この日、わたしは主と認められました。




陽 7





 が審神者となってからも基本的には生活は変わらなかった。
 ただ、今まで師が座っていた場所に自分が座る違和感はぬぐえない。
 何かあったとき意見を求められるのはまずだ。うっかり先代に意見を聞いても「様はいかが思われますか」と先代がまずに判断を仰ぐ。
 正直、緊張の連続だった。
 これまでは、見て覚えればいい。何かあっても審神者が何とかしてくれるという気持ちがあった。
 だが、今はそうはいかない。何せ、がこの本丸の主で審神者なのだ。


 月日が流れ、先代の審神者が起きている時間が少しずつ短くなってきて、とうとう床に伏してしまった。
 とはいえ、意識ははっきりしており、助言を求めれば応えてくれる。
 若い頃の無茶が今頃になって出てきたもんだ、と笑いながら言っていたが、実際、ずいぶんと高齢だ。
 時々部屋を訪ねた刀剣男士が笑いながら「まだ若いのに」と口にする。
「お前たちに比べれば私はまだまだひよっこだ」と返す審神者は、その時は確かにいつもよりは若く見える。不思議だと思った。
 やがて食も細くなり、一日のうち起きている時間が僅かとなった先代審神者が、皆を大広間に集めた。
 枯れ枝のような先代の様子に皆が息をのむ。もう近いのだと覚悟する。
「一応、念のため。私はそう長くない。追ってくるなよ、邪魔だ」
 はぎょっとした。その言い方はどうだろうと思ったがそれでも彼女を失うことが辛い刀剣男士たちは俯いていた。
「また、置いて行かれるのだな」
 誰かが呟いた声には寂寥の色が濃い。
「ああ、置いていく」
 先代は誰かの呟きにはっきりと答え、そして歌仙に支えられながら大広間を後にした。
「さあ、今日も出陣と遠征があるよ」
 俯いていたの隣で亀甲が殊更明るい声を発した。
「腕が鳴るぜ」
「きれいな人妻がいるところがいいなー」
 重い空気を払しょくするように彼らもその言葉に応じる。


 それから数日たって執務室に歌仙がやってきた。
「珍しいね、君がご主人様から離れるなんて」
様を呼んでくるように言われたんだ」
 ほかの刀剣男士はのことを主と呼称する。それが本当の意味のそれではないというのは自身理解していた。だが、そういうルールなのだと従ってくれている。
 ただし、二振りだけは彼女のことを「主」と呼称しない。亀甲と歌仙。
 だからといって、は不快に思ったりしていない。彼らにとって殊更先代は特別な存在だと肌で感じているからだ。
「わたし、ですか?」
「うん、君一人で」
「わかりました。では、行ってきます」
 先代の部屋に向かう足取りが重くなる。心臓の鼓動が痛く、部屋で聞く話は、きっと良いものではないと予感する。
 だが、聞かなくてはならない。育ての親の、最期の言葉だ。


 審神者の自室は最も日当たりがよく、風通しもよい。だが、その部屋はがこの本丸の審神者となったときに譲った。
 そして、この部屋は彼女のために刀剣男士が作った小ぢんまりとした小屋である。
「ばーさんがじめじめとした暗い部屋に住んでたらぽっくりいくからな」と笑いながら。
 だから、審神者の部屋の次に日当たりがよく、風通しがいい。
です、よろしいですか」
「ああ、入っておいで」
 障子戸を開け、部屋に入って閉める。障子戸越しの日の光は柔らかく、温かい。
 審神者の枕元に腰を降ろした。
「お呼びだと聞きました」
「ああ。すまないね、寝たままで」
「かまいません」
「頼みがある」
「……何なりと」
「誰も追うなと皆に言ったが、おそらく、ただ一振りだけ私の命を頼みを守らないものが出ると思う。どうか、あれが審神者様の下を訪ねた時はそれを叶えていただきたい。アレにはとても苦労を掛けた。だが、私はそれに報いきれなかった。自分の掛けた苦労を審神者様に清算していただくのは筋が通らないことを承知している。だが、もう私にはアレにこたえてやれるほどの力も時間もない。どうか、私のわがままを叶えていただけないだろうか」
「ただ一振りだけでよろしいのですか?」
「あなたにその無茶を言うのはそのただ一振りです」
 言い切った先代の言葉には妙な信頼感のようなものが見えた。追うなといったのに追ってくる。それを期待しているようでもある。
「承りました」
 静かに頷いたにほっと息を吐いた先代は「感謝します」と返した。
 は慌てて執務室に戻った。
 ここ最近は嫌な予感がするといって出陣は控えていた。ただし、急遽呼び戻しができる遠征はいつもどおり出していた。
「亀甲さん」
「どうしたんだい?」
 慌てて部屋に戻ってきたに目を丸くして亀甲が腰を浮かせた。
「遠征に出ている皆さんを呼び戻してください」
 の言葉を受けて歌仙が駆けだした。
「承知したよ」
 頷いて遠征部隊を呼び戻すための手続きを始めた。
 はそのまま部屋を出て駆けた。本丸にいる刀剣男士全員に先代の部屋に行くように声をかけて回る。皆は一目散に先代の部屋のある離れに向かっていった。
 本丸の中の刀剣男士たちの気配は全て先代のいる小屋に集まっている。あとは、遠征部隊が間に合うかというところだ。



 洟をすする声が聞こえる。
 は小屋から少し距離を取った場所に佇んでいた。この別れは彼らだけのものだ。
「ああ、楽しかったよ。皆、ありがとう。をよろしく」
 かすかに聞こえが声は細く弱いのに、どうしてかはっきりと耳に届いた。
 重い空気が漂った。
 一人、また一人と小屋を後にしていく。
 誰もいなくなって初めて改めては先代の顔を見るため部屋を訪った。
 部屋には一振りだけいた。穏やかな表情を浮かべていた彼女の近侍。

 静かに名を呼ばれて彼女は返事をする。
「君がこの本丸の審神者を継ぐことを決心してくれて僕はとてもうれしかった。ありがとう、この本丸を愛してくれて」
「……いえ」
「この人は本丸で亡くなったから転生はないんだよ」
「え?」
「ここは人の理の中にない場所だ。だから、人の世で言われている所謂『輪廻転生』はできない。でも、それを知っていて尚、この人はここで息を引き取ることを選んだ。ここが私の居場所だから、と」
 歌仙が愛おしむようにまだ血色のある先代の頬に触れる。
「僕は、この人に呼ばれてここの本丸の初めての刀となった。僕たち刀剣男士の多くは昔の主の記憶は少しある。だから、人の生が短いことも理解していたつもりだったんだけど、同じ姿をして供に歩むとその時間の愛おしさと喪失感はただの刀であった時と比べ物にならないくらい大きいね。人の生は短い。だから、子を生して続けていく。だけど、この本丸で子を生すことはできない。だから、この人の代で終わってしまうんだと思っていた。審神者の後継については、政府が躍起になっているのは知っていたけど、この人は政府の息がかかっている者を受け入れないだろうと思っていたから。君が来てくれたことでこの本丸に未来ができた。君が終わらせないと決めてくれた。ありがとう。この先、いつかなくなるだろう。だけど、この人に次に繋がったという、あなたの本丸に未来があると見せることができたことを僕はとても嬉しかったんだ」
 先代に視線を落としてた歌仙が顔を上げる。
「埋葬は、形だけになるけど人の世と同じようにしよう。火葬は、正直ちょっと抵抗があるんだけど……」
 さみしげな表情を浮かべて言う歌仙に「そのまま埋葬しましょう」とが提案する。
「火葬をしないのかい?」
「ここは人の世ではありません。もしかしたらお戻りになられるかもしれませんし」
「もう充分だっていいそうだけど。そうだね、うん。そうしよう」



 先代が亡くなった翌日に政府から連絡があった。先代の遺体を引き渡せというものだった。
「ご遺体をご家族に返すのかな」
 大広間に皆を集めてが報告すると誰かが疑問を零した。それなら返したほうがいいだろうと思った。
「いえ、おそらく違います」
 硬い表情でが否定した。
「どういうこと?」
「クローンを作ろうとしているのだろうと思います」
「クローン?」
「先代様の複製です。そのためにあの方の細胞が必要になるんです」
「主は言うことを聞かない、でも力の強い審神者だったから政府も手を焼いていたね。今度は力の強い傀儡を作ろうというのか」
 低く、怒気を孕んだ声音で歌仙が呟く。
「つまり、どういうこと?」
「先代様のご遺体を引き渡せば細切れにして、政府にとって都合の良いそっくりな審神者を量産するということです」
 皆にわかるようが説明すると大広間の中は怒気に溢れた。
 は息をのむ。彼らの殺気に気を失いそうになる。
「みんな、ちいに殺気が刺さってる」
 彼女を背にかばって亀甲が取り敢えず抑えろと告げる。
「あ、ああ……」「わるい」
 ひとまず、何とか怒気を抑え、殺気を収めた。収めきれない者たちは大広間から出て行った。
「それで。その愚か者たちはいつこの本丸に?」
「そろそろです」
 時間を確認してが言う。



 言葉のとおり政府の担当者がやってきた。先導してきたのはこんのすけだった。
「先代審神者の死体はどこだ?」
 大広間にやってきて周囲を見渡す。引き渡しの準備が整っていると思っていたらしい。
 だが、それらしい『物』がどこにもないと気づいた彼らはを見た。
「今、歴史修正主義者との戦いがどのような状況になっているかご理解されていると思います。どうか、ご協力を。この本丸がどのようになってもよろしいといわれるわけではないでしょう?」
 結構強引な手で自分がこの本丸の審神者の後継となったということは知っている。先代だったから政府が頷かずにはいられなかったと噂を耳にしたことがある。
 俯いたに刀剣男士たちの視線が突き刺さる。どうするのだと問われている。値踏みされている。
 これまでは先代という後ろ盾があった。が何か間違いを選んでしまっても、きっと彼女が何とかしてくれるという信頼があった。彼らは習慣に従ってのことを『主』と呼んでいるが、それはただの記号にほかならない。
 彼らの主は今でも先代だ。ここで誤ればきっと彼らは信じてくれない。
 は俯いた。もし、ここで政府に逆らってしまったらこの本丸を解体されないだろうか。繋げられたことを嬉しく思うと昨日歌仙に言われたばかりだというのに、失くしてしまうのか。
「ちい、顔を上げなさい」
 近侍として傍に在る刀剣男士が言う。どうしてか、その声は彼女の敬愛する先代のそれのように聞こえた。
 は顔を上げて笑った。
 部屋の中の者全てが驚いた。
 審神者が嗤ったのだ。
「これは異なことを仰る」
「な、なにを?」
「わたしは先代から事あるごとに言われてきました。「審神者とは、神に捧げられた贄だ」と。我々人間のために戦っていただく神様に捧げられた供物だと。神が必要といえば、すべてを捧げなくてはならないと。皆様に問います。先代は亡くなりました。不要ですか?」
「否」
 口々に彼らは否定した。
「まだ必要ですか? ものを言わず、二度と動くことがない、生の終わりを迎えた者であっても」
「応」
 口々に彼らは肯定する。
「わざわざご足労いただいたところ非常に恐縮ですが、こちらにおわす神々が先代を必要とされています。お引き取りください」
 ついと目を細めてが言う。
「ま、待て。死んだ以上、もうそれは審神者ではない。ならば、政府管轄の備品だ」
「審神者となった時点で我らに捧げられた供物だ。神に捧げた供物をまだ必要と言っている中持っていく意味を考えているのか?」
「我らとてそなたらを無事に現世に返してやりたい。家族もあるだろう。恋人もいるかもしれんな?」
「さりとて、我らも神の末席に座している者としての矜持がある。蔑ろにされて気持ちよく見送ることはできんぞ?」
 青くなっている政府の担当者に「出口までご案内しましょうか?」と前田が声をかけた。
「け、結構!」
 転ぶように政府の担当者たちは大広間を後にした。
 足音が聞こえなくなっては両手を畳について深く息を吐いた。ちゃんとできただろうか。この後どうしよう。政府がちょっかいをかけてきたら先代のように上手く立ち回れない。
 不安がこみあげてくる。
「よく頑張ったね」
 ふいにかけられた声に顔を上げると亀甲と目が合い、彼は頷いた。
「わたし……」
 夢中だった。亀甲が声をかけてくれたから政府の担当者に言葉を返すことができた。
「どうせ政府はこの本丸に手は出せないよ」
 歌仙が言う。
「だって、最も功績があるのはこの本丸だ。解体となれば僕たち刀剣男士は刀解される。また一から刀剣男士を育てるのが大変だから後継制度を導入したというのに、最も戦力になるこの本丸を潰す利は政府にはないよ」
「ほんとう?」
「本当だ。よく戦ってくれたね、
「そうだな。我ら主の覚悟に応えることを約束しよう」
 声に反応して振り返ると刀剣男士たちが頭を下げている。
「これからもよろしく」
 の言葉に部屋の中の刀剣男士たちは肯定の返事をした。
 今まで立場を示す記号だったその言葉が違うものとなっていた。彼らが認めてくれたのだった。









桜風
18.6.29


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