これからはじめる恋物語
壱
前の審神者が引退して三日後に迎えた新しい審神者は、巫女装束によく似た和服を纏った十六歳の少女だった。
大広間に集まった刀剣男士たちを前にして口にした挨拶は緊張していたせいか、たどたどしく、皆の目には少し頼りなく映った。
それは、梅雨が明けて数日たった頃のことだった。
「ここが執務室。初代からずっとここを使ってるけど、別の部屋が良かったら言ってね」
「いいえ、こちらでお願いします」
「ん。あと……そうだな、部屋はどうする?」
この本丸の初期刀で歴代審神者の近侍を務めている加州が案内役を買って出た。
審神者は加州の言葉をノートに書き留めながら説明を聞いている。
「部屋、ですか?」
「そ、部屋。初代は、この奥の部屋を私室にして、こっちを執務室にして生活してたんだけど、前とその前の主は別の、ほら見えるでしょう。あの離れを自分の部屋にしてた。他の部屋でもいいけど、日当たりがいいのは、この部屋とあの離れかな」
「奥の部屋で」
「わかった。生活してて別の部屋が良いいと思ったら遠慮なく言ってね、用意するから」
「ありがとうございます」
「あとは……本丸の中を案内したいんだけど、今からでも大丈夫?」
「はい、お願いします」
ちらと見えたノートには大きさと間隔が均等な文字が並んでいる。もしかしたらこの子は人間ではなくロボットではないかと思ってしまったほどだ。
「んじゃ、まずは厠。トイレはここ」
廊下に出て加州は案内を始めた。
少し歩みが遅い審神者を振り返ると庭を眺めていた。
「主?」
「ごめんなさい」
「庭は後で案内するから、まずは建物ね」
「はい」
小走りで追いついた彼女に釘を刺して加州は案内を続けた。
食事の時間、内番の当番表、厨と風呂。
「あ、そうか……」
加州は呟き、審神者を振り返る。彼女は熱心にメモを取っていた。
「主、風呂が要るね」
「お風呂、ですか?」
これまでも審神者がいたのだ、風呂には困っていないだろう。何より、刀剣男士は人間の姿をしている。風呂にだって入っているはずだ。そして、今案内されているのが、その風呂であり、どういうことだろうと彼女は首を傾げた。
「今までこの本丸に就任した審神者って三人いるんだけど、みんな男だったんだよ。だから、風呂の時間が俺たちと被っても気にしてなかったんだ。でも、主は女の子だからそういうわけにはいかないでしょう」
なるほど、そういうことか。
「わたし、いちばん最後でいいですよ」
「そういうわけにはいかない。この風呂をみんなで使っていくなら、主が一番最初。臣下が主より先に風呂をもらうわけにはいかないでしょ」
とはいえ、肉体労働をする刀剣男士よりも先に風呂に入るのは気が引ける。
「何より、ばったり出くわすと拙い」
「拙い、ですか」
「拙いよ。主、女の子でしょう?」
こくりと頷く審神者に加州はため息を吐いた。
「俺みたいに気を遣おうとするのも結構いるけど、気にせずに入ってくるやつもいるかもしれないし。いや、確実にいると思うし」
「でしたら、やはり一番最後がいいのでは?」
「『最後』っていうのが難しいんだ。夜中に遠征から帰ってきてひと風呂浴びて寝るっていうのもいるし。温泉だからお湯の心配をせずにいつでも入れるけど、やっぱり最初とか最後とか難しいね。ちょっとこっちで考えてみるよ」
「ご迷惑をおかけします」
眉を下げていう審神者は「いいって」と加州が笑って応じた。
「掘ったら出るかな、温泉」など独り言を口にしながら次の案内場所に向かう。
そんなに簡単に温泉が湧くようなところなのか、と彼女はノートにメモした。
建物内の説明が終わり、「んじゃ、外ね」と加州が階段を降りていく。
草履が二つ並んでいた。
加州がひとつ履き、「主はこっちね」ともうひとつの草履を指さした。
「これは共用。庭に降りたくなったら草履があるところから降りたらいいよ。自分の履物持ってくるの面倒でしょう? 同じ場所に返さなくてもいいから」
「わかりました」と頷いた彼女は草履を履いた。
「厩と畑と、あと倉庫と蔵。用事がある場所って言ったらそこらへんかな。あとは、庭の花とか色々」
「満天星躑躅、ありますか?」
「あるよ、好きなの? 初代の主がさ、突然「孫が生まれたから」って張り切って植えたんだ。それはおめでたいって、みんなで手伝った。今は花の時期じゃないけど、見てみる?」
「はい」
加州に案内されて満天星躑躅が植えてある場所に向かう。
「夏の初めというか、桜のあとくらいかな。たくさん咲くよ。来年楽しみにしてなよ。ああ、その前に秋の紅葉があるね。初代の主は俺たちを巻き込んでなんか色々やったからさ、よく思い出す。藤棚も造ったんだ。後で案内するね」
「お願いします」
「初代の主がピンピンして引退したからさ、審神者との別れってそういうもんだと思ったんだけどな……」
零した言葉は寂寥の色が濃く、審神者は言葉を探したが見つからない。
「って、ごめん。就任したばかりの主に零す話じゃないね」
「いいえ。あの、加州さんが嫌でなければ初代様より後の審神者がどのようにしてこの本丸を去っていったのか教えてください」
「……主こそ、聞いて大丈夫?」
「いつか、わたしが迎えるかもしれない未来なので。知っておきたいんです」
「始まったばかりで終わる話をしないでよ」
笑った加州に「ごめんなさい」と彼女は頭を下げた。
その日の風呂は、加州が番をしてくれて無事に入ることができた。
確かに、これを毎日お願いするのは気が引ける。
翌日、朝食が終わってすぐに加州が温泉を掘ると言い出した。
「そんな簡単に湧くものか?」
腕まくりをしながら同田貫が問う。
今回の主が女の子だから風呂が云々というのは正直どうでもいいが、体を動かすのなら協力しようということらしい。
今回の温泉掘りは自由参加としているが、基本的に手が空いている者たち全員が参加している。何かを造るという話になれば自然と参加者が集まる。
「初代の主が結構気軽に穴掘ったら温泉ができたし、ここってそういう土地なんじゃないの?」
そんなこともあったな、と初期から顕現していた者たちは遠い目をする。
懐かしさもあるが、それ以上に色々とあったと当時の苦労を思い出したのだ。だが、楽しかった。
重機械がないため、基本的に手作業だ。
蔵に眠っていたスコップを取り出してきて皆が交代で掘っていく。温泉を掘り当ててから風呂の枠を造って脱衣所も確保していこうという話になったらしい。ひとまず、今の風呂場のすぐ傍から掘り始めた。
何か手伝えることはないかと審神者が問うたが、誰もが「任せておいて」というだけで、手伝いを拒む。
考えて、彼女は厨に向かった。
「お、当てたぞ」
噴水のように勢いよく湧き出てきたわけではないが、じわりと湯が湧いてきた。
「んじゃ、ちょっと休憩してからまた掘っていこうか。ここで当たりみたいだし」
加州の仕切りに皆が頷いた。
「ちょうどよかった。おにぎり作ってきたよ」
大きな盆にたくさんの握り飯を乗せた燭台切と歌仙がやってくる。それに続いて審神者もやってきた。彼女も小さめではあるが盆を持っている。
「これ、主さんが握ったのもあるの?」
乱に問われて審神者は視線を外して「ありません」と返す。
「そっかー、残念」
それならどれを取っても同じだ。
「主、料理苦手なの?」
握り飯に手を伸ばしながら加州が問う。握り飯を料理と評価していいのかという問題はこの際置いておく。
「得意ではないみたいです」
みたいです、という表現に首を傾げながらかぶりついた握り飯には梅干しが入っていた。
「力加減が難しかったみたいだよ」
こっそりと燭台切が加州に耳打ちをした。
おにぎりの形を整えるのって意外と難しいもんな、と納得して頷いた。
休憩を挟んでまた作業を再開する。
まずは風呂の枠を作っていこうという話になった。この様子なら、湯は十分に確保できそうだし、湯を貯められる状態にしておいた方がいいということになった。
ただし、今日明日で新しい風呂を確保するのは難しいという話になり、その間は審神者の入浴中は加州が見張りをすることとなった。
「わたしが就任したから、皆さんに余計な作業をしていただいていて……」
肩を落としながら洗い物を手伝っている審神者が零す。
彼女の手伝いの申し出については、最初は断ったが、「みなさんがわたしのために色々と働いてくださっているのに何もしないのは申し訳ないです」と訴えられて彼女の気持ちを尊重することにした。
おにぎりを握るのは刃物を使うでもないため危なくないし、洗い物も然りだ。包丁は早々に洗って仕舞ってある。
「うーん、そうだね。でも、この本丸の僕たちは初代の主が色々とものを造りたがる人だったから一緒に作業して慣れてるし、楽しいって知ってるからね。確かに、女の子の主は初めてだからどう接していいかわからないっていう人たちもいるとは思うけど、迷惑とは思っていないよ」
にこりと笑って審神者に言うと「本当だ」と彼女は呟く。
「どうかしたかい?」
「いいえ。ありがとうございます。頑張ります」
「……ほどほどにね」
審神者が就任して二日目だが、放っておくと頑張りすぎて倒れてしまうのではないかと思う程度には生真面目な性格の印象がある。
弐
審神者の生活環境が整ったある日、審神者が加州に頼み事を口にした。
「順番? 俺じゃダメなの?」
窺うように加州が問う。
審神者は近侍を順番にしてほしいと言ったのだ。彼女が審神者に就任してからずっと加州が面倒を見ていた。それが近侍としてのお役目だ。
だが、ここにきて近侍を変えたいというのだ。
「いえ、加州さんはとても良くしてくださっています。わたしがここの生活で困っていないのは加州さんのお陰です。色々と気遣っていただいていますし」
「でも、俺じゃダメなんだ?」
「ダメというわけではなく、皆さんを知りたいんです」
加州は首を傾げて審神者に続きを促した。
「わたしは、この先色んな戦況に対応して作戦を立てていき、指揮をしていく必要があります。その時、皆さんの性格や考え方を知っていた方が成功率が上がると思うんです。きっと政府は無茶なことを平気で命じてきます。そして、それをみんなで無事に乗り越えられるように作戦を立案するのがわたしの役目です。だから、皆さんのことをよく知っておきたいんです」
審神者の言葉に加州は納得した。
「わかった。順番はどうする?」
「顕現順はどうでしょうか?」
「そだね、わかりやすい」
「では、明日加州さんからスタートでお願いします」
「俺、まだ主の近侍できるの?」
「だって、このルールなら、まずはこの本丸の初期刀の加州さんからでしょう?」
「……そか。わかった。んじゃ、明日も俺が近侍を務めるよ」
「皆さんには夕飯の席で言おうと思います。遠征に出られている方もいらっしゃいますが……」
「場合によっては繰り上げて、帰ってきたときに近侍ってことにしよう」
翌日から内番の中に『近侍』が加わった。
本丸に在る刀剣のほとんどは初めての近侍となる。加州に近侍のいろはを教えてもらい、その任に臨む者などもいた。
確かに性格が出るな、と加州は納得した。
この本丸ができて以来、基本的に加州が近侍だった。彼が出陣して不在となったら初鍛刀の乱が近侍の役目を引き受けたり、世話が得意な者たちが買って出ていた。
◇◆
「主ってさ」
加州が声をかけた。今は軍議中だ。新たな時代への侵攻が観測されたという政府からの連絡で出陣のための作戦会議を行っている。
「はい」
「審神者、初めてだよね?」
「初めてです。え、もしかして変な作戦でしたか? 問題があったら教えてください」
わたわたと慌てる審神者に「ううん、完璧だと思う」と加州が言い、軍議に参加していた者たちも皆頷いた。
良かった、と胸を撫で下ろす審神者は気持ちを切り替えたように短く息を吐いて、「では、第二部隊隊長、和泉守兼定。どうか、無事の帰還を」と部隊長に任命した刀剣に視線を向けて出陣を促した。
和泉守をその場で見送り、審神者は手元のタブレットを操作し始めた。
「何してんの?」
「あの時代への攻撃があるなら、おそらく……あった。第三部隊はこちらの時代に出陣してください。少しですが、揺らぎがあります。これから攻撃があるものと考えられます。 四部隊はそろそろ遠征から帰還しますね。戻ったら編成を変えて別の時代に遠征に出ていただきます」
てきぱきと指示を出す審神者に感心と驚愕の感情を孕んだ瞳が向けられた。
◇◆
「危ないですよ」
声をかけたが反応がない。
いつものようにノートに視線を落としながら歩いている審神者の向かう先は廊下の曲がり角。
つまり、そろそろ顔をあげて前を見なければ落ちてしまう。
しかし、審神者は顔をあげる気配がなく仕方なく明石は彼女に足を向けた。
「主はん」
あと一歩で欄干に脛を打つところで明石が審神者の肩を叩く。
「はい?!」
「危ないですよ」
「え? あ、ほんとだ」
「ほんとだ、やないですわ。ほんま、ちゃんと前を見て歩いたらどうです?」
「気を付けます」
「それ、何回目やと思ってます?」
明石に指摘されて審神者は「ごめんなさい」と素直に謝った。
彼女は素直だが、頑固でもある。これまでも何度か廊下で声をかけてそのたびに「気を付けます」と言っている彼女だが、相変わらずである。
「ほんで、どこに行く予定やったんです?」
「厨です」
「つまみ食いですか?」
「お手伝いに」
「ほどほどに」
「はい」と返事をして再びノートに視線を落として歩き始める審神者の姿に明石は再びため息を吐き、彼女の隣を歩き始める。
「今日の近侍は誰ですの?」
毎日近侍が交代となって二カ月が経過した。一巡するにはもう少しかかる。
審神者が口にした刀剣男士は、この本丸随一のマイペースな性格の持ち主だ。今回は、審神者の執務室で寝てしまったという。
流石の自分でさえそんなことをしなかったというのに、と明石は心底感心した。
「それで、放っておいてええですの? 近侍やのに」
「気持ちよさそうに寝ていましたから。それに、厨のお手伝いは審神者のお仕事ではないので」
「それがわかってて、どうして手伝いに行くんです?」
「手伝いたいからです」
「寝る間を惜しんで勉強して、手伝いもして。主はん、働き過ぎですわ」
「わたしなんて、大したことないですよ」
審神者のこの言葉が謙遜でなく、本心だということに気づいたときには大いに驚いた。
先日の時間遡行軍の新しい時代への侵攻も新人だというのに難なくこなした。
正直、もう少し被害を出すかと思っていたが、彼女の采配は隙がなく、ベテラン審神者でさえてこずったらしい出陣で軽傷となったのが数振りというだけの被害に抑えたのだ。
後日、こんのすけが政府の遣いとして本丸にやってきて審神者に褒美を渡していった。しかし、彼女はあまり嬉しそうではなかった。
「さすがあの方のお身内の方」
こんのすけはそう言ったのだ。審神者自身の実力ではなく、誰かのお陰だと言っていた。
これには加州が大層憤慨した。
「主が作戦立てて采配したのに、なんで別の人を引き合いに出すんだよ。主は自分がやったんだって、自分だからできたんだって胸を張っていいんだからね」
加州の言葉に「ありがとうございます」と返した彼女はおそらく彼の言葉を素直に受け取れなかったのだろう。
「主はんのお身内に審神者は多いんですか?」
思い出してしまったので、ついでに訊いてみた。
「いいえ。審神者って、自分の意思でなれるものではないんです。適性を持っていれば強制的に審神者にならなくてはなりません。だから、適性がなければなりたくてもなれないし、適性があればなりたくなくてもならなくてはならないんです。適性は遺伝かもしれないという話もありますが、まだ確証のない話のようですよ」
「……ほな、主はんはなりたくなかったんですか?」
「ごめんなさい、言い方が悪かったですね。わたしは、審神者になりたくてなりました。幸いにも適性がありました。かつて、わたしの祖父が審神者だったんです。今は亡くなっていますけど、わたしは、その人に憧れました」
審神者がその任を終えるとき、それは決して穏やかなものではない。
二代目との別れは突然だった。朝、中々起きてこないため、加州が起こしに行くと布団の中で冷たくなっていたのだ。そして、三代目は急激に老化して審神者としての力を失った。まだ四十代前半の、いわゆる働き盛りだったのに、あとは静かに余生を過ごすしかなくなった。
きっと、この先も審神者との別れは突然訪れる。
「そうでしたか」
「あ、でも。すごく楽しい人生を送ったみたいなので」
明石の相槌に同情のような色が見えた審神者は慌てて言葉を加える。
そして再びノートに視線を落として歩き出した。
厨の前までやってくると、中の声が聞こえてきた。
どうやら加州もいるようで、明石はふと思い出す。
「主はん、今日はやめておいた方がええですよ」
明石の忠告が耳に入らなかったようで、審神者は気にすることなく厨に足を踏み入れた。
「お手伝いさせてください」
彼女の声に、厨にいた者たちは視線を向ける。
「いらっしゃい」
「今日の執務は終わったのかい?」
口々に言葉を向けられ、彼女はそれにそれぞれ言葉を返していた。
「どうして明石と一緒に?」
「主はんが、いつものようにノートを見ながら歩いていてはったから落ちないように護衛してたんです」
「え、今日の近侍は?」
加州が自分の記憶を辿り、当番となった刀剣男士を思い浮かべて「ああ……」と納得した。
そして、腕まくりをする審神者に視線を向けた。
手伝う気満々の彼女の目の下には隈がある。
「そうだ、主。昨日も遅くまで起きてたでしょ」
「え……起きてませんよ。早寝しました」
「今の言葉、俺の目を見ながら言ってごらん」
「ちょっと夜ふかししました」
「ちょっと? 『随分と』でしょ。あのね、主の部屋、日当たりがいいってことは見通しもいいんだよ。灯りがついてたら気づくって。今度夜ふかし見つけたら執務室と私室は強制的に分けるからね」
加州の言葉にしゅんと肩を落として「気を付けます」と彼女は返す。
「まあまあ、加州くん」と執成すのは燭台切で、「主、加州の言うとおりだよ」と歌仙が追撃する。
「君はまだ子供なんだ。子供はよく寝てよく食べてよく運動をする事が大事だ、と初代の主が言っていたよ」
「……はい」
「まあ、主はんも反省したみたいやし、その辺でええんとちゃいます?」
カラッと揚がっている唐揚げに手を伸ばしながら明石が審神者を庇った。
どうしてそこまで一生懸命なのかいまいちわからないが、やりたい人はやればいいとも思う。
もちろん、彼女はこの本丸の審神者なので、体調を崩すほど根を詰めるのはよくないとは思うが、それでも「ダメ」を連発されるのは窮屈だろう。
「明石、つまみ食いしちゃダメだろ」
こちらもダメだしされてしまった、と肩を竦めてもうひとつ摘まみ、「主はん」と声をかけて審神者の口に入れてみる。
「美味しいです」
目を輝かせて彼女は感想を口にした。
「主が好きだと言っていた竜田揚げだよ」
審神者に注目が集まっているのを確認して明石はもうひとつつまみ食いをする。
「明石」
しっかり目撃されていたようで、明石は肩を竦めた。
夕飯の時間になり、適当に着席する。席が決まっていないため、各々が自由に座るのだが、大抵の者が毎回同じところに座ってしまい、結局席が決まっている状態になっている。
明石が座り、隣に蛍丸と愛染が座った。
明石の前に配膳された皿の上の竜田揚げが蛍丸たちより少ない。
「国行、つまみ食いしたのかよ」
「いけないんだー」
同派の二人に言われて「はいはい、すんません」と適当に返しながら審神者に視線を向けると、彼女の前に置かれた皿の上には竜田揚げが小山になっている。
「なんで……」
思わず零した抗議の声に応える者はなく、愕然とした表情の明石を哀れに思ったのか「仕方ねぇな、ひとつやるよ」と愛染がひとつ分けてくれた。
夜中に目が覚めて用を足しに部屋を出た。
ふと思い出して遠回りをして審神者の部屋が見える廊下を歩いてみたが、明かりは灯っていない。
流石に今日注意されてその晩に夜ふかしをすることはなかったらしい。
肩を竦めて部屋に戻ろうとしたところで、薄ぼんやりと光る場所を見つけた。
「なんや?」
呟いて足を向けてみた。
「夜ふかしはあかんって言われたばかりやないですか」
「ひゃっ」
ふいに声を掛けられて審神者は小さく悲鳴を上げた。
「明石さん」
「また加州に見つかったら叱られますよ」
彼女の傍に腰を下ろした。見上げていては首が痛くなるだろう。
「で、でも。部屋じゃないし。ほら、仕事でもないんです」
「ほら」と言われても、と思いながら彼女が手にしているものを見た。
少し古ぼけたノート。手にしているもの以外にも傍に数冊置いてある。
「なんですの?」
「先輩たちの日記です。審神者って突然いなくなることがあるじゃないですか。後任が困らないようにって残してくださってたんです。基本的に本丸の運営は刀剣の皆さんがいてくださるから回るんですけど、審神者として、というか、皆さんのことをわからないと難しいこととかあると思うので。初代様が日誌を付けられていて、それを継がれてきたみたいです」
「そしたら、それに自分らの主はんたちからの評価が書いてあるってことですか? 自分のは、バッテンがたくさん付いてそうやわ」
嘆くように呟く明石に小さく笑った彼女は「大丈夫ですよ」と返した。
「評価、というと厳しく聞こえるかもしれませんけど、審神者から見た皆さんの立ち位置というか印象を書いているんです。……例えば、どなたもおっしゃっているんですけど、加州さんは本丸のお母さんだとか」
「……なるほど」
納得してしまった。
初期刀だから彼が基本的に審神者の傍にいるし、不便がないように気を回して刀剣たちの面倒を見ている。結果、お母さんのようになってしまっているのだ。
「あとは、本当に日記です。初代様が膨大に書かれているんですけど、藤棚を造ったとか、庭の池に鯉を放ったとか。楽しそうですよね」
「そうやねぇ」
同意してもらえたことに安心して審神者は再びノートに視線を落とした。
本当は部屋に帰って寝るように促すべきなのはわかっているが、部屋に帰ってもこっそりとそれこそ月明かり程度でも読み続けるだろうと思い、灯りを用意して読む方がいいだろうと諦めた。
「でも、どうしてここで? 主はんの部屋から少し遠いですよ?」
「はい?」
「いや、ここでこんなことをしてる理由を聞いてみたんです」
「ああ。昼間、加州さんが言ってたじゃないですか。わたしの部屋は日当たりが良くて、つまり見通しがいいって。だったら日当たりが悪いところなら見つからないかなって。見つかっちゃいましたけど」
肩を竦めて笑う。
「ほどほどにしとかんと、昼間に眠たくなってしまいますよ」
「はい」
ほどほどにする気がないことを察した明石は欠伸をひとつしてそのまま審神者の傍に控えた。
しばらくしてぱたりとノートが審神者の膝から滑り落ちた。
視線を向けると彼女が船を漕いでいる。
「まったく……」
ノートを掴んでそのまま審神者を横抱きにして部屋に運ぶ。
執務室までしか入ったことがないが、その奥の寝室まで足を踏み入れて彼女を寝かせて部屋を出た。
自室に戻ろうと廊下を歩いていると「主の部屋で何してたの」と殺気を向けられる。
視線を向けるといつでも鯉口を切れる姿勢を取っている加州の姿があった。
「待って」
「何をしていたの?」
「ほんま、ちょお待って。まず、これ、自分から聞いたってのは内緒やで?」
両手を上げて降参する明石の様子に、ひとまず加州は臨戦態勢を解いた。
「主はん、部屋から離れたところで昔の主はんたちの日誌を見てはったんや」
「昔の主? 初代から?」
「せや。どうも、初代様が始めたことで、そのまま後も継いで来られてたみたいで、それを見つけたんやろうな。仕事の話というよりも、この本丸の歴史を眺めてたって感じやった。けど、部屋で読んでたら灯りがついてるって部屋を没収されかねないからって隠れて読んでたみたいやわ。たまたま灯りが目に入って主はんを見つけたから付き合ってたんやけど、船を漕ぎ始めたから部屋に送った。ただそれだけや」
「……ふーん」
「今回の主はん、どないに言うても結局気が済むまで仕事すると思いますよ。厳しくしても逆効果で、むしろ見守った方がこっちも安心と違います?」
「そうね……そうかもね」
深いため息を吐いて加州は相槌を打った。
「初代の主みたいだね」
「似てはるんです?」
「え? ああ、明石は三日くらいしか一緒にいなかったから初代のことあまり知らないんだよね。最初はね、あの人もすごく根を詰めて仕事してたんだよ。「ちょっと休憩したら?」って声を掛けたら「もう少し」って言って、夜中までぶっ通し。そうだな、初代の主が「適当」ができるようになったのは、この本丸が襲撃されてからかな」
「ここ、時間遡行軍に襲撃されたことがあるって聞いたことありますけど、ほんまやったんですか」
「デマでそんな話しないって。まあ、あの時はまだここの戦力も整ってなかったから正直本当に拙いって思ったけど、主が木刀で時間遡行軍ぶっ飛ばしたの見たときにはちょっとこの人ちゃんと人間なのかなって思ったし、それ以降主は手を抜くってことを覚えたような気もしたな」
「時間遡行軍をぶっ飛ばしたんですか? ほんまに人間ですか?」
「人間だったよ。……わかった。今回の主はちょっと緩くしておこう。自分に厳しくし過ぎる嫌いがあるから俺たちは甘やかす方向で。あと、頑固そうだ」
「それは同感です。頑固やと思いますよ」
「んじゃ、俺も寝ようっと。おやすみ」
納得してくれたようで加州はそのまま自室に帰っていった。
明石は安堵の息を吐き、彼もまた自室に戻っていった。
参
廊下を歩いていると向こうからいつもの巫女装束によく似た服装ではなく、訪問着に着替えた審神者が歩いてきている。着物を持っているとは思っていなくて少しだけ驚いた。
「主はん」
「あ、こんにちは」
声をかけると挨拶を返された。足を止めることなく彼女は門に向かっていく。
「ちょお、待って。どこに行くんです?」
「万屋に。わたし、赴任してから一度も行ったことがなかったんです。必要なものは万屋で買えるって聞いたことがあるので行ってみようかなって」
本丸の外は普通の街並みだ。その中に、政府が『万屋』を置いている。情報収集のため現地で店を開いているのだ。
道具ならば政府から直接購入することもできるが、情報は現地でしか仕入れられない。
このため、先日政府から一度万屋を訪ねるように促されたのだ。本丸の中での仕事にも慣れてきたため、外に出てみようという気になった。
「誰がついていくんです?」
「一人で行く予定でしたよ?」
明石は天を仰いだ。この子は本当に……
近侍当番も今日で一巡となる。二巡目からは希望者のみとしてくじで順番を決めることとなった。希望者のみとしたのは、近侍をしていたら出陣できないため、出陣機会が確実に一回は減ってしまうのを不服に思う者たちがいたからだ。
最初の近侍当番は審神者の希望だったため主命と割り切って付き合ったが二巡目からはもういいだろうという声が上がり、その意見を採用してこのようなことになった。
明石はもちろん、近侍希望者だった。出陣機会が確実に一回は減るのだ。
とはいえ、近侍希望者が多そうなのであまり効果は期待できない。
ひとまず、あと一週間は近侍当番希望者受付期間中で、順番が決まるまで加州が近侍を務めることになっている。
「今日の近侍は?」
「わたしの仕事は一時間ほど前に終わりました。厨に行くとおっしゃっていたのでそちらではないかと」
近侍当番だから、と審神者が寝るまで一緒に居る者もいれば彼女の仕事が終わるまでと割り切る者もいる。
「わかりました。門のところで待っとってください」
肩を落として言う明石に審神者が首を傾げる。
「お供しますわ」
「そんな、悪いですよ。大丈夫です」
「主はん、外は初めてでしょう?」
確かに、と彼女はぐっと言葉に詰まった。
「待っとってください。自分、取ってきます」
念を押した明石はガシガシと頭を掻きながら自室に向かっていった。どうしてこんなタイミングで出会ってしまったのかと思いながら。
「あれ、主さん」
「どうしたんだよ、余所行き着で」
蛍丸と愛染が審神者の姿を見かけて声をかけてきた。
「これから万屋に行こうと思いまして」
「供は? オレが一緒に行くか?」
「ありがとうございます。でも、さっき廊下で明石さんに出会ったらついてきてくださるって言われて」
蛍丸と愛染は顔を見合わせて同時に審神者に視線を向けた。
「じゃあ、俺もついていく」
「オレもー」
「来派の皆さんとお出かけですか。楽しそうですね」
審神者がにこりと微笑んで言うと「なら、自分要らんやないですか」と背後から声を掛けられた。
振り返ると刀を佩いた明石が立っている。内番着から着替えてきたのだ。
「護衛を買って出たのは国行でしょ」
「そうだぜ。オレたちだって護衛はできるけど、面倒に巻き込まれる可能性はある」
蛍丸と愛染の言葉にため息を吐いて「ほな、仕方ない」と明石は審神者の隣に立った。
本丸の外に出るのは初めてで、審神者は落ち着きがなく、思わずきょろきょろしてしまう。映像で目にするような街並みだ。自分が育ってきたところとは随分と異なる。
「前を見て歩いてください」
「ごめんなさい。楽しくて」
万屋は本丸からそう遠くないない場所にあった。
主に日用品が売られており、政府が決めた合言葉で審神者用の商品を案内するようになっている。
「何か必要なものがあったら言ってください」
ついてき三人に声をかけて審神者も店の中を眺めて歩く。
マニキュア、かんざし、扇。女性ものの小物が多いようだ。紅もある。
「主はんは何か買いに来たんですか?」
「情報を」
そんなものが買えるのかと明石は驚いた。
「明石さんはこれまで万屋に来たことがあるんですか?」
「あの二人の付き添いで二、三回くらいなら」
少ないほうだ。外出自体が面倒くさいため、その程度しか来たことがない。休みなら部屋でゴロゴロしていたい。
「主さん」
「買い物は終わったか?」
「お二人は?」
「俺たちは、今日はいいよ」
「では、少し待っていてくださいね」
そういって審神者は傍の棚からマニキュアを手に取り、客足が途切れるのを待って店主に声をかけた。
「あれ、今何か入れた?」
マニキュアを袋に入れるところで、何か別の紙も入れたように見えたのだ。
「情報を買いに来たそうやで」
明石の言葉に、なるほどと二人は納得する。
「お待たせしました」
「その爪紅、主さんが付けるの?」
蛍丸に問われて「加州さんに使っていただこうかと」と審神者が返すと「それはちょっと……」と愛染が言う。
「どうしてですか?」
「誰かが主さんから何かもらったって聞いたら、自分も欲しいって言い出すやつら結構いるぜ」
そういうものなのか、と彼らの言葉に納得したが、そうなると困ったことがひとつある。
「でも、さっき買ったマニキュア……爪紅は結構濃いめの色なのでわたしが付けると派手かもしれません。替えてもらえるでしょうか」
「気にすることないって。いいんじゃねぇの?」
「うん、きっと似合う。ね、国行」
「は? あー、自分そういうの、よおわからんわ」
「好きか嫌いかの話だろ」
「そうは言われてもなぁ……国俊みたいにお姫さんの傍にいたわけでもないし」
「じゃあ、気合を入れるときにつけることにします」
困った様子の明石に申し訳そうな顔を向けて、審神者は言った。
本丸に戻る途中に茶屋がある。万屋に向かっている時も思ったが、団子が美味しそうだ。
「寄っていきません?」
審神者の提案に反対する者はなく、四人は茶屋に向かった。
団子と煎茶を注文する。
「あ、そういえば。万屋さんまでの途中に羊羹売っているお店なかったですよね?」
審神者が問うと「あれとちゃいます?」と明石が視線を向ける。
「あ、多分あれだよ」
「暖簾ちっせーなー」
「え、どこです?」
三人が視線を向けている先を見てもわからない。万屋の看板がかろうじて目に入るくらいだ。
「あそこですよ」
審神者と目線の高さを合わせるために彼女に顔を寄せて明石が言う。
「見えない」
「蛍丸と国俊も見えてるなら、視線の高さの話やないですね」
「視力の問題だね。主さん、目が悪いの?」
「いいえ、どちらかといえばいいほうです。でも、明石さん眼鏡なのに」
「これ無くてもまあまあ見えますよ、ほんまは」
「え、ズルい」
「お待たせしました」
注文した団子が運ばれてきたため、ひとまず話を終えた。
「あの、どなたか一本召し上がっていただけませんか?」
「主さん、食べれないの?」
「いえ、入るとは思うんですけど。夕飯が入らないとそれはそれで買い食いがバレる上に叱られてしまいます」
「主、食事の前におやつは禁止」と腰に手を当てて叱る加州の姿が皆の脳裏に浮かんだ。
「じゃあ、俺に頂戴」
「え、オレも食べたい」
「ほな、自分のもあげるから一本ずつ食べたらええわ」
明石が差し出した一本を愛染が受け取る。
「ごめんなさい」と審神者が声をかけると「成長期はもう終わってますから」と明石が返した。
「いや、オレらも成長期ないんだけど」
苦笑しながら愛染がツッコミを入れた。
「それで、主はんはそこの羊羹を食べたいんですか?」
串を皿に置いて湯呑に手を伸ばしながら明石が問う。まだ団子の一つ目を咀嚼していた審神者はこくりと頷いた。
お茶を飲んで「はい」と改めて返事をする。
「んじゃ、オレたちがひとっ走りしてくるわ」
「そうだね。団子のお礼」
団子を三本ぺろりと平らげてお茶を飲み干した二人が言う。
「え……」
「遠慮すんなって」
「すぐだし」
躊躇った審神者の様子を『遠慮』だと思った愛染が言い、蛍丸もその気になっている様子だ。
「じゃあ、お願いします。本丸の皆さんの数だと……」
「一竿買うて厨の番人たちにえらいうっすく切ってもらえばええんとちゃいます?」
「それはちょっと……」と苦笑した審神者は指折り数えて「五竿あれば足りますかね」と数を示した。
「わかった」と頷いて二人は席を外した。
「……自分で行きたかったんと違います?」
「へ?」
二個目に手を出そうとしていた審神者が明石に問い返す。
「羊羹、本当は自分で買いに行きたかったんやないんですか?」
「……まあ」と審神者があいまいに頷くと明石はため息を吐いた。
「言うたらええやないですか」
「でも、お二人は親切で仰ってくださったので」
「そら主はんが店に行きたいって思ってないからですよ。後で主はんが店に行きたかったって知ったら落ち込みますわ。ちゃんと自分の思いを言うたってください。それは、優しさやないですよ」
明石の指摘に「はい」と審神者は俯いた。
気落ちした審神者の姿に、ちょっと強く言い過ぎてしまったと明石は反省し、この空気をどうにかしたいと思って話題を探してふと思い出した。
「加州が言ってましたけど、主はんは初代様と似てはるそうですよ」
「え? 本当に?」
「自分は初代様とそんなに話をしたことがないんでよおわからんのですが」
「そっか」と呟いた審神者の声は少し弾んでいた。気落ちしていた様子が緩和された様子で明石も一安心だ。
しかし、木刀で時間遡行軍をぶっ飛ばす審神者と似ているといわれて喜ぶとはどういうことだろう。とはいえ、かの審神者は伝説になっているだろうし、その人と似ていると言われれば審神者としては嬉しく思うのかもしれない。
「せや。ちょっと足を延ばさなあかんみたいやけど、夏祭りしてるみたいですわ。さっき万屋で耳にしました。今年は終わったらしいですけど」
「お祭りですか? じゃあ、来年行きたいな」
「ええんとちゃいます? 主はん、自分と違っていつも根を詰めてはるから羽を伸ばすって言ったらみんな賛成するはずや。供を買って出るのも多いと思いますよ」
「明石さんは興味ないですか?」
「そんなはしゃぐ性格でもないですわ」
「じゃあ、来年、一緒に行きませんか?」
「まあ……気が向いたら」
供を買って出る者が多いと思うと話をしたのに一緒に行こうと誘われてしまった。
審神者が団子を食べ終わっても二人が戻ってこない。
勘定を済ませて店の外に出ると遠くに二人の姿があった。しかし、二人だけではなく、数人の男に囲まれていて何やら揉めているようだ。
「ちょお行ってきますわ。主はんはここで待っといてください。変なのに絡まれそうになったら店の中に避難してくださいよ」
蛍丸と愛染が自分たちでは面倒ごとに巻き込まれる可能性があると言ったように、面倒ごとに巻き込まれたようだ。
子供の姿をしていると時々変なのに絡まれることがある。
小走りで彼らに向かっていった明石が彼らに絡んでいる男たちに話をしている。
「本当に保護者みたい」
審神者はぽつりと呟く。
やる気がない、と口にする割に面倒見が良い。
少しやり取りをして、ひとまず『穏便』に話がついたらしく、三人が戻ってきた。
「主さん、ごめん」
店に入る前にごろつきに絡まれてしまい、その間に店が閉まったらしい。
「大丈夫です。あのお店が廃業しない限りまだチャンスがありますよ」
「さらっと酷いこと言いますね」
苦笑して明石が指摘する。
肩を竦めて審神者はペロッと舌を出し、「さ、帰りましょう。遅くなっても加州さんに叱られます」と言って彼らを促す。
城に戻ると加州が門の前で待っていた。
「主、出かけるなら一言声をかけて」
「ごめんなさい」
「……まあ、今回は護衛を連れていたみたいだからこれ以上言わないけど」
ちらと明石を見て加州が言う。
「夕飯、そろそろだから大広間においでよ。まさか、買い食いしてないよね?」
「大丈夫です」
していない、という嘘はつかない。
「早く着替えておいで」
背を向けて去っていく加州を見送り、皆はそっと息を吐く。
「明石さん、ありがとうございました」
「国行がいなかったら絶対にもっと怒られたよね」
「まあ、成り行きやし。主はん、これに懲りたらちゃあんと護衛を付けるんやで」
「はい」
◇◆
涼しくなったとはいえ、まだ夏の名残がある。
こんな日差しの中畑仕事など、と抜け出した明石が人に見つからないことが期待できる日陰を探していると審神者の執務室の近くに来ていた。
二巡目の近侍当番が決まり、今日は加州が当番のようだ。
二人は向かい合って座っていた。
加州が審神者の手を取ってマニキュアを塗っている。先日万屋で購入したそれだろう。
「国行、見つけた!」
「サボんなよ」
早々に捜索隊が組まれたらしく、思わず足を止めてしまった彼は蛍丸と愛染に捕まってしまった。
「あー、捕まってしもた」
棒読みで呟く彼に首を傾げた蛍丸たちの視界にも審神者の姿が入る。
彼女が廊下に出てきたのだ。
「主さん」
愛染の声に気づいて彼女は軽く手を振る。
「どうしたんだよ、珍しいな主さんがサボりなんて」
そう言いながら二人は彼女に向かっていった。
「加州さんに休憩を言い渡されました。今はこのとおり、爪を乾かさなきゃ何もできないんです。加州さんとお揃いです」
「へー、きれいじゃん」
「さすが加州だな。な、国行」
当然、一緒に審神者の傍に来ていると思っていた明石の姿はなく、二人は少し慌てたが、彼の背が向かっているのは畑だった。
「え、戻るのかよ」
「どうしたんだろう」
顔を見合わせる二人に「休憩していただけじゃないんですか」と審神者が言う。
先ほどは「捕まってしまった」と言っていたのだからおそらくサボりで間違いないのだろうが、やる気を見せるなら文句はない。
二人は明石を追いかけることなく、審神者の休憩時間に付き合った。
肆
庭の満天星躑躅の葉が紅く染まってきた。
その日は明石が近侍当番だった。
昨日、気が向いたからとか何とか自分に言い訳をしながら万屋に足を運んだ。
違う、と思ったのだ。
先日審神者が購入したマニキュアは紅が強く、加州が塗っているものと色が近い。購入した時に彼女が自分には派手過ぎると評していた。実際、それを付けた彼女の姿を目にした。似合わないとは思わない。だが、違和感が強かった。
こんなところを仲間に見られたら面倒だ、と思いながらも明石はマニキュアを眺めてひとつ選んだ。
薄紅色。春を思わせる色だ。季節外れも甚だしいとは思ったが、彼女の印象に近い色はこれだった。
購入したは良いが、審神者にどういって渡そうかと悩む。何せ、あのマニキュアが似合わないというわけではない。自分の中で生じた違和感を拭うためのこれなのだ。
「なあ、主はん」
作業をしている審神者に声をかけた。
返事がない。
彼女は集中力が高く、しかも長続きするため放っておくと一日中でも仕事をし続けてしまう。
だから、近侍の最も重要な役割は『審神者に休憩を取らせること』となっている。
明石はため息を吐き、とりあえず、茶と菓子の準備をすることにした。
昨日、万屋に行った際、彼女が羊羹を食べてみたいと言っていた和菓子屋の前を通った。一度足を止めたが、あの時自分が察して、更には説教したのだ。買って帰るのはおかしい。何より、一緒に買いに行くという機会を失ってしまう。
取り敢えず、先ほど厨で審神者へのおやつとしてマドレーヌを受け取ってきているのでそれを出すことにしている。
「あかんなー」
ぽつりと呟く。どうも調子が狂う。
「主はん」
気を取り直して再度審神者に声をかける。返事がないため、彼女の肩にそっと触れた。
「はい!」
目を丸くして審神者は返事をして明石を見上げた。
「ぼちぼち休憩しませんか」
言われて時計を見ると、すでに二時間経過していた。
「そうですね」
就任当初はがむしゃらで休憩など取っていられないといった雰囲気があったが、ここ最近は休憩を取るだけの余裕は生まれたようだ。
「マドレーヌですか」
審神者は食べることが好きらしい。
「燭台切が「腕によりをかけて作ったからね」って言ってましたよ」
審神者が書類等を避けて机を広くしたスペースに茶と菓子を置く。
「ちょお、主はん待って。お茶淹れなおしますわ」
緑茶とマドレーヌはやっぱりおかしいだろう。
緑茶を淹れながらちょっとだけ「これ、違わへん?」と思ったが、最後まで作業をしてしまった。
「わたし、緑茶好きですから大丈夫ですよ」
「や、マドレーヌなら紅茶とかコーヒーちゃいます?」
「いいえ、これも結構乙なものです」
審神者は湯呑に手を伸ばして一口飲んだ。
気を遣わせてしまった、と反省しつつも彼女の心遣いに甘えることにした。
「そういえば、主はんの訪問着。こないだ万屋に行ったときの」
「はい。見ます?」
立ち上がろうとした審神者を「いや、今見たいんと違うんです」と制して言葉を続ける。
「ちょっと落ち着いた色と柄やったなと思って。主はん、ああいうのが好きなんです?」
「あれは、母からのおさがりなんです。まあ、母は祖母からのおさがりなんですけど。祖母が、二十歳のお祝いに作ってもらったものだったらしく、ちょっとわたしの年齢には合わないかもしれませんね。本丸の中で着てるこれは審神者に就任するときに用意したものですけど、持ってきている着物はだいたい祖母から母経由のおさがりです」
なるほど、と明石は納得した。ああいう落ち着いた色を好んでいるのかと今更ながらに心配になったのだ。
「主はん」
ポケットに手を突っ込んで彼女に声をかけたと同時にタブレットがけたたましく鳴る。
ここまで大きな音にしなくてもいいのだが、集中している審神者が気づくにはこれくらいの音量が必要なのだ。
慌てて音を止めて内容を確認し始めた審神者に明石はため息を吐く。何とタイミングが悪い。
政府からの通信文に目を通していた審神者の表情が険しくなる。
「また新しい時代への侵攻ですか?」
「んー……近いけど、ちょっと違います。呼び出しです」
「なんややらかしてもうたんですか?」
「いいえ、そういうわけでは。えっと、三日後の担当は……」
当番予定表を眺める彼女に「自分が同行しましょか?」と明石が名乗り出る。
これには審神者も驚き、ぽかんと彼を眺めた。
「いや。いうても、今日の指令でしょう?」
「まあ、そうなります」
「今日の指令の話なら、自分が当たるもんやないんかなって思ったんですけど」
「たぶん、凄く面倒くさい話ですよ」
審神者の言葉に少しだけ前言撤回したくなったが、それでもこれは自分が供をすべきだと思ってしまった。
「ええですよ」
「……じゃあ、明石さんにお願いしてもいいですか」
「拝命しますわ」
結局、ポケットに忍ばせていたマニキュアがその日のうちに彼女の手に渡ることはなかった。
◇◆
三日後、加州に留守を頼んで審神者と明石は政府の呼び出しに応じた。
呼び出されたのは彼女だけではなく、他にも十数人審神者が集まっていた。近侍はそれぞれで、ただ室内が一瞬だけ「明石だと?」とざわついた。
「有名人ですね」
審神者が見上げると「どーも」と明石が返す。
どの本丸でもやる気のなさを売りにしているのだろう。本来なら自分だってそうだ。
今回のこれは、いわゆる気の迷いというやつだ。
「愛だねぇ」
審神者が政府担当者から説明を受けている間、同行した刀剣男士は少し離れたところで待機するように言われていた。
審神者が戻ってくるのを大人しく待っていると隣に立っていた次郎太刀にそういわれたのだ。
「は?」
「だって、明石国行がこんな面倒くさそうなことに首を突っ込むなんて、愛でしかないでしょう」
「愛って……そっちの自分、そんなにやる気ないんですか?」
「ないね」
間髪入れずに言われた。
「まあ、その愛が家族愛なのか主従愛なのか、それとも女の子として見ている愛なのかはわかんないけど?」
「……ウチの次郎太刀の興味って、酒くらいなんやけど。そちらさんは違うみたいやな」
「んー? お酒は大好きだよ。それに、こういう話は、酒の肴にもってこいでしょ?」
なるほど、と納得してしまう。
「一番最後のだと初期刀が怖いよ、きっと。自分を顕現させた主じゃなくても、主ってのはどうしてか特別感が強いんだよね」
また別の刀剣男士が話に入ってくる。加州清光だ。
「あー、そうかも。ね、そっちの初期刀って誰?」
「加州清光ですわ」
「加州清光なら、きっと冷静に対処できるね」
よその本丸の加州が笑いながら言う。
「結構主大好き刀剣だと思うよー。ウチの山姥切国広もしっかり過保護になってるし」
次郎太刀の言葉に加州清光が笑う。
「ウチも同じ」
「明石さん」
いつの間にか審神者への説明は終わったらしい。審神者が声をかけてきた。
「こんにちは」とよその本丸の次郎太刀と加州清光にも挨拶をすると、彼らも口々に挨拶を返した。
「お取込み中ですか?」
「いや、暇つぶしです。ほな」
なるべく早くこの場を去りたい明石は、審神者の背を押しながら先ほどまで話をしていた二人に挨拶もそこそこに離れていく。
「またねー」
次郎太刀が愉快そうに手を振っていた。
「ほんで、何をするんです?」
「まずは、わたしが着替えます」
「着替え、ですか?」
「はい。あ、でもわたしよりも先に明石さんの方を済ませておきましょうか」
自分の方と言われた。何かしなくてはいけないらしい。
「ここです」と部屋のドアを開けようとした審神者を制して明石がドアを開けて先に部屋に入る。
「ほんで……自分は何をすればいいんですか?」
「これから庁舎の外の街に出ます。なので、一旦、刀の力を封じます」
「封じられた自分は、どうなりますの?」
「見た目どおりの年齢の人間のお兄さんに見えます」
「主はんに何かあったらどうするんですか?」
「刀の力を封じるのはわたしで、解放するのもわたしです。だから、一緒に行動してもらう必要があります」
「まあ、それはそのつもりですけど……」
別行動をしようなどとは思わない。
「……えっと、その前にお願いしてみてもいいですか?」
何かの儀式の手順を確認していたようだが、ふと審神者がその手を止めて窺う。
「なんですか?」
「『明石国行』を見せていただいてもいいでしょうか」
「自分を? 刀身が見たいんですか?」
明石の問いに審神者は頷く。
「ええですけど……」
何か不具合でもあるのかと思い、刀を渡す。
「失礼します」と一言置いて審神者は鞘から刀を抜いて「きれい……」と感嘆の声を漏らす。
審神者の零した言葉に明石はとてつもない恥ずかしさを覚えた。
山姥切ではないが、「きれい」とか言われると痒くなる。
しばらく審神者の様子を注意深く見ていたが、これは不具合どうのではなく、単に明石国行を鑑賞しているようだ。
「あの、主はん。そろそろ……」
羞恥に耐えられなくなった明石が声をかけると審神者ははっとしたように我に返り、「ごめんなさい、ありがとうございました」と納刀して明石に返す。
「なんやったんですか、今の」
一応聞いてみた。
「『明石国行』は美しい刀だと聞いたことがあったので、ぜひとも見てみたいと思っていたんです。本丸では刀を抜いてくださいってお願いしづらかったので。不躾なお願いをきいてくださってありがとうございます」
深く頭を下げた審神者に「奇特な人がいたもんですね」と明石が返す。
誰やそれ、と文句の一つも言いたくなった。
気が済んだらしい審神者は先ほどの儀式の手順を改めて確認し、「では、少し時間をくださいね」といって明石に向かって祝詞のようなものを口にし始める。長い呪文のようなものを言い終わり、最後に「明石国行・封」と言って彼の心臓の前に手を翳す。
「これで、おしまいですか?」
薄膜のようなものがまとわりついている違和感はあるものの、特に変化を感じない。
「おしまいです。鏡を見てみてください」
言われるままに、部屋に置いてあった姿見を覗いてみた。
「おお……人間みたいや」
「でしょ? では、わたしは隣の部屋で着替えてきますので、少し待っててください」
間もなく審神者が隣室から戻ってきて明石は眉をあげる。
基本的に彼女は和服で過ごしている。
本丸に居るときは袴で外出の時は着物。定期的に現世に戻る必要がある場合や今回のように臨時で政府に呼び出された時も和服だ。
だから、今の彼女の姿は新鮮で、少しだけ違和感を覚えた。
細身のジーンズにTシャツとパーカー。そして、長い髪はひとつにまとめて簪を挿している。足元は動きやすそうなスニーカーだ。
全体的に明るい配色で、彼女の年齢に合っている。ただし、普段落ち着いた色を着ているので、これまた違和感を覚える原因なのかもしれない。
「どうですか?」
両手を広げて右足を軸にくるりと一回転する彼女に「よく似合ってますね」ととりあえず肯定の言葉を口にすると「ありがとうございます」と礼を向けられた。
「それで、これからどこに?」
「任務スタートです」
「あー、ちょっとええですか」
張り切って部屋を出ようとした審神者を明石が呼び止める。
「はい?」
「主はん、こういうの好きですか?」
ポケットから取り出したのは三日前に渡しそびれたマニキュアだ。
「かわいいですね。素敵な色です」
審神者が肯定したため、明石はそっと安堵の息を吐く。
「……つけてもええですか?」
意を決して訪ねた。断られたらそれはそれで落ち込みそうだ。
「いいですよ」
頷く審神者の表情を見て再びほっと息を吐いたが、「明石さんもマニキュア似合うと思います」と続けられた言葉に思わず「違います」とツッコミを入れる。
首を傾げる審神者に「自分が、主はんにつけてもええですかって話です」と丁寧に解説をした。
「あ、ああ。なるほど! 明石さんもおしゃれだからマニキュアを塗りたいのかと思っちゃいました」
慌てる審神者に「『も』って何や」と思いつつ「ええですか」と再度確認する。
「わたしの爪でよろしければ」
「時間は大丈夫です?」
明石の問いに審神者は部屋の時計をチラと見て「大丈夫です」と頷いた。
加州はあんなに簡単そうに塗っていたのに、と思いながら審神者の爪に色を置いていく。
明石が初めて塗ったマニキュアははみ出したりムラがあったりと加州が塗ったものとは到底比べ物にならないほど不格好だった。
手先は器用な方だと自負していた分、この出来には明石は内心落ち込む。
「乾くまでもう少し待っててくださいね」と審神者が言うが「落としましょう」と明石が提案した。
「どうしてですか?」
「どうして、って……不格好やないですか」
「指先に春が来たみたいで素敵です。それに、刀剣男士の皆様は桜と共に顕現されると聞いています。皆さんの始まりの色ですね」
すでに政府で確認している刀剣が本丸に全て揃っているためまだ鍛刀をしたことがない審神者が笑って言う姿に「あかんわ、ほんま」と明石は小さく呟いた。
審神者のマニキュアが乾いて改めて任務スタートとなる。
政府庁舎の外の街は随分と賑わっているようだった。
「主はん」
審神者の腕を引いて向かいから来る人を避けさせる。
明石は初めて目にする政府庁舎の外の風景を物珍しく感じてはいるが、正直それどころではない。隣を歩く審神者がきょろきょろして落ち着かないのだ。どこか浮足立っているようで、明石は少し呆れた。
「自分の時代やないですか。なにがそんなに珍しいんですか?」
「いやぁ、わたしは田舎の出身なのでこんなに人が多くてキラキラして賑やかな街に多少なりとも憧れがあったんですよ。何といっても、ここは首都。人も物もこの国で一番多いんです」
なるほど、と納得したがその調子で歩かれると危なっかしい。
はぁ、とため息を吐いて仕方なく明石は彼女の手を取った。見上げた審神者に「迷子防止です」と言うと「子供じゃないんですから」と笑った彼女はそのすぐあと、自転車に轢かれそうになる。
「子供やない言うてますけど、危なっかしいんで」
「……はい」
自分の言葉に説得力がないことを認めた審神者は大人しく手を握られたまま歩くことにした。
「それで、これから何をすれば?」
「明石さんは、わたしとデートをするのです」
「はぁ……今回の任務って何ですか?」
「だから、わたしとデートをすることです」
笑って返されて明石は再びため息を吐いた。からかわれている。この様子だと詳細は教えてもらえないだろう。
「そうだ、先に言っておきますね」
審神者が足を止めて明石を見あげた。
「なんですか?」
「今日、わたしが明石さんの手を引いて走り出したら何があってもついてきてください。走った先に壁があろうと、崖があろうとわたしを信じて足を止めないでくださいね」
妙なことを言うな、と思いながらも「わかりました」と明石は頷く。
任務の内容について詳細を口にすることはできないが、これはそれに必要なことなのだろう。
取り敢えず、デートが任務らしいのでそのまま街の中を歩きだした。
何を目にしても新鮮な反応を示す審神者に明石は苦笑を零す。
見事な采配を振るい、政府から一目置かれる審神者ではあるが、所詮は年頃の少女、つまり子供なのだ。
刀剣である彼らからしてみれば人間は皆子供のようなものではあるが、それでもこれまで自分が仕えた審神者は年齢を重ねており、人間社会では大人と呼ばれていた。人間社会においても子供である彼女は、どうして審神者などという現世から隔離される者になったのだろう。以前、祖父に憧れて審神者になったと言っていたが、その祖父はどのような本丸で審神者をしていたのだろうか。
「なあ、主はん」
「あ、明石さん。クレープ食べましょう」
問おうとしたが、タイミングが悪かった。公園の中で移動販売をしているクレープ店を指さしながら彼女が腕を引く。
「はいはい」と返事をしながら彼女に引かれるままにその移動販売店に向かった。
真剣に商品を選ぶ姿を見下ろしながら周囲を見渡す。
どうして審神者が街中で刀剣男士を連れて歩いているのか。
おそらく、今回の任務は情報収集だろう。刀剣男士を連れているのは身辺警護のため。審神者の身の安全は守らなくてはならない。
「明石さん!」
周囲を警戒していると審神者に呼ばれて「あ、ああ。なんです?」と問い返した。
「明石さんは何が食べたいですか、って聞きました」
「あー、何でもええですよ」
「何が『食べたい』ですか」
「……主はんは何にしはったんです?」
「いちごカスタードにします」
「昼食やないんですか?」
昼食と称するには適当ではない気がする。
「家ではできないので」
肩を竦めて言う審神者に「せやなぁ」と同意してしまった。昼食の代わりにお菓子を食べでもしたら説教が始まりそうだ。
「もうひとつ食べるとしたらどれです?」
「そうですね」と真剣に悩み、「ブルーベリーチーズクリームですかね」と審神者が答えた。
「ほな、自分それで」
眉をあげる審神者に「お裾分けしますわ」と明石が言うと「ありがとうございます」と満面の笑みで返して店員に注文する。
それぞれが注文したクレープを手にして公園内のベンチに腰を下ろす。クレープと一緒に購入したのはコーラだ。
完全に本丸ではできない昼食の献立となった。
「先にどうぞ」と明石が自分の手にあるクレープを審神者に差し出す。
「いいんですか?」
「さすがに、主人に自分の食べくさしを渡すわけにはいきませんから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」と彼女は大きな口を開けてパクリと一口食べた。
休日のようで、親子で過ごしている家族が何組かあり、穏やかな時間が流れている。
本丸の仲間たちの話をしながらクレープを食べたが、その合間、時折審神者がスッと視線を巡らせる。警戒しているような、情報を得ようとしているようなそんな視線だ。
「主はん」
「はい?」
「今回の任務って偵察です?」
「偵察ではないですね」
にこりと笑う審神者がクレープの包みをクシャッと丸めて近くのごみ箱に投げた。コン、と小さな音を立ててごみ箱の縁に弾かれる。
「お行儀が悪いですよ」
小さくため息を吐いて明石は審神者の投げたごみを拾って自分のものと一緒にごみ箱に入れる。
不意にピリッと小さく電気を帯びたような痛みを感じた。空気が変わっていく。
「主はん!」
出陣すれば必ず遭遇するこの空気。時間遡行軍が現れるときのそれだ。
彼らは過去に攻撃をして歴史を修正しようと目論んでいるはずなのに、現代に出現するとは予想していなかった。
「明石さん」と審神者が明石の手を引いて駆けだした。
「主はん、遡行軍です。やつらが近くにいます」
周囲を警戒しながら明石が審神者に向かって状況を口にする。
しかし、審神者はそれに応じる気配がなく、ただ何かを口にしていた。恐怖で何かを口走っているのかと思ったが、ちらと見えた彼女の表情で状況を冷静に把握していることがわかる。
「自分が時間を稼ぎます」と言って腰に手を当てたが、いつもの刀がない。
代わりに審神者が繋いだ手に力を込めた。街に出てすぐに審神者が言った言葉を思い出す。
彼女は目的がなく走っているのではない。どこかを目指しているのだ。
走っているが行き交う歩行者にぶつかることなく静かに駆け抜ける。入り組んだ路地に入り込み、そして行き止まりが見えた。
「主はん、行き止まりです」
明石の言葉に反応することなく審神者はそのまま明石の手を放すことなくその行き止まりに突っ込んでいく。
「あかん」と明石が審神者を庇おうと彼女を抱えた。しかし、衝撃を受けることなくそのまま壁をすり抜けた。
勢いを殺すことなくそのまま突っ込んだため、地面を転がりつつ受け身を取った明石はぽかんとしたが「明石国行・解」と抱え込んだ審神者が口にすると先ほどまで纏わりついていた薄膜のようなものが取れた。
腰に手を当てると刀があった。つまり、政府庁舎で行われた封印が解かれたということになる。
「来ます!」
審神者の視線の先を警戒すると、そこには時間遡行軍の姿があった。その数、六。槍や薙刀がいないのは不幸中の幸いかもしれない。
「一部隊やないですか」
「援軍はありません。わたしたちでなんとかします」
周囲を見渡す。廃墟のような場所だ。先程の街中とは様子が全く違う。とりあえず、審神者が態々ここを目指して走っていたということは、周囲を気にせずに戦える場なのだろう。
「主はん、下がっててくださいよ」
刀を抜きながら明石が審神者を背後に庇いながら声をかけた。
「任せてください」
返事がおかしい。
前方の敵に警戒しながら審神者の様子に視線を向けると、彼女は足元に転がっていたちょうど良い長さの木材を拾っている。
「ちょお、待ってください。主はん、何するつもりですか」
「大丈夫です。木刀でも時間遡行軍を倒せるという前例があります」
「や、規格外やから初代様は」
初代審神者の姿を思い浮かべながら明石が思わず突っ込んだ。そもそも、あの審神者はもっとこう……厳つかった。こんな少女が時間遡行軍をぶっ飛ばすとか無理があるだろう。
「大太刀はさすがに無理です。明石さん、お任せします」
「他のも自分に任せて隠れとってください」
「明石さんがどんなに名刀でもさすがに六振りは厳しいと思います。打刀までなら何とかできそうな気がしますから、こちらは気にしないで」
「気になるに決まってるやないですか!」
振り返ったその顔の傍を敵短刀が素早く抜けて審神者に向かっていく。流石に短刀の機動には追いつけない。
「主は……ん?!」
駆けだした明石が思わず足を止めた。
彼女はフルスイングで短刀を吹っ飛ばしたのだ。
「明石さん、敵に背を向けるのは危険です」
「……せやな」
どうしてこの本丸は規格外の審神者が就任するのだろうか。
ひとまず、気を取り直して大太刀と対峙する。
流石は大太刀といったところか。一撃が重い。正面から受けると動きを封じられてしまう。
何とか大太刀の一撃をいなしつつ、連携を取って攻撃をしてくる複数の敵の相手もする。更には背後の審神者の様子も気に掛けながらの戦闘で、正直厳しい。
帰ったら長めの休暇をもらいたい。のんびりと縁側に座ってお茶を飲みながら、昼食代わりには無理でもクレープみたいな甘いものを一緒に食べて仲間の話をして時折庭に降りて散歩して花を眺める。何と贅沢だろう。
ふと影が脇をすり抜けた。考え事をして隙ができてしまった。脇差が審神者に向かっていく。
「主はん!」
「はい!」
審神者は逃げるでもなくむしろ距離を詰めて脇差の懐に入り込み、躊躇うことなく木材を突き上げた。
顎から脳天に木材が貫通し、脇差はさらさらと黒い粒子になって消えていく。
「あと三振り! 明石さん、打刀までなら通してください」
「無理な相談です」
明石は間髪入れずに返した。先程明石が太刀を一振り倒したため残りは半分になっているが、まだ気は抜けない。
そもそも、刀種を選んで取り零すなんてできない。今の脇差も自分にとっては痛恨のミスだ。審神者を危険な目に遭わせるなどあってはいけない。本人が気にしていなくても当然のことだ。
大太刀一振りを残して何とか他の敵は倒すことができた。お互い疲弊している状態で打ちあう。
ここで自分が折れれば確実に審神者も失ってしまう。やる気がないと言ってもそれを是とはできない。
一騎打ちを制したのは明石だった。満身創痍。さすがにもうこれ以上は動けない。
「明石さん」
膝をついた明石に審神者が駆け寄る。
「さすが来派の祖です」
「褒めても何も出ませんよ」
苦笑を零して軽口を返す。何とか守ることができた。
「近くに政府と繋がりのある施設があるので、そちらで手入れをしましょう」
明石に肩を貸そうと彼の左側に審神者が回った。ほとんど開いていない目で彼女の動きを追う。怪我をした様子はない。よかったと安堵する。
最初の短刀と取りこぼしてしまった脇差。この二振りだけ。どちらも審神者に傷を付けることなく倒された。
「あかん」
彼の腕を肩に回していた審神者が「はい?」と聞き返すと同時に服を引っ張られて背後に投げられた。受け身を取ってごろごろと転がって姿勢を整えた審神者の視界に入ったのは黒い粒子となっている短刀と、血だまりに倒れ込む明石だ。
審神者が吹っ飛ばした短刀は重傷になりはしたが消滅していなかった。最後の、いちばん隙の生じやすい戦闘終了時を狙って戻ってきたのだ。審神者の命を狙って。
それに気づいた明石が彼女の服を引いて背後に投げ、短刀の最期の一撃を受けてカウンターを返した。
避けられるほどの余力が明石にはなかった。
「あ……明石、さん」
ふらふらと審神者が明石に近づく。血の気が引いた彼の顔に息をのみ、そして唇を引き結ぶ。
血だまりに膝をつき、「帰りましょう」と声をかけた。
◇◆◇◆
「ねえ、おじいちゃん。御刀様のお話をして」
幼い少女が老人にねだる。部屋は明るく、老人はベッドで体を起こしていた。
「そうだなぁ……じいちゃんが最後にお呼び出来たのは『明石国行』というとても美しい刀だった。最後にわしの声に応じてくださったのがあんな美しい刀で、審神者冥利に尽きたよ」
目じりの皺を深くしながら老人が思い出を語る。
「ただなぁ、じいちゃんはすぐに本丸を出ていかなくてはならなかった。その御刀様とはあまり話ができなかったんだ。明石と同派……家族の愛染や蛍丸から話は聞いていたが、本人と碌に言葉を交わせなくてな。皆と同じようにサシで呑みたかったなぁ」
「そんなにきれいだったの?」
「天下五剣に引けを取らん美しい刀だった。もちろん、人の姿も中々の美男子だったぞ?」
「長船の人たちみたいに?」
「方向性は全く違うな」
「ホストっぽくなかったんだ?」
「そうだな。ホストではないな」
「お父さん、なんてことを教えてるの!」
背後で見守っていた少女の母親が目を三角にする。
「おお、怖い」
「お母さんこわーい」
老人と少女は顔を見合わせて笑った。
「ほら、おじいちゃんとの面会の時間もそろそろ終わるから。今日はここまでにしなさい」
怖いと言われて半眼になった母親が少女に声をかける。
「えー」と不平を口にした少女に「またおいで」と老人が声をかける。
「はーい。また御刀様のお話を聴かせてね」
少女の頭を撫でながら老人は頷いた。
◇◆
窓の外はしとしとと雨が降っていた。厚い雲で空が覆われており、あたりも薄暗い。
「おじいちゃん」
目に涙を浮かべた少女が骨と皮だけになった老人の手を握る。幼かった少女は少し成長していた。
「最期に一目でいいからまた会いたかったな……」
天井を見上げて笑みを浮かべている老人の瞳はここではない、遥か向こうのどこかの景色を見ていた。
「今年も満天星躑躅は咲いただろうか。藤棚は手入れされているか。ああ、皆は元気だろうか」
譫言のように呟く老人の言葉に、少女の手に力がこもる。
「おじいちゃん、わたし審神者になれるんだよ。学校に通える資格があったの。だから、おじいちゃんの本丸にいつか行けるかもしれない。おじいちゃんの御刀様たちに会ったら、おじいちゃんはみんなのことが大好きだったよって伝えるから」
「頼んだよ。ばあさんのところに行く前に別の人に会いたいと言ったことは、ばあさんには内緒にしてくれ」
「どうしよっかなー」
返す少女の言葉に老人は「手ごわいな」と力なく笑った。
◇◆◇◆
目を明けると知らない天井だった。
少し上半身を浮かせて部屋の様子を見ると、審神者が自分の体の上にうつ伏せている。
服が血で赤黒く汚れており、明石は息をのんだ。
震える手で彼女の頬に触れると温かな体温があり、呼吸をしていることもわかる。
「堪忍やで、ほんま……」
脱力して呟いた。
守れなかったのかと思った。
彼女が吹っ飛ばした短刀が近づいてきてそれを斬ったような覚えはあるが曖昧だ。
しかし、この状況は不明でまだ警戒が必要なのかどうなのかがわからない。
「ん、」と審神者が声を漏らした。
「主はん」
声をかけると彼女は勢いよく立ち上がり、明石の顔を覗き込む。
「明石さん!」
「はいはい」
途端に審神者の瞳から大粒の涙が零れてきた。
「あー、もう。泣かんとってください」
「良かった……わたし、ダメかと……」
「勝手に殺さんとってください」
重い腕を上げて彼女の涙を拭う。
「主はんは、初代様のお孫さんですか?」
「……はい」
どうして知っているのだろうと彼女は首を傾げる。
明石が先程見た夢は、彼女が見ていた夢を垣間見てしまったのではないかと思い、取りあえず聞かれなかったこともあって根拠は口にしないでおいた。
「そうですか。ところで、ここは?」
「政府指定の施設です。刀剣男士のことは世間で知られていますが、それでも表面上の情報だけで随分と改ざんされているんです。受け入れられやすいように。だから、刀剣男士を伴って現世に来るときは、基本的には刀剣男士には人の姿を取ってもらう必要があるし政府指定の施設にしか入れないんです。この国の最重要機密事項ですから」
だから昼食は移動販売のクレープにしたのかと納得した。
「ほな、ここは入ってもええところなんですか」
「はい。あそこから一番近い場所です。何とか明石さんを運べる距離にあったので助かりました」
「運んだ? 主はん一人で?」
「はい。明石さんは細身だからなんだか行けそうな気がしたので。あそこで手入れは難しそうだったし。あ、痛いところはありませんか? 相手の動きがわかっていればもっとしっかりした作戦を立てて、最悪、軽いけがで済むようにできたと思うんですけど。わたし、学校に通ってる時から手入れが少し苦手だったので、戦術の習得の方を頑張って負傷しにくい作戦を立てられることを目標にしてきてたんです。あと、重傷の手入れをしたことがないので手ごたえがわからなくて……」
「いや、まあ……正直ちょっと痛みは残ってますけど」
明石の言葉に審神者が肩を落とす。
「いや、それよりも。主はん一人で自分を運んだんですか?」
もう一度聞く。何せ、自分は一応成人男性の体格だ。女の子にひょいと運ばれたとあっては沽券にかかわる。
「あそこに放置したまま他の人を呼びに行くのはなんだか拙い気がしたので。明石さんが、例えば……蜻蛉切さんのような体格だったらさすがに諦めて助けを求めて走っていましたけど、運べてよかったです」
にこりと微笑まれて明石は少し悲しくなったが、一方で安堵した。彼女の服が血に汚れているのは、明石を運んだ際に染み付いたもので、本人がけがをしたわけではないようだ。
「あと、さっき政府経由で本丸に連絡を入れました。誰かひとり来てくれるはずです。流石に明石さんをおんぶして本丸に戻るには距離があるので自信がないです」
「……誰が来るんですか?」
「指定はしませんでしたが、同派の方ではないですか? となると、蛍丸さんですかね。大太刀なので力持ちでしょうし」
「あかん、それはあかん」
両手で顔を覆って拒否してみるが「主、来たよ」とドアが開いて声がした。
「蛍丸さん、ありがとうございます」
彼女の予想どおり派遣されたのは蛍丸で、彼はこの状況を楽しんでいるようだ。
「主、凄いところに運んだね」
「ここが一番近かったので」
凄いところとはどういうことだろうと思いながら明石は冷静になって周囲を見渡した。至って普通の医務室のような場所だ。
「ここ、ラブホテルってやつでしょう?」
「は?!」
「はい。でも、客室に通されないって知っていましたし、いちばん近かったので。裏口から入れますしね」
どうして政府はそんな施設を指定しているのかと明石は内心頭を抱える。
「じゃ、帰ろうか」
「……ほな、自分も支度します」
「おんぶだと足を引きずってしまいますね」
「じゃあ、お姫様抱っこしかないね」
「そうですね」
「待って!」
自分の運び方だと察した明石が二人の会話を止める。
「はい?」
「大丈夫。俺、力持ちだし」
「さすが大太刀ですね」
「まあね」
「自分、歩けますから」
「でも、さっき痛みが残ってると仰ってましたし。やはり大事を取って蛍丸さんに運んでいただいた方がいいと思うんです」
「落とさないから安心して」
わざと会話を進めている蛍丸はともかく、審神者は本気で明石の心配をしている。
「いや、ほんまに」
「蛍丸さん、本体はわたしがお預かりしましょうか?」
「そうだね。国行も一緒にお願い」
「はい。明石さん、大丈夫です。蛍丸さんは力持ちですよ」
「いや、自分の心配はそこちゃいますから」
「ほら、国行。主待たせちゃだめじゃん。主も疲れてるだろうし」
「それは大丈夫です。まあ、久々に運動したので明日筋肉痛かなって心配はありますけど。明石さん、ゆっくりでいいですよ」
明石は肩を落とす。これはどんなに抵抗しても無駄なやつだ。
ベッドから降りると蛍丸が明石をひょいと抱えた。
「明石さん、足が長いからこれでも引きずりそうですね」
「大丈夫。じゃ、行こう」
ずんずんと進んでいく蛍丸の後を審神者は慌てて追いかける。
施設の担当者に挨拶をして外に出ると、蛍丸と明石が注目の的となっていた。
「蛍丸さん、遠回りしても大丈夫ですか?」
「いいよ」
両手で顔を覆っている明石を見て審神者はさすがに彼の心情を察した。
先程戦闘の場とした通常の人間には入れない空間は、いくつかの手順踏めば政府庁舎に繋がる道に出られる。街中を通った方が近道となるが、今回は遠回りすることにした。
「わたしが車の運転ができればよかったんですけど……」
肩を落とす審神者に「大丈夫。また何かあったら俺が来るから」と蛍丸が謎の励ましを口にした。
政府庁舎に戻ると審神者は「着替えを取ってきます」と駆けていく。
「蛍丸、降ろして」
腕の中の明石が訴えるため、蛍丸は彼を降ろした。「移動するときはまた抱えるからね」と念を押すと諦めの境地に至っているらしく遠い目をして「ええよ」と頷く。
「おやぁ? 審神者ちゃんは?」
先程言葉を交わした次郎太刀だ。負傷しているが、軽傷で済んでいるようだ。太刀と大太刀でここまで力の差があるのかと少し悔しい。
「着替えを取りに行ってる」
蛍丸が代わりに応えた。
「良かった、無事だったんだね。さっき、主から話をきいてびっくりしちゃった。あの子だけ人数の関係で他の審神者と組ませてもらえなかったんでしょ?」
「……は?」
「え、きいてない? 今回の作戦、政府本部が歴史修正主義者に狙われているって情報が入ったから、代わりの餌として審神者を招集したんだって。街中に大勢審神者がいたらそっちを落とすことを考えるだろうからって。相手がどれだけの規模で来るかわからないし、とりあえず招集した審神者は動ける人たち。お年寄りや子供、それから病気がちの人は除外して招集して、チームを組ませてみたんだけど、余りが出て。あの子、おじいさんも審神者で、しかも本人も優秀だし、この間の新しい時代への侵攻の対応がすごくよかったとかで今回も大丈夫だろうって任されたみたい。でもさー。そうはいっても新人審神者なんだから、もうちょっと考えてあげてもいいのにって思ってたんだよ。ウチの主、めちゃくちゃ怒ってたし。だけど無事でよかったよ。しかし、政府って何様のつもりなんだろうね。ウチの主を危険な目に遭わせてさ」
「それ、ほんまですか?」
明石が険しい表情で問う。
「え、まあ。アタシが聞いたのはそんな内容だけど……ごめん、審神者ちゃんから話聞いてなかった? だったら聞かなかったことにして。たぶん、意図的に伏せたんだ」
両手を合わせて拝まれた明石は乱暴に頭を掻く。
「お待たせしました。あ、こんにちは」
「ちょっと! 血だらけじゃない。大丈夫?!」
次郎太刀が審神者に駆け寄った。
「あ、これわたしの血じゃないんです」
「着替えて来なかったんだ?」
蛍丸の問いに「はい、早く戻った方が良いかなって。お待たせしました」と返す。
「んじゃ、俺たち帰るね」
「あ、うん。まったねー」
「はい、次郎さん所もご無事の様子で何よりです。また機会がありましたらお話させてください」
審神者のあいさつが済んだのを確認して蛍丸が明石をお姫様抱っこする。
「え、あんたそんな状態で帰還装置まで行くの?」
次郎太刀が目を丸くし、続けて爆笑する。
「だって、俺だと肩貸せないもん」
「わかりました! わたしの肩をお貸しします」
何と妙案だ、という表情を向けられたが「……これでええです」と明石は断った。
審神者の肩を借りて政府庁舎内を歩くのは避けたい。また供として来た時に彼女が何と囁かれるかわかったものではない。
本丸に戻るとこれまた大騒ぎだった。審神者の服が血で汚れているし、明石が蛍丸にお姫様抱っこされているのだ。
政府経由で審神者から状況を聞いていた加州は、彼女に風呂に入るように勧め、明石は蛍丸に抱えられたまま手入れ部屋に入るよう指示した。
この程度の負傷なら、手入れ部屋で寝ているだけで完治するだろうという判断だ。傷が浅ければ審神者の力を借りなくても手入れ部屋で寝ていれば治る。
終
刀装づくりを終えて執務室に戻る途中、庭に面した回廊を歩いていると加州に声を掛けられた。
声をがした部屋の中を覗くと加州の他に愛染と蛍丸もいる。
「休憩ですか?」
「そ。だから、主もどう?」
「いえ、わたしは」と断ろうとしたが「ちょうどええですわ。少し休みましょう」とスタスタと近侍が部屋に入っていく。
肩を竦めた審神者は「ちょっとだけですよ」と言って彼の隣に座った。
愛染が淹れてくれた茶を一口飲む。
「これ、さっき万屋に行って買ってきたんだ」と勧められたのは栗饅頭。
そういえば、まだあの羊羹を買えていないと思い出す。
「明日、出かけますか?」
隣に座った明石が声をかけてきた。
「そうですね。羊羹の存在をすっかり忘れていました。今度こそ」
「羊羹ってあの店の? あ、そうだ。主って初代の主のお孫さんだったってなんですぐに言ってくれなかったの。似てるなーって思うところはあったけど、見た目が全然違ったから確信が持てなかったし。でも、そっか。主があの満天星躑躅のお孫さんか」
「初代様、本当に嬉しそうに満天星躑躅植えてたもんなー。いや、でも加州。女の子で初代様に似てたらそれはそれでかわいそうじゃないか?」
「そうだね」
笑いながら愛染と蛍丸が続く。
「審神者になる前は、絶対にこの本丸に来ておじいちゃんの大切な御刀様たちに会うんだーって意気込んでたんですけどね。審神者の道に進み始めるとおじいちゃん凄く有名というか、誰も彼もおじいちゃんとわたしを比べておじいちゃんは凄かったんだぞーって言ってくるから、皆さんをがっかりさせるわけにはいかないって思って……それで……」
小さくなって理由を口にする審神者に「気にすることないよ」と蛍丸が声をかける。
「伝説なんて大げさに語られてることの方が多いし、比べてる人たちだって初代様の働きをその目で見たわけじゃない。それに、主と初代様を並べて比べたわけじゃないんだから」
「そもそも、比べて優秀だとかそういうの要らないからオレたちは」
「そうね。でも、ちょっとだけ思ったんだけど。主も時間遡行軍を倒したって聞いたときには間違いなく血だなって」
「確かに」と笑いながら愛染と蛍丸も頷く。
「おじいちゃんが、時間遡行軍を倒したって聞いたので、審神者って時間遡行軍を倒せなきゃいけないんだって勝手に思ったんです。おじいちゃんも応援してくれて。剣道ではなく、実践剣術を習える道場に行きなさいって言われて道場に通っていました。まさか、役に立つ日が来るとは思ってもみませんでした」
そりゃそうだ、と皆は心の中で同意した。
「実践剣術って何したの?」
「刀を使わない戦い方も習いましたけど、真剣を使った稽古を受けたり」
「誰ですの?」
不意に隣に座る明石が問う。少し低めの声で審神者は戸惑った。
「え、誰? あ、刀剣のことですか? 今の時代に打たれた刀なので皆さんご存知ないと思います。銘も号もないし。もちろん伝承も。たぶん、刀剣男士として顕現するだけの力はまだないと思います」
「そうですか」
興味を失ったように明石は開けっ放しの障子戸の向こうの庭に視線を向けた。
何なんだろう、と審神者が加州たちに視線を向けるが、彼らはにやにやと笑うだけで答えてくれない。
審神者は気を取り直して話を続けた。
「でも、今回のことで痛感しました。まだまだ力を付ける必要があるなって。だから、今度から手合わせに混ぜてもらってもいいですか」
「駄目です」
またしても隣から機嫌の悪そうな声が上がる。
「主はんは自分が守りますから、そういうの頑張らんでええですよ」
明石の言葉に審神者は瞬きをした。
「へー、明石が守るんだ」
「へー、国行が守るのか」
「ふーん、やるね」
三人にからかわれて明石の動きが止まり、すっくと立ちあがって廊下に出て行った。
「あーあ。主置いて逃げてった」
「皆さん、言葉の綾をからかっちゃだめですよ」
まったく、と審神者は腕を組んで頷く。
「わたしだって子供じゃないんですからちゃんと行間くらい読めますよ。『自分が』ではなく、『自分たちが』だったんですよ」
うんうん、と頷く審神者に「いや、主……」と加州が申し訳なさそうに声をかけた。
「はい?」
「そこは行間読んじゃダメなところだから」
「国行が不憫になるから」
何を間違っているのかわからず審神者は首を傾げた。
「ここ最近、どうして国行が近侍なのかわかってる?」
蛍丸に問われて「皆さん、出陣したいからですよね?」と審神者が返すと三人が肩を落とした。
「舞台裏を話すとね、現世から帰ってきて全快した明石は、近侍当番を控えていた人たちを訪ねて「これからは、自分が近侍しますわ」って宣言して回ったんだよ。それに納得しないんだったら勝負だって。真剣を使ったら怪我をして主が心配するし仕事が増えちゃうから木刀で。そんな宣言を態々しに来た明石に異論を唱える人は少なくてね。まあ、何人かは主の近侍の席をかけて勝負したんだけど、結局明石が勝って、晴れて近侍として主を独り占めってわけ。あの明石が、だよ。だから、主も大人ぶって行間なんて読まずに素直に受け取ってやりなよ」
「加州は勝負すると思ったんだけど、しなかったのか?」
もちろん愛染や蛍丸は素直に譲った。あの明石がやる気を出しているのだ。水を差すわけにはいかない。
「んー、まあね。オレって、この本丸の初期刀じゃん? 例えば主が本丸を留守にするときってオレに任すでしょ?」
「はい」
「そういう無条件の信頼を得られてるから、まあ、見守ってもいいかなって思って。なにより、この本丸始まって以来の出来事で面白そうだし」
「えーと、皆さん。それはつまり……」
「つまりね、そういうこと」と加州はにこりとほほ笑んだ。
「どうしたんだよ、国行」
「忘れもんや」
声がして初めて明石が戻ってきたことに気づいた審神者が振り返ると同時に浮遊感を覚える。
「ほな」と部屋の中の仲間に挨拶をして廊下に出ていった。
審神者の執務室に向かうが彼女を降ろす気配がない。
「明石さん」
「なんですか」
「降ろしてください」
「んー、お断りします」
お断りされてしまった。どうしようと考えていると「愛、らしいですわ」と明石が呟く。
「はい?」
「この間の、政府に緊急招集された時に話をした次郎太刀、覚えてます?」
「はい」
主ではないのに自分の身を心配してくれた。
「あの次郎太刀言われたんですわ。あの面倒くさがりの明石国行が審神者のために面倒そうなことに首を突っ込むなんて、『愛』やって。それが、主従愛なのか家族愛なのかそれとも、女の子に対しての愛なのかはまあ分からへんけどって」
明石が審神者に視線を向ける。
「実際、自分も正直わかってないんですけど。まあ、主はんを独り占めしたい程度には愛おしいと思ってますわ」
「いと……!」
さらりと言われて審神者は絶句する。
「せやから、これから始めてみませんか?」
「何を……?」
「自分と恋を。主はん真面目やから、自分みたいな不真面目なのがちょうどええと思うんですわ」
さらっと言い切られて審神者は混乱した。しかし、それより何より「恋ってこうやって始まるんですか?」と問う。
「さあ……自分、人間やないからそういうの詳しくないですけど、まあ、決まりがないんやったらどう始まってもええんとちゃいます?」
そう言い放った明石の表情は自信に満ちていて、抱えられている審神者に逃げる術はなく、しかし彼の顔を直視することもできないため春色の爪をした両手で顔を覆った。
「せやから、覚悟してくださいね」
挑発的な口調とは真逆の優しい目をして明石は恋の始まりを宣言した。
桜風
19.7
(22.7.1再掲)
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