| 人は年を取る。年老いていき、やがて死を迎える。 物として存在していた彼らは何人もの人間の死に居合わせた。時には突然に、時には緩やかに訪れる最期の時。 この城に在る審神者も人間であり、その例外ではない。 この城に在る者たちの多くが初めて目にした彼女は溌剌とした娘であり、生命力にあふれていた。 そして、月日は経ち少しずつその生命力が弱くなっていることに気づく。その事実に目を逸らしている者、どうにかできないものかと考える者。現実として受け止めている者。それぞれがそれぞれの想いを持ってその城で過ごし、時間を共有している。 鏡の前に座った彼女は、それに映る自身をじっと見つめた。 「うーん……」 「どうした大将」 そんな様子を背後で愉快そうに眺めているのは長い間近侍を務めている短刀だった。 「年を取ったな、と思って」 「そうか?」 刀剣の身である彼にとってみれば10年も20年も大した時間の経過ではない。 「ほら、皺」 「いくつになっても大将は別嬪だ」 笑って言う近侍を振り返り、「もう」とむくれる。適当な言葉だと思ったらしい。 「本当だ。俺からすれば随分若いしな」 「その姿かたちで言われても……」 少年のような姿の彼はまた笑う。 「だったら、呼び出すときにもっと、そうだな……燭台切のような伊達男にしてくれてよかったんだぜ」 「それ、私が指定したものじゃないもの」 肩を竦めていう彼女に「なら、諦めろ」と彼は笑う。 「別嬪さん、ねぇ……」 「そりゃ、姿かたちは年老いてきた」 「はっきり言うのね」 「事実だ。仕方ないだろう。避けられないことだ。けどな、大将。俺が別嬪って言ってるのは大将の性根の部分だ。大将そのものの事だ」 「どこで覚えたの、その口説き文句」 「さてな」 肩を竦めて笑いながら返す彼の表情が鋭くなり、静かに立ち上がって彼女から距離を置いて座る。 その様子に彼女も居住まいを正した。一応、身だしなみは整え終わっている。 「審神者様、政府からの伝文です」 どこからともなく白い管狐が現れて手紙を持ってきた。 メールではなく、アナログの手紙。正式な通知、しかも重要なものは大抵手紙で届く。受け取る側もその方が重く感じるとでも思っているのだろう。 「確かに受け取りました」 「では、私はこれにて」 管狐の姿が消えたのを確認して彼女は息を吐く。 「今度は何だ?」 政府からの通知は大抵碌でもない。 彼女は手紙に目を通し、そして瞑目する。 「大将?」 「どうぞ」 近侍に手紙を渡す。 受取り眺めた近侍は肩を竦めた。やはり碌でもない。 「それで、大将。どうするんだ?」 「どうしようかな」 寂しげに呟く彼女を近侍は抱き寄せた。 「大将の好きにしたらいい」 「うん」 弱々しく頷く返す声に彼は眉を下げる。彼女の額に唇を寄せた。 「さ、大将。仕事だ。部屋の中でうじうじしてたって何も変わらん」 「あー、ホントに私の近侍は優秀だわ」 ぼやくようにいう彼女を立たせて部屋を出る。 夏の日差しが眩しい庭の木々は輝いていた。 政府からの通達は、審神者の世代交代の打診だった。 この城は審神者の霊力、言いかえると生命力で維持されている。そのため、その生命力が衰えていけば城の維持が難しくなる。城の維持には刀剣男士の顕現も含まれている。彼女の命を削って存在しているのがこの城に在る刀剣男士であり、今の政府が正しい歴史と定めたものを守るためにある最後の砦なのだ。 彼女の霊力が落ちているのは近侍も気づいていた。 やはり政府はきちんと監視をしているのだな、というが最初の感想だった。 もしかしたら他の城ですでに起こっている現象なのかもしれない。彼女よりも年嵩の者が審神者をやっていた記憶もある。 最近の彼は毎朝早く起きて庭を歩き、枯れ始めている木の手入れを行うようになった。彼女はよく庭に降りて木々の様子で季節を感じるため、木が枯れていると気に病むと思っていたのだ。 その日の晩、彼女は大広間にこの城に在るもの全てを集めた。ちょうど遠征部隊も全員帰ってきていた。 「政府から通達がありました」 彼女が全員を大広間に集めるときは大抵この言葉で話が切り出される。 「今度はどんな無理難題だ?」 高みの見物を決め込んでいる政府の姿勢に少なからず反感を覚えている者もおり、そんな声が向いた。 「皆も気づいていると思うけど、私は年を取りました。ずいぶん、長い間この城で皆と共に過ごさせてもらっています。政府からの通達は世代交代の打診です」 ざわりと部屋の中の空気が動く。 「どういうことですか?」 ひとりが問う。 「この城に維持に審神者の霊力が必要になっているのは皆も知ってのとおりです。城の維持のため、年若い審神者をこちらに派遣したいとのことでした。しかし、珍しいことにこちらの意志を確認しています。そこで、皆さんに問います。どうしたいですか? このままではこの城の維持が難しくなり、いずれこの城は消えてなくなります」 おそらくそう長くないため、こちらの意志を確認しているのだろう。強くなっている刀を喪うのは忍びないが、それでも彼らは神だ。勝手をして反感を買って制御できなければ政府が困る。練度が高い者たちが集っているのなら尚更だ。 「明日の朝、皆に問います。時間が短くて申し訳ありませんが、答えを出してください」 立ち上がった彼女につき従うように近侍は立ち上がったが「薬研も」と言われて「わかった」と頷いた。 審神者の姿が見えなくなり、「さて」と切り出したのは近侍だった。 「皆はどうしたい?」 「っつっても突然だしな」 がりがりと頭を掻いて呟く仲間。 「薬研は答えが出ているのだろう?」 ついと視線を向けて問うのは三日月宗近。 「皆がこの城の存続のため新しい審神者の受け入れを選んだ場合、俺は大将に解いてもらう。そうじゃなかったら、大将の最期を見届ける。皆の意志をどうこういうつもりはない。俺は俺の選んだ答えを進むだけだ」 晴れやかな笑顔で言う彼に三日月は「ははは」と笑う。 「なるほど。では、皆はどうしたい?」 皆は黙って考える。自分がどうしたいか。 そして一人が顔をあげた。 「三日月はどうなんだ」 問われた彼はにこりと微笑み、「主はまだ全てを話してくれていない」と返した。 翌朝、朝食を済ませて彼女が姿勢を正す。 「皆の答えは出ましたか?」 その問いに「主よ」と声を向けたのは三日月宗近だった。 「なに?」 「主はどうしたいのだ?」 「私が、どうしたいか?」 「俺たちはまだそれを聞いていない。主がどうしたいのか、教えてくれないか」 彼女は膝の上で拳を握る。しばらく俯いて沈黙していた彼女は顔をあげた。 「皆と過ごしたい」 彼女の言葉に三日月は目を細めた。 「俺たちもだ」 瞠目する彼女に「俺たちも主と共に在りたい」と繰り返す。 「消えてなくなるのよ」 「構わん」 「しゅぎょうからかえってきたぼくをだきしめてくれのは、あるじさまです」 「初めての出陣の際に、励ましてくださいました」 「俺に『野球』というものを教えてくれたのは君だ。盆栽を壊して一緒に歌仙に叱られたな」 「僕を初めての刀として選んでくれたのは君だよ。あと、盆栽の件は忘れていないからね」 「確かに、政府からすれば審神者たる資格さえあればおぬしの代わりとして十分だろう。しかし、俺たちにとってはそうではない。おぬしこそが、俺たちの主だ。あとからノコノコやって来た人間に頭(こうべ)を垂れることはできん」 刀たちが言う。主はあなただと。自分たちが膝を折るのは、審神者という肩書ではなく君という存在だと。 「ありがとう」 ぽたぽたと涙をこぼして礼を言う彼女に皆は微笑む。 「しかし、よく言ったな」 部屋に戻って近侍が言う。 「なにを?」 「強がると思った」 彼が何のことを指しているのか察した彼女は肩を竦める。 「神様が本当の事を答えなさいって言ってるのに嘘はつけない」 「ふーん……」 近侍の表情を見て彼女はついと視線を逸らせる。 「なあ、大将。俺のどこに惚れこんだ? さあ、神様ってやつが訊いてるぞ?」 「ぜ・ん・ぶ」 「大将。俺は具体的に聞きたいぞ」 「神様に嘘は吐かないけど、だんまりしないとは言ってない」 彼女の屁理屈に声を上げて笑い「仕方ない。後でじっくり聞くか」と意味ありげに微笑んだ。 この本丸の審神者の続投が決まってから数年たった。 この頃には審神者が寝込む日が増えた。同じ年齢で元気な者が多い中、彼女は随分と衰弱している。 そろそろかもしれないと誰もがどこかで覚悟し始めたころ、三日月宗近が彼女の部屋を訪ねた。 「どうした、三日月」 部屋の前で声を掛けると近侍が顔を出してきた。 「主は起きているか」 「なに?」 奥から返事がある。殆ど顔を見なくなったが、今日は少し体調がいいのかもしれない。 「話がある」 「薬研の同席は?」 「いてもらった方がいいだろう」 「承知した」 三日月を部屋の中に案内し、薬研は彼女の側に腰を下ろした。 「こんな格好でごめんなさい」 「構わん」 寝間着姿の彼女が詫びる。 「主、俺は眠ろうと思う」 「うん。おやすみ?」 何の話だろう。まだ日も高いが眠いのかもしれない。態々挨拶に来るとは、と思ったが側に座っている薬研の様子が違った。 「三日月……まさか」 薬研の声にひとつ頷く。 「主よ。俺はこれから刀剣として眠る」 「どういうこと?」 「主の霊力は、俺のこの姿かたちを維持するのにも使われているのだろう?」 そこまで言われて彼女も気づく。 「だ、大丈夫」 「そうだな。だが、少し眠りたくなってしまった。解かれるとここに留まることができない。だから、眠るのだ。主の側に在りたいという気持ちは変わらない。だから、お別れを言いに来た」 「待って。大丈夫よ。私、まだまだ大丈夫」 訴える彼女に三日月は一つ頷く。 「人は年老い、力が弱まり、やがて死を迎える。俺たち刀はそれを見送り、持ち主について声ならぬ声で伝えていく。これはずっと昔から変わらない、繰り返される歴史だ。主だけ特別というわけではない。眠る前に主に挨拶をと思ってきた。それと、お願いがある」 「お願い? 何?」 「体調の優れぬ時は無理をしなくていい。だが、少し動けそうだったら俺に声を掛けてくれ。眠っていても主の声は届くだろう。天気の話。食事の話。城の中で誰が何をした。なんでもない、特別な出来事でなくてもいい。主の声が聴きたい。きっと退屈だろうからな」 「三日月……」 彼女は言葉を探す。しかし、何も見つからない。 三日月は緩く握った両手の拳を畳につけて軽く頭を下げる。 「三日月宗近、これにて主の御前を失礼する」 彼女は居住まいを正して彼に向き直る。 「三日月宗近。あなたにはたくさん助けていただきました。ありがとうございます。あなたに主と呼ばれたことを誇りに思います」 彼女の言葉に一度深く頭を下げて三日月は部屋を出て行った。 「見届けてくる」と薬研もそれに続く。 大きな刀・霊力の高い刀といった彼女の力の消費が大きい者から眠っていった。誰が言うでもなく、自然とそうなった。 厨で食事を作っていた者たちはレシピを残した。短刀たちだけになっても食事が作れるように。 「薬研は辛くないの?」 兄弟に聞かれて彼は笑った。俺の決めた道だからな、と。ちゃんと見届けてやるからなと。 ひとり、またひとりと眠る前の挨拶に来た。 そのたびに彼女は俯き、そして見送るときにはまっすぐ相手の目を見る。 彼らが目にする主の最後の姿が情けなくていいはずがない。 そして薬研は彼らが挨拶に来るたびに見届けるために部屋を出ていく。 やがて城の中がすっかり静かになった。 三日月に言われたとおり体調のいい時には大広間に足を運んだ。彼らはそこで眠っている。皆で大騒ぎをしたあの部屋は物言わぬ刀剣が静かに安置されている。 大広間に向かう彼女が足を止める。 「どうした?」 「もう、秋なのね」 庭を眺めた彼女が言う。庭の木々が色づいている。空もずいぶんと高くなった。 城の季節は審神者の意志で変えることができる。だが、彼女は昔からそれをしなかった。あるがままが一番自然だというのだ。 殆ど霊力の残っていない彼女の城は廃れてきている。薬研が時々手入れをしているが、追いつかない状況だ。 「そうだな」 「薬研は秋ね」 「何がだ?」 「なんとなくのイメージ。印象」 「そうか」と相槌を打って空を見上げる。 「だが、大将。少し肌寒くなってきたからちょっとでも調子が悪くなったら言えよ」 「はーい」 一歩一歩、ゆっくりと歩む。昔着ていた鮮やかな色彩の着物が似合わなくなってきた。手は骨ばって肉も落ちてきた。 時間とは、老いとはなんと残酷か。 「なあ、大将」 「なに?」 「少し前に俺が尋ねた問いをもう一度繰り返したらどう応える?」 「少し前?」 ここ最近は彼以外と言葉を交わしていない。 「いつ?」 思い出せなかった。 「そうだな、20年……30年か」 「それ、少し前じゃない。随分と昔っていうの」 彼女の反論に肩を竦めて彼は再び問う。 「俺に連れて行かれるのと人として天寿を全うするの、どっちを選ぶ?」 「最後まで人であり続ける道を選ぶ」 確たる意志がこもった言葉に彼は「さすが俺の惚れた女だ」と笑った。 「なあ、大将。庭の桜が一輪咲いてたぞ」 彼女の手をそっと握って声を掛ける。 「やげん」 「お別れか?」 「ごめんね、置いていく」 「なあに、気にするな。俺が選んだ道だ」 やがて彼女は静かに眠った。 「またな、大将」 彼もまた無に帰るその瞬間を迎えた。彼の瞳から零れた雫を目にした者は誰もいない。 |
桜風
17.3.5
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