政府預かりの薬研藤四郎 6




 薬研藤四郎が修行に発ったはいいが、はすることがない。
 近くにいた刀剣男士に断りを入れて庭に降りてみた。
 広い、広すぎる。それなのに手入れが行き届いていて、庭の木々は元気だった。
 季節が冬ということもあり、百花繚乱とはいかないが、赤い実を付けた南天や少し雪を被った山茶花などが目に入る。
 ちらちらと雪が舞ってきた。
 あまり長居していては身体が冷えてしまうと慌てて戻ると部屋の前に審神者がいた。
「申し訳ありません、庭に降りていました」
 慌てて廊下を駆けて審神者に声を掛ける。
「ああ、そうでしたか。ご気分でも悪いのかと」
「体調、悪そうでした?」
 今朝も顔を合わせている。
「いえ、ここは神気が濃いので慣れていないと少し体調を崩される方もいるので。なるべく調整してはいたのですが、それでも加減がわからなかったもので」
「お気遣い感謝します。あの、ついでに図々しくもお願いしてもいいでしょうか」
「内容によりますね」
「わたしは、あの薬研様が修行に行かれている間、この本丸に滞在しなくてはなりません。つまり、暇なので何かできることがあればお手伝いさせてください」
 の言葉に審神者は眉を上げて「真面目なのですね」と呟いた。
「退屈で人は死なないと聞きますけど、溶けるかもしれません。昨日案内していただいたところ、現世にある娯楽がこちらにはないので時間を持て余しそうだなと思っていました」
「そうですか。では、私のおしゃべりに付き合ってください」


 来客があった場合に使用する部屋に案内された。
 茶を持ってきたのは薬研藤四郎だった。
「混乱するといけないと思って」と言った審神者は、彼がこの本丸の近侍だと紹介してくれた。
「え、短刀でも近侍になることあるんですか?」
「おいおい、見くびらないでくれ」
 苦笑して薬研藤四郎が言う。
「ごめんなさい」と謝るに「本丸によりますよ」と審神者が言葉を添える。
「当番制にしている本丸もあれば、一貫して初期刀が近侍の場合もあります」
 改めてこの本丸の薬研藤四郎を見た。とともに来た薬研藤四郎と違う。
「もしかして、修行されたのですか?」
「俺か? そうだな。随分前に大将に許可を貰ったな」
「修行って何をするんですか? 修行をして何が見えたんですか?」
 が問うが、彼は審神者に視線を向けた。審神者は首を横に振る。
「悪いな。修行の内容は自分の審神者にしか報告できん。まあ、審神者経由で政府への報告が行っているかもしれんが。それに、『薬研藤四郎』全員が全く同じ場所に行ったとしても、感じたものはさすがに全員異なるはずだ。せっかくあんたの薬研藤四郎が修行をして何かを見出そうとしているんだ。待ってやれよ」
「はい」と返事をしたは「ちょっと待って」と声を上げる。
「わたしの、薬研藤四郎?」
 彼女の疑問に審神者と薬研藤四郎が顔を見合わせた。
「あなたを案内してきた山姥切長義は事前に手続きを取っていたので、審神者の名代としてこちらに来ることができましたが、通常、刀剣男士は単独でよその本丸を訪うことはできません。人間と刀剣男士という組み合わせも無理です。審神者と刀剣男士を主従と定義づけることが多いのですが、どちらかと言えば信頼関係の有無ですね」
「俺たち刀剣男士は修行を終えたら『主』の元に戻ってくる。だから、あの薬研藤四郎があんたの元に戻ってくるならあんたがあの薬研藤四郎の『主』だ」
「だから、政府から修行に出られないのです。政府で預かっている刀剣男士は多くの審神者の適性がある者が少しずつの力を合わせて顕現させていると聞いています。だから、修行に出ても誰の元に戻ればいいのかわからない。そもそも『誰』というのを定めていないでしょうね」
「修行の詳細についてあまり教えてもらえず、仮の審神者としてこちらに行くようにとは言われましたが……」
 の言葉に再び審神者と薬研藤四郎が顔を見合わせ、「それは、お気の毒としか……」と審神者が言葉に詰まる。
「ま、まあ。薬研様の修行が無事に終われば、わたしもこれまでどおりのしがない公務員に戻れるはずなので、それ以上深く考えないことにします」
 明るい表情を作っていったは湯呑に手を伸ばした。
 そんな彼女を見てやはり審神者と薬研藤四郎が顔を見合わせ、「それはどうだろう」と二人は思った。





 薬研藤四郎が修行から戻ってくる。
 修行は、本丸の時間できっちり九十六時間、四日間かかる。実際赴いた先では何年も経っていたりするらしいが、これも修行内容によって異なるそうだ。
 審神者としては九十六時間後、修行を終えた刀剣男士を迎えればいい。の任務もそれで終われる。


 朝食を摂っていると吐き気を覚えるほどのおぞましい気配を感じた。
 恐怖に竦み、歯がカタカタと鳴る。
「状況を確認して」と審神者が指示を出している。
 やはりただ事ではないらしい。審神者の周囲には戦装束の刀剣男士が集まっている。
 薬研藤四郎が戻ってくるまであと三十分ある。
さん、退避の準備をして」
「た、退避?」
 どうしてか溢れてくる涙を流しながらが問い返すと審神者は頷く。
「遡行軍にこの本丸の座標が見つかったようです」
 本丸はどこかの土地にあるものではなく、この世とあの世の間にあるため、位置は座標で管理される。その座標が見つかったということは攻め込まれるということだ。
 実際攻め込まれているようで、門のあたりが騒がしい。
「建物自体に結界を施していますが、時間の問題です。この本丸は放棄します」
 こくりと頷いて立ち上がろうとしたが、にはできなかった。
「薬研、さんの荷物を取って来て。皆、退避準備を。殿は、山姥切国広、任せるわ」
「わかった」
「いけません」
 蚊の鳴くような声で彼女が言う。
「なに?」
 微かに耳に届いた言葉は、審神者の提案を拒否するものだった。
「どうした?」
 の荷物を取りに行こうとした薬研藤四郎が足を止める。
「のこります」
「正気? 私が退避すれば、この本丸の維持はあなただけの力になるのよ。わかってる? できるの?」
「わかりません。でも」
 涙と洟で汚れた顔を審神者に向けた。
「でも、わたしがいなくなったら薬研様はもう戻ることができません」
「それは、そうなのだけど……でも、一振り戻ってきたところでどうにかできる規模ではないわ」
「あの方にわたしは待つとお約束しました。だから、わたしは残らないと」
「だけど」
「大将、もうそれ以上はそちらさんの覚悟に失礼だ」
 なおも説得しようとする審神者を薬研藤四郎が止めた。
「……来月、現世に行くことがあるの。会えるといいわ」
「はい。お世話になりました」
 審神者の言葉には返事をする。
「私が退避してもすぐには結界は壊れないはず。でも、あまり期待しないで」
「はい。ご無事で」


 本丸の中の神気が薄れていくと同時に、先ほど感じたおぞましい気配が増えてきた。
 じわじわとこの場所を侵食していく感覚。
 部屋の隅で膝を抱えて震えていると襖が破られて大きな異形が目に入る。
 負の感情を集めて固めたようなその存在には恐怖で息もできなくなった。
 ――怖い。
 それがの姿を捉えた。
 ――――怖い。
 地響きを立てて近づいてくる。
 ――――――助けて。
 目の前に来たそれのおぞましさに圧しつぶされそうだった。
「かみさま」
 普段は神を信じていない。正月に初詣をするくらいで、あとは気が向いたら旅行先の神社でおみくじを引いて良い結果なら信じて悪い結果なら信じずに笑い飛ばしていた。
 こうして都合の良い時だけ神様を祈ってもきっと神様は助けてくれない。
 それでも、縋らずにはいられなかった。
 ぎゅっと強く膝を抱えた。
 思った衝撃は中々来ない。もしかして、もう終わっているのだろうか。
 ゆっくりと顔を上げるとひらりと白い布が見えた。
「おいおい、これは一体どういうことだ」
 ははっと笑う声に瞠目した。
「薬研様」
「ああ、今戻った。だが、挨拶は後にした方がいいな。他の者たちは?」
「この本丸は、放棄されました」
「だったら、どうしてあんたはここに居るんだ」
 眉を上げて薬研藤四郎が言う。
「だって、わたしがいなくなったら薬研様は帰る場所がわからなくなるから」
 しばらくを見つめていた薬研藤四郎は「ははっ」と笑う。
「そうかい。そうか……大将、少し待ってろ。退路は俺が開く」
 そういって薬研藤四郎は部屋を出て行った。
 正直、ひとりにしないでほしいのだが、そうはいっていられないのもわかるので、また膝を抱えて小さくなる。
 自分の無遠慮な質問に答えて彼は喪った本丸の話をしてくれた。
 この本丸の審神者に共に逃げるよう言われた時、あの話をした薬研藤四郎の表情が浮かんだ。だから、頷けなかった。
 だが、もういい。彼は戻ってくることができた。ならば、自分がここにいる必要はなくなった。
「よかった……」






 目を覚ますとそこは病院だった。
 何がどうなったのかよくわからない。看護師に今日の日付を確認すると、あれから三日経ったというのがわかった。
 職場では自分の立場はどうなっているのだろうか。
 部屋のドアがノックされて返事をすると「具合はどうだい?」と課長が顔を出す。
「はあ……生きてます」
「それはよかった。任務前に美味しいもの食べた? ほら、メールが来た翌日に任務だったでしょう? 美味しいものを食べられたか心配だったんだよ」
「それどころじゃありませんでした」
「そうか。でもまあ、無事に帰って来られてよかったね。退院したら出頭させるように命令が来ているから、気が済むまで入院しておいていいよ。職場の方は何とでもなるし」
 そういって、彼はどうやって情報を得たのかのお気に入りの菓子店のプリンを置いていった。


 退院して復職したその日の晩にはあの部屋に向かった。
 ドアをノックすると「どうぞー」と返事があり、入室する。
「薬研藤四郎の修行の終了を確認したから、君の任務は完了だね。お疲れ様。またよろしくね」
「はい」
「どうしたんだい? もういいよ?」
「薬研様は?」
「ああ、彼には新しい任務を与える予定でね。今日はここにきていない」
「……そうですか。では、失礼します」



 翌月、が世話になった審神者が現世に来る日を確認して第三庁舎に向かった。
 休みを取ってお気に入りの菓子店で人数分のプリンを購入したのだが、正直重い。
さん?」
 審神者を探していると、あちらから声を掛けてきた。
「こんにちは」
「無事だと聞いていたけれど、安心したわ」
「お世話になったのにお礼もできていなくて。これ、わたしのお気に入りのプリンです。買った後に気づきました。すごく重いです」
「それなら、俺が預かろう」
 笑いながら薬研藤四郎が受け取った。
「ところで、そちらの俺は?」
「お戻りになられたのは確かに見たのですが、わたしが目を覚ましたらこちらの病院でした。それ以降、薬研様のお姿を拝見していません」
 審神者と薬研藤四郎は顔を見合わせる。
「それは……不思議ね」
「不思議ですか?」
「ええ、まあ。でも、きっと近いうちにまた会えるわよ」
「どうでしょう。山姥切長義様は薬研様がわたしと話をしているのをよく思われていないようなので」
「それは修行前の話だろう? ま、その点はきっと大丈夫だ」
「ありがとうございます」
「では、私たちはこれで。またお話ししましょう」


 食堂で昼食を終えて帰ろうとすると「大将」と薬研藤四郎が誰かを呼ぶ。
 そういえば、あの時はそう呼ばれた気もするなと思っていると腕を引かれた。
「大将、呼んだのに返事がないなんてひどいな」
「……わたしのことだったんですか?」
 目を丸くして返すに薬研藤四郎は盛大な溜息をついた。
「あんた以外に誰がいる」
 呆れもここに極めりといった表情で返されて「わたしは審神者ではありませんよ」とが返した。
「そんなことを言っていられるのも今のうちだぜ」
 薬研藤四郎は自信満々にニッと笑い、「そうだ」と何かを思い出す。
「大将、『薬研様』ってのもやめないか?」
「やめないか、と言われても……」
「『薬研』」
「無理」
「『薬研くん』」
「馴れ馴れしい」
「『ぼく』」
「根に持ってますね?」
「『薬研……さん』」
「それなら、まあ……」
「こっちも譲歩するしかないか」
 何の話か分からないが薬研藤四郎が呟いた。
「だったら、今度から『薬研さん』だ。いいな?」
「はあ……」
 曖昧に頷いたに「絶対だぞ」と言って彼は去っていく。
 何だったのだろうか、と首を傾げていたもそれから約三か月後にその意味が分かった。




 入庁して一年で異動。しかも、異動先があの第三庁舎だと知って、同期のほとんどに同情され、一方で良からぬ噂を流された。
 第三庁舎は、対審神者部署だ。表向きは閑職で、左遷先と認識されている。
「はぁ……」
 給料が変わらないからいいけれど、あの神気を浴び続けなければならないのかと思うと気が重い。
「よう、大将」
 庁舎に入ると薬研藤四郎が立っていた。
「こんにちは、薬研様」
「おいおい、もう忘れたのか?」
 肩を竦めて手を広げるその仕草は日本刀がするものではないと思ってしまった。
「失礼しました。薬研さん」
「そうだ」と彼は満足そうに頷く。
「それで、何の用ですか? 山姥切長義様にわたしと話をしているの見られたらまた叱られますよ」
 の言葉に薬研藤四郎は首を傾げる。
「なんだ、まだ聞いていなかったのか。ここに来たのだからもう知っているものと思っていた」
「はい?」
「今日から俺は政府所属の刀剣男士だ。そして、俺の主はあんただ、
「……はい?」
「そら、行くぞ」
 自体を飲み込めないままは薬研藤四郎に手を引かれて歩き出す。




 政府預かりの薬研藤四郎は修行に出て、とある人間の傍で歴史を守る任務を遂行することに己の在り方を定め、そして今、その者の手を引き新たな道を歩き出した。









桜風
19.10.5


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