政府に招集されて出席した一泊二日の会議が終わった。
 伸びをしながら「ちょっとトイレ」と連れてきた刀剣男士に声を掛けてトイレに向かう。
 今回の会議は珍しく六振り、つまり一部隊分を供として良いといわれたため、彼女も一部隊、六振り連れて会議に出席した。
 勿論、他の審神者も多くは同様に一部隊連れてきており会場が狭く感じた。
 用を済ませて手を洗い「あらら……」と彼女は呟く。
 懐に入れている紙はそんなに多くない。
 ふっと短く息を吐いてトイレを出た。
 供として連れて来た者の中に、流石にトイレの目の前で待機をするようなデリカシーのない者はおらず、普段なら満足する対応だが今回はその気遣いが裏目に出た。
 駆けだそうとすると目の前で通せんぼをするのは身長百八十七センチの男だった。
 残念ながらその男に隙はなく、審神者は皆がいる反対方向に走るしかなかった。

「あるじさまおそいですねー」
「腹の調子でも悪いんじゃないか」
 今剣が零すと山姥切が答える。
 確かに遅い。様子を見に行くべきかと悩んでいた山姥切が深刻そうに「おい」と仲間に声を掛けた。
「どうした?」
「やまんばぎりさんもかわやですか?」
「いや。主に何かあった」
「どうしてわかるんだ?」
 仲間が問う。
「下穿きのゴムが切れた」
「……は?」
「古くなったからでは?」
「いや、それよりもどういうこと?」
 混乱する仲間を前に山姥切は審神者に盛大に文句を言うことを心に決めた。

 審神者が本丸に就任して間もなくのことだ。
 初期刀として傍に侍っていた彼は、「山姥切」と深刻そうな表情を向けてきた審神者に構えた。
「どうした?」
「なるべく離れないようにするけど、何かあって刀剣男士の誰もが傍にいないとき、わたしがヤバくなったら 初期刀である山姥切に知らせたい」
「それは構わない。どうやって?」
「申し訳ないのだけど、術を掛けさせてもらえる?」
「術?」
 眉間にしわを寄せて山姥切が問い返した。
「うん、術。言い換えると呪いなんだけど」
「呪いだと?!」
「他人にかける術は大抵呪いだよ」
 なるほどと納得したが、どういったものを掛けられるのかわからない。
「何をするんだ?」
「必ず、わたしに何かあったってわかるもので、山姥切には大きく影響が出ない……パンツのゴムが切れるってどう?」
「はあ?!」
「とりあえず、スラックスかジャージ履いてるからゴムが切れても大惨事は免れるじゃない? そして、パンツのゴムが切れたら必ず違和感を覚える。ほら、わかりやすい」
「待て、そんな」
「しかも、周りには気づかれない。わたしに何かあったって周りが気づかないほうが良いこともあるでしょう」
「そうかもしれないが……」
 何だってパンツのゴムを……
 反論しかないが、本人に響きそうな反論を探していると「じゃあ、よろしく」と言った彼女にその術を掛けられた。

 駆けだした山姥切が若干内股気味なのを見て皆は「ああ、下穿きのゴムが切れたんだな」と納得した。

「ああ! もう! ほんっとうになんで追いかけてくるの!」
「主命だ」
「あー、その言葉ウチでもよく聞くよーーーーー。よそ様のを聞くとは思ってなかったけど」
 いつも持ち歩いている人型の紙を時折相手に放ちながら逃げまどう。幻覚の術を使ったため少し数は減っているが、状況的には焼け石に水だ。近侍たちを置いてきた場所からどんどん離れていく。
 審神者が招集される会議は政府庁舎ではなく、人里離れた山の中にある施設で行われることが多い。
 相手が刀剣男士のため、どの道誰かに助けを求めるのは叶わないが、人の目があるのとないのとでは大きく違う。何より、自分がどこに向かっているか誰かが見ていれば追いかけてくる自分の刀剣男士たちに知らせてもらえる可能性がある。
 しかし、今のところ政府関係者の姿すら見えない。これは、政府の担当官たちが買収された可能性がある。
 先程、悪いと思いながらも近侍に掛けていた術を発動した。念のための保険だったから結構ふざけた術にしたのだが、あとで絶対に文句を言われる。パンツがずれて満足に動けるはずがないのだ。
 今度は違う術にしておこう。例えば、オネエ言葉しか口にできなくなるとか。
 またしても文句を言われそうなことを考えて走っていたが、審神者は目の前のドアを開けて舌打ちをした。
 どう考えても上に向かっているなーと思っていたらやはり屋上に追い込まれていた。
 会議があった本部がある棟とは離れている。建物の中で渡り廊下で繋がっているが、戻ろうと思うと少し遠い。
 六階建ての建物の屋上。彼らならこの程度の高さどうってことないだろうが、ただの人である審神者はここから落ちたら命は助からないか、助かっても物言わぬ命だろう。流石に飛行できる術なんてものはない。
「さあ、観念しろ」
「そちらさんの主命って、わたしの命を取って来いってこと? それとも、誰でもいいから審神者の命を取って来いってこと?」
「貴様が知る必要はない」
「必要はないけど、権利はある」
 押し問答に付き合うつもりはないと目の前の男たちは刀を構える。
 懐の紙はあと四枚。たぶん、山姥切たちも探してくれているだろうが、これだけで時間を稼ぐのは無理だ。
 一か八か、と彼女は肺いっぱいに息を吸って「綺麗な綺麗な山姥切ーーーーーー!!!!」と大空に向かって叫んだ。
 その途端、男の一人が地を蹴って彼女に迫る。
 人型を身代わりに斬らせた。勢いがあったため、背後の転落防止に設置されている金網も一緒に斬られる。そこを蹴って審神者は金網の外に出た。
 男たちは審神者が逃げられないように囲い込む。
「さあ、これで終いだ」
「物語でその言葉が出たときは、大抵まだ終いじゃないのよ」
 審神者は不敵に笑い、そのまま背後に倒れた。

「くそったれ!」と罵声が聞こえて審神者はそのまま地面に激突することはなかった。
「いやぁ、お手間取らせました」
「まったくだ。あと、綺麗とかいうな」
 何とか間一髪で山姥切が審神者を受け止めたのだ。
 いつも被っている布が脱げて、綺麗な顔がそこにあった。いつもと違うのは、汗をかいて髪も乱れ、顔色も青くなっている。
 そのまま山姥切は審神者を肩に担いで踵を返して駆けだす。背後からは審神者の命を狙う刀剣男士が迫っていた。
「多勢に無勢? みんなは?」
「戦闘中だ」
 背後から迫ってくるのは四振り。こちらも六振り連れて来ているのだ。こちらの本丸の刀剣男士がたった二振りに足止めされているとは思えない。
「六振り以上」
「そういうことだ」
 走りながら山姥切が審神者を抱え直して突然投げた。
「はいーーーー?!」
 その先には今剣の姿がある。彼は審神者を受け止めた。
「今剣、こいつを本部まで連れて行け。そうしたらあいつらも手を出さんだろう」
「はんにんをやっつけないんですか?」
「主の安全確保が第一だ」
「わかりました。かたがついているひとがいたらかせいするようにいいます」
 今剣が審神者を肩に担いだ。
 身長差のお陰で足が地面に着く。
「あの、もうちょっと運ばれやすい体勢が良いで、ぐおおおおーーーーー」
 彼女の訴えを黙殺して今剣が跳ねた。汚い悲鳴を上げる審神者を見送り、山姥切が刀を構える。
「うちの主が世話になったな」
「なに、まだこの程度で世話をしたとは言わん」
 同時に地を蹴り、二振りの刃が交わる。
「こいつの相手は俺がする。審神者を追え!」
 声を掛けられた者たちは頷いて今剣の後を追う。
「短刀を追えるのか?」
「大きな荷物を抱えているから追いつけるだろう」
 確かに、審神者は重荷以外の何物でもないと納得した山姥切はため息を吐いて、「だったら、早々にお前を倒して加勢に行かせてもらう」というと目の前の男は喉で笑った。
「笑止」

 ぴょんぴょん跳ねながら移動していると金属の交わる音が聞こえてくる。
「うぎゃー」とか「ほげー」とか濁点の多い汚い声が耳に届くが引き続き黙殺していたものの、ここに来て戦闘に巻き込まれるかもしれない。
 今剣は刀を抜いてそのまままっすぐ進んだ。
「あるじさま、せんとうになります」
「何ですと?!」
「したをかみますからだまっててください」
「はい!」
 今剣は言葉のとおり戦闘中の彼らの間合いの中に入った。
「岩融!」
 戦闘していたのは岩融だった。
「今剣! おお、主は無事だったのだな」
「はい。岩融、とびます」
「よし、任せろ」
 今剣はぴょんと跳ねて岩融の薙刀の背に足を掛けると「おりゃー!」と岩融がそれを振り上げた。
 その勢いのまま今剣は跳ねて着地した。そこは。本部の建物の屋上だ。
「あるじさま、つきましたよ」
 今剣の肩から降ろされた審神者は四つん這いになっていた。靴は早々に脱げた。
 誰も味わったことのない絶叫系マシンから降りた気分だ。まだ地面が揺れている気がする。絶対、軽い脳震盪を起こしている。
「じゃあ、ほんぶのひととはなしをしにいきましょう」
 審神者は歩きだした今剣の袴を掴む。
 不思議そうに振り返った彼に審神者は首を横に振った。
 こちらが戻ることは一応念頭に置いてあったらしく、ドアの傍には結界が張ってある。
 結界そのものに害はないのだが、それでこちらの存在を知られてしまうのは拙いと思ったのだ。

「今朝食べたスクランブルエッグがさっきのでさらにスクランブルされた」
 うっぷと青くなりながら口元を押さえる審神者に「はくならむこうではいてくださいね」と今剣がいう。
 審神者たちは周囲の地形などから屋上の中で、しかも結界の範囲に入らず死角になる場所を見つけて周囲に警戒しながら並んで座っていた。
「いや、あれめっちゃ美味しかったから勿体ない」
 ごくりと喉が動いたのを見て今剣は半眼になる。
「それで、あるじさま。これからどうしますか?」
「刀剣男士同士でテレパシーとかないの?」
「あるじさまとぼくたちのあいだにないのに、そんなものきたいしないでください」
 呆れたように言い放った今剣がふと思い出したように「でも、」という。
「山姥切さんはどうしてあるじさまのばしょがわかったんですか?」
「うん、山姥切にはわたしが術を施していたから。その副作用というか、オプション。あと、呼んだからね」
「ほんとうにしたばきのごむがきれたんですか?」
「うん、そのはず。わたしを助けてくれる彼を傷つけることはできないし、でもちゃんと気づいてもらえないといけないと思ってそれにしたんだけど……」
「あとですごくもんくをいわれるとおもいます」
「やっぱそうなるよね」
 覇気なく笑う。
「じゃあ、まってたら山姥切さんがきてくれますか?」
「うーん、その術を使っちゃって時間が経ってるからね。たぶん、辿ろうと思っても難儀すると思う」
「うつてなしですか」
「岩融が下のを片付けてくれたら情報共有してもらえるのではないかと」
「なるほど。ところで、あるじさま」
「ん?」
「てきのしょうたいは?」
「まずは、審神者というのは確定かな。少なくとも審神者を動かせる人」
「そうですね」
 彼女を狙っていたのは刀剣男士だった。本来、刀剣男士は主以外の人間個体に興味を持たない。だから、彼らが積極的に人間を害することはないのだが、明確な殺意を持った彼らに狙われていたため、そこは間違いないだろう。
「うらまれるようなことをしているんですか?」
「まあ、どこぞの審神者に恨まれることはやってるよねぇ。政府の狗だもん」
 わんわんとおどけたようにいう審神者に今剣は半眼になる。
「それで?」と話の続きを促した。
「うん。でも、今回のは恨みじゃないね。勘なんだけど。たぶん、妬みと嫉みだ」
「あるじさまをうらやましがるひとがいるんですか?」
 心底意外だと顔に書いてある。
「うーん、実は政府の狗になりたい人も少なからずいるのよ」
「は?」
 あんな面倒で辛いことをしたいという人間がいることに驚いた。
「うん、ウチの家系だと特に名誉なことなんだよね」
「では、あるじさまのみうちのひとってことですか?」
「たぶんね。ごめんね、巻き込んでばかりで」
 力なく笑う審神者に「おいえそうどうにはなれています」と今剣が返した。
 そうだった、と審神者は思い出す。彼は『義経公の守り刀』なのだ。そこは結構ドロドロしたもんなと思ったが、お家騒動など基本的にドロドロしたものだ。

 下の方からはまだ金属を打つ音が聞こえる。
「ぼく、岩融にかせいしてきます」
 すっくと立ちあがったが「今剣!」と審神者に腕を引かれて彼は体勢を崩す。
「なにをする……あるじさま?!」
 鋭い視線を向けて審神者は最後の人型を放った。それは刃の形に変形してまっすぐ飛んでいく。
「ぐあ」と微かに男の声がした。それは本部建物の向かいの棟から聞こえた。
「あるじさま?!」
 審神者は腕から血を流していた。
「ああ、大丈夫。これくらい」
「ぼく、あいつころしてきます」
「だめだめ。今剣がいなくなったら誰がわたしを守ってくれるの」
 きゅっと唇を引き結んで今剣はすとんと審神者の隣に座る。
「ごめんなさい」
 小さく呟くように零した言葉に返すことはなく、「皆遅いね」と審神者が言う。
 間もなくして息を切らせてやってきた山姥切の姿に審神者は安堵した。
 隣で落ち込んでいる今剣を任せることができる人が来たのだ。

 端末を眺めていた審神者が「いやぁ、片付いた片付いた」と伸びをした。
 清々したと顔に書いてある審神者に山姥切が「そうか」と相槌を打つ。
「それで、下手人は?」
「直接こちらを狙ってきたのは弱みを握られた審神者が二人。だから、戦力的には十二振りだったね。弱みを握って審神者を使ったのは予想どおりウチの家の者」
「そいつが直接手を下さなかったのは?」
「実力差を知っているから。そこまでは弁えていたのにね」
「だが、最後にあんたを傷つけただろう」
「うーん、あれは間接的にはわたしだけど、直接的には今剣だったんだよね」
「どういうことだ?」
 審神者が説明すると山姥切がため息を吐いた。
「それをあいつに説明してやれ。ずっと落ち込んでるんだぞ」
「はいはい。こっちが片付いてからにしたかったの。ちょっと外すね」
「ああ」
 さてさて、今剣は何処だろうと思っていると岩融が大股で近づいてくる。
「主よ、そろそろあいつに声を掛けてくれんか」
「これから行こうかと。どこにいる?」
「西の棟の縁側だ」
「はいはい」

「今剣!」
 審神者の気配を察して彼は駆けだしていた。
 審神者もそのまま庭に飛び降りて彼を追いかけたが、如何せん人と刀剣男士、そもそも運動不足の人間と人ならざる者。結果はわかり切っているが、審神者は必死に彼を追いかけた。
 逃げる今剣と追いかける審神者。
 審神者に手を貸すべきかと思った者たちもいたが、傍にいた別の者に止められた。
 やがて、足がもつれて審神者が派手に転んだ。その音に驚いた今剣は振り返る。
「今剣、助けてよー」
 転んだ姿勢のまま審神者が言うものだから彼は躊躇いがちに戻ってくる。
「もう、おとななんですからひとりでおきてください」
「捕まえたー!」
 今剣の手を借りて身体を半分起こした審神者がそのまま手を引っ張って彼を抱える。
「なんですか」
「あのさ、今剣」
「はい」
「ここに、今剣が大事にしていたものがあります」
 何もないところに丸を描く。
「それを別の誰かが盗ろうとしました。どうする?」
「取られないように掴みます」
「わたしがしたのはそれだったの」
「どういうことですか?」
「あいつが今剣を狙って放ったのは、術……呪いだった。わたしが刀剣男士と審神者の縁を切ることができるのは知ってるね」
「はい」
「あいつはそれに似た呪いを今剣にかけようとした。だから、咄嗟に手が出た。この子はわたしのだって」
「そののろい、あるじさまはだいじょうぶだったんですか?」
「うん、痛かっただけ。呪いって対象が限られているからね。特に人間と刀剣男士とに同じ呪いを掛けられない。あまりに性質が違うから。たぶん、あいつは刀剣男士の方が数が多いし、ワンチャン狙ったんだろうね」
「そのひとは、どうなったんですか?」
「ああ、奈落に落としてやったよ。もうわたしにちょっかい出せない」
 俯いた今剣の顔を覗き込む。少しくすぐったそうな表情を浮かべていた。
「説明が遅くなって悪かったね」
 審神者が手を離すと今剣は立ち上がり、審神者に手を差し出す。
 審神者はそれを取って立ち上がる。
「さ、戻ろうか」
「あるじさま、どろだらけです」
「おおー、また叱られるネタが増えた」
 笑って言う審神者に「じゃあ、ぼくもいっしょにあやまってあげます」と今剣が言う。
「心強い」
 二人は手を繋いで居住棟に戻っていく。
「ところで、山姥切から予想どおりにクレームが入ったんだけど。次の術は何にしたらいいかな?」
「そうですねぇ」
「オネエ言葉になるっての考えたんだけど」
「それでしじをうけるぼくたちのきもちをかんがえてください」
「戦力ダウンか」
「そうなります。でも、それはそれとしてみたいですね」
「でしょー!」
 二人は声を上げて笑う。
 二人の笑い声が聞こえた本丸の皆はほっと胸を撫で下ろした。









桜風
20.10.11
(22.5.8再掲)


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