誓
誰かに呼ばれたような気がした。
次の瞬間、白が視界を埋める。何度か瞬きをするとそこには人の姿があった。
白い着物に白い袴。表情がなく、人形だと思った。
視界を慣らすために再度何度か瞬きを繰り返して改めて人形に視線を向けると、それは「お、成功したね」と突然人のように笑い、ぐっと右手の拳を握る。
「山姥切国広。間違いない?」
目の前の人が問う。
「ああ。山姥切国広だ。写しというのが気に入らないのか?」
問い返すと「全然。だって、堀川国広の傑作なんでしょ?」とまた朗らかに笑う。
「私は」と目の前の人間が自己紹介をした。氏名を聞いたはずなのに、記憶に残らなかった。
「職業は、審神者。この本丸の主ということになるんだ」
言われて周囲を見渡す。
「本丸?」
「うん。ここは鍛冶場の隣の儀式の部屋。鍛刀部屋っていうらしいよ。他にも棟があるし、馬小屋がある。まだ馬はいないけど。他にもいろいろ施設があるから後で一緒に探検しようか」
躊躇いがちに山姥切は頷いた。
「それで。俺はこれからどうしたらいいんだ?」
「うん、そうだね」と審神者は頷いて外に出るため扉を開けた。
扉の前には猫ほどの大きさの生き物がいた。
「で、これから何すんの?」
審神者が声を掛けると「出陣していただきます」とそれが言葉を紡ぐ。
一瞬面喰った山姥切は審神者に視線を向けると「こちらに」と扉の前に控えていた生き物が四足歩行で先導する。
「行こう」と審神者に促されて山姥切は歩き出した。
自分の足で歩くという経験はもちろん初めてで不思議な感覚だった。
扉前で待っていた審神者に追いつき、並んで歩く。
「あれは何だ?」
「こんのすけって名前らしいよ。政府の遣いという立場なんだと思う。自称管狐」
「随分丸いな? 管に入るのか?」
「ほんとそれー」と笑う審神者を改めて見る。
軍師としての鋭さはなく、武人かと言えばひょろっこくて頼りない。
「あんたは、何だ?」
「何? すごく難しい質問だね。山姥切にとって、『人間』で『審神者』で『この本丸の主』以外の記号は持っていないよ」
記号などと表現することも独特で、「そうか」と山姥切は相槌を打った。
恐らく、言葉で言い表すことができないということなのだろうし、きっとはぐらかしたとかそういうことではないのだろうと直感した。
「こちらです」とこんのすけが足を止めたのは、とある門の前だった。
「何の変哲もない門なんだけど?」
「こちらから戦場に出ていただきます」
「え、この本丸って戦場の真っただ中にあるの?」
「いいえ。この本丸は幽世にあります。戦場は人の世にありますので、この門を通ることで人の世に出るということですね」
「突然戦場真っただ中?」
「いいえ。少し距離はあります。時代や場所はここで調整します」
木造の門の横に端末が設置されていた。
審神者がそれを覗き込むが、稼働している様子がない。
「動くの?」
「これから設定していただきます」
こんのすけの指示どおりに審神者が端末を操作する。山姥切がその手元を覗き込んでいても何も言われないため、そのまま見学する。
暫く操作を続けると端末が光り始めた。
「おお……」と審神者が声を漏らし、山姥切は思わずそれと距離を取る。
「これで設定が完了しました。審神者様の手が鍵となりますので、刀剣男士が勝手にこの幽世を出ることはできません」
「わー、不便」
審神者が声に出すが「必要なことです」とこんのすけが返す。
「鍵って指紋とかそういう? 指紋をコピーしたら出て行けるってこと?」
「指紋と霊力ですね。腕を斬ってここで操作しようと思っても霊力が循環していない手では動きません。また、そういう意味では、他所の本丸の審神者が操作しても動きません」
「じゃあ、私がうっかり突然死したらここから誰も出られなくて終わるという、ホラーが始まる」
「始まりません。マスターキーは政府にありますから異変を察知すれば対応できます」
「あ、そうなんだ。じゃあ、出陣? どうすれば?」
こんのすけの指示に従い、時代と場所を選ぶ。それからいくつかの手順を踏むと門が開いた。その先は白くて何も見えない。
「大丈夫? これ、ちゃんと着く?」
「大丈夫です。では、行ってらっしゃいませ」
「は?」
見送ろうとするこんのすけに審神者が声を上げた。
「何ですか?」
「こういう時、回復薬とかそういうのを渡すんじゃないの? 初めての出陣だよ。言い換えると初陣」
「刀剣男士の傷を治すことができるのは審神者だけです」
「じゃあ、私もついていくってこと?」
「いいえ。出陣は刀剣男士のみで、傷つけば帰城後に審神者様に手入れをしていただくことになります」
「いやいや、そんな」と審神者がなおも食い下がっていると「つまり、怪我を負わなければいいんだろう?」と自信ありげに山姥切が声を掛けてきた。
「はい、そのとおりです」とこんのすけが言い、「人間の姿になってまだ数十分で自信満々だね?」と審神者が心配そうに声を掛けた。
「やってみないことにはわからんだろう。主、出陣してくる」
そう言って山姥切は白の中に足を踏み出した。
「御武運を」と審神者が声を掛けるが彼は振り返ることなく白に飲まれていった。
それから間もなく中傷の山姥切が帰城した。
「ほらー! ほらー!」と審神者は慌て、「手入れ部屋ってどこ?」とこんのすけに声を掛ける。
「こちらです」と先導するこんのすけの後を山姥切に肩を貸した審神者が追いかける。
「すまない」とぽつりと言葉を零した山姥切に「まあ、ちょっと重いね」と審神者が笑う。
「そうじゃない」
山姥切の返答に審神者は首を傾げる。心底不思議そうな表情に山姥切は少し戸惑いを覚えた。
「怪我を負わなければ良いと言ってこのザマだ」
「ああ、そういう……。まあ、歩けるようになってまだ数時間だというのに無双して帰って来られても戸惑いしかないからちょうどいいよ。というか、政府は初陣で負傷させることを目的としてたんだろうし」
「……どういうことだ?」
「手入れの説明がまだだから。手入れをするためには負傷した刀剣男士が必要でしょ? いつ負傷するかわからないよりも、早々にお互い手入れを経験したほうが良いとか言いそうだから。他の本丸はどうかわかんないけど、この本丸の政府担当者はそういうタイプだと思う」
何とか舌打ちを我慢した審神者はそのまま山姥切と共に手入れ部屋に向かった。
手入れを施し、そのあとは刀装という刀剣男士に持たせる装備を作り、鍛刀をする。
「着替えてきていい?」
「構いませんが……」
鍛刀を前に審神者が言うとこんのすけは少し迷惑そうに頷いた。
暫くして戻ってきた審神者は先ほど山姥切が目にした姿だった。
隣の鍛冶師が打った刀を依り代に鍛刀部屋で刀剣男士を顕現させる。
「ぼくは今剣」
顕現した刀剣男士は短刀で、「義経公の守り刀だった」という。
ひととおりの説明が終わったと言ってこんのすけは姿を消した。
残された一人と二振りはひとまずその日を穏やかに過ごした。
それから月日が流れ、審神者は日課の鍛刀と刀装づくりを欠かすことなく空いた時間は刀剣男士の内番を手伝う生活を送っていた。
山姥切は近侍として審神者の傍にいた。時折出陣で離れることはあったが、基本的に彼が近侍を任命されていた。
彼から見た審神者の評価は「過不足ない」だった。
将として指揮する戦術は平凡だが、悪くない。刀剣男士たちとのコミュニケーションは円滑で、少しだらしないところがあり、しかしそういう欠点があるのは親しみを持てる気がする。
「あんたは、審神者になる前は何をしていたんだ?」
「何、と聞かれると困るな……。家業の手伝い、というところかもしれないな」
「商家なのか?」
「……とは、ちょっと違う」
返した審神者が逃げるようにその場を去ったため、山姥切は審神者の家業について聞くのをやめた。実家が何であれ、審神者がこの本丸の主として不足がないのだ。問題ない。
毎日仲間を出陣と遠征に送り出していた。遠征中は連絡が取れないが、出陣中は音声のみだが連絡が取れる。基本的に部隊長が進退の判断をするが、審神者から指示が出されたり相談することも可能だ。
ある日、戦績を整理している審神者の元に出陣部隊から通信が入った。
『主、聞こえるか』
「感度良好。なに?」
軽い口調で返しながらすぐに最近の該当戦場の戦績記録を出して一瞥する。
『これまでにない敵が出現した』
「被害は?」
『中傷二、軽傷三だ。なおも戦闘中。残った敵は槍が一と大太刀が一』
「強制帰還させる」
『待て! 行ける!』
隊員が部隊長と審神者の会話を耳にして反論するが、それに応じることなく審神者は手続きを行った。
「手入れ部屋で待ってる」
出陣部隊の部隊長と審神者の会話を聞いていた山姥切に言い置いて審神者は部屋を出た。
これまで審神者はどんな話でも相手の言い分は聞いていたのだが、まだできると言っている者の言葉に耳を貸さずに強制帰還させたことに山姥切は少なからず驚いた。
帰ってきた出陣部隊の出迎えを行い、重傷者から手入れ部屋に送る。案の定、戦闘継続を主張した刀剣男士は不機嫌極まりなかった。しかし、先程手入れ部屋に送った短刀は中傷と言いながら殆ど重傷だった。戦闘を続けられるかもしれないが、全員が戻って来られるとは限らなかっただろう。
同派の者が手入れ部屋の前に佇み、心配そうな視線を送っていた。
「くそっ」と毒づいている仲間に足を向けた。
「そう荒れるな」
「あいつは戦のことを碌にわかっていない。あとちょっとで首級を上げられたんだ」
「だが、仲間を失っては意味ないだろう」
山姥切の言葉に彼は言葉に詰まる。
「だけど、強制帰還はないだろう。俺たちが審神者に逆らえないからって」
刀剣男士は、顕現させた審神者を自らの力で害することができない。刀剣男士を顕現させる儀式はそうなるよう刀剣男士を縛る術だと審神者が言っていた。この術により結んだ縁は簡単には解くことはできない。だから、刀剣男士が本丸でクーデターを起こすことはないのだ。
「理不尽な話だよね」と審神者が零した言葉は印象的だった。
だから、審神者は刀剣男士と言葉を交わして不満を酌みとって対処するようにしているのだろう。少なくとも、山姥切にはそう見えていた。
強制帰還後は例の戦場に出陣させることなく、出陣そのものの頻度も下げていた。
その審神者の対応にがっかりする刀剣男士は少なくなく、彼らの様子に気づいていないはずがないのにそれを選択している審神者に疑問を持っていた。
「山姥切、悪いけどこのメンバー呼んできて」
執務室を出てメモに目を通して彼は一度部屋を振り返る。記載されているのは以前強制帰還させた六振りだった。
彼らに声を掛けて揃って審神者の執務室に戻った。
「主、連れてきたぞ」
声を掛けて障子戸を開けると審神者は「座って」と彼らを促した。
「みんなも何となく予想できたかと思うけど、このメンバーを呼んだのは、リベンジの準備が整ったから。正確には整う目途がついたから」
「リベンジ?」
「えーと、再挑戦? あの戦場に出てきた新しい敵を政府は『検非違使』と呼んでるらしい。その時代に生じた不純物……本来ありえない存在を排除するのが目的だろうってことになってる。だから、遡行軍も検非違使に全滅させられることもあるとか。数回なら誤差の範囲だったのかもしれないけど、何度も出陣してもらってた戦場だから、常駐の不純物扱いになったんだと思う。検非違使の強さは、敵の最も強い者と同等となっている。つまり、出撃部隊の最も練度が高い者と検非違使の強さが同じになる」
先日の戦闘で中傷になった者、軽傷にすらならなかった者とがあった。それぞれの練度を考えると、確かに軽傷にすらならなかった者と中傷になった者の練度の差が大きい。
「で。再挑戦は一週間後。練度がいちばん低い前田藤四郎の練度をこの一週間で上げていきたい。行けるね?」
念を押されたのは前田で「はい!」と頷く。
「じゃあ、今日から出陣部隊の部隊長でよろしく。編成と出陣先はこれで。準備が整ったら声を掛けてね。門を開けるから」
「拝命します」
「じゃあ、みんなはモチベーション上げといて」
「餅?」
「えーと、やる気とか意欲」
「わかった」
皆が部屋から出ていくと審神者はぐっと伸びをする。もうちょっと文句とか苦言があると思ったが、あちらは随分と長く在った大人なのだ。こちらの未熟を許してくれたらしい。
「ここ最近データベースを眺めていたり積極的に演練に参加していたのはそういうことだったのか」
「結構時間がかかったけどね。戦、という意味での戦術を練るのはそう得意じゃないけど状況を把握して対処を検討するくらいなら何とか」
苦笑を浮かべた審神者は安堵の表情を見せた。
「主君、準備が整いました」と廊下から声を掛けられて「はーい」と返事をした審神者は立ち上がり、山姥切がそれに続く。
一週間後、見事リベンジを果たした出撃部隊は多少の傷はあるものの全員無事に帰還してきた。
この件をきっかけに本丸の刀剣男士の審神者への信頼は一層篤くなった。
審神者が本丸に赴任して四カ月たった頃、山姥切は頻繁にため息を吐いていた。
原因は審神者だ。チラチラと自分に視線を向ける。何か言いたげなのだが、山姥切が視線を返すと顔をそむける。正直鬱陶しい。
「主」
姿勢を正して審神者の傍に座る。
「俺に何か話があるのか?」
「あー……」
「写しの俺には話せないのか」
「まーだこじらせてんの?」
「うるさい! で、何だ?」
「えっと、ですね?」
それから沈黙が十数秒続き、その間山姥切は根気強く続きを待った。
「実は、ウチの実家の話になるんだけど」
「家業のことか?」
「うん」
審神者が山姥切に話した内容はこうだ。
実家は古くからの術師の家系にあり、時の政府に仕えている。
正確には、時の政府の後ろにいる家に仕えており、随分と昔からその家がこの国の舵取りを行っていて、時の政府はその傀儡のようなものである。
遡行軍と戦う刀剣男士を顕現させることができる審神者は独特の素質を求められており、一族では自分のみが該当した。
刀剣男士という武力を得る者の監視が必要となるということで、自分は審神者となり、遡行軍と戦う傍らに審神者を監視する審神者としての指令が出されることになるため、みんなに迷惑をかけるようになって申し訳ないなと思っている。
聴き終わった山姥切は深いため息を吐いた。
「迷惑だったよねぇ」
「どうして早く言わない」
「巻き込まない方法ないかなって探してて」
再び山姥切がため息を吐いた。
「歴史を守るのが俺たちの使命だ。だが、主に力を貸すことも臣としてのお役目だ。こんなことを不満に思うと思っていたのか?」
「私が選んじゃったから、山姥切がこういう面倒くさそうなことに巻き込まれるんだけど」
「あんたは、俺を選んだことを後悔してるのか」
「いえ、全然」
「だったら、このことで気に病むのはやめろ。あんたが必要というなら、いくらでも力を貸す」
ぶっきらぼうに言う山姥切に「ありがとう」と審神者は深く頭を下げた。
「しかし、俺が知らない間にそういうこともしていたのか」
「いや、まだ。まずは本丸の体制を整えろっていうことで。でも、ウチの本丸も戦力的にも落ち着いてきたし、そろそろ指令がありそうな気がしてきて……」
審神者が言うと丁度こんのすけが姿を見せた。
「おや、こんちゃん。どうしたの? 新しい時代の侵攻が確認された感じ?」
「いいえ。今日は、審神者様に下った命を伝えに参りました」
山姥切は眉間に皺を寄せて首を傾げたが審神者の空気が張りつめたことで、ちょうど話をしていた家業に関係ある話だと気づく。
こんのすけの話はこうだ。
とある本丸で刀剣男士の虐待が行われている。
政府としても頭を下げて協力いただいている刀剣への理不尽な暴力は排除すべきと考える。
この件について状況を確認し、良きように解決するように。
「えーと。虐待って?」
「色々です。審神者と刀剣男士の縁による縛りはご存知ですよね」
「ご存知だけど……。でも、人と神でしょ?」
審神者の言葉に山姥切は少しだけ驚いた。基本的にのらりくらりとしているが、確かにこの人間は自分たちへの敬意を忘れていない。だからなのかという気持ちも浮かぶ。
「力を持つということは思い上がりをするということです。あなたも肝に銘じてください」
「まあ、銘じてるけど。操られているとか、そういうのは?」
「ありませんね」
「呪い」
「それなら、あなたが現場に行けば解決する原因ですね」
「待て。主が現場に向かうのか?」
「そうですね。刀剣男士を派遣しても構いませんが、あの方は審神者様が現場に向かった方が良いだろうという判断です」
審神者は盛大にため息を吐きながら「わかった」と返す。
相手本丸の情報は殆ど与えられなかった。通常の審神者としての権限の範囲内の情報しか渡されないことについて審神者は文句を零したが、酌んでくれる相手ではなく、仕方なく訪問の手続きを行う。
一応、この本丸が置かれている状況を皆に説明しておくべきと判断した審神者は皆を広間に集めた。
「――というわけで。申し訳ないんだけど、実は色々巻き込まれる本丸でした。後出しの情報でホントごめん」と審神者は頭を下げ、傍に控えている山姥切に視線を向けて「悪いけど、山姥切は一緒に来てね」という。
「わかった」
「あと、本丸を留守にするから……」
「はーい!」と今剣が手を上げる。
「ぼくがあるじさまのいないあいだるすをまもります」
恐らく適任だろうと審神者は頷いた。彼は山姥切に続く古参で、すでに練度は頭打ちとなっていることから出陣や遠征を頼むことがなくなり、最近はもっぱら練度の低い刀剣男士の指南役だ。
「じゃあ、今剣お願い。えっと、質問ターイム! 答えられることとそうじゃないことあるけど……」
広間を見渡して審神者が言うが、皆はあまり興味ないのか幸運にも特に不満がないのか手が上がらない。
「あ、あの……」
遠慮がちに五虎退が手を上げる。
「はい、五虎退」
「あるじさまはどれくらいでお戻りですか?」
「未定としか言えないね。あっちがどんな状況かわからないし、何ができるかわからないから」
「護衛は山姥切だけでいいのか?」
「俺が写しだから心配だというのか」
むっとした表情で山姥切が言い、「こじらせないこじらせない」と審神者が苦笑する。
「あまり大勢で行って警戒されても困るかもしれないし」
「あんたは自分を守ることができるのか?」
「物理的なもの。例えば、刀剣男士と戦えと言われたら全力で逃げるしかない。逃げ切れるかどうかわかんないけど。ただ、穢れとかそういうのには滅法強いから、その本丸に何かしらの呪術が使われていても影響は受けない」
「なるほど。主は結界を張るのが得意だということかな?」
御神刀に問われて審神者は首を傾げ「いやぁ、ちょっと違う」という。
「私、守護系の術は苦手だから、ひたすら守りに入る状況だったらたぶん長く持たないんだけど、相手が殴ってきたら倍で殴り返すのは得意で、自分に危害を加えようとする術を向けられたら意識、無意識にかかわらず倍返ししちゃうみたいなんだ。弱い術だったら勝手に倍にしてお返ししてるみたい」
はははと笑う審神者に「あなた雑ですものね」という感想が投げられた。
「え、雑と倍返しってなんか関係ある?」
返した問いに答えはなく、仕方なく審神者はため息を吐いた。
「えっと、この先たぶん本丸全部で対応する事態はないと思うから、このタイプの任務に関わりたくない場合は後日申告して。今後はみんなに色々お願いしなきゃならなくなるかもしれないから」
その言葉を締めとして審神者は立ち上がった。
命令を受けた三日後に審神者と山姥切は件の本丸を訪った。
「よく来てくれたね」と出迎えたのはその本丸の審神者だった。
「急なお願いにもかかわらず聞いてくださりありがとうございます」
本丸の中の気配を探る。空気が重く、少し鉄臭い気がする。
刀剣男士は本丸内の鍛冶場で打たれた刀剣を依り代として顕現するため、審神者の本丸も鉄の匂いはするが、この本丸の鉄の匂いは少し違うように感じた。
こんのすけの言った『虐待』という言葉が頭をよぎる。
下がった位置で付いてきている山姥切をちらと振り返ると彼も違和感を覚えているようで警戒の色が濃い。
「君のその服は術者のようだね?」
白い着物に白い袴でこの本丸にやってきた。自分が術を使うときの成功率を上げたいという思いからだ。
「味気ない装いで申し訳ない」
「いやいや、カッコいいよ。連れてきた山姥切は何振り目?」
「……は?」
審神者が問い返し、山姥切も眉間に皺を寄せる。
「刀剣男士っていくら折ってもまた同じの顕現させることができるんだよ。知らなかった?」
幼い子供が虫の脚を一本ずつ毟っていくような無邪気さと残酷さを綯交ぜにしたような表情を浮かべる男に審神者は言葉を失った。
「あと、審神者には絶対に逆らえないってのがいいね」
「この本丸には、刀剣男士は何振り在るのですか?」
「えっと、今顕現させることができる全部かな? いや、全部だったというのが正確かも」
審神者の本丸ではまだ全振り顕現は実現できていない。この男は審神者としての資質と運は非常に高いのに、中身が伴っていなかったようだ。しかし、態々過去形にして言い直すのはどういう事情だろうと審神者は首を傾げる。
「あー、ここ見て」
鉄の匂いが濃い部屋の前に立った。嫌な予感しかしない審神者はそれでも視線を逸らさずに障子戸が開けられるのを待つ。
「ほら見て、これ。こんなでも生きてるし、ぼくを攻撃してこないんだよ」
部屋の中には多くの刀剣男士の姿があった。誰も戦えるような体ではない。
「……他の刀種は? 見たところ、彼らは出陣できそうにありませんが、大きな刀での出陣とされているのですか?」
「出陣なんて面倒くさいことはしない。誰かがやってるんだから、任せてしまえばいいじゃないか」
「政府の担当者からせっつかれませんか?」
「ああ、担当者? あれね、ぼくのパパの後輩なんだ」
つまり、口出しされないということなのだろう。
なるほど。刀剣の増減については、戦場で失うこともあるだろうから出陣報告さえ出ていれば不審に思われない。
では、政府はどうやってこの本丸に違和感を覚えたのだろうか。
「定例の面談はされているのですか?」
人の世から離れた場所での生活が人間の身体にどんな影響があるか確認するために毎月政府庁舎で面談する義務がある。政府担当者との面談後に健康面の確認のために医師と面談を行う。政府担当者だけなら何とでもなるが、医師の面談を受けなければならないため、親のコネクションによる誤魔化しは難しい。
「行ってるよ、面倒くさい」
おそらく、この面談で行き来している中で違和感を覚えられたのだろうとあたりを付ける。
「そうですか。ところで、この本丸の近侍は誰ですか?」
「三日月宗近だよ。ね、君のところ三日月宗近いる?」
「いえ……まだ顕現していません」
「いいこと教えてあげよう。他の刀剣全部を供物にすれば顕現させることができるんだよ、三日月宗近って」
先程の過去形に言い直したのはおそらく三日月を呼ぶための儀式に他の刀剣を犠牲にしたためだろう。
不意にぞわりと身体中総毛立つ。
視線を向けると黒い靄に纏わりつかれた何かが近づいてきている。
「あ、三日月!」
男は無邪気にそれに駆け寄っていった。
「主」と山姥切が耳打ちする。彼も感じているのだと気づき、審神者は頷く。
あれは、まともな刀ではない。
「おや、主。それは、何だ?」
視線を向けられて審神者は息をのむ。首元に鋭い切っ先を向けられているようだ。
「お邪魔しています」と静かに礼をした審神者を一瞥し、「主よ」と自分の元に駆け寄った男に視線を向けた。
「あれは、山姥切国広ではないか?」
「え? ああ、そうだね」
「俺に全てくれると言ったではないか」
「でも、あれはぼくのじゃないから」
「なるほど。では、奪っても構わないか?」
「いいよ、好きにして」
「そうか」
目を瞑ってゆったりと頷き、瞼をあけたと同時に地を蹴っていた。それに気づいて審神者も地を蹴って後方に跳ぶ。
「主!」
鉄のぶつかる音がした。山姥切が刃を受ける。
「お待ちください」
審神者が三日月に声を掛けた。
刀を合わせている姿勢のまま三日月がゆったりと審神者に視線を向ける。
「なんだ?」
「私は政府からこの本丸について調査をするよう指示を受けて参りました」
「それで?」
「あの者に審神者たる資格なしと報告します」
「だから? そんなもの、俺とてとっくに理解している。こんな本丸はなくなった方がいい。それでも、あれは俺の主だ。害することができない」
「刀剣男士が、主に害をなすことができないのはそうあるように縁が結ばれているから。では、その縁を切った場合……」
「殺せるのか、あれを」
「可能です」
「どうやって縁を切る?」
「私は、それができる術者です。ご希望ならばあなたとあの者との縁を切ります」
「やって見せよ。しばらくの猶予をくれてやる。見てのとおり、俺は普通の三日月宗近とは違う。あまたの刀剣の怨念と執念と妄念で凝り固まっている。人ひとり呪殺するのに苦労はない」
審神者は深く頭を下げてそうして顔を上げたときには人形のように表情がなかった。
審神者の紡ぐ言の葉が朗々と本丸に響く。静かな声音だというのに、空気が震え、掃くように空気が変わっていく。
審神者が手を二回叩いて再び深くお辞儀をした。
顔を上げて三日月に視線を向ける。
彼は山姥切と合わせていた刀をおろし自分の手を見つめる。
「三日月、今の何?」
のこのこと近づいた男に一閃刀を振るった。ゴトリと重い音がした。審神者の白が赤く染まる。
障子戸を開けたままの部屋の中からわっと声が上がり、同時に男に対する罵声が聞こえた。
男は血しぶきを上げている自身の身体を眺めている。とても不思議そうに。
「俺をこのような『物』にしたお前を主と呼ばねばならなかった苦痛がどれほどかわかるか?」
口調こそ穏やかだが、転がった生首に向ける視線は一切の情はなく、崩れた身体に刀を突き立てる。
「人の子」
三日月に呼ばれて審神者は彼みに視線を向けた。
「お前の任務はこれだけか? この本丸の状態を放っておいて政府に報告して終いか?」
「『良きように』との命です」
「なるほど。ならば、ここに残る俺たち全て解け。われら刀剣男士の使命は理解しているが、この本丸に在る俺たち全て人の下に着くことは我慢ならん」
「待て!」
山姥切が声を上げるが、三日月は静かに審神者に刀を向け、ぷつりと喉元に切っ先を刺した。
「出来ぬ話ではないだろう? お前はこの山姥切国広を従えてやってきた。審神者だ。審神者ならば刀解もできよう」
「はい」
静かに頷き、審神者は部屋の中に足を踏み入れた。
「触れてもよろしいですか?」と声を掛けながら刀剣男士に手を伸ばす。
「主、俺が運ぶ」
刀を鞘に納めて山姥切が部屋に足を向けた。刀解も鍛刀部屋で行うと聞いたことがある。
「ならん」
「俺は、こいつの近侍だ」
「俺はもう俺たちが人の下にある姿は見たくない」
「お前の気持ちを酌んでやる義理はない」
「いい、山姥切。私一人で大丈夫だから」
刀剣男士は顕現した身体の大きさに合わせて体重もある。小さな刀たちは子供の姿だが、この数をすべて鍛刀部屋に運んで刀解していくことになる。刀解も霊力を使う。審神者の身体が持つかどうかわからない。
一振り一振り大切に抱えて運び、送る。
部屋の中のすべての刀剣を送って残りは三日月だけとなった。審神者の疲労の色は濃く、この本丸の主だったものの血を浴びた箇所は酸化して黒く変色している。
「三日月宗近、あなたで最後です」
「ああ行こう。それとも、俺も運んでくれるか?」
「歩けるなら、出来れば歩いてほしいです」
「ならば、仲間を送った褒美に歩いてやろう」
「ありがとうございます」
審神者と三日月、そしてその後ろを山姥切が続いて鍛刀部屋に向かった。
「お前は、どうして政府の狗のような真似をしている」
「家の事情ですね」
「なんだ、お前も雁字搦めか」
「さほど窮屈に感じていません。けれど、面倒くさいし、私の本丸に顕現してくれた刀剣男士に悪いとは思っています」
「……おそらく、お前が思っているほど迷惑に思っていないと思うぞ」
鍛刀部屋に着いて三日月は部屋を見渡す。ここに顕現した時は、無理やり引っ張られてやってきた。憎らしいとか恨めしいとかそういう負の感情に纏わりつかれ、自分が呪われた存在だと理解した。そして、その原因が目の前の男で、それは何ひとつ責任を感じることなく、無邪気で無能だった。
「よろしいでしょうか」
「ああ、頼む」
審神者が刀解の儀式を始めた。三日月が淡く光り始める。共に鍛刀部屋に入ってきていた山姥切に視線を向けた。睨みつけている彼に苦笑して、そして目礼をする。
最後にきちんとした人間に会えたのはこの本丸に降りて来てからずっと続いていた不幸の中で唯一触れることができた幸福だった。
三日月を送った審神者は膝をつく。
「大丈夫か?」
「あー、まあまあしんどい」
「休むか?」
「そんな時間と場所と気持ちはない」
返してふらつきながらも立ち上がった審神者は本丸の中を見回り、何もないことを確認して門の前に立つ。
「どうやって出るんだ?」
「マスターキー……、親鍵もらってる」
門から出て、それを閉じて審神者が札を貼る。錠前のような光が浮かんで消えた。
「ひとまず、これでこの本丸の封鎖終了。あとは、政府に報告したらこの本丸の処分をしてくれる」
「お疲れさん」
後は帰るだけと言っていたため、山姥切が歩き出すと背後でどさりと重い音がした。
振り返ると審神者が倒れている。
「主?!」
抱え上げて確認すると呼吸していることはわかった。おそらく疲労により身体が動かなくなったのだろう。
山姥切が審神者を抱えて本丸に帰ると大騒ぎになった。何せ、審神者の服が血で汚れているのだ。何かあったのかと詰め寄られ、どこまで話していいのか判断できない山姥切は、服を汚している血は審神者のものではないとだけ伝えて審神者を休めるために部屋に向かった。
審神者が目を覚ましたのはその翌日だった。丸一日寝ており、人間の睡眠はそんなに長くて大丈夫なのかと薬研が調べているところで目覚めたため、とりあえず大丈夫だということがわかり皆安堵した。
しかし、その安堵は続かなかった。
審神者が部屋に引きこもるようになった。食事は部屋で一人で行い、空いた時間に本丸を回ることもなくなった。
山姥切も、執務が終われば下がるように言われて遠ざけられている。
やはり任務先の本丸で何かあったのだろうと山姥切は問い詰められ、今回の任務で見たことを皆に話した。政府がどのように始末したか気にならなくもなかったが、審神者に聞いていい雰囲気ではなく、知る機会もない。
「つまり、主は俺たちに怯えてるということか?」
「でも、俺たちと主さんとを結ぶ縁のことがあるし、それを切ることができるのが主さんなら心配ないと思うんですけど」
「逆に、その方法があることを知っているからかもね」
「でも、心外です。僕たちを信用してくれていないということじゃないですか」
皆が口々に言う。
「山姥切さんはどうしてだと思いますか?」
「……わからない」
「ずっと一緒にいるのに?」
「そうだな」と相槌を打った。
審神者が何かに怯えているのは確かだ。
目の前で生きていた人間の首が飛んだとか、妄念や執念などが纏わりついた刀剣男士がいたとか、人の心を持たない人間にひどい目に遭わされている刀剣男士がいたとか。色々と衝撃的なものを目にしたと思う。
だが、あの審神者がその程度で引きこもるほどの怯えを見せるだろうかという疑問が一方である。
「だから、たぶん……」ぽつりと呟き、山姥切はその場から離れた。
言葉をかけて留めようとしたものがいたが、それを止めた者もおり、結局審神者のことは山姥切に任せたほうが良いという結論に至った。
その山姥切は戦装束に着替え、自身の本体を手にして審神者の部屋に向かう。
「主、聞いてほしい」
声を掛けて障子戸を開ける。
審神者は山姥切の格好を見て腰を浮かせた。
山姥切は本体を自分の右手側に置き、審神者を見据える。
「正直、あんたが今どういう気持ちで俺たちと顔を合わせたくないのかはわからん。確かにあの本丸の審神者は主と同じ人間だ。だが、人間の全部が全部そうじゃないということを俺たちは知っている、見ている。あんたは違う。けれど、それでも不安だというなら、あんたが間違えそうになった時、俺が必ず止める。家の事情であの本丸みたいなことをしなくてはならなくなった時、誰かがあんたとの縁を切られてあんたに襲い掛かった時は、俺が守る。必ずだ。だから、恐れるな。あんたは、将として優秀ではないかもしれない。だけど、審神者として、俺たちの主として過不足ないいい主だと、俺は思っている。俺が最期まで付き合ってやる」
「あるじさまー! ぼくもあるじさまをおまもりします。なんてったって、ぼくはこのほんまるのだれよりもさきにあるじさまをえらんだまもりがたななんですから!」
同じく武装した今剣が顔を出してきた。
審神者はぽかんと二振りを見つめ、そして俯く。
「そうか、大丈夫なのか」と言葉を落として顔を上げた。
「どうして二人とも武装してるの?」
「それは、内番着だと格好がつかないだろう」と山姥切がそっぽを向き、「いもじゃーじですもんね」と今剣が笑う。
確かにと審神者は笑った。初めて彼の内番着を見て「絵に描いたような芋ジャージ」と呟き、彼の反感を買った。
「たぶん、家の事情でみんなにひどいことを私が積極的にすることはないと思うけど、でも、間違えそうになったら教えて。不足なくみんなの主でいたい」
「ああ」と山姥切が頷き、「はーい」と今剣が返事をした。
夜中に目が覚めてそっと部屋を抜け出すと夜空には三日月が浮かんでいた。
あの本丸での会話を思い出す。
審神者が部屋に在った最後の刀を運んでいく背中を見送りながら三日月宗近が「俺はお前が羨ましい」と零した。
「同じ『主』というのに、こうも違うものなんだな」
「悪人がいれば善人がいる。今のところ、主は悪人ではないが、今後どうなるかなんてわからん。ただ、俺は主が俺を選んだことを後悔させたくないと思っている」
「……俺は、他の本丸の審神者の声に応えようとしていたのだと思う。しかし、途中で引きずられて気が付けばあの状態だった」
「同情はするが、同調はしない」
「手厳しいな。あの審神者の本丸に俺はいるか?」
「いや、まだだな。いたら、もっと狼狽えていたと思う。うちの主は『物は大切にする』という信条があるらしい」
「そうか。では、俺は還った後、いつか、お前の、あの審神者の本丸に顕現してみたいものだな」
「当分来るな」
重い足音がゆっくりと近づいてくる。二振りはその音を耳にしたのを合図にしたかのように口を閉ざした。
ふと、視線の先の縁側に人の姿があった。審神者だ。
「何をしている。また寝坊する気か?」
声を掛けると「どうしたの? トイレ?」という言葉が返ってきた。
「酒か」
「そう。一緒に飲む?」
盆の上を見ると盃が置いてある。
「遅れてきた参加者のために」と審神者が補足し「誰か誘ったのか?」と問い返した山姥切に「誘ってはない」と首を振った。
ため息を吐いた山姥切は縁側に腰をおろして盃に手を伸ばす。
「あんた、強いのか?」
「弱くはないね。山姥切は?」
「そんなに場数を踏んでいないからわからん」
「ボーダーラインは早めに把握しておいた方が身のためだよ」
笑いながら審神者が酒を酌み、山姥切はそれを煽った。
「あの本丸は、政府関係者が浄化したって。あと、審神者は実家にそのまま送りつけたとか。担当者は適切な処理をして解雇」
「首と胴が離れていたと思うが?」
「そのままだって。本丸って幽世にあるから時間の流れがゆっくりなんだよね。だから、多少放置してても遺体は腐らない。長い時間放置したらさすがに腐敗するらしいけど。今回の件は、実家のパパもご存知だった様子だし事の顛末が気になっただろうって」
「えげつないことするな」
「そんなもんだよ、政府なんて」
「実家のパパから文句を言われるんじゃないか?」
「パパをはじめ実家の家族全員失踪したらしいよ」
「穏やかな話じゃないな」
「私が出ていかないといけない案件なのに、穏やかな話になるものか」
笑い飛ばす審神者に「そうか」と相槌を打ち、山姥切は酒に手を伸ばした。
「ぼくもなかまにいれてくださーい」という言葉を耳にしたと同時に審神者の背中に衝撃が走り「ぐえ」と変な声が出た。
「眠れないのか?」
「かわやです。おふたりは?」
「私は、何となく」
「俺もだな」
「これ、使ってもいいですか?」
今剣が空いている盃に手を伸ばした。山姥切が酒を酌む。
「絵面的に完全にアウトなんだけどねぇ」と審神者が笑い、「ぼくのほうがあるじさまよりもうんととしうえですよ」と今剣が胸を張って酒を煽る。
「いやぁ、完全アウトな絵面だ」
「だったら、これはみずです」
「セーフだ」
審神者が笑い、今剣も笑う。つられて山姥切も笑った。
「そういえば、辞退届は今日までだったのに、みんな覚えていないのかな?」
審神者が零した言葉に山姥切と今剣が顔を合わせた。
「辞退届?」
「そう。ほら、うちの家の事情で力を貸してもらう、別件の方の」と審神者が言うと二振りは同時にため息を吐いた。
「みんなじたいするきがないだけです」
「全員、協力する気があるんだろう」
「物好きだなぁ。山姥切から話聞いたんでしょ?」
今剣に視線を向けると「ききましたよ」と彼は頷いた。
「でも、だからってあるじさまをたすけたくないというきもちにはなりませんでしたよ」
「人間に善悪があるのはよく知っているし、こうして人の姿を得た俺たちも本丸によっては悪人……悪刀になっているやつもいるかもしれない。そういう本丸があればきっとあんたに命令が下るんだろう? そんな時に誰も手を貸さないじゃ寝ざめが悪いって各々考えて、結果皆協力することにしたんだろう。締切りを延ばしても結果は変わらないと思うぞ」
「すごく情に篤い刀剣が集まってしまった」
「よかったじゃないか」
「そうだね、ありがたい」
沁みるように審神者が呟き、盃に視線を落とす。しばらくしても動かない審神者にため息を吐いた今剣が「もうのんでもいいですか?」と声を掛ける。
「おっと、失礼。じゃあ改めて。お疲れさまでした。かんぱーい」
審神者は盃を掲げた
桜風
(同人誌収録書下ろし再掲)
22.05.08
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