いちさに 02






 大きな丸い月が浮かんでる。今晩は満月だ。

縁側に腰を下ろして一期一振は一人杯を傾けていた。

「一期さん」

声を掛けられて顔を向けると、この城の主がひょっこり顔を覗かせている。

「主...」と一期が呟き、彼女は彼のもとに足を向けた。

「ご一緒させてください」

そう言って彼女は一期の隣に座り、持ってきた杯を手に小首を傾げる。

「はい、喜んで」と一期は頷き、彼女の杯に酒を注いだ。

「一期さんは、あちらには行かないんですか?」

そう言って彼女は隣の棟のある方角に顔を向ける。

現在、別室で宴会が行われており、賑やかな笑い声が此処まで響いている。

「少し静かに飲みたかったもので」

苦笑して一期が返した。

「...なるほど」

あそこでは静かに飲めるはずがない。


彼女は空を見上げた。

この時代の月はとても明るい。もしかしたら、自分の時代も同じ明るさなのかもしれないが、外灯や家から漏れる灯りでそんなことは気づけないでいた。

ここでの生活は少し不便なところもあるが、改めて気づく発見が多くて気に入っている。


「...月が綺麗ですね」

そう言って彼女は酒を舐める。

以前どこかで聞いた。

昔の文豪が教鞭をとっていた際、生徒に「I love you」を訳させたという。

生徒は「私はあなたを愛しています」と訳したが、日本人はそんなことを言わないとか何とかで、その文豪は「“月が綺麗ですね”と訳しておけ」と言ったらしい。

この話は自分にとっては随分と過去の話で、隣に座る一期にとっては随分と未来の話だ。

きっと知らない。だから、安心して口にできる内緒の告白なのだ。

「私は、貴女のためなら死ねます」

彼女はぎょっとして一期を見上げた。

その言葉は別の文豪が訳した「I love you」と非常に似ているのだ。

だが、彼らは普段戦場に赴いている。だから、そのことを言っているのかもしれない。

変な期待を持ってはいけない。

「一期さん?」

意図がわからず彼女が問うと一期は「そういう意味だと思ったのですが」と呟くように言って彼女に視線を向けて微笑んだ。

「えっと...」

「以前、乱が主から伺ったと話してくれたのですよ。色々な表現があるものですな。私の在った時代よりも表現が多彩になったのだなと感心したものです」

“乱”と聞いて心当たりがある彼女は今すぐこの場を逃げ出したいと思った。

伝わらないから安心して告白したというのに、ちゃんと伝わってしまっている。

「え、えと...」

赤くなって視線を彷徨わせている彼女を見て一期はクスリと笑い、

「月が綺麗ですな」

空を見上げてそう言う。

「そうですね」と返した彼女は「I love you」と心の中で呟き、杯の酒をチロリと舐めた。









桜風
(15.8.8初出)


ブラウザバックでお戻りください