政府預かりの薬研藤四郎 2
審神者の適性がある政府の役人は、普段は通常業務と呼ばれる、それぞれの部署の仕事をしている。
経理をしている者もいれば、統計管理をしているなど、様々だ。
勿論、歴史修正主義者への対応を専門とする部署もある。
歴史修正主義者への対応を専門とする部署以外に所属している役人の力が必要になったときには、別途期間限定の辞令が下りる。
大体が『プロジェクトチーム』などの名称で辞令を出されるため、審神者の適性のない、普通の役人は「兼務大変だねー」と思う程度だった。
辞令が下りなければその業務をしなくてもいい。
梅雨に入るまでひとまずその辞令を受けずに済んだはほっと息を吐く。
ここ最近、通常業務が忙しい。
これで『プロジェクトチーム』の兼務を抱えることになれば正直、体がもたない。
(なんで選んじゃったんだろう……)
ため息を吐いて暗くなった廊下を歩く。
審神者としての適性があるとわかった瞬間、生活が安定しているはずの公務員と思って就職活動を一切しなかった二年くらい前の自分の胸ぐらをつかんで問い詰めたい。まあ、就職活動って面倒くさそうだなって思っていたから仕方ないのだが。
政府の役人としての給料に危険手当のような『審神者手当』というのが上乗せされているので、初任給としては良いほうだと思うが、それにしたって、神様を相手に話を、交渉をしなくてはならない。
一歩間違えば自分の命はないだろうし、場合によっては世界の命運とやらにも影響がありそうだ。
ため息を再び吐く。
「辛気臭いな」
喉の奥で笑う声が聞こえた。
は、直立不動になった。この声は忘れない。
ゆっくり振り返ると薄く紫に光る瞳が細くなる。
漏れそうになる悲鳴をグッと飲んで「こんばんは」と深々と頭を下げた。
カツンカツンと靴の音が近づいてくる。
頭を下げたままその音が近づくのを息を殺して待った。
「頭を上げてくれ」
「はい」
言われるままに顔を上げるとそこには、陶磁器のような白い肌をした少年が目を細めている。
「残業か?」
「え、あ。ハイ」
「忙しいんだな」
二人の間に沈黙が下りる。
「あんた」
「ハイ」
「そう緊張しないでくれ。俺とて短刀だ。人の子には優しいほうだぜ」
「あ、いえ……先日は申し訳ございません」
が再び頭を下げた。
「先日?」
「えっと、わたしがここに初めて来た日のことです」
ずっと気になっていた。謝罪が必要だろうと思っていた。だが、出会えなかったのだ。
「ああ、俺を『ぼく』と呼んだことか?」
頭を下げたままこくりと頷く。
「気にするな。正直、面白かった。俺は政府預かりの刀だ。審神者の適性のない者には見えないからな。それに、審神者の適性があるやつに俺を『ぼく』と呼ぶ者はなかった」
「重ね重ね……」
「だから、気にするなって。面白かったって言っただろう? いいから、頭を上げろ」
「はい」
窺うようにが薬研藤四郎を見る。
「灯りをつけなくても大丈夫なのか? 俺のように夜目が利くわけじゃないだろう」
廊下の電気はすべて消えている。
「今日は外が明るいので。エレベータまでたどり着けたらあとはある程度灯りのある場所ですし」
再び二人の間に沈黙が下りる。
「えっと……」
「いや、帰らないのか?」
「いえ、帰ります。では、失礼いたします」
深く頭を下げて挨拶をして彼女は先ほど口にしたとおりエレベータを目指した。
五メートルほど歩いた彼女は足を止めて振り返る。
「あの、薬研様藤四郎様は何処に向かわれているのですか?」
「あんたが無事に帰るまで見届けようと思ってな。とりあえず、庁舎出口まではついていこうと思っている」
「……わたしの無事を確認するために?」
「そういうこった。知らん仲じゃないしな」
ほぼ知らない仲だと思う。
喉まで出かかったツッコミの言葉は何とか飲んだ。
「えっと……大丈夫です。これまでもこれくらいの時間に帰ることがありました」
「なーに、暇つぶしだ」
そういうことか、と納得して「では、薬研藤四郎様を気にせずに歩いてもよろしいでしょうか」と確認してみる。
「ああ、気にするな。暇つぶしだ」
(なるほどー! すごく納得ーーーーー!!)
心の中で叫んだは頷き、歩き出す。相手は神様だ。自分を慮ることはない。気まぐれ、暇つぶし。すごく納得する単語だ。
本当は音楽でも聴きながら、と思ったがそれはさすがに失礼だろうと思って我慢した。
呼んだエレベータが、チンと到着を告げる音を鳴らす。
開けて先に入り、薬研藤四郎が入ってくるのを待った。
「ああ、本当だな。今度は明るすぎるな」
エレベータに足を踏み入れ、喉の奥で笑いながら薬研藤四郎が言う。
「そういや、あんたはどうして役人になったんだ?」
こっちの気が急いていても、エレベータの動きが速くなるわけでもなく、とりあえずエレベータ内の数字を眺めていると声を掛けられた。
「はい?」
「政府の役人止まりってことは、本丸を支えられるほどじゃないんだろう? だったら、役人になりさえしなきゃ俺のような、人ならざるものとかかわりを持たずに済んだんじゃないのか?」
「就職活動するのが面倒くさかった」とか「安定した生活を得たかったから」とか「給料がよさそうだから」とか言ったら怒られるかな、と考えていると、一階に到着したと知らせる音が鳴る。
ドアを開けて薬研藤四郎にエレベータから降りるように促し、自分が続く。
「そうですね……」
さて、何が正解か……
「よくわかりません」
「わからん? 自分が選んだ道だろう」
「はい、確かにたくさんある道の中で選んだのはこの道です。ですが、何が決定打になったのかよく覚えていないんです。確かに、わたしは本丸を支えられるほどの力を持っていないので、政府からの強制招集の対象になることはないと思いますが……」
これは、嘘ではない。なにが決定打になったかなんてわからない。
だが、色々ある理由を口にしないのは、神様に嘘をついていることになるだろうか。
緊張で強く打つ心臓の音が耳に響く。
「そうか」と相槌を打った薬研藤四郎の様子を見るとさほど興味がない話題だったような気がする。
「では、薬研藤四郎様。失礼いたします」
「ああ、気を付けて帰れよ」
「はい」
丁寧なお辞儀をしては少しだけ足早に庁舎出口に向かった。
「薬研藤四郎」
声を掛けられて振り返ると山姥切長義がため息を吐いてみせる。
「何度言えばわかる。こちらの建物には足を運ぶな。審神者の適性がなくとも霊感があれば目撃されるぞ。人の子が人ならざるものを畏れるのは想像に難くないだろう」
「……そうだな」
相槌を打って庁舎出口に視線を向けた。
もう彼女の姿はない。
自分にひどく怯えている彼女に少なからず傷ついた。
人のことは嫌いではない。むしろ好きだ。だから、力を貸している。
自分を見て言葉を交わしてくれる存在があり、それが自分が守ろうとしているものなら、嫌われるのは少し寂しい。
桜風
19.9.7
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