| 「ほかの階には行くことはないだろうけど、うちの部署では絶対にお世話になるのが三階。総務部よ」 エレベーターを待っている間に、そう説明を受ける。 「総務部って、総括部と似た名前ですね」 「ああ、まあ。紛らわしいよね。総務部は予算経理と庶務が主な仕事。出張とか接待の回数が多いうちは総務に頭が上がらない」 やってきたエレベーターに乗り込んだ。 「えっと、聞いていいですか?」 「新人は聞くことが仕事。何?」 「総括部って、何をするところなんですか?」 「……ああ、その説明しなきゃか」 ぺちんと額を叩いてが眉間に皺を寄せた。 「すみません」 首を竦めて謝罪をする彼に「いいのいいの」と彼女は笑う。 「私もちょっと焦りすぎてた。うちに来たからには総務に絶対に挨拶に行かせなきゃってね」 チンと音が鳴ってエレベーターのドアが開く。 「お、新人?」 「これからそちらにご挨拶です」 「君が教育係? 逃げられなきゃいいけど」 「逃げられたことはないんですけど」 「そうだっけ?」 三階からエレベーターに乗り込む人とすれ違いざまに彼女が会話をする。 エレベーターのドアが閉まり「あの人、総務部」と教えてくれた。 「うちは、営業から企画まで薄く広く行う部署。総括って名前だけど、何かをまとめるんじゃなくて、ひとりで全部やっちゃう部署」 「でも、企画部ってありましたよね?」 自分が希望したのはその部署だ。 「ああ、企画部。うん、ある。元々総括部は営業部だったの。で、うちの会社が忙しくなって企画部で手が回らなくなったから、企画のたたき台まで作れて話になって名前が変わった残念な部署なんだ。原案はウチが作って、企画部が美味しいところを持っていく。とはいえ、もともと営業部だったから営業色が強くて、出張や接待も結構ある。よって、お金を握っている部署にご挨拶に行く必要がある」 ぴたりと彼女が足を止めたのはドアの前で、『総務部』と書いてある。 インターホンを押すと返事があり、彼女は「総括部のです」と部署と名前を口にした。 「また何か無理難題?」 ドアを開けた人の一言目がそれだった。 「いえいえ、今日はご挨拶を」 「余計に怖いわ」 笑って応じる人の後をが歩いていく。 「早くおいで」 「あ、はい」 そういえば、長い間ドアを開け放しているとアラームが鳴ると言われたばかりだ。 「どうしたの?」 「え、男の子連れてる」 「新人?」 どうやらこの部署で彼女は有名らしい。 「あー、今日、入りたてのほやほや。ほら、自己紹介」 「本日付で総括部に配属となりました粟田です。よろしくお願いします」 慌てて自己紹介をするとパラパラと拍手があった。 「しかし、入社早々に総括」 「ああ、若人の未来が……」 「ちょっとやめてくださいよ。本当にやめちゃったらどうするんですか。ほら、もう不安そうな顔をしてる」 振り返って言う彼女は少し困ったように笑っている。 「冗談冗談」 「さんのそばに居たら疫病神が裸足で逃げていくから大丈夫だよー」 「さっそくだけど、粟田君。合コンに興味ないかな?」 「さっそく過ぎです。そういうのはもう少し後に誘ってやってください。若干困ってるじゃないですか」 彼女が止めると、合コン話を出した女性がを見る。 「前に来てくれたのに、なんでその後のお誘いに乗ってくれないのかねー。さんでもいいのよ」 「あの時は、『一回だけ』という条件を飲んだだけです」 「あの後、あなたの連絡先聞かれて本当に困ったんだから。言っちゃダメって言われてたし」 「約束守ってくれてありがとうございます。でも、もう二度とごめんです」 「でも、彼氏いないんでしょ? もう一回!」 「い・や・で・す」 強い口調でしかしどこかおどけた口調で言われた女性も苦笑を漏らす。 「ムリムリ。ちゃんって白馬に乗った王子様待ってるんだから。ねー?」 「いや、白馬っていうか、望月。っていうか、馬なくても大丈夫」 「え、望月?」 「平清盛の馬の名前じゃなかったか?」 「うわ、マニアック」 いつの間にか彼女の周りには人だかりができており、粟田はぽつんと取り残された。 「あ、ごめん。ほったらかした。まあ、というわけで、うちの新人君をどうぞよしなに」 言いながら粟田の腕を引いて彼女は足早にドアに向かった。 「はいはーい」 「よしなされたよー」 先ほどの会話が気になり、「白馬の王子様を待ってるんですか?」と聞いてみようと思った。しかし、なぜか声が出なかった。 聞いてはいけないことのような気がしたし、聞きたくないという思いがどこかから浮かんできた。 「さっきのところが総務部ね。出張とかあったらあそこにお伺いを立てるの。出張する場合は事前に書類を揃えて提出して、総務部の方の決裁をもらわなきゃいけないんだけど、場合によっては書類を後回しにしてもいいよって言ってくれる」 「場合によっては?」 「人間関係を築いておきなさい。あ、でも合コンは嫌だったら断ってもいいから。そういうことはちゃんと大丈夫。必要以上にへいこらすることはないからね」 「はい」 「それと、急な出張をねじ込ませてもらった時には、ちょっとお高いお土産を持参すること」 「はい」 エレベーターに乗り込んで彼女は六階を押した。必要不可欠な場所への挨拶が済んだから戻るのだろうと思っていると彼女が振り返る。 「あなたは独り暮らし?」 「はい」 「じゃあ、お世話になる可能性が高いし覗いておこう」 九階のボタンを押した。 六階で一度ドアが開き、素通りして九階まで上がった。 「ここは?」 「突当りが食堂。社内には売店とかカフェとかもあるけど、がっつり食べるならここかな。あなた、若いから」 食堂入口までやってくると彼女が足を止める。 「入口の販売機で食券を買って、中のカウンターに出す。麺類、丼物、定食ってカウンターが別れてるから注意して」 彼女の言葉にうなずき、「先輩もよく使うんですか?」と聞いてみると「私はお弁当」と首を振る。 「でも、あのフロアの殆どが外食だから、社外の食べるところとか聞いたら教えてくると思う。さて、じゃあ今度こそ戻ろうか」 促されて再びエレベーターホールに向かう。 六階まで降りて総括部の前で「カード使って開けてごらん。パスワードはパソコンのパスワードの最後の四桁の数字」と言われて先ほど設定したパスワードを使用してドアを開けた。 「おかえりー」などと声を掛けられる中、「そういや、今日歓迎会大丈夫か?」と先輩に声を掛けられた。彼は幹事と名乗った。 「歓迎会、ですか?」 「そう。なんか予定ある?」 「ありません」 「なら、決定」 そして、先ほどまで粟田を引率していた彼女に顔を向けて「さんもいいっすよね」と確認する。 「了解」と軽く手をあげて彼女は応じ、自分のデスクに着く。 入ったばかりのほやほやで何か仕事を任されることもなく、とりあえず社内の配置図を覚えることと、人事部に提出する書類の作成で一日が終わった。 歓迎会会場は、会社近くの居酒屋だった。 御用達なのか、店員と談笑している彼女を見ていると視線が合った。手招きされて応じて足を向ける。 「この子、入りたてのほやほや。よろしくお願いします」 「あらぁ、可愛い子ね」 「男の子に『可愛い』はないですよー」 笑って応じる彼女に「あの……成人した男に対して『男の子』もないと思います」と思わずツッコミを入れた。 彼女と店員は顔を見合わせ「それもそうだ」と納得して笑う。 「ごめんねー」と彼女が笑い、「今後ともごひいきにお願いしますね」と店員が去って行った。 「おーい」と少し奥まった部屋から声がした。主役が来なければ乾杯ができないというのだ。 「急ごう」と彼女に促されて早足で、歓迎会の会場となっている座敷に向かった。 課長の音頭で乾杯し、「一言何か」と言われてしどろもどろに挨拶をすると、後は食事だ。 若手の先輩に「注いで回るもんだ」と言われて慌てて課長から順にビールを注いで回る。 「一日目どうだった?」と聞かれてなんと答えていいのかわからない。 会社の中を少し探検しただけであとはデスクに着いて必要書類を整えていただけなのだ。 昼食は今日の歓迎会の幹事に誘われて食堂で済ませた。朝食が十秒メシだけで正直空腹の限界を覚えていたため、猛烈に食べてしまい、午後は非常に眠かった。 「そういえば、あの人。どういう感じだった?」 「あの人?」 幹事に問われて首を傾げると彼は部屋の隅にいる彼女を顎でしゃくってみせる。 「さんだよ」 「ああ。面倒見のいい人だなって」 「そうか?」 眉間に皺を寄せて問い返される。総務部の人たちとの様子や自分への接し方、凄く話しやすく感じた。 「でも、凄く変人なんだぜ?」 「変人?」 「何か、刀が好きらしくって全国各地回ってるんだと。めちゃくちゃ忙しい時期でも休みを取って飛行機で飛んでったり」 「刀、ですか?」 「日本刀が好きらしいぞ。まあ、そのせいでうちの部署所属なんだろうけどなー」 酔いが回っているらしく、声も大きい。もしかしたら彼女にも聞こえているのではないかと心配になる。 「あんたさー。いつも仕事いっぱいいっぱいになって泣きついてる相手をそんな言い方って。データもしょっちゅう飛ばしてるし。復元は誰がしてるのって話よ」 「そうよ。忙しい時期に休みを取るって言ってもさんは自分の仕事済ませてるじゃない。二、三日休んだって回るようにちゃんと根回しして休んでくれているから問題ない。しかも大きな仕事だって取ってくるし。それより、二日酔いで突然休んで書類がどこにあるかわかんないあんたの方が迷惑よ」 女性先輩二人にそう責められて幹事は逃げるようにその場を去った。どうやら彼女は同性には人気がある人のようだ。 「ほら、これから一番お世話になる相手なんだから」 言いながら背中を押されて粟田は慌てて彼女の元に足を運ぶ。 「あの、先輩。遅くなりました」 「呼んでないから」 笑って返される。 「注いでもいいですか?」 問われて彼女は自分のコップを手でふさぐ。 「ダメ。私、弱いからこの一杯で粘る気満々。あなたのコップは?」 「ああ、あっちに……」 振り返るとすでに自分のコップがあった場所にそれがない。誰かが勝手に使っているのだろう。 「じゃあ、これを使いなさい」 渡されたのは彼女の席の前にあったコップ。 「使ってないから安心して」 受け取ると、そのままビールが注がれる。 「刀が好きなんですか?」 先ほど仕入れた情報を口にすると彼女はどうしてか困ったように笑った。 「……そうね」 「忙しい時期でも飛行機に乗って遠方にも行くって」 「だって、『遠い』って理由で行かなかったら拗ねちゃうからね」 誰が、と問わなかった。どうもあの幹事の話では、彼女に変わり者の印象があったのだ。 何かに想いを馳せているように目を細める彼女の表情に胸がざわめく。 「あ、あの」 「おーい、そろそろお開きだ」 幹事が手を叩いて注目を促す。 「食べた?」 「いや、あまり……」 「あなたの歓迎会だというのにね。タッパー、頼んでみようか」 締めの乾杯を済ませた後、彼女が部屋を出ていく。自分のために出て行ったはずなので、待っていなくてはならない。 「じゃーなー」と声を掛けられて挨拶を返していると戻ってきた彼女の手にはプラスティックの入れ物がある。縁日などで焼きそばを購入した際の入れ物と同じものだった。 「内緒ねって」 「いいんですか?」 「本当はダメ。だから、内緒だって。そうそう、あまり小言は好きじゃないけど」 ひと言置いて彼女は再び口を開く。 「形状記憶だろうとシャツにアイロン掛けること。今の時期なら、最低でも上着から見えるところだけでいいから。あと、靴は毎日磨く。一応、職場に道具一式おいておきなさい。清潔感がないと相手から信用されないからね。営業たるもの、きちんとした身だしなみが第一歩よ」 「はい」 テキパキとタッパーに形がきれいなまま残ったおかずを詰めながら指導する彼女の表情には思いやりがあった。 「あと、わからないことがあったら聞く。考えている時間がもったいない。そして、ちゃんとメモを取る。一回目は知らないから聞いてもいい。でも、二回目以降は勉強不足。いいね?」 「ハイ」 「よろしい。じゃあ、これ持って帰って夜食にするなり、明日の朝ごはんにするなりしなさい」 彩りも鮮やかにおかずが詰られたタッパーを受け取り、彼はそれをじっと眺める。 「要らない?」 「要ります。助かります」 「じゃあ、帰ろうか」 促されて立ち上がる。 「送りましょうか?」というと彼女は笑ってデコピンをしてきた。 「あなたは、明日の朝駅からの五百メートルダッシュをしないということを一番に考えなさい」 額を擦っている彼に「じゃあね」と声を掛けて彼女は先に部屋を出ていく。 彼も慌ててその背中を追った。 |
桜風
17.1.8
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