政府預かりの薬研藤四郎 5




 通勤途中に目にしていた広葉樹の葉が落ち、コートが活躍する季節になった。
 あれから薬研藤四郎は姿を見せない。
 こちらもなるべくあの庁舎に近づかないようにしていることが原因かもしれないが、以前は近づこうが何しようが姿を見せていたので、やはり向こうがこちらを避けているのかもしれない。
 いや、山姥切長義の様子を見るに、元々刀剣男士は必要以上に人間と接触してはならないというルールがあるようだからそのルールに従っているということなのだろう。


「おはようございます」とあいさつをして自席につく。
 メールをチェックしていると不審なものを目にした。件名からして怪しく、さてどうしたものかと悩んでいると「くん」と始業していないのに課長に呼ばれた。
 いつも穏やかな課長の表情が硬い。
「何でしょう」
「別室で話をしようか」
 鍵を見せて隣室に促された。
 始業前なのに、どうしたことだろう。なにをやらかしたのだろうか。辞職を迫られる何かをしでかしてしまったのだろうか。
 不安でいっぱいになった胸を押さえて勧められるままに椅子に腰をおろす。
「こんなメール来ていなかったかな?」
 プリントアウトされたメールの件名を見て「あ、」と声が漏れる。
「うん、これは……二階級特進メールなんだよ」
 実際件名が『二階級特進について』とある。
 二階級特進と言えば、殉職をした場合に有りうるというのを聞いたことがある。しかし、事務職の自分がそんな出世をするとは思えないし、そんな制度があるはずがない。
「あの、どういう?」
「内容は見ていない?」
「件名が怪しかったので」
「あー……」
 言外に「わかるよ」という課長に断りを入れてプリントアウトされたメールを見た。
「えっと、これは……」
「審神者代行任務の案内だよ。案内というか、命令だね」
「審神者代行? えっと、課長は昔……」
「すっごく消耗するから、任務前には美味しいものをたくさん食べて幸せな気持ちで行った方がいいよ」
 言葉に重みがあると思いながら、一方でそんな話を聞いていて幸せな気持ちを抱けるほど神経は太くないと反論してしまう。
「詳細は今日出頭したら教えてもらえると思うから」
 そう言って課長はテーブルにこの部屋の鍵を置いて立ち上がり出て行った。
 残されたはしばらく呆然としていた。
 今月支給されるはずのボーナスを何に使おうかと踊っていた心が沈んでしまった。


 指定された時間は、通常の勤務時間外だ。
 神気渦巻く庁舎に足を運び、指定された部屋の前で足を止める。
 ノックすると「はい」と少しくぐもった低い声が返ってきた。
 審神者としてに定められた記号を口にすると「どうぞー」と言われてドアを開ける。
「失礼します」と入室後ドアを閉めて顔を上げたは後ずさる。
 豪奢な机についている人間は猿の面を付けていた。
「ははは、みんな驚く」
 愉快そうに言う猿の面に呆れた表情を向けてため息を吐いたのは山姥切長義。そして、その隣には薬研藤四郎の姿があった。
 久しぶりに見た姿にどこか安堵した。元気そうで何よりだ。
「さて、君への任務だ。今度この薬研藤四郎を極のための修行に出すことにした。そこで、この薬研藤四郎の仮の審神者としてとある本丸に赴任してもらいたい。現在稼働中の本丸で審神者がいるけど、君程度の霊力だと大したノイズにならないだろうし、あちらの審神者の力は強いから、本丸の維持に支障は生じない」
「あのー……」
「発言は認めていない」
 そろと手を挙げて声を上げたに山姥切長義が冷たく言い放つ。
 肩を震わせたに笑った猿の面は「いいって。質問だね、どうぞ」と促した。
「わたしは、その本丸に行けばいいだけなんですか? というか、その修行っていうのは本丸に行かないとできないものなんですか?」
「なるほど。そうか、知らないか。まあ、トップシークレットだし当然か。まず、修行というのは、刀剣男士が己を見つめなおし在り方を定めるための儀式のようなものなんだ。始点と終点は必ず本丸でなくてはならない。必要な道具もあるんだけど、それは今回こちらで用意しているから安心してほしい。次に、君はこの薬研藤四郎と共にその本丸に赴くだけでいい」
「……それだけ?」
「うん、それだけ。まあ、場合によっては命を落とすこともあるかもしれないけど、政府勤務の審神者もどきが一人いなくなったとてさほど惜しくないし、大丈夫」
 は思わず絶句した。非常に消耗するというのは上司から聞いたばかりだが、命を落とすという話は聞いていない。
「あ、あの……」
「明朝五時にまたこの部屋に来て。あー、と。もしかして部屋を借りてる? だったら、その契約書関係も持ってきておいてね。何かあったときにはこちらで処理をしておくから。だから言ってるのに、審神者もどきには入寮必須とすればこんな心配をしなくてもいいって」
「もういいぞ」
 山姥切長義に退室を促されては挨拶もせずにふらふらと部屋を出る。


 猿の面で顔が隠れていたからどこまで本気でどこまで冗談なのかわからない。でも、あれは全部本気だったのではないかと思う。
 美味しいものをたくさん食べて幸せな気持ちで任務に臨むようにとアドバイスをもらった数時間後にこんな絶望を叩きつけられるとは思っていなかった。
 任務まで幸せな気持ちを確保できそうにない。
「……契約書」
 言われたとおり明日は契約書を持参して、そして薬研藤四郎と共にどこかの本丸に行き、彼を修行に送り出す。
 何もなければ無事に帰って来られる。


 受けた衝撃が大きすぎてやっと動けるようになったのは日付が変わる頃だ。
 庁舎入口に向かうと「」と名を呼ばれて視線を向けると薬研藤四郎が佇んでいた。
 そういえば、彼と初めて会ってからまだ一年も経っていない。
 躊躇いがちに彼女に近づいた薬研藤四郎は「すまん」と頭を下げた。
「なにがでしょうか」
「俺が、あんたにちょっかいを掛けていたから、長義の白羽の矢が立った」
「どういうことですか?」
「俺は、どの本丸にもいる短刀なんだ。だから、どの本丸にも引き取られない。審神者一人につき一振りだからな。同じ刀剣は同じ審神者の元に在ることはできない。政府と刀剣との約束らしい。だから、俺は修行に出たいと言った。そうすれば、きっとどこかの本丸に配属される。そのために、一時的とはいえ、俺の主たる審神者が必要になってあんたが目を付けられた」
 は少し黙り込んで考える。
「薬研様、伺っても?」という彼女の言葉に薬研藤四郎は頷いた。
「薬研様はどこかに配属されたくて修行に行くのですか? 配属先はどんな所でもよくて、目的が『配属される』ということなのですか?」
 問われて瞠目した。
「先ほど、己の在り方を定めるための修行だとあの猿の面の人は言っていました。薬研様は、そのために修行をしたいというわけではないのですか? 自分に価値を付加するために修行をされるのですか?」
「あ、いや……」
「わたしは、きっと今回のことが嫌で逃げたとしても、どこまでも追いかけてきて、場合によっては家族が人質に取られたり見せしめにされたりとあまりいい結末を迎えられないでしょうから、もうお受けする以外にありません。まあ、全く知らない刀剣男士のために死ねと言われるよりも、なぜここにいるのか知っている刀剣男士のために命を懸けるように言われる方が、理不尽さは薄いと思います。だから、山姥切長義様の判断は、もしかしたら、温情もあるのかもしれません」
 の言葉に薬研藤四郎は何も返せなかった。
「では、わたしはこれで。またあとで」
 深く頭を下げては庁舎を出ていく。
 薬研藤四郎はそんな彼女の背を静かに見送った。




 指定された時間と場所。そして、提出物。
 は準備をして部屋のドアをノックした。
「どうぞー」とのんびりとしたくぐもった声は昨日聴いたものと同じで、息が詰まりそうになる。
 ドアを開けると昨日と同じ者たちが部屋の中にいた。
「これが、部屋の契約書です」
「おおー、中々いいところに住んでるじゃん。知ってたけど」
 受け取った猿の面は愉快そうに言葉を発し「では、無事に帰還することを祈っておくよ」とに顔を向けた。
「期待していないけど、という言葉が付くのでは?」
「付けてるよ、しっかりと。口に出した方が良かった?」
 一矢報いてやろうと思って絞り出した厭味は軽く流された。
「行くぞ」と山姥切長義が部屋の外に出ていく。「長義、よろしくねー」と猿の面は軽い口調で手を振る。



 山姥切長義の案内で本丸に着いた。
「お待ちしていました」
 おっとりとした女性がにこりと微笑む。この本丸の主、つまり審神者だときいている。
「よろしくお願いします」とが頭を下げて隣に座る薬研藤四郎が「世話になる」と頭を下げる。
「では、頼んだぞ」と言って山姥切長義は去っていった。
「さて。修行のためにこちらに来られたと伺っています」
「ああ、政府からの修行は出来んらしいからな」
 ザワッと何か悪寒のようなものが走った。が驚いて周囲を見渡す。
「何か?」
「あ、いえ。なんか、こう……空気が動いたっていうか」
「ああ。きっとあなたがここにいるからでしょうね」
「どういうことですか?」
「たとえ小さな雫でも、静かな水面に垂らせば波紋が生じます。今、その状態なのでしょう。もう少ししたら安定すると思いますよ。それはそうと。修行に出るのは明日の方がいいでしょう」
「今日だとダメなのか?」
「こちらのお嬢さんの霊力がまだ定まっていません。本丸が修行の始点で終点なのは審神者の霊力が目印のようになるからなんです。今は目印としてここに定まっていないので、今あなたが修行に出たとして戻ってこられない可能性があります。今晩には落ち着くでしょうが、出立は朝がいいと思います」
「わかった」と頷いた薬研とは案内されて用意された部屋に向かった。


 一日本丸で生活をしたが、思ったほど疲れなかった。課長の話だとかなり消耗すると言っていたのだが、もしかして課長よりも霊力があるのだろうかと変な自信を付ける。
 他人の家で寝坊などできないだろうと思い、早めに就寝の支度をしていると「」と廊下から声がした。
「はい」
「薬研藤四郎だ」
 この本丸にも薬研藤四郎はいる。だが、どうしてかこの声の主が自分と共にこの本丸に来た薬研藤四郎だという確信があった。
 は立ち上がり、障子戸を開けた。
「どうかしましたか?」
「すまん、寝るところだったか」
「まあ、そろそろ。寝坊できないので」
「そうか……少し良いか?」
「構いません」
 は上着を持って部屋を出た。冬の夜はさすがに寒い。
 縁側に腰をおろした薬研藤四郎の隣に腰をおろす。
「昨晩、あんたに指摘されて俺は答えられなかった」
 何か失礼なことを口にしただろうかと焦っていると「修行に行く目的のことだ」と補足される。
「あ、はい」
「俺は、その答えを見つけるために修行に行く」
 まっすぐ目を見て言われては困惑した。
「あんたの指摘したとおり、どこかの本丸に所属したくて、修行はそのために必要なものと考えていたことも本当だ。だが、本当にそれだけなのか正直俺にもわからん。俺が前にいた本丸では、兄弟の何人かが修行に出た。皆、修行先で自身の在り方を見つめなおし、元の主の生き様を見守り、何かを見つけて帰ってきた。あのことがなければ俺も修行に発つ予定だった。だから、ただ修行に発ちたいだけなのかもしれない。兄弟の見た景色をなぞってみたいだけなのかもしれない。目的が定まっていない中、あんたを巻き込んで本当にすまなかった。だから、戻ってきたらきちんと話をする。俺が見つけたものを。俺自身、どうありたいと考えたかを」
「期待してお待ちしておりますので、どうか無事にお戻りください」
 が返すと薬研藤四郎はひとつ頷く。
「こんな時間に悪かったな……いや、あんたはこの時間は大抵仕事してるな」
 揶揄う薬研藤四郎に一瞬言葉を詰まらせ「最近は定時に帰っていました」と反論する。
「そうか、成長したな」と笑った薬研藤四郎は立ち上がり、部屋から遠ざかっていった。



 翌朝、朝食を終えて薬研藤四郎は修行のために門へ向かうと昨日顔を合わせたばかりのこの本丸の刀剣男士たちがとともに立っていた。
「どうして……」
 呟いた薬研藤四郎に「まあ、これも何かの縁だからな」とこの本丸の薬研藤四郎が言う。
「そうか……では、行ってくる」
 一度瞑目した薬研藤四郎はに向かって挨拶をした。
「いってらっしゃい」とが頷くと振り返ることなく彼は門の外へと旅立った。









桜風
19.9.28


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