をあげそうになったが、それは何とか理性でブレーキを掛けることができた。
 人の顔、見覚えがある。というか、今日を待っていた。
「よし、ちゃんと気配に気づいたな。良い子だ」
「良い子だ、じゃないでしょ。なに人の寝所に侵入してきてるのよ」
 悲鳴を上げるところだったじゃない、と付け足すと「さすがに俺も肝が冷えた」と目の前の男は悪びれもなく笑う。
「いつ戻ってきたの?」
 寝間着を整えながら審神者は体を起こす。
「んー、たった今だ」
「なんで正門で声を上げないの」
「そりゃ、いの一番に見たい顔があるからだろう」
「人の寝顔を……」
 涎、垂らしてなかったよねと少し心配になりながら睨むと彼は朗らかに笑う。
「それが見たかったんだ、仕方ないだろう」
 悪びれないその態度にため息を吐きはしたが、不思議と腹立たしさは覚えない。
「ほら、早くお風呂に入っちゃいなさい。朝ごはんにはまだ時間あるだろうし」
 審神者に促されて薬研は自分の袖を鼻に近づける。
「すまん、気づかなかった。臭ったか?」
「ああ、違う違う。旅の疲れはお風呂で流すものって相場が決まってるから。疲れてるでしょ」
「なるほどな。ところで大将。熱い抱擁はまだか?」
「ない。良いからお風呂に行きなさい」
「つれないな、まあ、いい。今晩、四阿でな」
 肩を竦めて薬研は寝所から出て行った。
「……もう。目が冴えちゃったじゃない」
 嘆息吐いた審神者は、仕方ないので布団を片づけ、起きることにした。
 たった四日。それだけの時間だったのに、帰ってきた薬研の顔つきは全く違った。


 朝食の席で、薬研が帰還を報告した。
「薬研藤四郎。昼食ののちに私の執務室でこのたびの修行の報告を。近侍を呼びに寄越すので、部屋に居るように」
 食事が終わり、退出する際に審神者に言われ「承知した」と薬研が頷いた。
 修行に出ていた者が戻ってくると審神者は忙しくなる。
 詳細な報告を求められるのだ。修行に出たものがいない間の本丸の様子や、帰ってきた本人の様子の違い。
「確実に実験されているから」と嫌悪に顔を歪めていう審神者に鶴丸は苦笑を零す。
「人というのはそういうものだと俺は思っていたがな。君は特別変わっている」
 鶴丸の指摘に審神者は肩を竦める。
 昼食後、と薬研に伝えておいてよかったと思った。
 日課はなるべく午前中に済ましておきたいし、今回の報告書の本丸部分も書き上げておきたかった。よって、修行に出ていた薬研の話を聞き取り、それをまとめるのはどうしたって午後になる。
 鶴丸に薬研の迎えを頼み、審神者は部屋で待機する。
「主、連れてきたぞ」
 声を掛けた鶴丸が障子戸を開き、薬研を促す。
 審神者はちらと薬研に視線を向けた。
「このたびは、修行の任、ご苦労だった」
「ああ」
「では、報告を。悪いが、聞き取りながら記録させてもらうため背を向ける」
「ああ」
 文机で準備を整えた審神者は振り返り「では、頼む」と声を掛けて背を向ける。
 薬研は淡々と修行での様子を口にした。何があったかを客観的に口にする。
 そういう薬研の様子に違和感を覚えることはない。本来、彼は大抵の事柄は客観的な視点で接する。だからこそ、多くの者は彼の発言に一目置くのだ。
「これで終いだ。もういいか」
 話し終えが薬研は早く部屋を出たいようで腰を浮かせたが「少し待て」と審神者に言われて大人しく座り直す。
 聞き取りの内容に曖昧なものがないか確認し、「下がって良し」と告げると静かに部屋を出て行った。
「何かしたのか?」
「思い当たる節がなくて困っているところ」
「君のその口調じゃないのか?普段と違うじゃないか」
「『審神者』として任務のために接しているときはいつもあんな感じでしょ?オンとオフを分けてるつもりなんだけど。というか、それが理由なら今更」
「なるほどなぁ」と腕組みをしながら納得していた鶴丸がハタと気づく。
「君はこの城にいる限り『審神者』じゃないか」
「ずっとアレだと私の息が詰まる。この城は居住空間、プライベート空間でもあるんだから」
「では、何だろうな」
「何だろうねぇ」
 薬研はこの部屋に来た時から少し機嫌が悪かった。この部屋に来たときというよりも鶴丸が呼びに行ったときにはすでにご機嫌斜めの様子だったので、珍しいなと面白がった。あの薬研がご機嫌斜めとなると痴話喧嘩という線が強いと思っていたがそうではないという。

 審神者が報告書を提出したのは夜もとっぷり更けてからだった。
 修行に出た者が帰還して二十四時間以内に提出するように通知が来てはいるが、結構無理なことを言っているのだと指摘したい。
 審神者は伸びをして部屋を出た。
「もういないかなぁ」
 四阿でという薬研との約束を果たすために向かったのだが、こんなに遅くなるとは思っておらず、流石にいないだろうと踏んでいたが、仄かに明かりが見える。
 ひょっこり覗いてみると薬研が一人酒をしていた。
「遅かったな」と向けられた声音はやはり不機嫌で「報告書の提出が手間取って」と返す。
 微妙な距離感に薬研はため息を吐き、「来ないのか」と自分の隣をぽんぽんと叩いた。
 盆の上には猪口がもう一つ。一応、審神者を待っていたらしい。
「だって、薬研が不機嫌なんだもん」
「別に襲いやしないから」
 返した薬研の言葉はそれなりに不穏で、審神者はまだ動かない。
「なんだ、襲ってほしいのか」
「いやです」
 ため息を吐いて審神者は薬研の隣に腰を下ろした。
 薬研の酌を受けて一口酒を飲む。
「なんでご機嫌斜めなの」
 ちらと窺うように視線を向けると。薬研はむすっとむくれる。
「俺を懐に入れないくせに」
「は?」
 頓狂な声を上げる審神者の胸元に薬研は何かを挿した。
「冷たっ」
 驚いて審神者が見ると、薬研藤四郎が懐に突っ込まれている。
「薬研?」
「俺に駄目というくせに、信濃はいいのか」
「えーと。ちょっとこれごつごつして痛いから抜くね」
 懐にねじ込まれた薬研藤四郎を抜いて膝の上に置く。
「信濃には相変わらず「懐に入れて」って狙われたけど、最終的にはここに落ち着いた」
「……は?」と薬研が声を漏らす。
「しかし、信濃から……」
 しどろもどろに言い訳する彼に審神者はため息を吐き、「信濃にからかわれたんじゃない?修行前に何か変な宣言して出て行ったって聞いたし?」と半眼になって問う。
「いや、だって俺がいるときなら全力で阻止できるが、大将、隙だらけなんだぞ?」
『いや、だって』など普段の薬研の口から聴くことのない接続詞に審神者は密かに感動し、それと同時に珍しく狼狽する薬研に小さく笑い、「こんなことはしたけど」と鞘をするりと撫でた。
 一瞬ひるんだように体を引いた薬研が「大将、それもダメだ」と禁止する。
「はあい」と心のこもっていない返事に薬研は肩を竦めて薬研藤四郎を取り返す。
 放っておいたら何をされるかわからない。
「さて、薬研。みっつめの約束覚えてるね」
 審神者の言葉に薬研は頷く。
 先ほどの、審神者の執務室では話さなかったこと。
 自分の感じた、思ったことをぽつりぽつりと零していく。
 審神者は瞠目しながら耳を傾けていた。ひとつも取りこぼすことのないように。

「さ、辛気臭い話はこれくらいにして。大将、もう一献どうだ?」
 徳利を手にした薬研に審神者は困ったように笑う。
「そうね、いただくわ」
 猪口を手にして薬研に向ける。
 しかし、薬研は審神者の猪口に酒を注がずに徳利を盆に戻し、審神者を抱き寄せた。
「ただいま、大将」
 抱きしめる薬研の腕の力は強く、正直少し痛いが審神者は何も言わずに抱きしめ返し、「おかえり、薬研」と言葉を返した。





「まったく……」
 腰に手を当てて鶴丸が呟いた。
 彼が見下ろしているのは主と薬研だ。二人は寄り添うように眠っている。
 おそらく今は二人の時間だし、覗くのは野暮なことだろうと思ったが、一方で薬研の保護者が心配だと声を掛けに来たのだ。彼の場合、薬研と審神者の関係を先ほど聞いたばかりだという。
「二人とも子供じゃないだろう」と呆れながらも返したが「いいえ、主に何かあっては事です」と力強い視線を向けられてしまえば反論する気がなくなる。
 仕方なく審神者の部屋を訪ねてみたが、姿がない。薬研の保護者こと一期一振は蒼くなった。
 そんな彼を放置して部屋に戻ることは叶わないと悟った鶴丸はため息を吐き、庭を探し、四阿にたどり着いたというわけだ。
 くうくうと寝息を立てている二人を見てあきれるやら安堵するやらという複雑な心境に陥った。
「これで満足か」
 一期一振を振り返ると彼も安堵するやらあきれるやらという複雑な表情を浮かべていた。
「しかし、このままだと主が風邪を引くかもしれんな」
 もう秋の半ば。夜は冷える。
「私が主をお連れします」と言って審神者をひょいと抱え上げて一期はすたすたとその場を去って行った。
「……は?」
 こういうのは近侍の仕事じゃないのか、と反論したくてももう一期の姿は豆粒ほどの大きさになっていた。
 ため息を吐いた鶴丸は薬研を見下ろしてぺしんと頭をはたく。
「ん……?」
 起きない薬研に呆れながら、仕方なく鶴丸は薬研を抱えて彼の部屋に向かった。









桜風
(16.10.9初出)+追記(16.12.30)


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