| 本丸に戻って傷ついた刀剣を手入れし、すべて手入れし終わった彼女は気を失った。 身体への負担が大きく、さらに刀剣の手入れには多大な精神力を使うらしい。空っぽになってしまった彼女は昏々と眠った。 漸く彼女が目をあけたのは本丸に戻ってきてから二日経った夜だった。 目をあけると「起きたかい?」と柔らかな声が降ってくる。 「起きた。何時だ?」 「もう寝る時間だよ」 「今すぐには無理だ」 「じゃあ、何か腹に入れるかい?」 「残り物で良い」 「そんなものはないよ。少し待ってなさい」 ふと視線をめぐらせると見覚えのない物がある。 (ああ、そういえば……) 自室が最も荒らされた部屋だったのだろう。きっと誰かの部屋を間借りしている、もしくは空いている部屋があったかなのだ。 部屋割りは基本的に歌仙に任せているのでそういった本丸の中の細々としたことはわからない。 暫くして足音が近づいてきた。 体を起こそうとしたが、身体が悲鳴を上げてうまく力が入らない。 「手を貸すから、待ちなさい」 歌仙が声を掛け、盆を畳の上に置いて彼女の背に手を添える。 「君の足は一応手当はしたけど」 「ああ、腱が切れていただろう。もうろくすっぽ走れん。歩くのも難儀しそうだ」 「やはり、僕にあの男の首を落とさせてくれればよかったのに」 「もう一度言う。私の愛刀で奪う程の命ではない」 「愛刀……」 まつ毛を伏せて歌仙が呟く。 「どうした?」 いつもと様子の違う近侍に首を傾げながらが問うと、彼は彼女に向かって両手をついて深く頭を下げた。 「僕は、君の一番近くに在りながら君の願いを無碍にしようとした。どうか、僕を罰してほしい」 「……は?」 胡散臭そうにが問い返す。突然すぎて事態が呑み込めない。 歌仙は先日、本丸の襲撃があった際に口にした言葉を彼女に伝える。 は深く息を吐き、「顔を上げろ」と声を掛けた。 歌仙がゆっくりと顔を上げると額に痛みが走る。 「痛い」 「それは僕の台詞じゃないのかな」 額を押さえて歌仙が反論するが、彼女はそれを認めない。 「なんだその石頭は」 「僕が作ったわけじゃないけどね」 額を擦りながら歌仙が返す。 「……まあ、口走ってしまったものは仕方ない。気にするな、と言いたいところだがそうはいかんだろうな。仏は三度まで許してくれるという。私は人間風情だから、許せて一度だ。次はない、気を付けろ。あと、お前は自分の言葉で仲間からの信用を損なった。せいぜい汚名を雪げ」 意地悪く笑ったに歌仙は再度深く頭を下げた。 白い獣を前にしては不機嫌だった。 側に控えている歌仙の表情にも温度はない。 「どうか、良くお考えください。あなたの本丸に鈍があるなど、名折れですよ」 「話はそれだけか」 冷ややかに返したに白い獣は首を傾げる。かわいらしい仕草だが、の表情が緩むことはない。 「先日、審神者様が特定された遡行軍の本拠地のひとつを落としたこともあって、趨勢はこちらに傾いてきました。政府の中でもあなたを高官に迎えてはどうかという話が出ています。今ここでしくじるわけにはまいりません」 「話はそれだけかと聞いている」 「……では、これにて。亀甲貞宗を刀解なさいませ。あれはこの本丸の汚点で弱点となりましょう」 言うだけ言って白い獣は消えた。 控えてた歌仙がチラとの表情を窺う。予想どおりの不機嫌な表情だった。 「主、茶でも点てようか」 「要らん。今は味がわからんだろう」 なんとか怒りを押し込めている声音に歌仙は小さく肩を竦めた。 「主、少しいいかい?」 部屋の外から声がした。歌仙が応じて障子戸を開けると石切丸が立っている。 「亀甲貞宗の事で少し、思ったことがあるんだ」 亀甲貞宗はこの本丸に戻ってきて審神者による手入れを受けた。本来、その時点で身体と刀身の両方が完治する。 しかし、亀甲の左目だけは傷が癒えることがなかった。 「あれは呪ではないかな。眼帯の下を見せてもらったけど、彼のものではない、何かの意志を感じたんだ」 「『呪』? 呪いということか?」 「悪いまじないが施されている可能性があるという意味だよ」 「しかし、僕たちはいわば神だ。そんなことは可能なのかい?」 共に話を聞いていた歌仙が問う。 「そうだね。でも、私たち刀剣は神であるが、物である。神の座にあっても人の手が届くところにはあるよ」 「付喪神は妖怪の一種ととらえることもあるしな。呪か……」 「主、心当たりでも?」 沈んだ声音に石切丸が声を掛けた。 「…………これは、他言無用だ。本当は、お前たちにも話すつもりはなかった」 は一言置いて話を始めた。 政府の間でまことしやかに語られる、歴史修正主義者の擁する刀剣の武人の成り立ち。あくまで噂だが、それは元をたどれば政府が擁している刀剣男士と同じものという説。 「うん……ない話ではないね」 「人間風情がそんな大それたことを?」 「人間風情は、自分をそう思っていないからな。政府側でも審神者によって刀剣男士への接し方が異なる。物として扱っている者、神として敬っている者、人間の仲間として接している者。同じ組織に所属していながら在り方が違う。殊歴史修正主義者は歴史を変えようとしている。まるで、神になったかのような所業だ。勘違いをしても不思議じゃない」 暫く部屋の中に沈黙が落ちた。 「……僕も、本当のところを言うと、彼と出陣は避けたい」 歌仙が口を開く。 「道場で手合せをしてみた。左の視界がなくなった分、動きが悪い。正直、背中を預けられない」 は石切丸を見ると彼も同じ意見のようで小さく頷く。 「光忠は平気だろう」 隻眼の伊達男の名を挙げてみた。 「彼はこの地に降りた時から隻眼だからね。戦い方が最初からそれに合わせてある。亀甲も、今は彼に教えを乞うているけど、後天的なものだと対応が難しそうなんだ」 石切丸の言葉にはため息を吐いた。 「僕たち刀剣は戦うために生まれた。皆、戦うために在る。この本丸に在りながら、戦場に赴くことができないのは苦しい、と、僕なら思う。主、あの獣と同じことを口にするのは不本意だけど「なあ、歌仙」 言葉を遮るように彼女が名を呼ぶ。 「な、なんだい?」 歌仙の背に緊張が走る。 「先ほど、何故私が不機嫌になっていたか、わかるか?」 「刀解を進言されたから、だと思っていた」 「その前だ。私の刀を『鈍』と言っただろう。よっぽど皮を剥いで鍋にしてやろうかと思った」 「腹を下しそうだね」 石切丸が茶々を入れる。 「ああ、だからひとまず帰らせた。皆に腹を下させるわけにはいかないからな」 口元に薄く笑みを浮かべてが返す。 「呪については、私ももう少し調べてみようと思う」 「……いや、うん。そうだな、頼む」 の様子に首を傾げたが「わかったよ」と頷いて石切丸は部屋を後にした。 「……呪を解く方法を知っているのかい?」 足音が遠ざかったのを確認して歌仙が問う。 「まあな。……おそらく、お前が殊更不愉快な思いをするかもしれないが、ないことはない」 「主が決めたことに異を唱えることはしないよ。少しばかりの恨み言を覚悟してもらえると僕も心置きなく恨み言を口にすることができる」 「じゃあ、覚悟しておこう」 十日後、夕食が終わった後に亀甲はに声を掛けられた。 子の刻に鍛刀部屋に来るようにと告げられて頷く。とうとう、その日がやって来た。 鍛刀部屋とは、刀剣の魂を降ろす部屋の事を指しており、特別な結界が施されているとも聞いた事がある。 降りたところから還ることになる。 |
桜風
17.6.10
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