雨
| ここ数日空から雫が降ってくる。それを〝雨〟と呼ぶのだと髭切は弟から聞いた。 この城にやってきてからというもの、殆どが雨で、これまで青い空を目にしたのはほんの数日程度だった。 雨には色々あり、静かに降るもの、ザアザアと音を立てて降るもの。 そして、今日の降り方は初めて目にするもので、まるで滝のようだ。 城の中では、短刀たちが外で遊べないと零しており、戦場では雨が降ることがあるので別に濡れても大丈夫だろうと声を掛けると主が心配すると皆が笑う。それはどこか温かなものを胸に宿すように。 髭切がこの城に来たのはごく最近で、だからさほど主と言葉を交わしたことがない。 皆の話を聞くに、彼女は基本的に口数は少ないようだ。だが、心がないのかと言えばそうではなく、笑みを零すこともあれば目を座らせて怒ることもあるらしい。 確かに、弟の……何と言ったか。とにかく、弟と彼女が供に在る場面に出くわしたことがある。 彼女は笑みを浮かべて弟を見上げ、弟は少し渋い顔をしていた。 何の話をしていたのだろうかという興味はあったが、そこに態々足を向けて話に入る気にもならず、その後に弟に改めて聞こうとも思わなかったので、結局はどういう内容だったかは知らない。 廊下を歩いていると主が執務室の前に静かに座っていた。周囲を見渡しても彼女の近侍が控えている様子がない。 「……うん」 興味を覚えた髭切は彼女の元に足を向けることにした。 「やあ」 声を掛けると彼女はゆっくりと視線を向けてくる。特に驚いた様子もなく、かといって無感動なものではない視線。 「今日も雨だね」 髭切が言葉を続けると彼女は視線を庭に戻す。 反応がなく、髭切は首を傾げて彼女の言葉を待ってみた。 そして、無反応の彼女を眺めるのに飽きて踵を返すと「そうね」と相槌がある。 随分と反応が遅いな、と思いつつ声が返ってきたのでこの場を去るのをやめた。 「主は、雨の日にはよくこうして座っているけど、何か意味があるのかい?」 髭切は彼女の隣に腰を下ろした。 「意味はないわ」 「そう」 髭切は相槌を打って庭に視線を向ける。 辺りは雨で煙っていて、少し先の庭の木の葉の形も見えない。ぼんやりと葉が繁っていることだけが分かる。 「雨は嫌い?」 意外にも彼女からの問いかけがあった。 「嫌いではないよ」 髭切が返すと「そう」と彼女は相槌を打つ。 「でも、雨の日は外で遊べないという者たちもいるようだよ」 「風邪を引くから」 彼女の言葉に髭切は首を傾げた。 「風邪?」 「病よ。すぐによくなるのだけれど、辛いことは辛いから」 「みんな罹るのかい?」 「必ずではないけれど、可能性はあるわね」 「でも、君はそんなことを心配しながらも僕たちを戦場に送り出してるよね」 意地の悪い言葉だと自覚はある。だが、彼女の反応を見てみたかった。 彼女が瞼を閉じる。 暫く滝のような雨音だけが耳に響いた。 流石に酷い言葉だったかと反省した髭切は言葉を撤回しようと口を開いたがそれを制すように彼女が「わかっています」と呟く。 「わかっています。私たちに歴史修正主義者と直接戦う力がないからという言い訳を盾に、あなた方にばかり辛い思いをさせているということは……」 彼女の視線を受け止めた髭切は瞠目した。 まっすぐに見据えられたその瞳は、戦場に赴く自分たちと同じ、もしくはそれ以上の覚悟を孕んでいる。 「あなたには、鬼切という名もあるそうね」 「うん、そうだったかな?」 たくさんあるからね、と言葉を続けた。 「この戦が終わることがあれば、その時にはあなた方を苦しめた鬼として私を斬り伏せてくださっても構いません」 髭切は首を傾げて「うーん」と唸る。 「僕は鬼を斬ったことはあるかもしれないけど、主を斬った覚えはないよ」 じっと見つめてくる彼女に髭切はにこりと微笑んだ。 「でも、そうだね。君が望むのならその時が来たとき、皆が君を鬼だと罵ってその刃を向けたときには、僕が斬ってあげるよ」 ――僕は〝友切〟だからね。 この先口にすることはないと確信しながら言葉を隠す。 「とはいえ、惣領の言葉に従って戦場に赴く。それは武人としての在るべき姿だから、君が僕たちに戦場に赴くように命じるのは酷いことではないよ。病に罹ることを心配してくれる思いやりのある主でよかった。僕は君に意地悪をしたかったんだ」 髭切は立ち上がり、彼女を見下ろした。 「怒ったかい?」 髭切の問いに彼女は暫く沈黙して「いいえ」と呟く。 「良かった。ねえ、主。雨の日というのがまだ続きそうだから、またこちらに赴いてもいいかな?」 「構わないわ、髭切」 「うん」 頷いて歩き出す。 ふと髭切は気づいた。彼女に名を呼ばれた。今の会話の中でただ一度だけ。 どうしてか、それに気づいてしまってからは口元に笑みが浮かんでしまう。 (……なるほど) どうやら主から名を呼ばれるのは嬉しいことのようだ。 |
桜風
(16.5.1初出)
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