奇跡の下で 11





 はっと目が覚めた。
 うっかり眠ってしまっていたらしい。
「大将……」
 体を起こして駆け出した。



「うーん、出ない」
<主のことを放っておく近侍など要らないでしょ>
 斜め後ろからモバイルを覗き込んでいる気配がある。声は宗三だ。
「近侍じゃないからね。てか、宗三今年は大忙しなんだね。こっちでも会えるとは思ってなかった」
<来年以降は少し静かにしていられるかもしれませんね。明日はもちろん僕に会いに来るんですよね。僕に会えて嬉しいでしょう?>
 どこか弾んだ声に彼女は苦笑する。


 時間になっても彼が部屋にやって来ないため、おそらく寝ているのだろうと電話したのだが、反応がない。過密スケジュールだったため、疲れているのだろう。もう少し寝かせておくかなどと思っていると部屋のドアが派手に開けられて思わず構える。鍵を閉め忘れていた自分も疲れていたのかもしれない。斜め後ろの気配も咄嗟に前に出てきた。
 転がり込んできたのは隣の部屋で眠りこけているのだろうと思っていた後輩だった。
「どうしたの?」
 彼は両手両膝を畳につけて「すまん」と額も畳につけた。
「寝坊くらいでそんな、土下座だなんて」
 どれだけ怖い先輩だと思われていたのかと少し悲しくなる。仕事に関しての遅刻なら叱るが、食事なんて一食抜いても死なないし、と思っていると「違う」と返された。
「なにが?」
 首を傾げる彼女の側の気配がため息を吐いた。
<主、これは薬研ですよ>
 一瞬宗三の言葉の意味が分からなかった。だが、そっと顔をあげてこちらに視線を向けている男の表情を見ると、確かにその面影が見える。
<はぁ……主はこの薄情者と話をする必要があるでしょうし、今日は帰ります。僕もそれに色々言いたいことがありますからね、明日必ず来てくださいね>
 ふっとその気配が消えた。
「薬研?」
 手を付いている彼の側に寄って声を掛けてみた。
「ああ。薬研藤四郎だ」
 正座をして両拳を膝の上に置いて座るその姿が滲む。
「どうして……」
 声が震える。
「思い出した。あの城で過ごした時の、大将の最期を見届けたときの夢を見た」
「どうして、今頃」
 諦めていたのに。夢だったと、奇跡は起きなかったとそう自分に言い聞かせて押し込めた。
「すまん、遅くなった。見つけ出すって言ったのに。必ず迎えに行くと言ったのに、言葉を違えた」
 彼女の瞳から溢れる涙を、躊躇いがちに手を伸ばした薬研が拭う。
「約束、覚えてる?」
「俺と大将が再び人として出会えるという奇跡が起きたら、神様の前で永遠を誓う」
「本当は、奇跡なんて起きないと思ってた。永遠に訪れることがない瞬間だと思ってた」
「……俺と一緒にはなりたくないってことか?」
 震える声が情けない。先ほどまですっかり忘れていた存在を思い出した途端縋ってしまう約束。
「起きた奇跡を拒否するつもりは毛頭ないわ」
 薬研は俯いて彼女の言葉に瞑目し、再び顔をあげる。
「大将。俺の伴侶になってくれ」
「お受けします」




◆◇




 約束どおり、薬研と共に博物館に足を運び、宗三の展示されているフロアに滞在している。ただし、本体の前に長時間佇むと邪魔だから、少し離れた休憩ができるスペースの椅子に腰を下ろしていた。今日は珍しく人が少なくて助かる。
<主、本当にこれでいいんですか? まあ、あなたの夫として僕の眼鏡にかなう人間なんていないと思いますけど>
「なんで宗三が大将の伴侶の心配をするんだ」
<あーあー。やだやだ。ついさっきやっと思い出したのに、もう夫面ですか? 主、早急に反故にした方がいいですよ。元々薄情者だったのは薬研なんですから>
「大将はそんな狭量じゃない。……な?」
<言い切った後に日和らないでくれます? 不安そうな表情を浮かべて確認する姿がとても情けないです>
「うるさいなぁ」
「……ねえ、薬研。宗三の声は聞こえてるのよね?」
 二人のやり取りに耳を傾けていた彼女が問うと「ああ」と薬研が頷いた。
「もしかして、姿も見えるの?」
「ああ、見える。……もしかして、大将。見えていないのか?」
<薬研、その眼球を主に差し出しなさい。僕はあなたに見られるよりも主に見られる方が少しマシです>
「マシなのは少しなんだ?」
 声を落として返すと<ええ、少しです>と返ってきた。
 相変わらずだと小さく笑う。





◆◇




 こたつに入って褞袍を着ている薬研が雑誌をめくっている。
 その様子があまりにしっくりきて、ここは自分の部屋の筈なのだが、と思いながらも彼女はココアを二人分作った。ひとつは少し苦いビターの。もう一つはミルクも砂糖もたっぷりの甘いもの。
 いつの間にかこの部屋の中には薬研の存在がそこかしこに定着していた。歯ブラシ、食器、着替え。休日は殆どこちらで過ごしているのだからそうなるのは当然かもしれないが、思いのほか早かった。
「はい、どうぞ」
 甘い方を薬研に渡す。
「ありがとう」と受け取って一口飲む。
「何見てるの? 賃貸住宅? 引っ越すの? 早くない?」
「少し手狭だからな。大将、どこがいいと思う?」
「博物館に足しげく通うつもりならその沿線の方がいいんじゃない? そして会社にも通いやすいところ」
 彼女の言葉に頷いてページをめくる。
「だとしたらここらか」
「ああ、良いかも。けど高いねー。というか、その部屋広くない?」
 独り暮らしをするなら少し贅沢だろうと思って声を掛けると「二人ならこれくらいあった方がいいだろう」と返されて「へ?」と声が漏れる。
「だって、ここに俺が住んでも狭いだろう? 今は休日だけだからまあ何とかなってるが、毎日となると正直狭い」
「一緒に住むの?」
「違うのか?」
「いや、初めて聞いたから」
 彼女の言葉に薬研は少し考える仕草を見せ「そうか。初めてか」と呟く。
「大将、一緒に住むぞ」
「「住もう」じゃないあたり薬研よね」
 呆れたように彼女は笑う。
「ダメか?」
「いいよ」
 暫く二人で新居について話をしていたが、ふと彼女が「ねえ、薬研」と話を変える。
「なんだ?」
「逆だったらどうなってたかな」
 ふいに浮かんだ疑問。自分が忘れていて薬研が覚えていたらどうなっていただろう。
「そうだな……無理に思い出させるのも難しいかもしれないな。まあ、大将を俺に惚れさせればいい  だけの話なんだろう? 大丈夫だ、任せろ」
「自信満々ね」
 肩を竦めていうと「骨抜きにしてやるよ」と挑むような視線を向けられ、容易に想像できたその別の未来に彼女は苦笑した。









桜風
17.3.12


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