政府預かりの薬研藤四郎 1
初出勤の日にギリギリに起きた自分が悪い。
それはわかっているが、それにしたって、今日、この時間帯に遅延するなんてひどいと思う。
予定どおりの電車に乗ったが車両の整備不良だとかで電車が遅延した。
もう少し余裕をもって、それこそ周囲の景色を楽しんでこれから働く職場にたどり着く予定だったのだが、そんなものを目に入れることになく、ただひたすら走った。
庁舎入口で訪問申込書に氏名を記入して警備員に渡す。 まだ庁舎に入るためのIDをもらえていないのだ。
庁舎に入って周囲を見渡す。
エレベータは何処だ。
「あ、おい」
エレベータへの案内を見つけて駆けだそうとすると「」と名前を呼ばれて思わず「はい!」と返事をして振り返る。
落ち着いた声だったから、警備員に声を掛けられたかと思ったが、そこにはきれいな面立ちの少年が何かを指さしていた。
「落としたぜ」 はパタパタと上着のポケットを探る。定期がない。
「ありがとう、ぼく」
そういって落とした定期を拾って、彼女はそのままエレベータに向かっていった。
「ぼく……」
そんな風に呼ばれたのは初めてで少年は笑う。
入庁式には無事に間に合った。あまり無事ではないが、遅刻にはならなかった。
配属先にたどり着いて先輩たちに挨拶をする。
ここは政府の機関だ。
配属先は総務庁に付属する組織だ。
しかし、はもう一つの機関に所属している。それは、平たく言うと『歴史を守護するのに特化した機関』だ。 歴史修正主義者と名乗る者たちが過去に介入して今ある歴史を改 変しようとしているのだ。
それを阻止するために政府が立ちあげた組織がここにある。 阻止する手段として、審神者なるものを選出し、その審神者により刀剣男士を顕現させる。
刀剣男士とは、刀剣の付喪神だ。過去に介入できる何者かに対抗するために神の力を借りる。
現実味のない、おとぎ話にしては夢のない話。 そ れが、今のこの国の現実だ。
すでに各地、各時代に審神者を送り込み、歴史修正主義者と戦って数年たっている。
その間に代替わりをした審神者や、歴史修正主義者が擁する時間遡行軍により討たれた審神者もある。
神の力を借りるため、政府も自身が交渉し、喚び起こした刀剣男士を抱えていた。 彼らは『政府所属の刀剣男士』と分類されており、政府のため、今ある『正しい歴史』のために事態に対して力を貸してくれる新たな刀剣への交渉を担っている。
一方、政府庁舎にはもうひとつ『政府預かりの刀剣男士』と分類される者たちがいた。主を喪ってもなお存在し続けている刀剣男士たちのことだ。
本来、喚び起こした審神者が手続きを踏まずに命を落とすと刀剣男士もその姿を維持できずに消える。きちんと引き継ぎ手続きを行えばそういった事態に陥らないが、毎度無事に引継ぎができるとは限らない。
そんな時、稀にだがその姿を維持し続けることができる刀剣男士が出てくる。
しかし、突然主を喪った彼らに居場所はなく次の赴任先が見つかるまでは政府でその存在を預かるのだ。
政府には審神者の適性を持っている職員が何人も存在している。その審神者適性のある者たちが政府所属の刀剣男士を顕現させ、政府預かりの刀剣男士の存在を維持させる。
場合によっては、その職員が臨時的に審神者として本丸に赴くことがある。
本丸を持つほどの力はないが、数日程度なら本丸を支えられる。それが政府の審神者だ。政府所属の刀剣男士および政府預かりの刀剣男士は彼らのお陰で維持できている。
そして、は審神者適性のある職員だ。
本丸を維持できるほどの力はないが、審神者としての適性を持っている。
彼女が配属された部署にはそういった審神者適性のある職員が課長を含めて三人ほどいた。
よその部署にもまだいるらしい。
普段は通常の職員と同じように仕事をするが、必要になったらその力を使うことになる。
(その力を使うって言ってもねぇ……)
就職が有利そうだから、とここにしたが何をどうする必要があるのか全く分からない。その時が来ないまま離職することもあると聞いた。 昼休憩のチャイムが鳴った。
IDカードを首から提げて部屋を出る。
途中で昼食を買ってこようと思っていたのに、遅刻ギリギリだったため、それができなかった。
仕方なくは食堂に向かう。
「うわぁ……」
自分の所属している部署の人数は多いと思う。だが、この建物はそれ以外の部署がたくさんある。
つまり、食堂が引くほど混んでいる。
回れ右をして売店に向かってみた。
こちらも予想に違わず非常に混んでおり、ため息を吐いた。
昼食を摂るのは無理だ。
「食わないのか、オネエサン」
声を掛けられた気がして視線を向ける。
少年が笑っていた。今朝落とした定期を教えてくれた少年だ。
「ちょっと、無理かなって。君は? どうして庁舎内にいるの?」
誰かが連れてきたのかな、と思いながら周囲を見渡した。 引率の教師の姿もないし、保護者のようなのもいない。
「薬研藤四郎」
別の声が加わった。
山姥切長義だ。本当の名前はすごく長いので、そのように略して呼称している。
彼がちらとに視線を向けた。
政府所属の刀剣男士のことは知っている。彼はそれにあたる。
「新人か」
「です。以後よろしくお願い致します」
深く頭を下げる彼女に「ああ」と素っ気なく返した長義は「薬研、行くぞ」と少年に声をかけた。
「薬研?」
は首を傾げる。聞いたことがあるぞ。何より『藤四郎』という単語は……
「粟田口吉光」
「俺の創造主の名だな」
カラッと笑って薬研藤四郎が応じた。
「も、もうしわけありません」
刀剣男士を『ぼく』と呼んだ。人間の子供と同じ扱いをした。
「気にするな。楽しかったぜ」
ははっと笑って彼は長義と供にその場を去っていった。
は空腹を忘れて、とりあえず生きていることに安堵した。
桜風
19.9.1
ブラウザバックでお戻りください