奇跡の下で 3






 翌日からは大抵彼女の営業先に連れて行ってもらい、仕事を見せてもらう。
 あまり大きな仕事を取りに行かない主義なのか、話はコンパクトだった。よって、隣で聞いていてわかりやすかった。
 相手に伝わりにくいヘンテコな横文字を使うことなく、日本語で説明をし、相手の疑問にもきちんと答える。
 部署の男性陣の評価がいまいちなのは、結局妬みや僻みだと気づくと、改めて凄い人なのだと感心した。この人の側に在ることがどこか誇らしく思えるほどに。







 五月の半ばに同期との飲み会があった。
 地方中堅のこの会社は、それなりに新卒を採用している。
「育てるっていう方針はいいと思うけど、真ん中がそのつもりがないからね」と以前彼女が言っていた。
『真ん中』とは、課長クラスの者を指すらしい。確かに、課長の態度を見る限りにはそういう様子が見られない。その真ん中が上を目指しているのなら話は別だろうが、こちらの課長は残念ながら『話が別』になるタイプではないようだ。
「そういや、総括部だったっけ?」
 ドスンと隣に座ってきた同期に声を掛けられて頷く。確か企画部所属だとか言っていた。自分が狙っていた部署なだけに少し悔しい。
「じゃあさ、えっと何て名前だったっけ……」眉間に皺を寄せながら目を瞑り、「って人、知ってるか?」と聞く。
「ああ、俺の教育係してくれてる人だよ」
 彼が答えると「マジで?!」と声を上げ、そして笑う。
「なに?」
「その人、元々企画部にいたらしいぞ。んで、上司とのそりが合わずに飛ばされたって。何か、凄く休みを取る人だって。そんなに取ってる?」
 どこか彼女を軽んじた口調に思わずむっとした。
「でも、やることやって休んでるって。規定上、休みは取れるだろう?」
「そりゃそうだけど。空気読めないってのが拙いんじゃないのか? ふつう、周りが忙しい時に休み取らないだろう。しかも、それ日本刀なんかを見に行くためだって言うじゃん。意味わかんないし」
 ドン、と思わずコップを机に叩きつけるように置く。
「お、おい。なんだよ……」
「……別に。でも、人の趣味を笑うのはどうかと思うけどな」
『趣味』と口にしたがどこか違和感があった。だが、それ以上に今は怒りを鎮めるのに気を回さなくてはならない。
「なんだよ。お前も空気読めないのかよ」
 言い捨てて同期が席を立つ。
 確かにこの場の空気を悪くしたが、どうしても黙っていられなかった。ひと月面倒を見てもらっているが、非常識に感じることはない。むしろ、極めて常識的な人で、周囲への気配りができて、さらに視野も広い。
 もし、彼女が左遷を受けたなら、それは無能な上司の妬みや僻みによるもので、つまり、非常識だったのは彼女の当時の上司なのだ。
 明日も仕事ということで早めの解散となった。
「ねえ、連絡先交換しない?」
 異性に声を掛けられてポケットを探り、そして天を仰ぐ。
「忘れた……」
「え、なに。断るにしてももうちょっとさぁ」
「いや、マジで。職場だ」
 昼休憩にゲームをしていて、チャイムが鳴って慌ててデスクの引き出しに投げ込んだ。そのまま急いでここに来たから引出しの中で眠ったままだ。
 彼の表情を見てそれが嘘ではないとわかった女の子は「今度教えてよ」と言って彼から離れる。


 失敗したな、と思いながら会社に戻る。このままだと明日の朝には充電が切れてしまう。充電器を明日持ち込んでもいいが、外回りになったときに結局充電が切れてしまう可能性が高い。
 警備員に事情を説明してIDを見せて会社に入らせてもらった。
 エレベーターで六階に降りて部署の前にたどり着くと、明かりがついていることに気づいた。
 部屋の殆どの明かりは落としているが一部だけ点けてある。
 そういえば帰り際に「オワタ!」と頭を抱えていた先輩がいた。おそらくデータが飛んだのだろう。あの人はなぜか良くデータを飛ばすと他の先輩に聞いたことがある。
 きっとデータの復元でもしているのだろうかと思いながらドアを開ける。
「あれ?」
 部屋の中には彼女が一人だった。ドアのロック解除の音に反応して振り返る。
「まだ残ってたんですか? ひとりですか?」
 帰り際に頭を抱えていた先輩の姿を想いだしながら問うと「データ復元させたし、彼なら帰ったよ」という。
 もう復元が終わったのかと感心しながら自分のデスクに向かう。
「それより、どうしたの? あなたは同期の飲み会だって言ってたでしょ」
「携帯、忘れてしまって」
 言いながらデスクの引き出しを開けた。思ったとおり、そこにはぽつんとモバイルが存在していた。
「あらら。せっかく連絡先の交換のチャンスだったのにね。うち、今回の採用は男女比同じだって聞いたから、女の子も多かったんじゃないの?」
「それ、なんか嫌な言い方ですね」
 どうしてかむっとした。同期との飲みだと他の先輩に話した時にも同じようなことを言われたはずなのに、彼女の言葉だと不愉快になる。
「これは失礼」
 軽く謝罪されて息を吐く。そして、改めて彼女を見た。
「……先輩、なんか、凄く印象が変わりますね」
 いつもは後ろでひとつに結わえている髪を今は高いところでまとめている。どこか艶っぽく感じてどぎまぎしてしまう。
「髪の事? 空調止められて暑いからね」
「なんでいつもそれじゃないんですか?」
「なんか『女』が強調されるんだって。それでいろいろ面倒なことがあったからね。仕事中は、封印」
 こうして仕事を卒なくこなしているように見える彼女にも色々とあるようだ。今のところ、彼女について歩いているところではそういうのは見られない。
「いつもこんなに遅いんですか?」
「いつもじゃないけど……遅い時が多いかな?」
 言って彼女がモニターに向き直る。
 総括部が作るのは企画のたたき台というが、彼女が作るものは殆ど企画そのものになっていると聞いたことがある。
 企画部で培ったノウハウがあるのだろう。
先輩って、何でもできますね」
「できないよ。ままならないことばかり」
 ふいにぐぅ、と腹の虫が鳴る。当然、先ほど食事を済ませてきた彼のものではなく、ずっと会社に残っていた彼女のものだ。
「えーと」
「あなたは何も聞いていない。聞いてないね?」
「……ハイ」
「ほら、もう帰りなさい。元陸上部といえど五百メートル走はきついんでしょ?」
 促されて彼は「じゃあ、失礼します」と挨拶をして執務室を後にした。


 しかし、しばらくしてまたしてもドアの開く電子音が聞こえては振り返る。
「先輩、聞いてくださいよ。まだおでんがありました」
「いや、帰ったんじゃないの?」
「差し入れってやつです」
 にっと笑って言われて彼女はため息を吐いた。
「よく気の利く後輩だこと」
 諦めて立ち上がった彼女は執務室の壁際にある打ち合わせスペースに移動する。彼はすでにおでんパーティの準備を始めていた。
「何買ったの?」
「大根と、卵。あと、ちくわにこんにゃく。じゃがいも。握り飯も」
「んー、大根食べたい」
「はい」
「おにぎりの具は?」
「梅干しです。疲れたときは梅干しかな、と」
「うん、ナイスチョイス」
 笑って彼女は椅子に座る。
「皿がないんで」と言いながら、彼女がリクエストしたおでんを蓋に移して差し出した。箸は二膳もらってきたので心配ない。
「じゃあ、いただきます」
 アツアツの大根を口に入れてはふはふと口の中で冷ます。
「あー、まだ熱いだろ」
 彼はそう言って彼女に渡した大根をふうふうと冷まし始めた。
「ほら、これなら食べごろだ……です」
 うっかりタメ口となっていたことに気づいて青くなるが、「ありがとう」と彼女は気にせずに受け取った。
「外とか誰かいるところでタメ口叩いたら注意するけどね」
 そう言って彼の冷ました大根を口に運ぶ。
「あー、空腹に沁みるわ」などと唸る彼女に「良いんですか?」と彼は恐々と問うた。
「んー、まあ。舐めてかかってきてのタメ口だったら完膚なきまでだけどね。うっかり出ちゃったもの、しかも業務時間外のまでは目くじら立てない。けど、さっきも言ったとおり、業務時間外でも誰かが居るときはダメだかんね」
「ハイ」と頷く。
「そのじゃがいもと卵も頂戴」
「全部良いですよ」
「全部は多いから食べて」
「ハイ」
 無心で食事をする彼女を眺めていると「手が止まってる」と指摘されて慌てて食事をする。先ほど食べてきたばかりだというのに、まだ入る。
「はー、ごちそうさまでした」
 食べる前と同じく手を合わせた彼女は伸びをした。
「ヘソが見えますよ」
「見ないふりしなさい」
 腕を下ろした彼女が半眼になって言う。
「さて、帰ろうかな。あなたはどうする?」
「帰ります。五百メートルダッシュは辛いんで」
 ここ最近は経験していない。
「ああ、そうだ。今度このお礼に何か御馳走するね。そうねぇ……回らないお寿司でも可」
「え、コンビニおでんが回らないお寿司に変わるんですか? わらしべ長者だ」
 目を丸くして言う彼に彼女は声を上げて笑った。









桜風
17.1.15


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