この日、わたしは初めてわがままを口にしました。




陽 5





 本丸の主が人の子を拾ってから五年が経過した。
 さすがのちいも、この本丸に居る者たちが人ではないことを知る。
「主」と呼ばれている老婆以外、誰も年を取っていないのだ。身体が成長していない。
 しかし、それを恐ろしいと思うことはなかった。
 彼らは彼女を大切にしている。
 もちろん、彼らが仕えている老婆が連れてきた子供だからという理由はあるだろう。だが、それだけではないのかもしれないとも思う。
 彼らはきっと人間が好きなのだ。だから、ここにいる。
 ちいは、彼らがどうしてここにいて、何と戦っているのか詳しいことは知らない。
 だが、出陣して大怪我をして帰ってくることがある。何かを為すために鍛えていると聞いた。
 いつからか、彼らの助けになりたいと強く願うようになった。


 この本丸に来た時には箸の持ち方はもちろん、読み書き計算がまるっきりできなかった彼女も、時間を見て刀剣男士が教えてくれた。ついでに礼節も。
 このため、多くの刀剣男士にどこに出ても恥ずかしくないという太鼓判を押されている。
 ちいは時々審神者の手伝いをしていた。
 ただ、手伝うといっても、墨を足したり、料紙を用意したりと誰でもできる手伝いだ。
 そこを少しもどかしいと思うが、それ以上はさせてもらえない。

 ちいは時々五日程度離れで生活をするように指示をされる。
 そんな時は大抵知らない人が本丸にやってきて生活している。
 その人物の正体は「審神者見習い」だと聞いた。
 審神者というのは、この城の主の身分だ。そしてその審神者というのは大勢いるらしい。大勢といっても数としては不足しがちであり、そのため後進の育成は大切な任務だという。
 ちいの存在は、政府は知らない。
 ルール違反なのかと思い、自分のせいで処罰されてはいけないと思い、聞いてみたことがある。
「駄目だという規定もない。気にするな」
 そういわれた。彼女の返答を傍で聞いていた歌仙の表情はあきれたものであり、屁理屈なのだと察することができた。
 だから、きっと自分は隠されているのだろうとちいは納得した。
 この本丸に居続けたい。
 自分の願いはただそれだけで、だから、五日程度離れに引きこもっていなくてはならないなど、どうってことはない。



 何度目かの審神者見習いの受け入れが終わり、ちいは晴れていつもの自室に戻っての生活を再開させていたころ、不意に声が聞こえた。
 審神者の部屋からだ。
 大抵審神者見習いを受け入れた後は書類仕事がある。だから、手伝いに赴いたのだが、いつもと様子が違う。
「これまでこちらでお世話になった見習いで見込みのある者はいましたか?」
 初めて聞く声だった。
「見込みなら皆にある。そちらで篩にかけた者たちを寄越しているんだろう?」
「では、これまで世話をいただいた者の中であなたの後継たりうる者は?」
 息が止まった。後継、ということはあの人の後を継ぐ人。この本丸の主として、彼らの頂点に立つ人。
 知らない人が、彼らを統べるという。
 ふと、廊下に気配を感じて審神者と会話をしている政府の者が外を気にする。
「前田」
 審神者が促し、彼はそっと廊下を覗いた。子供が去っていく背を見送る。
「鳥でした」
「鳥? この神域には鳥が来るのですか?」
 政府の者が問う。
「私は鳥が好きだからね」
 審神者が返すと「僕もです」と前田が続ける。
「そう……ですか。とにかく、そろそろ後継をお決めください。あなたももうお若くない。いつ亡くなられてもおかしくないでしょう」
「死、など。僕の主の前で縁起の悪い単語を口にするのは慎んでもらいたい」
 ほのかに殺気を漂わせた近侍に息をのみ、「失礼」と一応謝罪を口にした政府の者は、前田の案内で現世へと戻っていった。
「ちいか」
「そうだね」
「後継、ね……」
 息を吐きながら面倒くさそうに審神者がつぶやく。
「僕は、君以外に膝を折る気はないよ」
 茶の準備をしながら歌仙が返す。
「わがままを言うな」
「一回くらい僕のわがままを聞いてくれてもいいんじゃないのかな?」
「天目茶碗を買ってやっただろう」
「あれは正当な報酬だ。誉ポイントが貯まったから購入を依頼しただけだよ」
 歌仙の返しに審神者は口を噤んだ。
「前田藤四郎、戻りました」
 前田が声をかけて障子戸を開ける。
「ああ、ご苦労様。今、お茶を淹れているところだから飲んでいきなさい」
「厨に寄ってきて羊羹をいただいてきましたよ」
 そのつもりだったらしく、前田が持ってきた盆の上には皿と羊羹一竿、そしてそれを切り分けるナイフと黒文字が準備されていた。
「一竿も食べられるか?」
「食べましょう。ちいさんも戻ってくると思ってお皿は四枚用意したのですが……」
「私はそんなに要らないから、お前たち三人が多めに取りなさい」
「たくさん召し上がってください」
「そうだよ、僕たちより君のほうが若いんだから」
「お前たちと比べるな」
 呆れたように審神者は返してちいが戻ってくるのを待ってみたが、茶が冷めても彼女は戻ってこなかった。



「亀甲さん」
 どこか思いつめたようにやってきたちいに首を傾げながら、ひとまず部屋に入るように促してみた。
「どうしたんだい?」
「審神者って、何ですか?」
「ご主人様のことかい?」
「いいえ、『審神者』というものです」
 この本丸の主個人のことではなく、一般的な地位の話のようだ。
「うーん、僕もあまり知らない。というか、興味がないからね。不思議な力を使う人間、という感じなんだろうけど、どうしてその不思議な力が使えるのかというのはわからない。たぶん、ご主人様に聞くのが一番じゃないかな?」
「わたしでもなれますか?」
 俯いてきゅっと着物を握る。
「それも僕にはわからないよ。ちいは審神者になりたいの?」
 こくりと頷く彼女に「覚悟はあるの?」と何でもないことのような口調で亀甲が問う。
 顔を上げ亀甲を見上げると「君は全てを失う覚悟があるの?」と重ねて問われ、答えが出なかった。


 全てを失うとはどういうことだろうか。
 この本丸から出ていかなくてはならないことだろうか。
 この本丸を失いたくないから審神者になりたいという動機はやはり不純でダメだろうか。
 ふと、タバコの匂いが漂ってきた。
 老婆の体にアレはよくないと歌仙に滾々と説明をされていたため、ちいも喫煙反対派に回っている。
 やめさせなければと匂いを辿ってみると、蛍のようにちかちかと明滅する小さな光が庭の中に見えた。
 近くの階から庭に降りて明かりに向かってみると思ったとおり審神者がタバコを加えている。
「おばあさん」
「こっちのみーずはあーまいぞっと」
 咥えタバコでそう歌う。
「どうした、ちい」
 携帯灰皿にタバコを押し付けて火を消し、静かに笑う。
「タバコはやめてください」
「歌仙派に就く者が増えて肩身が狭い」
「みんな心配しています」
「知ってる。どれ、手を貸してくれるか」
 最近は足腰が弱くなってな、と呟く審神者に手を貸したちいは、そのまま彼女を部屋まで連れて帰った。
「今日はどうして戻ってこなかった?」
 部屋について着替えを手伝っているとそう問われた。
「申し訳ありません」
「いや、手伝いは義務じゃない。厚意だ。それくらいは理解している」
「おばあさん。……いえ、審神者様」
 審神者と呼ばれた彼女の纏う空気が変わる。
 一度怯んだが深呼吸を一度してちいは顔を上げて審神者の目を見た。
「審神者って、何ですか?」
「政府にいいように使われている神への贄だ」
「神への、贄?」
「ああ。ちいは、この本丸にいる歌仙たちが人間ではないということは、もう理解できているな?」
 長い話になりそうだったため、ちいは審神者のために椅子を取ってきた。
「ありがとう」と礼を口にして彼女は腰を下ろす。
「彼らが何者か、というのは明確にはわかっていません。ですが、人間ではないということはわかっています。審神者様に拾われて五年たちました。みんな、あの時から全く変わっていません」
 審神者は頷く。
「彼ら刀剣の付喪神だ。我々人間は、彼らのことを『刀剣男士』と呼称している。審神者である私は、刀剣の付喪神である彼らを顕現させ、統率して歴史の改変を目論んでいる『歴史修正主義者』と戦っている。歴史修正主義者率いる『遡行軍』と彼らに戦ってもらっているんだ」
「どうして彼らに戦ってもらっているんですか?」
「遡行軍と戦えるのは刀剣男士のみだからだな。われら人間の敵でありながら、人間では太刀打ちできない。そこで、刀剣男士、神様の力をお借りしているんだ」
「では、贄というのは?」
「言葉のとおりだ。神様に何かをお願いするときには供物を捧げる。その供物にあたるものが審神者だ。神様が人間のためにタダ働きはしてくれんよ」
「ですが、誉ポイントというものがあると聞いています」
 それが報酬ではないかとちいは問うた。しかし、審神者は首を振る。
「それは、ただのレクリエーションだ。戯れだ。それに彼らが付き合ってくれているだけだ。全員の希望を聞いていくには少し人数が多いからな。ただの、順番だ」
「わたしも、審神者になれますか?」
 問うたちいは審神者に視線を向けたまま息をつめた。
「資質はあるだろうな。というか、馴染んでしまった。これは私の責任だ」
「馴染む?」
「この本丸は現世にはない。幽世にあるものだ。神域に近い。だから、本来ただの人間が生活をしていてはいけない場所だった。さっきも言ったが、審神者は神様に捧げられた贄だ。神様が住む場所に留まり、神に願う。私たちを助けてください、とな。神と直接相見えることができるのは、そういう場所だ。そこにただの人間の子供を連れてきてしまった。子供はまだほかに染まっていないからな、どこにでも馴染める」
「わたしを拾ったことを後悔しているんですか?」
「道端で倒れている子供はたくさん見てきた。だが、それでもどうしてかな。お前は目に留まったんだ。後悔はしていないが、お前にとって本当に良かったのかという思いは、正直あるな。だが、誰が私の後継となったとしてもお前は悪いようにはしない。これは私の責任だ」
「審神者様」
「もう寝よう。随分と遅い時間だ。明日の朝、歌仙にたたき起こされるのは堪える」
 ちいの言葉を遮って彼女が言う。
「……はい、わかりました」
「おやすみ」



 ちいに審神者について語ってからというもの、彼女は執務室に顔を覗かせてこなくなった。
「何かしでかしたのかい?」
 歌仙に問われて審神者は半眼になる。
「私が何かをやらかしたと決めるけるのはやめてもらいたい」
「とはいえ、君はちいに怖がられていたじゃないか」
「拾ったばかりのころの話だ。今では「おばあさん」と言って慕ってくれている……はずだ」
「そこで言い切れないというのは、何か自覚があるということじゃないのかな?」
「うるさい」
 会話をしながらもお互い手を止めることはなく、仕事は進んでいる。
 ちいがいなくとも仕事は進むが、いるほうが楽しいとお互い思っているようだ。ただし、口には出さない。



「審神者様」
 ちいが執務室に顔を出さなくなって七日経った夜、彼女が訪ねてきた。
 就寝の支度を手伝っている歌仙が「僕は少し席をはずそう」と言って部屋を出る。
「どうした?」
「わたしを審神者にしてください」
「覚悟はあるのか?」
「覚悟を問われて頷けるほど、たぶんわたしは審神者というものを理解していません。だけど、わたしは家族を失いたくないんです」
「家族……」
 審神者は、ちいの言葉を繰り返す。
「わたしにとって、審神者様をはじめ、この本丸にいる皆さんは家族なんです。わたしはこの先もみんなと一緒に過ごしたい」
「前に言ったな、審神者は刀剣男士に捧げられた贄だと。必要なら、お前の持つすべてを捧げる覚悟はあるか? 視覚を、聴覚を、腕を、足を」
「家族は困ったとき、助け合うものだって聞いています。わたしの、現世での家族にはそういう余裕はなくて助け合うことはできませんでした。でも、家族ってそういうものだって」
 審神者は心底困惑した表情を浮かべて頭をかく。
「審神者様のその足は、どなたかに?」
「これは私の不注意が招いた負傷だ。……いいのか、本当に。もう嫁に行けんぞ? 人並みの幸せとやらに触れることはできんぞ?」
「わたしは、今、人並み以上に幸せです。たくさん家族がいて、その家族を大切にしたいと思える心を持つことができました。失いたくないと思える人たちがいます。これは、きっと、人並み以上の幸せというのではないですか?」
 審神者は盛大な溜息をついた。
「まず、名がいる。私の養子ということとするから、姓はいいが、名か……」
「また鶴丸さんにお願いしてみましょうか」
「今度は正式な名だ。彼らに名付けさせるわけにはいかん。……と名乗れ」
。どなたかのお名前ですか?」
「私の名だ。審神者となれば『審神者』という記号で呼ばれる。名は必要なくなる」
「お名前をいただいてもいいんですか?」
「……名というのは、一般的に親が子に初めて贈るものだという。最初は鶴丸に取られたからな」
「では、考えてください」
「その名で悪くない人生を送っている。それなりに良い名なのだろう。文句を言うな」
「わがままです」
 片眉を上げて視線を向けてきた審神者に彼女はニコリとほほ笑んだ。









桜風
18.6.17


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