売
審神者には、毎日決められた執務がある。鍛刀や刀装づくりだ。
その他、出陣編成や内番の采配などもあり、月に一度提出する本丸の運営報告がこれまた面倒くさい。収支報告があり、刀剣男士が出陣や遠征で得た収入が多ければ政府からの配分が減るし、かといって支出が多ければこれまた無駄遣いとして配分が減る。
どの道配分を減らしたいだけなのだろうと思う審神者は、ひとまず、自分の財産を運用資金として博多に預けている。本丸で急な出費が必要になるときなど、すぐに準備できる資金が必要だと考えているからだ。
その日も、日課の鍛刀と刀装づくりを済ませて執務室に戻ると、白くて丸い自称管狐がちょこんと座っていた。
審神者はため息を吐き、近侍はそれを睨め付ける。
「こんちゃん、勝手に部屋に入らないでよ」
「これはこれは審神者様。本丸の運営は順調ですか?」
「それはそちらが良く知ってるんじゃないの?」
返しながら審神者はいつも自分が座る座布団に腰をおろした。近侍はそのすぐ傍に腰をおろす。基本的に本丸の中では帯刀していないため、丸腰だ。審神者に断って本体を取りに行くべきかと悩んだが、そうなると審神者を一人にしてしまう。彼は諦めてため息を吐いた。
「さて、ご用件は?」
審神者が話を促す。
「今回は、特定の本丸ではありません」
「どういうこと?」
「複数の本丸で不正がありました」
「不正って何やってんの?」
「横領です」
こんのすけの話によると複数の本丸に於いて不審な刀剣喪失案件があるらしい。
政府が記録している各本丸の刀剣男士顕現記録と在籍記録が整合しないのだ。
定期的に刀剣が喪失している本丸もあれば一度で終わっている本丸もある。
多くの審神者は本丸に顕現している刀剣男士が政府に記録されていることを知らないため、バレないだろうと高をくくっているのだろう。
「いつかあった審神者御乱心の可能性は?」
「ありません。それとなく審神者と面談を行っていますが呪術を掛けられているとか薬で錯乱しているとかそういう症状は見られなかったのです」
「集団催眠。催眠なら自分が異常だという自覚がないから正常に振舞えるんじゃないの?」
「その可能性も否定できませんが、共通点がないのです」
集団催眠ならどこかで一堂に会する必要があるだろうというのだ。
「政府本部」
「ありませんね」
冷たく返された。
「それと」とこんのすけが言葉を続ける。
「最近、市井で刀剣が高額で取引されているのです」
「自国の伝統文化の再発見」
「そんなものではありません。どれも『本物』なのです」
「……あー」
わかったと審神者は頷く。
「刀剣が喪失している審神者たちの懐事情は? 身内も含めて」
「そういうことです」
審神者はガシガシと頭を掻く。
「しょーもな」
「『審神者』を知っていてそれらから広く刀剣を蒐集し、市井に流している者がいるということです。流石に個人は無理でしょうから組織的に」
「んで、今回の任務は?」
「その組織に潜入して販路と組織の構成の把握です」
「潰す必要は?」
「場合によっては泳がせる必要があると思われますので」
「刀剣が、戦力が喪失してるのに?」
「場合によっては、ですよ。では、今お話した内容を含めて詳細は端末に送っておきます」
「喪失した刀剣の一覧もあるんでしょ? それもちょうだい」
「わかりました。ところで審神者様」
「なにかな?」
「あぶらげの気配がするのですが……」
「ざーんねん! 昨日いなりずしパーティーだったんだ。甘辛く煮たお揚げは絶品だった。ちょっと余ったのがあったんだけどね」
「なんと!」
目を輝かせた管狐に「昨日の夜食できつねうどんにして食べちゃった」と審神者が返す。
「なんと」
肩を落とした管狐に「ま、縁がなかったということで」と審神者は笑う。
「今度こそ」と呟いた管狐は消えた。
「さっきの」と山姥切が口を開くと「お昼だよ」と廊下から声がした。
「はいはーい」と返事した審神者は山姥切に視線を向けて「この話はお昼の後にしよう」と提案して立ち上がり、山姥切もそれに続いた。
「さっき、こんのすけが来てた?」
昼食で呼びに来た青江が問う。
「ああ、うん。また面倒なの持ってきた」
「そう。ところで、夜食にうどんなら僕も呼んでくれたらいいのに」
「いやだなぁ、めちゃくちゃこだわりがありそうで、粉から麺を作りそうな人は呼ばないよ」
「そうだねぇ……そこまでこだわっていいなら小麦から育てたいね」
「食べるまでどれくらいかかるの」
笑って返す審神者に「すぐだよ」と彼が返す。
刀剣である彼らの『すぐ』と人間である審神者の『すぐ』には随分の差がある。
食事のために大広間に入ると昼食がうどんだと知った。
「主、うどんがひと玉足りなかったんだけど?」
「どーしたんだろうねぇ?」
「昨晩、ひとりで夜食したそうだよ」
さらっと青江が暴露し「ちょっ!」と審神者が声を上げたところで燭台切の盛大な溜息を見せつけられる。
「主、夜食に炭水化物はだめでしょ」
「そこかー。以後気を付けまーす」
「そもそも、基本的に数があるものは近々食事として使う予定のものなのだから手を出さないように」
歌仙までもが話に入ってきた。
「以後、以下略」
「反省の言葉は略さないように」
「ハイ」
「そうそう。さっき、こんのすけが来ていたよ」
さらに青江が暴露したものだから審神者はため息を吐いた。
「何しに?」
「アレが遊びに来るだけだと思うのか」
山姥切が愛想なく返した。
「そうだね」
「まあまあ。辛気臭い話はともかく。早く食べよう。伸びちゃう」
「そうだね」
既に皆は着席しており、審神者が着席するのを待っている状態だ。
昨晩の夜食の罪滅ぼしとばかりに片づけを手伝った審神者が執務室に戻ると宗三が寛いでおり、長谷部が正座して待機していた。
「なに、どうしたの? というか、ここ私の仕事部屋だからせめて私に断ってから寛いで」
「こんのすけが来たという情報を入手しました」
「結構大きな声で青江が言ったもんね。それで?」
「今回は誰にお声がかかるのかなと思いましたので」
「立候補? やめときなー」
返しながら審神者は端末を操作する。自分の座布団には宗三が座っているため、立ったままの操作だ。
「主」
固い声で呼ばれて振り返る。
「この長谷部にお命じください」
「あー……正直まだ情報を全部攫ってなくて誰が適任かわかってないから約束できないな」
しゅんと項垂れた長谷部に背を向けて審神者は端末に送られてきた情報に目を通した。
「あー、うん。そうかー」
「今回はどんな事件なんですか?」
「刃身売買。刀剣男士を励起して、そのまま刀に封じて売却してるの。刀解したら依り代となった刀は無名無号の白刃だからね」
「これまたいい趣味ですね」
「そうだね」
「宗三、それは主の座布団だ」
見かねた山姥切が宗三に声を掛けると「そうでしたか。どうぞ」と膝をポンポンと叩く。
「禁断の遊びみたいでイヤ。お高いんでしょう?」
審神者に断られて宗三はため息を吐いて座布団から降りた。
「おお、あったかい」
「それで、誰にするか決めましたか?」
「いや、これは……最近は傾向が違うのか」
審神者の独り言に「どういうことだ?」と山姥切が返す。
「最初は、やっぱり有名人の所持していた刀が多かったようだね。宗三、やっぱり天下人の刀は人気だ」
「それはどうも」
「俺は下げ渡されたからか……」
くっと悔しそうに呟く長谷部に「黒田さんも有名人じゃん」と審神者が返す。
「けど、あまりにたくさん放出されて最近はあまり人気がないみたい。希少価値が薄れたために価格が下落したみたいだねぇ」
「勝手なものです」
「天下五剣ほどでなくてはならないのか」
長谷部の呟きに「いや、それもない」と審神者が返す。
「人気がないのですか?」
「人気はあると思うけど、審神者が手放したがらないんだろうね。彼らはある種のステータスだから」
「どういうことですか?」
「演練で天下五剣を連れていたらそれだけで周囲は一目置く。作戦を立てる上ではただの太刀なのにね。それこそ、遡行軍にとっては『敵の編成に太刀がいる』くらいにしか思われていないよ」
「天下五剣も籠の鳥というわけですか」
「そんな大人しくしてくれないでしょ、宗三も含めて」
審神者の言葉に長谷部はうんうんと頷いている。
「さて、作戦会議するから出ていって」
「……わかりました」
「はい」
二人が出ていったのを確認し、聞き耳を立てている者がないのも山姥切が請け負って審神者は口を開く。
「豊前呼んできて」
「主、俺を呼んでいると聞いたんだが」
「うん、お願いがある」
「お役目の白羽の矢が立ったというわけだな」
満足そうに笑う。
どうしてそんなに満足そうなのか全く理解できない審神者は「うん」とひとつ頷いて事件の概要を説明した。
「それで、豊前にはその組織に潜入していくつか調べてもらいたい」
「わかった。刀はどうするんだ?」
「豊前江」
彼は瞠目した。
「俺か!」
「そう、自分の本体を持って行って。刀剣男士の本体となっている刀は普通と纏っている霊力というか……平たく言うとオーラが違う。そして、人の姿をしている刀剣男士も普通の人間と気配が違う。だから、潜入捜査をしてもらうにしても単体で行ってもらうとその違いに気づかれたら拙い。間違いなく相手には術者がいるから気づかれる可能性がすごく高い。でも、刀剣男士の依り代となっている刀剣を持っているとやはりその気配が通常の人と違う部分が出てくる。豊前の場合、それで誤魔化すしかない。誰か別の人に刀を借りていってもやっぱり違和感を覚えるはず」
「自分で自分を隠れ蓑にするのか」
「そうなるね。第一、何かあった時に手にするのは本体の方が動きやすいでしょ?」
「確かに」
「売却を持ちかけてそのまま組織に潜入してほしいんだけど」
「わかった」
「あとは……顔か」
「ん?」
豊前が首を傾げた。
「完全に初恋泥棒顔だもんな。あ、でも組織内にお子様はいないだろうから初恋泥棒の心配はないか」
「初恋泥棒?」
何やら心配事がちょっとおかしくないだろうかと豊前は同席している山姥切に視線を向けた。
彼は呆れたような表情を浮かべている。
「ハニートラップは、豊前が断ればいいんだけど」
「それよりも瞳の色はどうする?」
山姥切が声を掛けた。
「あ、そうか。こんなにきれいな紅い瞳をした人間はいない」
「これはダメなのか?」
ずいと顔を近づけてきた豊前に「近い近い」と審神者が苦笑した。
「目くらましの術はどうだ? できるだろう?」
山姥切の言葉に唸っていた審神者はやがて「プラス色付き眼鏡かな」と頷いた。
「カラコンは慣れるまで時間かかるかもだし、落としたらアウトだ」
「術は大丈夫なのか?」
豊前が問う。
「早めにケリを付けなきゃやっぱり解けちゃうけど。だから、保険に色付き眼鏡。念のため虹彩も誤魔化せるようにしておかなきゃだね。これは術の組み立てに時間が掛かるな……。明日、また呼びに行くから待っててくれる? 作戦開始は明後日になると思う」
「わかった。何か、準備しておくことはいるか?」
問われて悩んだ審神者は「ちょっと待ってて」と言って部屋を出た。
暫くして戻ってきたその手には地図と雑誌がある。
「これ、眺めておいて。特に地図ね」
「地形の把握ってことか」
「まあ、似たようなもの。たぶん、本拠地は首都内だろうから地図はこれで足りるはず。こちらへ連絡してナビしてもらうにしても、何かあって逃げるとしても道は覚えておいて損はない」
「部屋で見ても大丈夫か?」
相部屋になっているため、他の者たちが目にする可能性があるのを心配している。
「これくらいなら大丈夫でしょ。現世に皆を送れるのは私だけだし」
得た知識が歴史を変えることはないと判断したのだ。今回の案件は豊前に頼むという噂はもう本丸中に広がっただろうし。
「んじゃ、借りていくな」
「うん、よろしく」
その日の晩、審神者の部屋から灯りが漏れており、燭台切が足を向けると部屋の前には山姥切が座っている。
「どうした?」
「あ、いや……夜食、いるかな? おにぎりとか」
声を潜める。部屋の中で審神者は仕事をしているはずだ。
「炭水化物の夜食はいただけないんじゃないのか」
苦笑した山姥切に「まあ、そうだね」と返す。
「今回の、大変なのかい?」
問われた山姥切は逡巡して口を開いた。
「……現世での任務になるから色々と誤魔化すための術を編んでいるらしい」
人ならざるものである刀剣男士を人と変わらない存在に仕立て上げる必要があるのだろう。
「そうか、大変だね」
「そうだな」
「夜食にはよくないけど、朝早く食べるならいいと思うからおにぎりを作っておくよ。厨に置いておくから主が欲しいって言ったら取りに行ってくれるかな?」
「わかった」
「じゃあ、おやすみ」
「ああ」
空が明るくなる頃に審神者の部屋の障子戸が開いた。
「あれ、山姥切」
「終わったのか」
「終わったー。でも複雑だから解けるの早いと思う」
伸びをしながら審神者が言う。
「解けたらどうなる?」
「反動で人ならざる者の気配がプンプンする」
「それを抑えられる方法は?」
「時間がないから準備できない。そうなったら豊前には全力で逃げてもらう」
「……そうしてもらうほかないだろうな。そうだ。昨晩主を心配して燭台切が夜食を作ろうかと声を掛けてきたぞ」
「本当? それはどこに?」
「厨にあるらしい。少し待ってろ、取ってこよう」
「今は早朝だから食べても何も言われないね」
「夜食に炭水化物はよくないが、早朝に食べるならいいだろうといっていたぞ」
「よし、お墨付き!」
グッと拳を握った審神者に苦笑をして山姥切はその場を離れた。
おにぎりとお茶を持って戻ってくると審神者はそのまま縁側で船を漕いでいた。
ため息を吐いて「おい」と声を掛けてみる。しかし反応がない。
仕方ない、と今持ってきたおにぎりとお茶を置いて審神者の膝裏に手を差し込んだ。
「主?」と山姥切の背後から声がした。
ハッと目を覚ました審神者は構える。
「本丸だ」と山姥切に言われて審神者は気を抜くようにふっと息を吐いた。
「あれ、寝てた?」
「ああ。どうする? おにぎりは後にするか?」
「どころがどっこい、空腹で眠れない」
今寝てただろうと指摘しようと思ったがとりあえず言葉を紡ぐのを辞めた。
「早起きだな」と声を掛けてきたのは和泉守だった。
「おはー」
「早いな。大抵寝坊してんのに。さては、今日は雨だな?」
ニヤッと笑って審神者に視線の高さを合わせた和泉守に「寝てないから早起きというのも語弊がある」と審神者が返す。
「なんだ、そうだったのか。何か手伝えることがあったら言えよ」
「ありがとー。あと、さりげなく私のおにぎり取らないでー」
笑いながら言う審神者の前でがぶりと大きな一口でおにぎりを齧った和泉守は「ごっそさん」と笑って去っていった。
「一個になっちゃった」
「あと少しで朝食だろう」
「そうだった」
ぱくぱくと少し大きなおにぎりを口にしてお茶を飲んで人心地着く。
「仮眠するか?」
「熟睡になっちゃう」
「朝食は取っておくように言っておくぞ?」
「まだ準備があるし」
ぱちぱちと瞬きを繰り返している審神者にため息を吐いて「わかった」と山姥切は頷いた。
朝食を摂った後に日課の鍛刀と刀装づくりを終えて執務室に戻ると昨日貸し出した雑誌を手にした豊前が待っていた。
「ごめん、お待たせ」
「いや、主のはお勤めだ。術ってのはできたのか?」
「できた。ちょっと試したい。移動、良い?」
「この部屋じゃダメなのか?」
「ダメじゃないけど、場を整えてから使いたい。正直、複雑にし過ぎて場の力を借りるという保険が欲しいんだ。あと、本体を持ってきて」
豊前は首を傾げたが、ひとつ頷き「どこに?」と問う。
「鍛刀部屋」
鍛刀部屋で審神者を待っていると、しばらくして扉が開いた。
「ごめん、お待たせ」と入ってきた審神者は白い着物に白い袴に着替えていた。その姿は時折審神者自身がまじないとして使用する人型のようだった。
その姿をする審神者は、多くの場合、今回のように政府から面倒くさい任務を命じられた時に現場に乗り込んでいく。
聞くところによると、術の効果や成功率が上がるのだとか。
「そんなに大変なのか?」
「自分で編んでおいて何だけど、なんでこんな面倒な術作ったんだかという内容でね。誰かが作ったものだったら罵詈雑言ものなんだ」
苦笑しながら審神者が返す。
「豊前、そこに座って。楽にしてくれていい。本体はそのまま傍に置いてて」
審神者が示した場所に座る。
鍛刀部屋には普段は足を踏み入れない。用事がないからだ。
顕現した時以来となる部屋の寒々しい様子に、一度ぶるりと震えた。
「外にいる」と山姥切が声を掛けて部屋を出ていった。
「さて。先に言っておくけど、失敗しても豊前には何も害はないから」
「主には?」
審神者は笑顔を見せた。
ふっと、審神者の周囲の空気が変わった。審神者自身、表情がなく人形のようで、それが言葉を紡ぐのだ。ひんやりとした、冬の朝のような静謐で清浄な空気が場に満ちる。
「豊前江」
鈴のように透明な音で名を呼ばれてはっとした。
審神者の表情が戻り、豊前の顔をじっと見つめる。
「んー、出来た感じだね」
「終わったのか」
「うん、一応。これで今日過ごしてもらって術の解け具合を見て明日補強して作戦開始だね」
「色付き眼鏡ってのは?」
「取り寄せ中。夕方には届くと思うよ」
「もういいか」と外から声がして「もーいーよー」と審神者が返す。
隠れ鬼の掛け合いのようだ。
「ああ、ちゃんと効いているようだな」
「だよね。瞳の色が落ち着いただけで、人外感ゼロのただのイケメンになったわ」
笑いながらそう言った審神者は立ち上がり、「じゃあ、明日朝食後にまたここに来て。あ、本体はちょっと借りてて大丈夫?」
手を差し出した審神者に「ああ」と頷きながら豊前は本体を渡した。
「ジュラルミンケースのサイズ確認しなきゃ」と言いながら鍛刀部屋を出ていく審神者に「確認してから注文しろ」と山姥切が後に続く。
残された豊前は肩を竦めて部屋を出た。
翌日、朝食を済ませて指示されていたとおりに鍛刀部屋に行くと、余所行き着の審神者がいた。
「今日は、白いのじゃなくていいのか?」
「さっき、大広間で見た限りではそんなに大きな補強は必要なさそうだったから」
昨日と同じように豊前は審神者からの術を受ける。
「とはいえ、そんなに保たないからね。そうだな、一週間……いや、五日くらいが限度かな。だから、無理せずに何の成果もなくても逃げてきて」
頷いた豊前に審神者は「よし」と満足げに頷く。
審神者が現世に向かう道に繋がる門の前には何人かが見送りに来ていた。
「んじゃ、ちょっと豊前送ってくるね」
「行ってらっしゃい、りいだあ!」
「おう」
審神者と山姥切、そして豊前が門の外に消えた。
暫くうすぼんやりとした道を歩いていると向こうに光が見える。
「いきなり眩しくなるから気を付けて」と審神者に言われた豊前は頷いた。
開けたところは確かに眩しかった。どこかの建物の中で多くの人が行き交っている。
審神者は手で廂を作って明りに慣れるように努めており、山姥切は光の中に入る前に布を深く被ったようでさほど視界を奪われずに済んだらしい。
「あ、豊前は防具があったのか」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す審神者は豊前を見て笑った。彼は色付き眼鏡をかけていたため、光で目が眩むことはなかった。
「じゃあ、ちょっと見送りしてくる」
「わかった。あまり遠くに行くなよ」
審神者は豊前と連れ立って建物の外に向かった。
「なんやこれ!」
目の前の光景に思わず声を上げる。
多くの車が行き交い、人も多い。遠征先でもこんな忙しない光景を見たことがない。
「ああ、まあ。そうだよね」
審神者は頷く。
「えっと、まず。これ、持ってて」
渡されたのは紙の札だった。以前、審神者の家に関係する任務を受けたことがある者たちに話を聞いたことがあるが、審神者に助けを求める道具は木片だったはずだ。
「紙?」
「うん、まあ、この時代に木片を持ち歩いている方が違和感あるからね。かまぼこ板も考えてみたけど、それも普通持ち歩かない。あんまり丈夫じゃないからちょっと不安はあるけど。破くなり、燃やすなりしてくれたら、その場での声を拾える」
「聞いた話だと主が乗り込んでくるって……」
「場所がわかれば、いくらでも乗り込んで大暴れするんだけど。今回は場所がわからないから、ちょっと遠回りの効果にした。一応、これが破壊されたらその気配を辿って行けるけど、時間がかかる」
豊前が頷く。
「確認。まずは自分の身が第一。拙いと思った瞬間逃げて」
「わかってる。それで、この後の手筈は?」
「地図は頭に入ってる?」
「勿論」
「だったら」と審神者は地名を口にする。それから人名と特徴。
「そこでその人に声を掛けて。そしたら手引きしてくれる。案内人」
「信用できるのか」
「ごめん、そこら辺からもう怪しい」
「政府経路の情報?」
「実家」
「だったら、文字通りお家芸だろ?」
「情報収集はお家芸でも、私が嫌われているかもしれないという心配」
「なるほど。妬みか」
「さすがに、政府からの特命でやらかすことはないと思うけど……」
申し訳なさそうに見上げてくる審神者に豊前は苦笑してその頭に手を置いた。
「でーじょーぶだって。俺に任せちょけ」
「……ん、任せた」
移動しながら豊前は審神者に言われたことを反芻する。
自分の偽名や設定、この豊前江を持たせた本丸の記号。取り敢えず、隠せるものは隠す。相手に術者がいるなら尚更だというのだ。
暫く移動して、審神者が言った場所についた。
ふと、視界に入った姿がある。先程聞いた案内人の特徴と一致する。
痩身の、男とも女とも判断がつかない者。腕には大きな刺青がありハンチング帽を被っていて、ピンヒールのパンプスを履いている。
案内人は、周囲から敬遠されているわけではなく、しかし興味を持たれているでもなく、『ただそこに居る』という不思議な印象だった。
「よう」と声を掛けるとそれは振り返り、首を傾げながら「なあに」返す。
やはり性別はわからない。
審神者から聞いていた名前を言うと「あら、運び屋さん?」と返されて頷いた。
「どこで聞いたの、アタシの話」
「知り合いの審神者から聞いたって。これ、預けてきたやつが」
豊前が持っているのは楽器ケースだった。
審神者が用意したジュラルミンケースはサイズが合わなかったため、急遽別の入れ物になった。
「あまり重々しいと目立つから」と恰も計算したかのように審神者が言ったが隣で山姥切がため息を吐いていたため、やはり無計画だったと悟った。
「なるほどねぇ。こっちよ」
しなりを作って歩き出した案内人はまるで蛇のようだ。豊前は警戒しながらその後ろを歩く。
細い路地に入ってドアチャイムがついている木製のドアを開けて少し寂れた喫茶店に入った。
好々爺のような店主がおり、案内人が「いつもの」と言うと頷いた。
「こっち」
店の奥に入り、そのまま突き当りで床を開けると階段があった。その細い階段を降りていくと少し開けたところに出た。
「あとは一本道よ。この廊下をまっすぐに歩いていけば迷うことはないわ」
「あんたは?」
「アタシの案内はここまで。ここから先は、それを持っていないと入れないの」
『それ』とは刀剣。おそらく、刀剣男士の本体のみを指している。
「そうか、世話になった」
審神者に言われたとおりチップを払おうとすると「ああん、いいわよ」と断られる。
「そういうわけにはいかない」
「いくの。いいもの見せてもらったお礼よ」
「いいもの?」
「ア・ナ・タ」と言いながら豊前の胸を人差し指でチョンと押す。
「あ、ああ……」
こういう時にはどういうリアクションが正解なのかわからず、曖昧に頷いた。
「じゃあね、頑張って」
投げキッスをして案内人は元来た道を戻る。
とりあえず、一本道と言われたため、歩き出した豊前の耳に「豊前江か」という呟きが届いた。
驚いて振り返るが、誰の姿もない。あの案内人の声とも違うそれにこくりと唾を飲む。
監視されているのかもしれない。
とはいえ、ここで尻尾を巻いて逃げるには早すぎる。この入口までなら審神者だって知っていたのだろう。知らなくてもあの案内人との接触方法を知っていたのだから、調べることは可能だ。
審神者はこの先の情報を必要としている。
豊前は俯いて一度大きく息を吐き、そして顔を上げる。
「よし」と呟いて歩き出した。
一本道と言われたが、結構長い。
あの狭い喫茶店の地下では収まらないその広さに驚く。
廊下は一定間隔でランプの明かりが照らしていた。ランプの炎がゆらゆらと揺らめき、感覚を狂わせている気がする。
歩数を数えながら一定数歩いて立ち止まり、自分の感覚を確認する。
それを十数回繰り返したころに先程の喫茶店の入口と似たような扉が目に入った。
このドアはドアチャイムの代わりにドアノッカーがついている。
三回ノックをした。
全く反応がない。
もう一度三回ノックをする。
すると、ドアが上部にせりあがっていく。まるでシャッターのようだ。
無理に開けようとドアノブに触れるとずっと開くことがなかったかもしれないと思いながら豊前はドアの向こうに足を踏み入れた。
そこはとても広く、古い洋館の玄関ホールのようだった。
豪奢なシャンデリアがあり、西洋の女神を模した彫刻まである。赤い絨毯は毛足が長く、正直歩きづらい。
階段があればそれこそ映画や物語に出てくるような大きな洋館の玄関ホールのようだが、さすがにそういう作りではなかった。
「ようこそ」
顔の半分を仮面で隠したタキシード姿の男が近づいてきた。白と黒が半分ずつといった印象を受ける。
「貴方のお名前とその刀剣の所属をお教えください」
豊前は審神者から言われていた自分の偽名と刀剣の所属本丸の記号を口にする。刀剣の所属本丸記号は、廃棄されているものの存在し続けているとして政府が管理しているものだ。どうにかして本丸の一覧を入手している相手なら、存在しない架空の本丸を口にするのは拙いだろうと言っていた。この所属記号の使用も政府に許可を得ているため、問題ないとも。
「ありがとうございます。一度、そちらをお預かりしてもよろしいですか? 中身についてご存知ですか?」
「いや、聞いてない」
本体を手放す不安はあるが、豊前は言われるままに楽器ケースごとその男に渡した。
「暫くあちらの部屋でお待ちください」
すっと男が指した先にはこれまた豪奢な扉がある。
「わかった」と豊前は頷き、そのまま部屋に向かった。
ドアを開けるとすでに数人部屋にいた。
先程街中で見たようなサラリーマンのような男や着物を着た年配の女。まだ年若い娘や屈強な男。それぞれの様子に少し驚く。
運び屋といっても様々のようだ。
ボウイのような男が銀のトレイに載せたカクテルグラスを持って近づいてきた。
「お疲れ様です」
「いや、俺はいい」
「畏まりました。なにか必要なものがあれば何なりとお申し付けください」
ボウイは恭しく礼をして去っていった。
豊前は室内にいる人たちから一定距離を取って壁に背を預ける。
「おにーさん」
部屋にいた娘が声を掛けてきた。
先日審神者から借りた雑誌に載っていた制服のようなものを着ている少女だ。
「なんだ?」
鯰尾のような人懐っこさを感じながらも警戒しつつ返事をした。
「ここ、初めて?」
「え? ああ、まあ」
「じゃあ、ラッキーだね」
「何がだ?」
「今回、オークションだって」
「オークション?」
突然出てきた単語に困惑しつつ、『競り』のことだと気づく。
「すぐに売却できないのか?」
「うん。基本的にすぐにお金を払ってくれるんだけど、今回は結構な業物が揃ったみたい。そういう時ってオークションを開くんだ」
「そうか。それっていつだ?」
「まだわかんない。あたしも昨日持ち込んでオークションだって聞いたから」
前もってその場で買取するのかオークションにかけるのか処分の方法は決まっていないようだ。
「お嬢ちゃん、詳しいのか?」
「詳しいって程じゃないけど、今回で三回目」
多いのか少ないのかわからないが、少し状況を詳しく聞けそうだと踏んで話を続けてみることにした。
「お兄さんは、どうして運び屋なんてやってんの?」
「あ? あー……話を持ち掛けられて。大金が欲しかったし」
「何に使うの? あ、借金があるとか?」
「いや。新しいバイクが欲しいんだ」
「バイク? そんなにする?」
「ピンキリなんだよ。でも、そうか。オークションか……。早めに金になるって聞いてたから受けたのに」
「こればっかりは持ち込んでみないとわかんないみたい。さっきも言ったように業物が多いと主催がお金を工面するのに結局時間がかかるからオークションを開くんだって。ただ、業物が多くても目玉になるものがないとね……。それが決まれば最短三日後。招待状を出すのと、相手がお金の準備をするのにそれくらいは要るんだって」
なるほどな、と納得する。
恐らく、買取るときの流す先はこの組織が贔屓にしている者に流すのだろう。元々こういうものを探しているなど、話を聞いておけば売却相手を決めることはさほど難しくない。相手も、悪い気はしないだろう。何せ、間違いなく本物の刀剣が手に入るのだ。必要なかったら自分の伝手で別の者に売り払ってもいい。
そして、オークションを開催するということはすでにそれなりの数の客がついていると考えられる。
「お嬢ちゃんは何を……って、知らないか。中身、見ないよな普通」
「ここってさ、買取が完了したり、オークションが終わるまで運び屋は缶詰なんだけど、凄くいい生活できるのね。普通だったら食べられない料理を食べ放題だったり、美味しい飲み物もお替り自由。あとで宛がわれると思うけど、個室も凄く豪華なんだ。それに、あっちの部屋ではクスリももらえる」
声を潜めてドアを指さす。
「凄く自由で、凄く贅沢。その上お金も手に入る」
クセになっちゃったと少女は屈託なく笑う。
「今回はさ、あたし、ほかの運び屋のをパクったの」
「パクった? どうしてそれだってわかったんだ?」
「うーん……ここに運び込まれる刀剣ってなんかちょっと雰囲気が違くて。一回、どんなでもいいかもと思って刃物屋に行ってみたんだけど、運んだことのある刀剣はオーラが全然違くて。だから、きっと特別なんだろうなって。そのオーラを感じるのをパクってみたら正解だった。でも、あまり有名じゃないっていうかレアものじゃなかったみたいで……。あたしが持ち込んだのだけ買取になるかもしれないって思ってたんだけど、客層は色々みたいでそのままここに留まることになったってわけ」
この任務の話を聞いたとき、審神者も同じようなことを言っていた。恐らくこの少女は審神者となる資質を持っているのだろう。
誰でも審神者になれるのではなく、資質が必要だと聞いたことがある。だから、自分の家は審神者たれる者が一族にいたことに安堵したらしいと苦笑しながら審神者が言っていたのを思い出す。
この少女は政府の目に留まればきちんと手続きを経て審神者となっていたのだろう。
そうすれば、こんなことをしなくて済んだかもしれない。
審神者というものが楽だとは思えない。自分の主が少し特殊なのはわかっているが、それを差し引いたとしても、少なくとも犯罪やクスリに手を染めなくて済むはずだ。
「なあ、お嬢ちゃん」
「なに?」
「今回のオークションが終わったらケーサツに行っててみないか?」
「いやよ。なに、正義漢ぶるの? そっちだって刃身売買に手を貸してるのに、自分は犯罪者じゃないって思ってる? もう同じ穴の狢だよ。だったら、何回やっても同じだし、何をやっても変わらない」
気分を害したように少女は去っていった。
そういうつもりはないが、年若い娘がこんなことをしていることを正常と思えなかった。
ガシガシと頭を掻く。
ひとまずこの場での情報収集はこれまでにしておいた。
夕飯は少女の言っていた珍しい食べ物が沢山あったが、軽く済ませた。
そして、宛がわれた個室のドアを開ける。一人で使うには随分と広い。部屋の広さだけなら、相部屋になっている本丸の自室の二倍くらいはある。
とはいえ、落ち着かない。どこかで監視されているような気がするのだ。術者がいると審神者から聞いていたため、過敏になっているのか、それとも本当に監視されているのかはわからない。本体が傍にないことに対する不安感も付加されている可能性もあるが、そこらへんは考えないようにした。
それはともかく、審神者から預かった札をどこで使うかが問題だ。
オークションがあるというのはわかった。しかし、それがいつどこでという情報はまだない。
おそらく、それがわかったタイミングで使うのがいちばんなのだろうが、その時に自分が動けるかどうかも問題になる。
考えても答えの出るものではなく、ひとまず、今日は寝てしまおうとシャワーを浴びてふかふかのベッドで眠った。
翌朝目を覚ますと少し頭がぼーっとする。
軽く頭を振って覚醒を促したが身体が重く、思考がはっきりしない。
「拙いな……」
警戒したつもりだ。審神者からは容姿を変える術に簡易な結界を入れているが、あまり強いとバレてしまうから相手の術を弱める程度のものにしたと聞いている。
頭に靄がかかっているような感覚を覚えながら昨日の大広間に向かった。
「おはようございます」とボウイが恭しく一礼する。
「朝食の後に、ご案内したい場所がありますのでご同行いただけますか?」
「案内したい場所?」
「おにーさんが持ってきた商品の保管場所」
ふいに背後から声がして振り返ると、昨日言葉を交わした少女が立っていた。
「保管場所?」
「最初預けたときに刀剣の銘とか号とか? を鑑定するの。持ち込んだ商品が何か知ってる人は受付の時に申告するんだけど、念のために鑑定することにしてるのね。それが終わったら運び屋に中身を確認させる。傷がついていないか、汚れはないかとか。それを確認出来たら一旦運び屋に返す。保管中に何かあったから価値が下がったとかそういう因縁を付けられないために。で、オークションの前日にまた主催側と運び屋で確認して主催者に商品を渡す。後は、落札されたら運び屋はお役御免。落札額の四割が商品提出元に行って終わり。大まかな流れはこんな感じ」
「四割?! 俺は売り上げの二割をもらうことになってるんだが、そんなに少なくなるのか?」
「落札額が大きかったらそんなに小さなお金じゃないでしょ」
「あと、依頼人からは俺が金を受け取ってこいと言われている」
「畏まりました。それについては、手続きをしておきます」
ボウイが返す。
「珍しいね。そんな大金を持たせたらトンズラされた時に痛いでしょうに」
「信頼とかそういうんじゃないけどな」
「あ、弱みでも握られてる?」
揶揄うように少女が言う。
「言わね」
「では、後程お声がけください」
「ああ、わかった」
ボウイが下がった後、豊前はそのまま朝食をとるためにカウンターに向かった。
「いらっしゃいませ」
和食がいいなと思っていると隣に少女が座った。
「お嬢ちゃんもこれからか」
「そ。あー、昨日は、えっと……」
「ここの飯、何が美味いんだ?」
少女が言葉を探しあぐねていると豊前が話題を変える。
「え? あー、和食、洋食どっち? 洋食ならクラブハウスサンドが美味しい」
「いっつも本ま……家だと和食ばかりだからな」
「『ほんま』? あー、じゃあたまには洋食がいいんじゃない?」
「そうだな。クラブハウスサンドをひとつと……コーヒーをブラックで」
「あたしも。飲み物は、ロイヤルミルクティー」
「畏まりました」
「お兄さんは、何を持ってきたの?」
「さあ? まあまあの大きさだったな。お嬢ちゃんは?」
「あたしは、信濃藤四郎だった」
パクってきたと言っていたから、少女が持って走れると言ったら短刀くらいだろうとは思っていたが、やはりそうなのか。
「短刀なら、守り刀だな」
「ん? そうなの?」
「殺すために作られた刀剣じゃない。守るためだ」
「そんなものをパクっちゃったのか。怒られちゃうかな」
「俺はそんなに安くないよ!」と不満そうにしている彼の姿が思い浮かんだが、それでもなんだかんだで赦すのだろう。
「どうだろうな」
目の前に朝食が置かれた。
少女おすすめのクラブハウスサンドを手に取ってパクリと一口齧る。
「お、美味いな」
「でしょー。てか、おにーさん一口がデカい」
笑う少女に「そうか?」と返してもう一口齧った。
朝食を終えてボウイに声を掛けると最初に会った顔の半分を仮面で隠した男がやってきた。
「どうぞこちらに」
「あたしもついてっていい?」
豊前に少女が声を掛ける。仮面の男に視線を向けたが反応がない。判断は豊前がしていいのだろう。
「構わねぇよ」
「やた!」と両手を上げた少女に目を細めて仮面の男の後を歩く。
「ねえ、お兄さん」
「ん?」
「今の世界ってどう思う?」
「世界? 何だ? 自分がこんなことをしているのは世の中のせいだって言いたいのか?」
「違う。いや、違わないのかな」
少し沈んだ表情を浮かべている少女は口を噤む。何か言葉を掛けるべきかと思ったが、思いつかない豊前はそのまま歩みを進めた。
暫く進むと重厚な扉が目に入る。
「保管庫はこの先」声を潜めて少女が言う。
確かに、高価なものを保管しておくのだからこれくらいでなくてはならないのだろう。
「貴方様がお持ちになられた刀剣です」
目の前に置かれたのは豊前江。
「中身見ていないからわかんねぇけど」
「それは嘘だ」
背後の少女がいう。
驚いて振り返ると少女は先ほどまで見せていた年相応のものではなく、とこか冷え切った表情を浮かべていた。
「お前は豊前江。郷義弘が作刀した。今は、この国に本体はないが、政府は他の江の者を介して協力を願い、お前は応じた。この国の歴史を守ることに何の意味を見出した? 何故、人間に使われるのを良しとした?」
豊前は自身を手にして構える。
「政府との交渉に応じたのは俺であって俺じゃない。そんなもんは知らないが、俺は今の主が気に入っている。あの本丸は居心地がいい。それだけで、充分だ」
「笑止。人に飼い慣らされた神など、おそるるに足らず」
豊前は懐から札を取り出して駆けた。思うように体が動かない。やはり何か術を施されていたのかもしれない。今朝、少女の気配に気づかなかった。今回も、少女の異変に気付くことなくこんなことになってしまった。
何とか部屋の入口のランプにたどり着く。ゆらゆらと揺れる灯りはおそらく炎。そこに札をくべて膝をつく。破るのと燃やすのでどう違うのか聞くのを忘れた。ただ、札が燃え尽きるまでに少し時間がかかるはずだからその分、長く音を拾ってもらえるかもしれない。
「豊前江の飼い主。お前の豊前は、あたしがもらい受ける。いい刀を寄越してくれたな」
少女が言う。彼女は、膝と片手をついた豊前を睥睨した。にやりと口角を上げる。そろそろ意識が保てなくなる頃だろう。
「オークション!」
札が燃え尽きる寸前に豊前が声を上げた。
審神者に届けることができたかわからない。届いていないかもしれないが、きっと、たぶん。あの審神者ならやってくる。
「でーじょーぶだって、言った、のに、な……」
自身の手から離れた本体がカランと床に転がった。
「山姥切! 山姥切!」
風呂に入っているはずの審神者に呼ばれて足早に向かった山姥切は目を剥いた。
「おい! ちゃんと身体を拭いて出てこい。髪も濡れたままじゃないか。廊下を見ろ、ずぶ濡れだ」
碌に身体を拭うことなく浴衣を着たようで、身体に浴衣が張り付いている。思わず自分の纏っている布を掛けた。
「これから現世に行く。三振り選んで準備させて」
「……わかった」
山姥切は踵を返して駆けだした。
審神者も駆けて粟田口の部屋に向かう。刀派で同室が良いというため、あそこは隣り合っている大きな部屋を三室使っている。審神者によっては別棟を建てていると聞いているが、ひとまずこれで間に合っているためこの本丸では別棟の建築は考えていない。
「博多!」
障子戸を開けて名を呼ぶ。
「主、どげんした?」
のんびり返事をした博多は審神者の姿を目にして瞠目した。
「主さん」と乱がバスタオルを持って駆け寄って頭に被せた。ぽたぽたと髪から落ちる雫が廊下に水玉を作っている。
「私の資産運用、どんな感じ?」
「ばっちりばい。いくらいると?」
「むしろ、いくら貯まった?」
審神者の言葉に博多は右手を開いてみせた。
「ゼロは?」
「九つばい」
「それ、すぐに自由になる?」
「全部? 何に使うと?」
「ウチの豊前、競り落とす」
豊前が審神者の特命で現世に行っていることはこの本丸中周知のことだ。だから、彼に何かあったのだと察し、博多は眼鏡のブリッジを押し上げて「よゆーたい」と頷いた。
「まじ男前。博多、これから出るから準備して」
「一緒に行ったっちゃよかと?」
弾んだ声で問う博多に「よかと!」と審神者は頷く。
「三十分後、私の執務室に来て。こっちもちょっとばかし準備がある」
「わかったばい」
「いいなー」と羨ましがっている短刀たちを背に審神者は再び駆けた。
「石切丸」
彼の私室の障子戸を開いた。
「おや、私にもお役目かい?」
「広義ではそうだけど、狭義では違う」
審神者の言葉に石切丸は首を傾げ、そして審神者の話を聞いて頷く。
「なるほど、確かに広義ではお役目だね。引き受けるよ。いつまでに?」
「今晩中」
「急だね……」
目を丸くする石切丸に「今から出かけるから。最短、今晩」と言った審神者はそのまま執務室に向かった。
執務室に戻って政府の担当者に通信を入れる。
恐らく豊前は相手の組織に捕まった。こちらに喧嘩を吹っかけてきたのが術者なのかはわからないが、ひとまず上層部と言えるのだろう。
そして、豊前がオークションと叫んだ。それは紛れもなくこれから行われるもので、公のものではないはずだ。なにせ、刃身売買なのだから。
政府の方もアンダーグランドに詳しい部署や担当もある。片っ端から調べさせてあたりを付けて乗り込むつもりだ。
そのためには、身分証の偽造と招待状の入手が必要で、もしかしたら今日のことにはならないかもしれないが、オークションが今日開かれないとも限らない。
出来る準備は全てしておく。
暫くして山姥切が声を掛けた者と博多が執務室にやってくる。
「選定理由」
山姥切に視線を向けた。彼が連れてきたのは、長谷部、大倶利伽羅、堀川だった。
「洋服を着慣れていること。室内戦も想定して打刀、脇差、短刀で考えて戦力を見た」
「オッケー。さすが。さて、手短に話をするよ。あ、着替えながらでいい?」
「向こうで着替えろ」
衝立の向こうを指して山姥切が言う。
審神者は衝立の向こうで衣擦れの音をさせながら、現在、豊前が置かれていると思われる状態について話をする。
潜入先の組織の上層部に捕まっていること。おそらく無力化されている。助け出すのに一番効率が良いのがこれからその組織が主催するオークションに乗り込むこと。
「なので、これからオークション会場に向かう」
「それはどこであるんだ?」
「政府に調べさせている」
「主が辿ることはできないのですか?」
「ダメだった。たぶん、相手に術者がいて妨害されてる」
「あんたみたいに縁が切れるとかそういうのは……」
「ない。そうなったらイヤだからその部分の防御を一番強くしてる。瞳の色が元に戻ろうが、人間として装えなくなってもそれは切れないように作ったから、まずない。ただ、辿れないようにされている。結界か何かに放り込んだんだろうね。ムカつく」
舌打ちをした審神者に山姥切を除いた皆は少なからず驚いた。
審神者は普段のらりくらりとしており、もちろん自分の刀が傷つけられたら怒りを見せるが、それもさほど苛烈なものではない。静かに冷ややかに怒り、罰を与える。悪態をつくことはまずないのだ。
「よし、行こう」
衝立の向こうから姿を見せた審神者は白い着物に白い袴に着替えていた。
障子戸を開けて早足で歩きだす審神者に皆は慌ててついていく。
「作戦は?」
山姥切が問う。
「ふた班に分かれる。博多班と……堀川班かな? それぞれ、私の資産を分けて手持ち札として。豊前一点買いだと豊前の審神者だとモロバレだから、別の子を一振り……できるかなぁ」
「少し資金が心許なかばってん、競り落とす必要はなかばい」
「どういうことだ?」
「参加したらよかばい。俺が見極めるけん、心配しぇんだっちゃ大丈夫」
「博多、まじ男前」
審神者が再び彼を称賛すると「もっと褒めたっちゃよかばい」と胸を張って言う。
「主!」
審神者の行く先に飛び出た者がいた。審神者は眉間に皺を寄せる。
「時間がないの。道を開けて」
「いいえ、譲れません。私を連れて行ってください。りいだあの危機だと聞きました」
審神者はため息を吐く。
「だめ。今の篭手切を連れて行っても戦力にならない」
「いいえ、必ず役に立ってみせます」
「相手の出方がわからない。相手が何を目的として、今回豊前がどういう状況なのかもわからない。連れて行けない」
「どうか」
引き下がる様子を見せない篭手切に審神者はため息を吐いた。
「主さん」
背後から声を掛けられてちらと振り返ると堀川が一歩前に出る。
「僕の代わりに、篭手切くんを連れて行ってください。同じ脇差です。彼も洋服を着慣れています。僕、彼の気持ちよくわかります。兼さんに何かあったら、僕も同じように直談判すると思います」
「その時は、私は同じように却下するよ」
「絶対に首を縦に振るまで動きませんよ。時間もないんです」
では、と堀川はさっさとその場を去っていく。つまり欠員が一人できた。
審神者はガシガシと乱暴に頭を掻いて「勝手に動くことはしないで」と釘を刺して歩き出す。
「はい!」と頷いて篭手切は審神者の後を歩いた。
現世に向かううすぼんやりとした道を歩きながら審神者は口の中で言葉を紡ぐ。
「主はどうされたんだ?」
長谷部が山姥切に問う。流石に今の審神者に声を掛けるのは拙いと感じた。
「おそらく、術を編みながら歩いているんだろう。俺たちは今、刀剣としての存在のままだ。オークション会場には術者がいるだろう。これだけ刀剣が一緒にいれば豊前の仲間とすぐにばれる。それを誤魔化して時間を稼ぐ必要があるはずだ」
しばらく歩くと、眩い光が見えてきて、その手前で審神者は足を止めて振り返る。
人差し指を口元に宛てて静寂を求めた。
朗々と審神者が紡ぐ言の葉は美しく、聞き惚れた。やがてパンと審神者が手を叩き、「はい、オッケー」といつもの口調となる。
「効いているのか?」
「勿論。今回の術だと、自分の変化はわからない。腰に刀剣があるでしょ? 間合いには気を付けて。本当に幻覚……目くらまし状態だから。自分以外の人は、オークションにふさわしい洋服を着ているように見える。本当はもうちょっと手の込んだのにしたかったけど、緊急事態で付け焼刃するしかない。だから、効果時間は短いよ。とりあえず今晩限り。オークションが今日じゃなかったらまた同じ術を短時間で掛け続けることにする。ちなみに、刀を鞘から抜いたら自動解除になるから。刀を抜くってことは、戦闘に入るってことだからね。お互いの刀が見えないと危ない」
審神者の言葉に皆は頷き「じゃあ、行こう」と審神者が光の中に向かって足を進め、皆はそれに続いた。
豊前を見送りした場所とは異なる人の多い場所に出た。
審神者が周囲を見渡し、ひとりぽつんと立っている少女に向かって歩き出す。
周囲を行き交う人たちは少女の存在に頓着していない。日が沈んで時間が経っているのに、年端も行かない幼い少女がたったひとり佇んでいる光景は異様に映るはずなのに、気づいていないようなのだ。
少女の傍を通り過ぎて審神者は振り返る。
ついて来いということのようで、皆は慌てて審神者の元に足早に向かった。
「さっきの」
「車の中で」
今回の件であの少女が何かしらの役割を持っていたのだろうが、審神者は少女と言葉を交わした様子もなく、不思議に思った。なにより、今、少女の姿がなくなっている。忽然と消えたという印象だ。
審神者と共に向かった駐車場にはリムジンが停まっている。
「うっわー……いや、まあそうか。そうだよね」
頭を抱えた審神者に「どうした?」と山姥切が問う。
「リムジンを運転できる人ー」
「やってみたかばい」
博多が手を挙げる。
「アクセルに足が届かないと思う。……はぁ、仕方ない」
ロックを解除して皆に乗り込むように促した。
「長谷部は助手席に来て」
「はい」
「主が運転するのか?!」
山姥切が声を上げるが、審神者は「ははは」と乾いた笑いを零すだけで「皆は交通事故くらいで死なないよね」と確認する。
「いや、その程度なら大丈夫だがあんたがダメだろう」
「でも、誰も運転できないでしょ?」
「式神とか……」
「えー、ここで力使うの? 勿体なくない?」
「車の中でこの先の流れの話をするんだろう?」
言われてみればと審神者は頷き、ひとまず助手席に座った。長谷部は当初からの予定変更で後部座席に乗ることになる。
運転手を準備して審神者も後部座席に入った。車は滑るように走り出す。
「それで、二班にわける理由は何だ」
「基本的にボディガード可なら二人まで。博多と篭手切は、それぞれがとある家の代表、つまり招待客として出席していて、残りは二人ずつのボディーガードということで。短刀と脇差がボディガードというよりも打刀がボディガードの方が見た目のバランスがいい」
「主が招待客とならない理由は?」
長谷部が問う。博多はともかく篭手切はボディーガードという名目にしてもおかしくないだろう。主が何かに従っているというのが気に入らない。
「招待客という形で入ったらオークションに集中しなきゃいけない。ボディーガードなら周囲を警戒するそぶりは何一つ違和感ない。ずっと言ってるけど、術者が相手なら色々しかけてると思うからそれを探っておきたいというのが今回の配置の理由。招待状、渡しておくね」
博多と篭手切にそれぞれ封筒を渡した。いつの間に入手したのだろうと考えたが、先程の少女の姿を思い出す。こちらが気づかなかっただけで接触があったのかもしれない。
暫くビルの建ち並ぶ街並みを走り、それから建物が少なくなり、山の中に入っていく。
「りいだあはいますか?」
「わからない。招待状に今回のオークション出品一覧表があるはずだけど、豊前が捕まったのは今日だから、その一覧には載ってないはず。急遽手に入ったって会場入り口で説明があるか、最後にサプライズと称して紹介して次回に回すか……。急に商品として入れることはないと思うんだよね。金の準備が出来ていないってクレームが入るだろうし、その対応は面倒だ。それに、金ヅルは逃したくないだろうからね。でも、まあ。何があるかわからないから競り落とすつもりで乗り込むよ」
車は山中にある豪邸の敷地の中に入っていく。
邸の入口で招待状の確認とボディチェックを受ける。流石に皆は内心焦ったが何の指摘も受けずに中に通された。
「ボディチェックくらい予想済み」
審神者に視線を向けてみた皆に小さく呟いて返す。
審神者は山姥切と共に博多班に入った。
会場内の席は篭手切班と少し離れており、後方を指定されていた。おそらく、本当に招待されていた者は大して上客ではなったのだろう。
会場内で渡されたカタログに目を通したが豊前の名はなかった。
「どこらへんでちょっかい出すの?」
本命はあくまで豊前だ。だが、このカタログを見ても豊前の名はなかった。どれにも反応しない訳にもいかない。
「んー、これとかどげんね。競合するんも多かやろうけんちょうどよかて思う」
「わかった」と審神者が頷いた。
篭手切は審神者から預かっている紙を見た。スッと数字が浮かぶ。カタログに掲載されている商品に付記されている番号でオークション参加商品を指定すると言われていた。
篭手切は審神者に視線を向けて頷く。
軍資金は博多と篭手切で六対四で分けている。結局出所が同じだから五対五でもいいと思ったが、駆け引きを得意とする方が多く持っておくほういいだろうという話になったのだ。
「博多ー、頼りにしてるよー」
「まかせんしゃい。もし、主んで足らんくなったら、俺んで賄うけん心配しぇんで」
「それはダメだ。そうなったらものすごく嫌だけど、実家に頭を下げに行くから心配しなくていいよ。博多の蓄えは博多のために使って」
「けど……」
「ありがとう。さ、始まるみたいだ」
会場の前方の壇上にタキシード姿の男が立った。
「それでは、ただいまから刀剣オークションを開始します」
拍手が鳴り響く。
審神者は耳を澄ませた。周囲を注意深く観察して気配を探り、相手の出方を窺う。
ふいに博多の声が耳に届き、審神者は視線を向けた。先程話をした商品のオークションが始まったのだ。
篭手切の方に視線を向けると、彼も参加しているようだ。とりあえず、オークション参加者という体裁は整った。
予定どおり商品は別の者が落札する。
ひととおりカタログにある商品のオークションが終了した。
招待客たちもおおむね満足した様子で帰り支度を始めているが。「ここで、皆様にお知らせです」と司会が言う。
壇上中央に布を被せられた四角い大きな箱が運ばれる。
会場がどよめいた。
「皆さんは、政府が情報操作してまで保管している『刀剣男士』という存在をご存知でしょうか」
「きた」と審神者の唇が動く。
「こちらは、豊前江の刀剣男士です」
するりと布が剥がされて現れたのは檻に入った青年の姿だ。
物理的な外傷はなさそうだが、随分と衰弱している。
「りいだあ!」
審神者は篭手切に視線を向けた。彼は刀身を抜いて駆けだしている。
「長谷部、篭手切を止めて! もしあの檻を斬りつけたら姿勢を崩して! 足を折っても構わない」
「はっ!」
駆けだした篭手切を長谷部が追う。
「山姥切」と手を伸ばすと意図を察した彼は審神者を抱えて駆けだす。
オークション参加者たちはパニックを起こしてドアに殺到し始めた。
「りいだあを放せ!」
檻を斬りつけた篭手切の襟首をつかんだ長谷部はそのまま力いっぱい引き寄せた。
キンという金属音が耳に届き、次の瞬間、篭手切が負傷していた。
「おい、どうした」
「篭手切! 折れてないね」
山姥切に抱えられてやってきた審神者が声を掛ける。
「主……」
何が起こったのか理解できないという顔で篭手切が振り返る。
長谷部も不安そうに審神者に視線を向けた。
「その檻には反射の術が掛けてある」
山姥切に降ろしてもらいながら審神者が答えた。
「だから、斬りつけたら同じ力が返される。反射、鏡のようなものでそのままが返ってくるから長谷部に篭手切の体勢を崩させたんだ。真正面から受けたら折れる」
とはいえ、返ってきた力は中傷にする程度には強かったらしい。
「篭手切、ついてくるなら勝手な行動はしないでって言ったよね。山姥切が身内を選ばなかった理由、考えた?」
言葉なく項垂れる篭手切に審神者はため息を吐く。
「気持ちはわかるけどね。長谷部、このまま篭手切を庇いながら応戦して」
「はっ!」
周囲には術者が用意していたらしい式神の姿がある。司会者もそのひとつだったらしく姿が変わった。
「人件費をケチっているのか。案外火の車なのかな?」
「他人を信用しないようにしているだけよ」
舞台上手から姿を現したのは十代と思われる少女だった。少女は顔半分を包帯で巻いている。
「初めまして、政府の狗」
「君のような小娘の耳に入るほどの有名人になっているとは思わなかったな。これは、お前だな?」
檻を一瞥して言うと少女はくすくすと笑う。
「ご名答。まあ、あの短時間で良くもここまで……犬ってのも存外間違いではないのね。鼻が利く」
「お前の目的は? 小遣い稼ぎにしては大規模だ。それとも、こんな大きな屋敷に住んで蝶よ花よとかわいがってほしかったという願望か? ……それは刀剣男士だな?」
少女の後ろに控えているのは間違いなく刀剣だ。しかし、自分のところの、他の本丸に居る刀剣男士とも雰囲気が違う。何かが混ざっているような、純粋なものではない気がする。
「ええ、私の考えた最強の刀剣男士。あなたも一度くらい妄想したことない?」
「ごっこ遊びはとっくの昔に卒業したからな。そうか、まだおむつも取れていないお嬢ちゃんだったのか」
「そのお嬢ちゃんに後れを取った感想は?」
「いやいや、私の不徳の致すところ。それよりも、縁切りなんてクソ難しい術に挑戦して、そのザマってこと? いや、でも、片目だけで済んだのか。大した術者じゃないってことだな。イキってる姿がかわいらしく見えてきたよ、三流術者のお嬢ちゃん」
「黙れ!」と少女が金切り声を上げた。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れダマレダマレダマれダまれ」
憎悪に染まった視線を向けられた審神者は少女を睥睨する。
「駄々っ子」
口元に笑みを作って審神者が言う。
途端、少女の背後に控えていた刀剣男士が地を蹴った。
金属がぶつかる音がした。審神者の前には布が翻る。
「煽りすぎだ」
「失礼。山姥切、それは任せた。破壊しても構わない」
「情報がいるんじゃないか?」
「残り滓があれば何とでも」
「皆も! 破壊して構わない。これ以上に情報を持っている者はないはずだ」
これと少女を指さした審神者の声に彼らは口々に返事をした。
「さて、術者の殴り合いをしようか。うちの子に手を出した罪は重い。ついでに所属も吐かせてやる」
「無いものをどうやって吐くのかしらね」
少女は構えた。
術者同士の殴り合いは、相手に術を掛けて、掛け返されたものを防ぐというものだ。相手に掛ける術と言えば呪いであり、呪いは返されると倍となって自分に返ってくる。
少女を三流だと評価したが、恐らく得手不得手の問題で、彼女は防御に特化しているのだろう。だから、審神者が解こうと試してみた檻の術は簡単に解けなかった。審神者は、壊すのが得意なため、壊してしまおうと思ったが、それで豊前に何らかの影響がないとも限らない。これなら術者を落としてしまったほうが良いという判断により、喧嘩を吹っかけて殴り合いをする流れにしたのだ。
少女の口元から血が流れる。内臓が壊れたのかもしれない。
先程、彼女は所属がないと言った。つまり、政府が管理していな本丸がある、もしくはそれに近い施設があるというのだろうか。さすがに刀剣男士を降ろす術はそこらの公園でできるものではない。家がそういうものであっても本丸ほど環境が整っていなくては難しいはずだ。
「あとは、抜けたか……」
本丸が存在したまま審神者が行方不明になることがあるという話を耳にしたことがある。勿論、その本丸にあった刀剣男士も姿はない。政府が管理しているデータベースには記録が残っているため破壊ということはないのだろうが、どうやっても審神者と在籍していた刀剣男士の存在を追跡できないということがあるらしい。
刀剣男士と言えど、彼らも神の末席にあるため、神隠しなのではという話も聞いたことがあるが、試しに山姥切に聞いてみたが神隠しができるほどの神格はないと言っていた。あくまで付喪神で、神と名がついているが、どちらかと言えば妖に近いとか。
この少女を捕まえて吐かせると結構な情報が入りそうだが、煽りに煽ってしまったため、どんなに分が悪くても大人しくはならないだろう。
「やっちまったー」
自分の刀にちょっかいを掛けられたことが業腹だったため、正面から喧嘩を買って売ってしまった。
鉄の匂いが鼻につく。ぱたぱたと音を立てて鮮血が壇上に垂れていく。
キィンと金属が強く打つ音がしてそのあと乾いた音がふたつ。
「あ、ああ……」
這うように少女がそれに近づく。二つに割れた刀剣の元に。
「あんたの考えた最強の刀剣男士よりもウチの山姥切の方が強かった」
「とどめを刺すな」
「地獄に落ちろ」
少女はそう言葉を紡ぐと、再び吐血する。
「それは約束された私の未来なんだけど、態々呪いの言葉として発しなくてもいいでしょうに。それ、鶴丸国永と何を掛けた?」
「ど……して」
「いや、どう見てもそうでしょ。でも、何かが混ざってるから鶴丸国永とは呼べない。何と取引して何を混ぜた?」
「今の歴史が正しいと、どうして言える? どうして守る?」
「正しいなんて思っていない。とりあえず、ここまで来れたんだから態々変える必要がない。途中、どこかで何かが変わっていたら、もしかしたらこの国はとてつもなく栄えているかもしれないけど、どん底になっていてそもそも国がないかもしれない。そんな賭けに出るほどギャンブルに狂っていない」
「政府の、狗、が……」
折れた刀に手を触れながら少女は崩れた。
「わんわん」
少女を見下ろす審神者に表情はなかった。
ガチャンと音がして檻の入口の錠が外れた。と、同時に会場内に警察やスーツを着た男たちが押し寄せてくる。結界を張っていたのか、いつからか出入りできなくしていたのだろう。
「おせー……」
審神者が呟き、膝を折る。
「主!」
後方で戦闘を展開していた博多が駆け寄った。
「殴り合いの後だから触らないで。障りがあるよ」
「満身創痍だな」と煙草に火を点けながら声を掛けてきた人間に 皆は構える。先程会場に入ってきた者たちのうちの一人だ。
「うるさいよ。それが首謀者、まだ縛れるんじゃない?」
「そうだな。その金属片は?」
少女が触れている刀に視線を向けて男が言う。
「うちの近侍が破壊した」
「号や銘は?」
「知らん」
審神者の話では鶴丸国永を改造した何かということのようだが、結局何者なのかは知らない。
「んー、じゃ。まあ、お疲れ。そのまま帰るのか?」
「私は残るけど、みんなには帰ってもらうよ。特に篭手切」
「……ああ、なるほど。情を見せたか」
「うるさいよ」
「まあ、いい。こんのすけ」
「はい」
男が呼ぶといつもの白くて丸い管狐が姿を現した。
「刀を連れて帰ってやれ。審神者は適当に神社だか寺だとかにぶち込んでおけば何とかなるからそれは引き受けよう」
「畏まりました」
「主も一緒だ」
そう言って山姥切が審神者に肩を貸す。
「本丸が穢れる」
「それがどうした。多少空気が悪くなったところで、生活に支障がある程度で俺たちが文句を言う……言うな。言うやつもいるかもしれないが、主を置いて帰ったら確実に全員に文句を言われる。連れて帰らんわけにはいかない」
「おーおー、美しき主従愛だな」
揶揄する男を山姥切がにらみつけると「おお、こわ」と彼は肘を折って両手を上げた。
「ま、普段色々と立ち回ってもらっているんだ。少しくらいサービスしよう」
男は咥えている煙草を右手に持ってゆらゆらと動かし始めた。
「ショートカットだ」
パチンと左手を鳴らした。
その場が真っ暗になり、皆は困惑する。先程までいたホールではないどこかにいつの間にか移動したらしい。
「こちらです」
先を行く管狐は仄かに発光しているようだった。
「塗籠に」と審神者が言うと「塗籠ですか?」とこんのすけが振り返る。
「そう。石切丸に塗籠で用意するようにお願いしておいたから」
「わかりました。しかし……本来、私の使われ方としては正しくないんですよね、これ。ほら、わたしは伝令係であって、審神者様の移動手段とされるのは規定外と言いますか……」
「さっきの男が呼んだだろう」
山姥切が指摘すると「ですが、審神者様がこうなっていなければ呼ばれることもなく」と反論する。
叩き切ってやるかこの白饅頭と皆が思ったところで「じゃあ、油揚げ東西の味付け五枚ずつ。それで手を打ってよ」
「ということは、十枚ですか? んー、まあ。今回はあの方のご命令でもありますからそれでいいでしょう」
叩き切ってやるかこの白饅頭と皆の殺意が強くなったところで、先に明かりが見えた。
「到着しましたよ」
「これは酷いな」
塗籠で待っていた石切丸が苦笑した。ここまで濃厚な瘴気を纏わりつかせて帰ってくるとは思わなかった。相手に術者がいると思うから多少はそういうのがあるだろうというのが審神者の読みで、そのために石切丸はここで待機していたのだ。
「主をこちらに」と準備していた布団に促し、寝かせる。
「一旦外に出よう」と言われて塗籠を出た。
博多はそのままこんのすけを連れて厨に向かう。
長谷部は中傷の篭手切を抱えて手入れ部屋に向かい、とりあえず任務は完了したとばかりに大倶利伽羅は部屋に戻った。
「豊前さんも少し休んでおいで。疲れただろう」
「ああ、そうさせてもらう」
「山姥切さん、君はちょっとお祓いしよう」
「主はどうするんだ?」
「先に指示を受けているんだ」
そう言って塗籠の前に結界を張った。
「待て、それだと主が」
「そうだね、出て来られない。主はね、自分が帰ってきたときに 私が見るに堪えないほどの穢れを纏っていたら暫く塗籠に閉じ込めてほしいと言ったんだ。部屋の中には水もある。保存食もあるから、動けるようになったら口にすることができると思うよ」
「俺を入れて結界を張り直せないのか?」
「ダメだよ。それだと君に穢れが移ってしまう。主はそれを良しとしていない。入口に塩でも盛ってみようか。少しは主から穢れが剥がれやすくなるかもしれない」
山姥切は駆けだして厨に向かう。
間もなく、塩の瓶と素焼きの皿を持って戻ってきた。
「どれくらい盛ればいい?」
「いや、大きさは標準で。変える頻度を高くしたほうが良いよ」
「わかった」と言いながら丁寧に盛塩を作って入口に置いてその傍にドカッと座る。
「君、ここで番をするつもりなのかい?」
「ああ」と頷く山姥切に石切丸は苦笑と共にため息を吐いた。
「とりあえず、君の穢れを祓うことをさせてくれないかな?」
「……わかった」
審神者が塗籠から出てきたのは一週間経ってからだった。
最初の二日間は何の音沙汰もなく、生きているのか不安になる者が続出したが、自分たちが存在しているのが生きている証拠だと思って過ごした。
三日目に「お腹空いた」と微かに部屋の中から声がして、部屋の前で番をしていた山姥切が水と保存食の話をすると「美味しいご飯じゃない」と文句を言いながらも食した様子だった。
四日目に窓を開けて簡素な食事を受け取って「囚人みたい」と審神者が笑い、山姥切が部屋の前の番をやめた。
五日目、六日目は、暇だと言いながら廊下を歩く者を捕まえては世間話に興じていたため、山姥切から仕事用端末の差し入れを受けた。
七日目に「もういいだろう」と石切丸のお墨付きをもらって自由の身となった。
「主」
縁側で一人酒をしていると声を掛けられる。
「ああ、お疲れ様。ひとまず報告書は出したんだけど、あっちからまだ聞きたいことがあるって言ったら教えてね」
昼間の内に豊前から今回の任務について聞き取りを行い、報告書にまとめて提出している。
相手術者が所持していた刀剣男士は銘、号共に不明とした。実際、何なのかわからないのだ。
色々と浮かんだ疑問はあるが、ひとまず今回の件は終わりとしていいだろう。
政府としては、今回の件で政府の狗が増えた。使えるかどうかはわからないし、使い方をどうするのか知りたくもないが、駒が増えたという意味では収穫があったと言えるはずだ。
「今回、役に立たなくて悪かったな」
審神者の隣に座って豊前が言う。
「役に立ったよ。あの子、まだいけると思ったんだろうね。本拠地残ってたらしいし、顧客名簿も手に入った。欲しかった情報全部入ったよ。大変だったでしょ」
審神者はもうひとつ持ってきていた盃を豊前に渡し、躊躇いがちに受け取ったそれに酒を注いだ。
しばらく無言で酒を酌み交わしていると「失礼します」と声を掛けられる。
篭手切だ。
彼の傷は手入れ部屋に入って一日で完治したと聞いている。
「このたびは、本当に申し訳ありませんでした」
両手をついて謝罪する篭手切に「だから言ったでしょ」と審神者が言う。
「まあ、でも。終わったことだし、もう言わないよ。篭手切も蒸し返さない。でもね、もうどんな案件でも篭手切は選ばない」
審神者の言葉に「はい」と沈痛な面持ちで彼は頷いた。
「と、思う」
審神者が付け足した言葉に目を丸くした。
「だって、適性を考えて選んでんだもん。篭手切の方がいいのに厳しく言っちゃったからって別の人選んで酷い目に遭わせたら悪いじゃん」
「ありがとうございます」
再び彼は手をついて頭を下げる。
「いや、政府が持ってくる案件については、完全に余計なものだからね。声がかからなくて当然なことなんだから」
ただ、どうしてか彼らは政府案件の任務を受けたがる。
「お詫び、というのも変ですが。よかったら召し上がってください」
すっと差し出してきたのはだし巻き卵だ。
「おお、凄い。大根おろしと醤油まで」
「凄いな……」
「では、私はこれで」
「一緒に飲んでかないの? 盃持ってこようか?」
「いえ、私は失礼します」と言って篭手切が去っていった。
取り敢えず、酒の肴が来たので、それぞれ箸を持っていただきますと手を合わせる。
先に口にしたのは豊前で、咀嚼中に『ガリッ』と音がした。
「……なんだ?」
「え、どうしたの?」と審神者も一切れ口に運んだ。同じく音がする。
まだ口をつけていないものを覗き込み、「ああ」と審神者が笑う。
「なんだ?」
「卵の殻ですねぇ」
白いものを取り出した。
「篭手切はまだレッスン中のようで」
「れっすん?」
「歌とダンス。そして、料理」
なるほどと豊前が頷いた。
「まあ、何はともあれ。お疲れ様」と審神者が盃に手を伸ばし、豊前もそれに倣った。
「「かんぱーい!」」
桜風
20.10.27
(22.5.8再掲)
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