政府預かりの薬研藤四郎 4




「まだ終わらないのか?」
 足を組んで座っている薬研藤四郎が、たまにくるりと椅子を回す。
 部屋の明かりの大半は消えている。今はのデスクの周辺の電気だけが点いていた。
 一人残って仕事をしていると「まだ残っているのか」と当たり前のように部屋に入ってきたのが三十分前。
 それから退屈そうに適当な椅子に腰をおろした薬研藤四郎は、の仕事を終わるのを待っている。
 そう、なぜか『待っている』のだ。
 待たれているは気が気ではない。
 神様を待たせるとは何たること、と思う一方待ってほしいと一言も言っていないし、何なら彼は押しかけてきただけなのだ。気にする必要がどこにある、という気持ちもある。
「あの……」
「終わったか」
 少し機嫌よさそうに薬研藤四郎は椅子から立ち上がる。
「まだです」
「なんだ、まだか……」
 再び椅子に腰をおろした。
「薬研様は、どうしてこちらに?」
「近くを通ったら明かりが点いているだろう? 覗いてみたらがいたからな」
 求めていた答えではない。どうしてここに居座っているのか、明確な目的を訊きたかった。
 だが、それを再度問うだけの気力はない。
「まだかかると思いますので、薬研様はお戻りになられては?」
「追い出すのか?」
 にやりと笑って言われて口をつぐむ。
「いや、悪い。少し意地が悪かったな」
「いいえ」
 促されて仕事を続けてみたが、やはり居心地が悪く、目標までは達していなくとも何とか目途が立った状態にはなった。
 明日も少し頑張れば何とか間に合うだろうとあたりを付けて片づけを始める。
「まだじゃなかったのか?」
「一応、目途はつきましたから」
「……そうか」
 返した言葉に少し躊躇いのような色が見え、いつもの様子と違う薬研藤四郎に視線を向ける。
「目途はついたんですよ」
 念のため、フォローした。
「ああ」と頷いた薬研藤四郎は俯いて頭をガリガリと掻いた。



 は立ち上がり、部屋の隅のコーヒーサーバーに向かった。もう帰ってもいいのだが、これまでと少し様子の違う印象を受けた薬研藤四郎が気になったのだ。
「コーヒー、飲まれます?」
 自分一人だけというのは何となく気が引ける。
「ああ、貰おう」
「お飲みになったことは?」
「初めてだ」
 さわやかに笑う薬研藤四郎に、はちょっと怯んで砂糖とミルクを準備して室内の協議机に向かった。
 薬研藤四郎もそちらに足を向ける。
「苦いので、甘くしたかったら砂糖を。あと、まろやかにしたかったらミルクをどうぞ」
「ああ、ありがとう」
 カップに手を伸ばして一口。
 薬研藤四郎の様子を窺っていたは少しだけ頬を緩めた。
「何がおかしい?」
 目ざとく咎められた。
「いいえ」
「坊やみたいだったか?」
 そう言いながら薬研藤四郎は砂糖に手を伸ばした。
「はい」と正直に答えてみると薬研藤四郎は眉を上げ、「言うようになったな」と笑う。
「薬研様のその背格好のころ、わたしもコーヒーは苦手でした」
「背格好が関係あるのか?」
「さあ? 刀剣男士の体のつくりについてはよくわかっていないので。でも、子供の姿なら味覚も子供かなと思ったのですが」
「なるほどな。だが酒は好きだぞ。今の時期なら、枝豆をつまみに、冷えた日本酒をキュッと」
 発言内容と姿に大きなギャップがある。
 確かに、本人というか本体は千年以上前に生まれたものだ。となると、千年近い年を経ているということになる。飲酒だって可能だ。
 いやだが、と思っていると視線を感じて顔を向けた。
「何か?」
「いや、面白くてな」
「面白い?」
「あんた、正直だからな」
 またどこか寂しげに笑う。
「薬研様は、どうして政府預かりになったんですか?」
 突然振られた話題に薬研藤四郎は瞠目して、そして「不遠慮だな」と笑った。
「申し訳ありません」
「いや。……あんたにそういわせたのは、きっと俺だ」
 ことりとカップをテーブルに置いた薬研藤四郎は語りだす。自分が政府預かりになった経緯を。




 刀剣男士は基本的には本丸がないと顕現し続けられない。正確には、審神者がいないと、である。
 このため、審神者が死を迎えるときには次代に引継ぐ儀式を行うことで刀剣男士の存在を維持し続けてきている。
 つまり、その儀式がない限り何らかの理由で審神者を喪った刀剣男士は姿が維持できない。表現としては『折れる』ということになる。


 その日、薬研藤四郎は遠征に出ていた。簡単な任務で、練度から考えても一人で充分だと判断された。
 そのことは、薬研藤四郎にとって誇らしいことであり、兄弟と呼んでいる同派の者たちも笑顔で送り出してくれた。
 予定より少し遅れて本丸に戻ると、異様な光景が目に入った。
 庭には多くの金属が散らばっており、火の手が上がっている。
 薬研藤四郎は知らず走り出していた。向かうは審神者の部屋。
「大将!」
 障子戸を開けると血だまりがそこにある。
 審神者の周りには多くの金属が散らばっていた。散った仲間の姿だ。
 折れてしまうと刀剣は白刃となる。このため、誰が折れて誰が無事なのかわからない。
「誰か! 誰かいないのか!」
 声を上げたが、返事はない。代わりに本丸の梁が落ちる音が大きく響いた。
「……、」
 血だまりの中の審神者の唇が動く。
「なんだ、大将?」
 べちゃりと粘り気のある液体に手をついて審神者の口元に耳を寄せた。
 微かに聞こえたのは、同派の太刀の名。
 審神者のすぐそばで折れているのは太刀で、見た瞬間恐らくそうだろうと思っていたが間違いないようだ。
 何と声を掛けていいかわからない。もうあなたの太刀はここにはないと言えなかった。無事だとも。
 言葉を探しているとぷつりと何かが切れた感覚を覚えた。
「たい……しょ?」
 微かにあった息も感じ取れない。
 審神者の命が途切れたと同時に薬研藤四郎と審神者を結んでいた縁が切れたのだ。
 薬研藤四郎は喪失感に脱力した。
 血だまりの中、呆然としていると何かの気配が近づいてきた。
 開け放っていた障子戸から姿を見せたのは、山姥切長義を伴った猿の面を被った人間だった。
「ああ、遅かったか」
 その人間は無感動に呟いた。
「あ、あの……」
 その背後にもう一人人間がいた。困惑気味に周囲を見渡す。
「うん、君に預けようと思ってた本丸は存続不可能となってしまった。また別の本丸を斡旋するから、待機しておいてほしい」
 淡々と事務的に指示をした人間は薬研藤四郎に視線を向ける。
「おや、これは……」
「残るようだ」
「では、預かろう」
「どこにでもいるぞ?」
「でも、そういう規定だから。連れてきてくれ」
 山姥切長義を置いて人間は姿を消す。
 嘆息をついて山姥切長義は薬研藤四郎に視線を向ける。
「薬研藤四郎」
「なんだ」
「お前は今から政府預かりだ」
「『政府預かり』? なんだそれは。俺はここで朽ちることはできないのか?」
「通常、審神者との縁が切れたら即座に鈍になる。だが、お前は姿を保っている。その場合、政府が預かり新しい本丸に引き渡すことになっている。刀剣男士を顕現させるのは人間にとって随分と大きな負担になるらしい。如何に能力を持っていると言えど、人間は人間だ。その負担を減らすために、姿を保った刀剣男士は政府が預かる。政府庁舎には審神者の力を持っている人間が複数いてその人間の力で顕現に必要な霊力は賄われる」
「否とは?」
「言えないな。さあ、ついて来い」
「この本丸はどうなる?」
「このまま放置するから消滅するだろう。引継ぎは行わない」
「なぜだ?」
「遡行軍が入り込んだからだ。本来場所の特定はできないのだが、ごく稀に襲撃される。その際には、審神者が生きていてもその本丸を放棄して別の場所に本丸を構える。座標が明らかになった場所は危ういからな」



「こうして俺は政府預かりになった。政府預かりになっても俺ほど長く預かられているのは少ないんだ。大抵、政府預かりになる刀剣男士は太刀や槍、大太刀が多い。多くの人々の記憶に残っていたり信仰の対象になっていたりする、たくさんの想いが寄せられているのが殆どなんだ」
「では、なぜ」と問いかけては言葉をのんだ。
 理由はともかく、今目の前にいる薬研藤四郎は『置いていかれた』のだ。
 だから、時折過去を、以前過ごした本丸を思い出して睫を伏せる。寂しいのだ。
「しかし、。よくもまあ、こんな話を聞こうと思ったな」
 殊更明るい声で揶揄う薬研藤四郎には困惑した。どういうリアクションが正解なのかわからない。
「あんた、本当に正直者だな」
 薬研藤四郎は笑った。



 部屋の戸締りを確認して部屋を出る。
「やはりここにいたか」
 呆れ顔の山姥切長義が立っていた。
 は思わず小さく短い悲鳴を上げる。
 気配がなかった。気配と言っても、こちらは一般人だ。武術の達人でもなければ気配なんてものに敏感ではない。
 そして、もうひとつ。審神者適性のある職員は、『政府所属の刀剣男士』を畏れている。
 彼らは政府の要請に従い、新たな刀剣男士を顕現させることができるよう、各刀剣本体と交渉する役割を担っている。
 なお、政府所属の刀剣男士第一号がどの刀剣男士でどのようにして政府の力になってくれるようになったのか、その経緯については明らかにされていない。
 刀剣男士が帯刀しているそれを『本体』と呼ぶことはあるが、あくまで本体の分身のようなもので、本当の本体がどこかに安置されている。
 政府所属の刀剣男士は、その本当の本体に最も近い刀剣男士だ。本丸に顕現する刀剣男士とは少し違う。
 そんな、本当の本体に近い刀剣男士が目の前にいるのだ。神様に近い、その存在が。
 山姥切長義はを一瞥し、薬研藤四郎に視線を戻した。
「あまりうろつくな」
「悪かったって」
「それは、審神者じゃない」
『それ』と言われたは息をのむ。とても冷たい声音だった。
「ああ、わかってる」
 俯いて返す薬研藤四郎はに視線を向けた。
「悪いな、送ってやれん」
「いいえ、大丈夫です」
「行くぞ」
 を気に留めるでもなく、山姥切長義は背を向けて歩いていく。
「じゃあ、またな」
 薬研藤四郎はに声を掛けて山姥切長義の後を追った。
 はすとんとその場に座り込む。どうやら腰が抜けたようだ。









桜風
19.9.20


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