| 翌日、彼女は上司に呼び出された。昨日の首尾についての確認だ。上司は手ごたえがあるものと思っているようだ。 「獲れません」と彼女は簡潔に応えた。 「何が足りない」 「思い遣りです」 「……は? 何をふざけているんだ」 そこからは上司からの一方的な叱責だった。 「あの人が年に1回の大きいの獲り逃がすって凄いね」 「何かあった?」 周囲に声を掛けられ、どう答えていいのかわからない。 「え、と。俺、外回りしてきます!」 鞄を引っ掴んで逃げるようにオフィスを後にした。 老舗和菓子の羊羹が定番という話は聞いた。大抵これを持っていけば喜ばれるし尊重されていると思うらしいと。 しかし、何度か彼女と共に尋ねたオフィスでは洋菓子の箱も目にした。 だから、今回は目にしたことのある洋菓子の箱を探してデパートに向かった。高そうな菓子のショーケースを眺めてやっとたどり着いた。 購入して、一応領収書も取り彼は地下鉄に向かう。 何度か訪れたオフィスの前で一度深呼吸をした。約束は取っていない。門前払いされる可能性が高い。 それでも、何もしないという選択肢はなかった。 受付で名を告げて社長に会いたい旨を話すと約束を確認された。 「してません」 いっそ潔く返されて受付は少し困惑したようだが、一応連絡を取ってくれた。今は来客の予定が入ってないのかも知れない。 「どうぞ。お会いになるそうです」 何度か案内されたことがある応接室に行くように言われ「ありがとうございます」と返して急く気持ちを抑えながらエレベーターホールに向かった。 応接室のドアを開けると誰もいなく、秘書もいなかった。 入っていいのだろうかと悩んだが、ひとまず入ってドア付近に立って待っていた。 間もなくドアが開き、昨日も会った社長が部屋に入ってくる。 「君一人かね」 「はい」 値踏みをするように眺めた社長は「まあ、座りなさい」と椅子をすすめられるが、彼は九十度に体を折って頭を下げる。 「お願いします。交渉を続けさせてください」 「……前置きのようなものはないのかね」 呆れて言う相手に「私は、そういうのがまだ苦手です。変に言葉を弄するよりも確実に用件をお伝えしなくてはと思いました」と返す。 相手は声を上げて笑った。 「助かった!」 返ってきた言葉は意外なものだった。 「へ?」と思わず漏れた声は間抜けで。 「実は、あの後うちの秘書がやってきて、部屋の中を一目見ただけで状況を把握した。実際、私も言い過ぎたと思っていたのだが、売り言葉に買い言葉。落としどころが見つからないうちに君たちが帰って行ってしまってね。とりあえず、こうして反省を促す意味を込めて今日は外に出してもらえていない」 「……はあ」 話が見えない。先ほどの「助かった」とはどういうことだろう。 「あんなことになってもう君のところとの縁は切れてしまって仕方ないと思っていたんだ。本当はね、一番仕事を出したいと思っていたんだよ。ほら、さんは凄く熱心だったし、こちらの言いたいことを酌んで提案してくれる。もう少し詰めれば発注しようと思っていた」 社長は立ち上がり、彼に向かって頭を下げた。 「酔っていたとはいえ、君に失礼なことを言った」 「申し訳ありません。私はあの時の記憶が全くないんです。の代わりに酒を頂いていて、最後にどうなったのか。まあ、先ほど、上司に報告している内容を聞いてなんとなく察しましたが……」 「上司に報告。ということは、もう交渉するテーブルはないということなのだろうか」 問われて彼は首を振る。 「こちらとしては交渉を続けさせていただきたいのですが、もう無理だろうと諦めたようで」 ふと、粟田が振り返るとドアが開いた。 「それは困りますね」 例の秘書の登場だ。 「彼女は今どこに?」 「社にいると思います。えっと、まだ交渉の余地があるというのなら、また日を改めてアポイントを取らせていただいて……」 挽回のチャンスがある。少し興奮する気持ちを抑えて確認すると「今から行きましょう」と秘書が言う。 「は?」 「へ?」 「善は急げです。社長は暇ですし」 「暇にしたのは誰だ」 「あなた自身です」 冷たく言われて社長はしょんぼりとした。 「社にいらっしゃるか確認してください。こちらから赴きます」 「あ、はい」 促されて会社に電話する。彼女に電話をしてもすぐに出られなかったら状況が分からない。 確認すると一応社内にいるらしい。しかし、仕事を獲って来いと言われている最中だとか。 「足止めしてください」 『は?!』 聞き返されたがそのまま電話を切った。 「まだ社内にいるそうです」 「では、急ぎましょう」 追い出されるように応接室を後にし、相手の車に乗って帰社した。 「たかだか数十センチで人の命の代わりになると思ってるのは馬鹿げてる」 「話が大げさだ」 部屋の中から言い争いが聞こえ、「おや、元気ですね」と愉快そうに秘書が言った。 ロックの外れた電子音に皆が振り返る。 「常識のある方でよかったですね」 ドアを開けた粟田に声を掛けた秘書が「もう少し詰めさせてもらえませんかね」と社長の代わりに声を掛けてきた。 「え、なんで……」 彼女は粟田を見た。 「勝手しました」 頭を下げる彼に彼女はため息を吐く。そして社長を見た。 「御足労頂き感謝します。先ほどの私の言葉、外に漏れていましたか?」 「ああ、まあ……」 居心地悪そうに社長が頷いた。 彼女が口にしていた『たかだか数十センチ』というのは金の事だ。今回の仕事で動く金が数十センチの厚さ。それと人の命を天秤に掛ければ人の命の方が重いに決まっていると彼女が言っていたのだ。 買い言葉とはいえあんなことを言った者としては肩身が狭い。 「全く正論です。あなたがあそこで席を立ってくださらなければ、わが社はとんでもないことになっていたかもしれない。それでですね。粟田さんが来てくださったのでわが社としても首の皮一枚つながった感じで。契約の事ですが、少し当方としても譲るわけにはいかない箇所があります。これについて、少しお話をさせていただきたいのですが?」 「……では、応接室にご案内します。粟田君」 「はい」 彼女に促されて応接室に向かう。 彼女と口論をしていた上司はぽかんと口を開けたまま来客が応接室に入っていくのを見送った。 「そういえば、お宅は企画の入口までしかかかわってくれないんだったか。最後までは無理か。私は君たちを信頼して仕事を依頼しているんだ。他の者に全部任されても困る」 話がひととおりまとまったところで社長に言われた。 「必ず、さんと粟田さんが関わっていただくというのを当方の条件に加えさせてください。あなた方を信頼して契約するのですから」 秘書も続いた。 「そうですね、頂いたお話は大きいのでプロジェクトチームを組むという手もありますね。社内で検討させてください」 相手を見送り部署に戻ると満面の笑みの課長が待っていた。 あれだけ罵っていたのにこの手のひらの返しようはあきれるやら感心するやらだ。 先ほどの社長の話を伝えるとこれまた悪い笑顔を浮かべた。 企画部に連絡をするときの声の弾みと言ったら子供のようだった。 間もなく企画部の担当課長がすごい剣幕でやって来た。 目の前で繰り広げられる子供じみた口論に粟田は困惑する。 「同期でそりが合わないという見事な構図」 肩を竦めていう彼女が受話器を上げてダイヤルしはじめた。 「総括部のです。課長はお手すきですか?」 どこに連絡をしているのだろうと思っていると彼女は今の状況を軽くまとめて説明し始めた。 「ジョーカーを使わせてください。五分ですか? ああ、決着つかないと思いますから大丈夫ですよ」 返して受話器を下ろした。 「どこに?」 「総務。ちょっとしてから来るらしいよ」 五分も経たずにやってきたのは総務部の経理担当課長と粟田が入社前に面接を受けた人だった。つまり、人事関係の人。 「おい」と声を掛けたのは経理担当課長で彼の姿を見て口論をしていた課長二人が止まった。 「今回はプロジェクトチームで行くぞ」 「は? お前に人事権ないだろう」 「だから人事権があるやつを連れてきたんだろうが」 「人事権持ってまーす」とひらひらと軽い口調で言う人物に二人は蒼くなる。 「あの人、人事部の……」 粟田がに声を掛ける。 「部長」 「は?!」 「早い出世だったからね。課長の同期の出世頭って聞いたことがある」 「だ、だが……人事権はあっても俺の同意が必要だろう」 企画部担当課長が返すが総務部経理担当課長が肩を竦めた。 「まあ、同意は必要だが、同意すると思うぞ。ここに、この書類があるだろう?」 書類を受け取った企画部担当課長が固まった。 「これなー、どうする?」 「……プロジェクトチームでもいいぞ」 「おー、助かる」 話がまとまりそうだな、と粟田が胸をなでおろしていると「具申しても良いでしょうか」とが軽く手を上げた。 「ん?」と人事部長が振り返る。 「今回のこの仕事は粟田が持ち帰った仕事です。粟田をチーフにしてください」 「は?!」 突然名を出されて驚いたのにその内容にさらに驚いた。 「そうだなー。しかし、入って三か月の新人に任せていいものなのか」 「君がいれば大丈夫でしょう」 「待て待て、うちの沽券が」 「沽券で会社の利益は上がらんからなぁ」 人事部長の冷たい物言いに企画部担当課長は肩を落とした。 「サブチーフを企画部から選出するか。他に何か意見は? 君たちが一番詳しい」 「私はありません。後の人選はお任せします」 「俺、じゃない。自分もありません」 「よし、じゃあこの話まとめておくな」 そういった人事部長に続いて総務部経理担当課長、企画部担当課長が続いて部屋を出て行った。 「というわけだから、これから忙しくなるよ」 彼女は粟田に視線を向けて淡々と告げたのだった。 |
桜風
17.2.12
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