与え合うもの






 履きなれたスニーカーで地面を踏みしめる。
「うおっ」
 ふわふわな落ち葉が足元を滑らせる。慣れたスニーカーでも注意しながら足を進めないといけない。下手をすれば滑落死だ。
 背中のリュックには一升瓶三本。そんなに要るのかと思ったけど、多分要るし、何なら足りないかもしれない。

 私は国家公務員だ。平凡な日常を心から愛するため、進路は迷わずそちらに向かった。
 中等学校、高等学校と、とあるスポーツの全国大会常連校でレギュラーを取っていたため、ちょっとした山登りなら昔取った何とやらで楽勝だと思ったのだが、こんな急峻な山だとは聞いていなかった。高等学校卒業後の上級学校での運動サークルは、高校までの部活動とは違って緩い活動だったため、確かに、青春を謳歌したあの時に比べれば体力は落ちている。ブランクは認めよう。しかし、現役時代でもこれは辛かったと思う。
 息も絶え絶えに只管足を進めて行く。どこまで登ればいいのかわからないのもこれまた辛い。
 そういえば、昨日部長が驕ってくれたあの料理、何と言ったっけ……。滅茶苦茶高い料亭だと聞いていたけど、そうかそういうことか。アレはきっと最期の晩餐として振舞われたんだ。経費で落ちるからどんなに高い料理でも良いし、何なら自分が食べたいめちゃくちゃ高い料理を選んだって良い。得したのは上司だけと気づいたら腹が立つ。
 私にも同期がいた。同じ部署で、それなりに話をして気も合う方だと思っていたが、二か月前から姿を見ない。病気休暇かと思ったが、どうもそういう雰囲気ではなく、どうしても必要な業務についてもらっているという話を耳にした。噂話だが、生贄だという単語も聞こえ、二十三世紀を目前に控えたこの時代に何を言っているのかと思った。おそらく、同期もどこかの山を登って帰れなくなったのだろう。
「そういえば、あれが遺書になるのか」
 プロジェクトチームに抜擢という耳障りの良い話が来た時に、家族に手紙を書くようにと言われた。あまり連絡が取れなくなるかもしれないという理由だったが、こちとら通信手段があるのだから、数秒あれば連絡が取れる。それなのに、その時は「そういうものか」と納得して手紙を書いた。何を書いたのか覚えていないが、他愛のない日常のことについてつらつらと書いたと思う。
 足元を見て歩かないと危ない。しかし、俯いて地面ばかり見ていると気が滅入る。山はこんなに紅葉が美しく、空は青いのに。
 見上げた山の先に人影が見えた。
 ゴールだと思った。
 途端、何かが変わった。空気というか、世界というか。
 振り返ると、今来た道はなく、断崖絶壁となっていた。
「マジか……」
 呟いて、残された道を歩く。山を登り続ける以外に私に道はない。

 てっぺんまではいかずに済んだ。山の中腹というか、ほとんどてっぺんだが、開けた場所には大きな門があった。そこにその『人』が佇んでいた。甚兵衛のような上着にジャージを穿いて、羽織を羽織っているラフな姿に、何ひとつ神々しさはないが、私は膝をついて両手をついて平伏した。何と、彼の足元は雪駄だ。
「私は、今代の政府から派遣された「背中のものはいつ献上されるんだ?」
 自己紹介もさせてもらえない。せっかちだ。
「今からデース」
 こちらの苦労も知らずに催促されて少し腹が立つ。ちょっと元気出たかも。
 背負っていたリュックから一升瓶をみっつ。あ、この銘柄は私でも聞いたことがある。
 とても有名な――凄く高いと有名な――日本酒を並べた。
「盃はないのか」
「気が利きませんで、申し訳ありません」
 ラッパ飲みでもしろと思いながらも心の籠っていない謝罪の音を口にする。
「まあ、いい。それを持ってついて来い」
 今しがたリュックから出した一升瓶を再び仕舞い、ついていく。
 しばらく歩くと庵があった。小ぢんまりとした佇まいのそれは、昔話に出てきそうな建物で、初めて目にする私の興味を引くには充分なものだ。
「入れ」と引き戸から半身を出したまま私を待っていた彼が庵の中に入っていく。
「おじゃましまーす」
 中は薄暗かった。当然電気やガスはない。自然光のみが室内を照らす。
 土間で靴を脱いで上がる。囲炉裏に少しだけテンションが上がった。何というか『いかにも』な内装じゃないか。
 リュックから一升瓶を再び取り出して彼の前に置く。
「ふむ……これらは珍しいのか?」
「おそらく。私は下戸なのでご案内できませんが、下戸の私が聞いたことがある銘柄ばかりです」
「よかろう。では、話くらいなら聞いてやる」
「ありがとうございます」
 改めて自己紹介から始めたが、目の前の酒瓶がみるみるうちに空になっていく。
「と、いうわけです」
 一升瓶の三本目がなくなったと同時にひとまず私がここを訪った理由を話し終わった。中身はちゃんと酒だったのか不安になるくらい、良いペースだった。
「我の協力を、ね」
 ついと眇めた彼の瞳の色に見覚えがあった。
「おばあちゃんにもらった飴の包み紙」
「は?」
「いえ。続けてください」
「続けるも何も、我はその願いを叶える必要はないからな」
 ふんぞり返って偉そうにしているのは、刀の『心』、『想い』らしい。上司の説明を聞いてもいまいちピンとこなくて、刀の付喪神として理解することにしている。
 彼は空になった酒瓶を振った。どれにも中身はない。今自分で飲み干したのを忘れたのだろうか。
「うまい酒ではあったがな。娘、酒がない場合、それに代わるものが何かわかるか?」
「ビールですか?」
「それも酒だ。清水、澄んだ水だ」
「へー……」
「そこに桶がある。庵の裏手をもう少し奥に進んだら小川がある」
「へー……」
「待たせるなよ」
「ほー……」
 私は立ち上がり、再び靴を履く。疲れて浮腫んでいる足は中々スニーカーに入らず、えいやと突っ込んで紐を結びなおした。
「どれくらい必要ですか?」
「そこに甕があるだろう」
「ありますねー」
 クソジジイ!
 見た目は二十代、三十代と言ったところの刀の付喪神は、やはり人の心がわからないらしい。まあ、人ではないから仕方ない。
『もう少し』と言った彼の表現は随分と奥ゆかしく、歩いても歩いても小川が見えない。水のせせらぎの音も届いてこない。庵の裏手の森は獣道さえなく、もしかして嘘を教えられたのではないかと疑った。
 根気強く歩いてやっと開けた場所にたどり着き、そこに小川が流れていた。さやさやと流れる小川の水は透明で、水底の小さな石がはっきりと見えるほどだった。
 手で掬って飲んでみる。水は慎重に口にしなくてはならないが、あの運動の後に水分を取っていない身体に『待て』は無理な話で、掬っては喉を潤しを繰り返してやっと人心地着いた。
「これからどうしたらいいんだろう」
 職場での業務命令は『一文字の祖の協力を取り付けること』だった。一文字の祖って何さと思って一応物の本を読んでは見たが、頭に入らないままこうして登山して本人に対面した。本人が協力する気がないと言っているから帰ってそう報告すればいいという内容なら、あの断崖絶壁という問題はあるものの、別のルートを探して下山する選択肢もある。しかし、「イエス以外は持って帰るな」と言われた気がする。言ったよなぁ……。帰ったら出るとこ出てやる。
 取り敢えず、職場への恨みつらみはひとまず置いて、桶で水を汲んで庵に戻った。
「遅かったな」
「心配なら探しに来てくださっても結構でしたのに」
 返した言葉に返事はなく、甕に水を移そうとしたが、そもそもこの男が水を所望したのを思い出して彼の湯呑に注いだ。
「ああ、御苦労」
「どーも」
 踏んぞり返って偉そうなのに、こちらの態度をあまり気にしない様子が不思議だった。不敬だ何だと叱られるかと思ったが、そういうのはなく、むしろ面白がっている節もある。
「娘、我を説得できなかったらどうなる? 尻尾を撒いて逃げて帰っていいのか?」
「ところがどっこい。『是』というお返事をいただけるまでしがみついてでも帰ってくるなとのお達しです」
「酷い上役だな」
 喉の奥で笑いながら彼が言う。
「ええ、全く。全面的に肯定します。もし、私を早急に追い返したかったら、『是』といっていただければ今すぐ帰ります」
「否、だ」
 二ッと意地悪く笑った彼は、少し幼く見えた。
 深いため息を吐いてみせて、私は再び庵の外に出ようとした。
「どこに行く?」
「甕の水が少ないので」
 そう返すと彼はぱちくりと瞬きをして「うははははは」と声を上げて笑った。
「お前さん、マジメだな」
「褒め言葉として頂戴します。まあ、是と言ってもらうために、少しは大人しくしますよ。これでも、ある程度分別のつく大人なので」
「ならば、いつから暴れる?」
「ご希望とあらば今からでも」
「まだ大人しくしておけ」
 くつくつと心底愉快そうに笑う彼には、ふんぞり返って偉そうにしていた先ほどよりも好感が持てた。
 何往復かすると急に外が暗くなる。
 秋の日の鶴瓶落としというやつだろう。
 しかし、困った。困ってないけど困った。
「一文字の祖さん」
「何だそれは」
「いえ、私の上司が「一文字の祖の協力を取り付けてこい」と言ったので、正直正式なお名前を知らないもので」
「不勉強だな。これで僕が不機嫌になってお前さんの首を刎ねたらどうする?」
「どうもできませんねぇ」
 私の返事に「呆れた娘だ」と彼はため息とともに言葉を零した。
「一文字則宗だ」
「一文字さんとお呼びしても?」
「それだと複数が振り返る」
「ならば、馴れ馴れしくも『則宗さん』でよろしいですか?」
「馴れ馴れしい自覚があるなら、ああ、よかろう」
 彼は鷹揚に頷いた。
「刀の心は、何を食べるんですか?」
「ん?」
「お腹が空いたので」
「ほーう? お前さん、料理ができるのか?」
「料理って程じゃないですが、缶詰を三日分持って来てます」
「料理じゃないな」
「火にかけて温めるので概ね料理です」
「言い切るな?」
「言ったもん勝ちです」
 深く頷きながら返すと彼はまた「うははははは」と愉快そうに笑った。
「よし、僕もそれを食べる。お前さん、火を熾せるのか」
「ライターを持って来ています」
「……情緒がないな?」
「情緒でお腹は膨れません」
「道理だ」
 三日分を二人前持って来ているため、彼に分けても問題ない。問題ないが、三日で解決しなかったらどうしようという思いが頭の中をかすめる。
「それで、寝床はどうするんだ?」
 七輪を借りて火をつけて網を置き、その上に缶詰を置いた。今日は鯖の味噌煮だ。白米は諦めてパンを取り出す。
「寝床は、寝袋を持って来ています。熊が出る山ですか?」
「いや、おそらくは出んだろう。僕も見たことがない」
「では、問題ないので」
「さすがに外で寝ろとは言わんよ。中で寝なさい」
「じゃあ、布団も貸してくれるんですか?!」
「布団は一組しかない。僕と同衾したいのか?」
「布団はお客様用を用意しておいてくださいよ。一人暮らしの基本です」
「知るか」
 他愛ない話をしていると缶詰がぐつぐつ言い始めた。
 則宗さんが手拭いを巻いて缶詰を火からおろしてくれた。
「ご飯ってこの家にないですよね」
「米ならあるぞ」
「え、それを早く……」
「今から炊くのか? お前さん、缶詰を温めるのを料理という程度の手並みなのに?」
「ご飯は日本人の心です。たぶん、行けます」
「その自信は何処から来るんだ」
 ため息を吐きながら、半眼の則宗さんが問う。
「ここです!」
 胸に手を当てると彼は再びため息を吐いた。
「お前さんの上役は酷いが、それでも、ここにお前さんを派遣したことについては評価できるな」
「では、明日辺りに『是』といっていただけるので?」
「言わん。興味がない。もし、刀派の祖に約束を取り付ければ同派の者が動くと思っているなら、少なくとも一文字は目論見が外れたな」
「え、どうして?」
 そういう理屈だから、負け戦は許さんと言われたのに。
「僕は、すでに頭領を譲っている」
「何ですと?!」
「まあ、こうして会話ができる段になって初めて収集できる情報だろうな。他の刀派なら、悪くない戦略だ。とはいえ、祖はどの刀派も一癖あるぞ」
「ご自身を含めて?」
「うははははは、言うな?」
 ニヤッと意地悪く笑った則宗さんはいただきますと手を合わせて缶詰に箸を伸ばした。
 物の心が「いただきます」と感謝の言葉を口にする事に少し驚いた。

 翌朝早く目が覚めた。
 流石にあの運動量と食事の量はバランスが取れていない。小鳥の囀りに混ざって腹の虫が主張する。
 何とも趣が深い。
 ミノムシのような姿のままゴロンと寝返りを打ってみれば囲炉裏の向こうに畳まれた布団があった。
 慌てて蓑から抜け出した。
 土間に視線を向けると則宗さんが佇んでいる。朝の柔らかい日差しを浴びて髪が淡く輝いている。しかし、その表情は前髪で隠れて見えない。
「おはようございます」
 声を掛けると彼はこちらに顔を向け、「おはよう」と返す。
「どうしたんですか? 早起きですね」
「お前さんが寝坊助なだけだ」
 言われて枕元に置いていた腕時計を確かめた。長針と短針が狂ったようにグルグルと回っている。磁場がおかしいのか、それとも、元々ここでは時計が無意味なのか。
「何時ですか?」
「わからん」
「ですかー」
 ガリガリと頭を掻いて立ち上がり、土間に降りた。
 彼が見つめていたのは、釜だった。米と水が入っている。
「どうしたんですか?」
「お前さんが、日本人の心と言っただろう。ならば僕でもできるんじゃないかと思ったんだ。お前さんに任せるよりは、マシなものが作れそうな気がする」
「いや、そういう発言をする人って大体五十歩百歩なんですよね」
「米を研いだはいいが、水の量がわからん」
 言われて今までどうやってご飯を炊いたか思い出す。文明の利器への感謝しかない。そして、更に遠い遠い記憶をさかのぼる。幼年学校の際にキャンプに行った。その時、ご飯を炊いたと思う。水の量は第一関節と言われて、第一関節がわからず、指の付け根から一つ目の関節、つまり第二関節まで水を入れて大失敗した。
「お米に触れて、第一関節まで水を入れる!」
「よし!」と則宗さんが腕まくりをしてその状態でフリーズする。
「再起動要りますか?」
「なんだそれは。というか、第一関節といっても、お前さんと僕とでは指の長さが違うぞ?」
「ああ、手の大きさが違いますね」
「どうして言い換えた? まあいい。どうする?」
 言われてみればそうだ。則宗さんに合わせるべきか、私に合わせるべきか。
「ご飯は固めなのと緩めなの、どちらが好きですか?」
「こだわりはない。お前さんは?」
「固めにしておけば修正が効くと思うので、私の第一関節で行きましょう」
「わかった。ちなみに、修正とは?」
「お茶漬けにしてしまえば万事解決です。むしろ固めの方が美味しいかと」
「お前さんの料理に対する気軽さは、多くの者が見習うべきだろうな」
「全然褒められた気がしないのですが、おなかも空いたので追及はしないことにします」
「そうしろ」
 私の第一関節まで水を入れて竈の上に釜を置く。
「どれくらい時間がかかるんだ?」
「『はじめチョロチョロなかパッパ。赤子が泣いても蓋取るな』しかわかりません。いい匂いがし始めたら様子を見たらいいんじゃないですかね? 失敗しても犠牲者は二人です。そして、何とかしたら食べられるものです」
「僕とお前さんは運命共同体というわけか」
「そうとも言います。とりあえず、火を見ておいてもらっていいですか?」
「お前さんはどうする」
「着替えて水を汲んできます」
「重いだろう。僕も同行しよう」
「いや、火の番をしてください。芯が残っているご飯は食べられますが、炭はさすがに食べたくないです。顔も洗いたいし、ついでですよ」
 驚いたことに則宗さんには人の心があった。びっくりしてそれを指摘しそうになったけど、揶揄った瞬間なくなってしまいそうな人の心だったから、とりあえず黙って水を汲むため昨日見つけた小川に向かった。
 山の気温は平地に比べれば低い。肺いっぱいに吸い込んだ空気は澄んでいるものの、ひんやりとしていて少しだけ肺が痛くなった。
 朝露に濡れた獣道ならぬ道を進んで小川に出る。水に手を付けると思ったほど冷たくない。
 確か、湧水は夏と冬で温度差があまりないから夏はひんやりしてて冬は暖かく感じるとか。昨日冷たく感じたのは運動した後で自分の身体が火照っていたからかもしれない。
 顔を洗って桶に水を汲む。
「お風呂に入りたい」
 昨日は、疲れ切ってそれどころではなかったが、落ち着いた今となってはお風呂が恋しい。
 とはいえ、あの庵にはそういったものはなく、たぶん、物の心に風呂は必要ないのだろう。
 寒いけど、ここで体を拭くくらいしかできないかもしれない。それなりに体力があるから簡単には風邪を引くことはないだろうけど、それでも風邪を引いたらあの庵から追い出されそうな気がして、それは困るなと思った。
「どうですか?」
 お米が炊けるいい匂いがしている。
 甕に水を移しながら、竈の前に佇む則宗さんに声を掛けた。
「僕は天才かもしれない」
「まだ油断なりませんよ」
 彼もこのお米の炊ける香りで自信がついたのかもしれない。
 何回かの往復を経て、ご飯が炊けたと彼が決めたので、運動は終えて食事に移る。どうしてか、この庵には食器が揃っていた。飯茶碗が大きさ違いでふたつあり、湯呑もふたつある。遠慮なくそれらを借りた。
 今朝の缶詰はアジの南蛮漬けにした。
「則宗さん」
「どうした?」
「そろそろ是といいたくなりました?」
「ならんな。それより、やはり僕は天才だぞ」
「いや、水の分量は私ですね」
「米を研いだのは僕で、火の番をしたのも僕だ」
 目を輝かせてごはんを口に運ぶ『物の心』の姿は微笑ましい。
 二人で釜の中を平らげて、食器を洗う。
「さて、これからどうする?」
「二十四時間説得するというのは性に合わないので……」
「職務放棄じゃないのか?」
「いえいえ。『押してダメなら引いてみろ』という古のありがたーいアドバイスがあるので、それに従ってみます」
「お前さんは口が減らないな」
「ありがとうございます」
「褒めてもないんだがな」
「則宗さんは普段何をして過ごしているんですか?」
「普段、か……」
 彼は考え始めた。こんな庵を構えているのに、生活感というのがさほど感じられない。趣味の読書とか、武術の稽古とかそういうものが見えないのだ。
「日がな一日、何もせずに過ごしていることが多いな。ここには何もないからな」
「言ってくだされば本を持ってきたのに」
「一升瓶を三本背負って尚荷物を増やすというのか」
 言われてみれば、あれはあれで限界だったかもしれない。
「則宗さん、とりあえず、当分『是』という予定はないんですよね」
「当分というか、ずっとだな」
「昨晩お話しましたが、私の持ってきた食糧は三日分を二人前でした。明後日には食べるものがなくなります」
「さすがに、餓死させるのは後味が悪いな。どれ、買い物に行くか」
 野山を駆けて獲物を取りに行くことを提案しようと思ったのに、まさかの文明的な『買い物』が提案されてしまった。
「でも、私お金持ってませんよ?」
 帰りの電車賃しか持っていない。それを使ったらどうやって帰ったらいいのか……。
「僕も使うものだ」
 そう言って彼は立ち上がる。
「先に庵の外に出ていなさい。中を覗くんじゃないぞ」
「これから機織りですか?」
「助けていただいた恩がないから、それはない」
 取り敢えず、則宗さんよりは余所行きの格好だと自負している私は着替えることは考えず、言われたとおり外に出て彼を待った。
 庵の引き戸が開き、中から出てきた姿に驚く。
「どなた様で?!」
「一文字則宗だ。以後、お見知りおきを」
 ニヤッと笑って彼が言う。あの、楽隠居のような格好が嘘のようだ。軍服のような、少し硬い格好だが、刺繍やらストールなどで華やかさもあり、めちゃくちゃおしゃれだ。そして気になったのが、腰に佩いている刀だ。
「あまりじろじろ見るもんじゃない」
 彼は体を捻って刀を隠す。
「ごめんなさい」と素直に謝罪の言葉が出た。
「お前さん、大きな背負い袋を持っていたな。それを持って来なさい」
 一升瓶三本入れてもびくともしなかったあのリュックのことを言っているのだろう。
 私は慌てて庵の中に戻ってリュックを背負って外に出た。
「町があるんですか?」
「町、なんだろうな……」
「でも、断崖絶壁ですよ」
「そうだな。だが、そちらに行かないから問題ない」
 確かに山から下りるのに道がひとつとは限らない。無理をすればどこからでも下りられるはずだ。
 則宗さんの後ろを大人しくついて歩く。歩幅は勿論、歩調が全然違う。時折則宗さんが豆粒サイズになる。私が遅れていることに気づくと彼は待ってくれる。悪い人ではない。
「お前さん、脚が短いな」
「いや、山道に慣れていないんで」
 股下の長さは平均的だと思いながら返す。そもそも、山道といっても「それ、道ですか?」と聞きたくなるような道を歩くのだ。慣れていなくては進めない。
 どれくらい歩いたかわからないが、行き先がわかっている人が先導してくれているから、少しきつい運動でもさほど気にならない。
「ついたぞ」と言われて改めて周囲を見渡すと、随分とヘンテコな場所だった。
 私が普段暮らしている街並みと、昔ながらの田舎のような風景が混在している。
「ここは?」
「さあな。何といえばいいのか」
 名称に興味がないと言わんばかりの彼の表情に何となく納得した。
「付喪神の町ですか?」
「そうかもしれんな。当然のようにここについて知っていたんだ。誰かに聞いたとか、自分で発見したとかではなくて」
 付喪神の町だから、古今東西いろんな街並みが混在しているのだろうと自分の中で納得した。
 則宗さんが先導するのについていくと、彼はとある店舗の前で足を止める。
「塩だ」
「お塩。重要ですね」
 私のリュックに塩が入った。
「次は醤油で、その次は、酒だな」
「また飲むんですか?」
「調味料に酒は必要だろう?」
「料理をしないのに、どうして知ってるんですか?」
「お前さんが知っているんだ、僕が知っていてもおかしくないだろう」
 同レベルといいたいのだろうか。生憎とこちらは、学生時代、授業でいくつか料理を作ったことがある。料理経験で言うと、おそらくこちらが上だ。身になっていないが……。
 それはそうと、味噌も追加となって、私のリュックはパンパンに膨れている。容量オーバーではないだろうか。破れたらどうしてくれよう。これは買って間もない新しいものだというのに。
 後ろに倒れそうになるのを何とか耐えながら歩く。ふと、お団子屋さんが見えた。
「則宗さん、お腹すきません?」
「空いたな。お前さんはここで待ってなさい。僕はお団子を食べてくる」
「いやいや。この私の労働に対する対価というか、ご褒美があっても良いと思うんですよ。だって、これは半分は則宗さんの分じゃないですか」
「だから、僕が支払いをして、お前さんが労働力を提供しているのだろう?」
 ぐうの音が出ない。そうだ、そういうことになる。
「わかりました。ここでお待ちしてます」
 肩を落とす。気を抜いたら背中からゴロンと転がりそうになるから、気合を入れて肩を落とした。
「うははははは、冗談だ」
「だいぶ本気では?」
「そういうことにするか?」
「冗談がお上手で!」
 質の悪い『物の心ジョーク』に傷心したが、とりあえず休憩をもらえることになったことはありがたい。
 団子と茶を二人前注文した則宗さんは私に視線を向けた。
「お前さん、『愛』とは何か知っているのか?」
「唐突過ぎて何か罠があるのではないかと疑い始めました」
 心境を素直に口にすると彼は苦笑する。
「暇だから話に付き合え」
「なるほど」
「それで、『愛』とは何だ?」
 そんなことを考えながら生きた記憶がない。だが、ここで何かを返す必要があるのだろう。
「愛は与え合うものです」
 私の返答に彼はため息をひとつ落とした。
「それは、お前さんの言葉か?」
 問われてどきりとした。違う。そのとおりだ。これは私の言葉ではない。昔、テレビだったか雑誌だったかでタレントが言っていたのだ。何となくかっこいいから覚えていた。
 彼に正直に話すと「だろうな」と返された。
「どうして?」
「さあな。勘だ」
「私、学生時代ずっと部活動に明け暮れていたんです」
 気が付くと、昔話を始めていた。
 中等学校、高等学校時代は恋だのなんだの、クラスメイトがはしゃいでいたのを横目に見ながら部活動に邁進していた。上級学校に進学して、部活動に打ち込むのをやめたのは、恋に興味を持っていたからだ。だが、付き合った誰も、ピンとこないどころか、友人曰く、『ダメ男ホイホイ』状態だったらしく、いい思い出がない。だから、恋とか愛とかの話になると少し拒絶感を覚える。今の仕事を選んだのだって、ひとりで生きていくのに適したものだと思ったからだ。
 則宗さんは、私が突然始めた自分語りを静かに聴いていた。茶々を入れることなく、ぶった切ることなく静かに耳を傾けてくれた。話を終わらせたのは、店員がお団子を持ってきたタイミングだ。
 無言でお団子を口に運ぶ。甘辛いみたらしダレがしっかりついていて、美味しいと思った。でも、「美味しいですね」と声を掛けていいかわからず黙って咀嚼する。自分語りで何となく、勝手に気まずくなってしまった。
「美味いな」
 ぽつりと零した則宗さんに視線を向けると彼は目を細めた。
「則宗さんの瞳って、おばあちゃんちでもらった飴の包み紙みたいです」
「そういえば、昨日もそう言っていたな。もう少しいい喩はないのか?」
「私の宝物ですよ」
 孫が遊びに来るからと祖母は飴を用意してくれていた。中身は、薄荷だったか、とにかく子供の舌には合わないものだったが、あの包み紙が欲しくて我慢して飴を舐めた。キラキラと不思議な色で輝くあの包み紙は、私の宝箱の中に入っている。今でも実家で保管してあるのかわからないが、少なくとも、就職するまでは実家にあった。
「子供の頃は、たくさん宝物を見つけられたのに」
「何を見ても新鮮で、不思議で、輝いて見えたのかもしれんな」
 ズズッとお茶を飲み干した則宗さんは立ち上がる。
「そら、帰るぞ」
「はーい」
 私も慌ててお茶を飲み干し、容量オーバーのリュックが肩に食い込むのを感じながら立ち上がった。
 来た道を帰るということは、あの道のりを再びこの重量を背負いながら歩むということで溜息しか出ない。
 明日は筋肉痛確定のため、休暇をもらいたいものだ。

 則宗さんの庵で居候をし始めて十日経った。いや、居候ではない。きちんと労働を対価として提供している。
 今となっては水汲みもさほど苦痛ではないし、料理のレパートリーも増えた。
 そして、何と、近くに温泉が湧いているのだ。生活水準の向上が目覚ましい。
「則宗さんはお風呂をどうしているんですか」と聞いたら、基本的にはお湯で体を拭うだけだと言われて肩を落とすと「温泉ならあるぞ」と言われた。
「もっと早くほしかったその情報!」と思わず立ち上がって主張したが、彼はどこ吹く風で「案内してやろう」といって庵を出ていく。
 慌ててついていくと、確かに小ぢんまりとした、それこそ一人浸かれるくらいの大きさの温泉のようなものがある。国内のどこだったか覚えていないが、川の傍で温泉も湧いていて、石で温泉部分を囲って使っているというところがあったと思う。川の水と温泉のお湯が混ざってちょうどいい塩梅になるとか。
 この温泉もそのタイプだった。脱衣所はないが、則宗さんが近づかなければ問題ない。流石に水を汚してしまうから、石鹸は使わない方が良いだろうが、それでも汗を流せるのはありがたい。
 朝晩の楽しみが出来た。
 それなりに快適な生活を送っていると自分がどうしてここに来たのかということを忘れてしまうため、朝の挨拶に加えて「そろそろ『是』ですかー」ということにしている。
 勿論「その予定はないな」と返されてしまうのだが、そのやり取りが心地よくなってしまった私はもう下山できないだろう。いやいや、仕方ない。帰ったとしても、また次に行けとか社畜的な生活が待っているかもしれない。ここのスローライフは意外と私に合っているような気がしてきた。
「そういえば、則宗さんはどうして私がここに来た時『我』なんて言ってたんですか? 普段一人称は『僕』ですよね」
 ずっと気になっていたため、聞いてみた。
 彼は半眼になり、心底呆れた表情を浮かべて「訊くか、それを」という。
「人の子が、僕に会いに来るという情報を得たからな。理由も一応知っていたから、こう……崇敬の対象とならねばならんだろうと思ったんだ」
「つまり、則宗さんは神様ムーブをかました、と。則宗さんにとって神様の一人称は『我』というわけですね」
「要約するな」
 拗ねたようにそっぽを向く則宗さんに悪いが、少しかわいらしく思えた。
 そして、だからかと納得した。則宗さんは、こうして人に寄り添える存在だったんだ。だから、崇高な神様のように振舞っていてもどこか違和感があったし、無理をしている印象があったのだ。
「私は、素の則宗さんの方が好きですね」
「好かれようと思ってアレをしたんじゃない」

 夜中に目が覚めた。
 今日は満月らしく、月の光で外が明るい。
 視線を向けると布団がもぬけの殻になっていた。トイレかもしれない。
 取り敢えず、こんな明るい夜はどんな風景だろうと思って寝袋から抜け出して外に出た。
 そこには天女がいた。
 違う。則宗さんだ。
 静かに舞を舞っている姿は崇高な神様のようで、目が離せなかった。衣擦れの音もなく、彼はいつもの、甚兵衛にジャージ、そして羽織という姿だというのに、別人のように見えて、そして、こちらとあちらは全く世界が違うように感じた。
「眠れないのか」
 舞が終わったのか、扇を畳みながら彼が声を掛けてきた。私は慌てて拍手をする。
「目が覚めただけです。月の光ってこんなに明るいんですね」
「人が忘れたものだろうな」
 ゆったりと近づいてきた彼も空を見上げた。
「舞が舞えたんですね」
「まあな」
「アンコール! アンコール!」
「情緒がない」
「もう一差し! もう一差し!」
「言っていることは同じだろう。それに、僕はこれ以外舞えない」
「どこで覚えたんですか?」
「……どこだろうな。僕たちは、人の傍に在ったからな。人の営みに馴染みが深い」
 暫く無言のまま並んで佇んだ。時折、風が吹いて落ち葉が擦れる音がする。
「寒いだろう。もう寝なさい」
「私、考えてたんですけど」
 あの日、則宗さんに問われてからずっと考えていた。『愛』とは何か。
 耳障りの良い、飾りの言葉だと思っていた。『愛の物語』といえばそれっぽいし、「愛している」という言葉を向けられれば何となく気分が良い。
 だけど、一方で「愛がない」とか「愛なんてものはない」と否定する人がいる。だから、きっと『愛』には定義があるのだと思う。ふわふわした何となくの感情ということもあるだろうけど、ないと否定するからにはその人の思い描く何かを『愛』と定義しているのだろう。
 では、私の愛は何か。
「たぶん、『大切にすること』が愛なんじゃないかと思います。だから、愛は与え合うもの、というのはあながち私の思う愛からさほど遠くなかったのかなって」
 ちらと見上げた則宗さんの瞳は好奇心に輝いていた。
「大切にすることが『愛を持って接する』ということで、それは人だろうと、物だろうと、事だろうと関係ないんだと思います。愛着って言葉があるけれど、これは特に『愛』に関係ないかもしれないけど、何かを大切にして初めて生まれるものが愛なのかなってそこにたどり着きました。一方通行でも構わないという人はいるでしょうけど、私は双方向が良いです。……たぶん」
「僕は、この姿で人に会ったのはお前さんが初めてだった。人の子には僕がどう見えるか少し気になって、格好をつけてみた」
「『我』ですね?」
 彼は半眼になって「そうだ」と肯定した。
「だが、お前さんは、僕の瞳を飴の包み紙と言った」
「宝物です」
「ああ。誰かにとって大したものではない何かが、他の誰かにとって宝物だと教えてくれた。飴の包み紙なんて、普通、ゴミだぞ」
「言われてみれば……。では、オパールと訂正しましょうか?」
「それは、お前さんの宝物か?」
「本物を間近で見たことすらありません」
「なら、飴の包み紙でいい。僕は物だから、人に大切にされると一際嬉しいんだと思う」
「人でも、一際嬉しいですよ」
「そうか」
 再び沈黙が下りる。
「寝なさい。もう遅い」
「はい、そうします。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

 翌朝、少し眠い目をこすりながら体を起こすと、竈の前に則宗さんが佇んでいた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう寝坊助」
「私の名前はそれじゃないです」
 減らず口を返しながら朝風呂の支度をする。
 帰りに小川に寄って水を汲んでくるため、桶を手に「行ってきます」といって庵を出ていった。
 温泉に浸かって体を温め、そのまま小川に寄ってきれいな水を汲み庵に戻る。
 庵に戻ると竈の前の則宗さんの姿がなかった。釜が火にかけられたまま彼の姿がないのだ。
「え、ちょっと焦げ臭くない?」
 ご飯の火加減は完全に彼任せだったため、どうしていいかわからず竈の前でおろおろしていると「早かったな」と声がして振り返る。
「これ、そろそろ火を止めた方が良いんじゃないですか?」
「この間、お前さんはおこげが美味しいと頬張っていただろう。もうちょっと大丈夫だ。まだ炭にはならんよ」
 それなら、と私は火の前から離れた。
「水は、もういいぞ」
「でも、まだ半分も溜まっていませんよ」
「構わない」
 不思議だな、と思いながら朝食の支度をはじめる。
 ご飯が炊きあがって、おかずを並べ、向かい合って食事を始めた。
 しかし、先程から則宗さんの様子がおかしい。微かな違和感を覚えるくらいで、具体的に何処がどうという話はできないのだが、とにかくおかしい。
「則宗さん?」
「どうした?」
「何かありました?」
「いや、何もないぞ」
 何もないと言われれば、違和感程度の間隔で追及のしようもなく、私は食事を続けることにした。
 則宗さんはいつも食事に時間がかかる。じっくりと味わうように咀嚼している。ご飯を食べるのが好きなのかと思ったが、たぶん、そういう理由ではないのだろう。
 カタリ、と彼が箸を置く。
「ごちそうさまでした」
 沁みるように口にする感謝の言葉の響きがいつもと違う気がした。
「片付けますね」と彼の食器に手を伸ばすと「いや、いい」と断られる。
 彼は私の目を見た。まっすぐに向けられた視線を受けて、私は再び腰をおろす。
「これを、お前さんの上役に渡しなさい」
 渡されたのは手紙のようだった。封蝋なんてものはないが、そのかわり、おそらく表と思われる面に紋のようなイラストがあった。大菊の下に漢字の一の文字。
「これは」
「お前さんが、必ず持って帰るようにと言われていたものだ」
 そういえば、今日は恒例の朝の挨拶をしていない。
「……では、『是』と言っていただけているので?」
「ああ。愛は、与え合うものなのだろう?」
 愛しむような瞳を向けられて私は俯く。
「お前さんはお前さんの世界に帰りなさい。僕とは二度と会えないだろうが、僕に似た僕には会えるだろう。もう、誰かの神域に派遣されることもない」
 なるほど、今更だがここは神域というやつだったのか。あの時、世界が変わったように感じたのはここに足を踏み入れたからか。
 顔を上げて彼と視線を合わせる。依然その瞳は美しく、私の宝物のようだった。
「お世話に、なりました」
 私は両手をついて頭を下げる。
「ああ、達者でな」
 ここに置いたままだとゴミになるから、持ってきた一升瓶は持って帰る。来る時より軽くなった背中のリュックに物足りなさを感じたが、それは『寂しい』ということではないかと少しだけ思った。
 初めて言葉を交わした場所にたどり着くと、やはり元来た道は断崖絶壁だった。
「大丈夫、行きなさい」
 頷いて言う則宗さんの言葉に背中を押されて私はゆっくり山を下った。断崖絶壁の前で足を止める。振り返ると彼はまだあそこに立っていて、ひとつ頷いた。
 少し山を登って、そして助走をつけてえいやと跳んでみると、着地した箇所はちゃんと山だった。ただ、急峻な坂道で、止まれずに仕方ないから尻もちをついて勢いを止めた。
 振り返ると、もうあの景色はなく、ただの山道が続いていた。腕時計は、十五時を指している。正確な時間かどうかわからないが、狂ったように針が回るあの現象はなくなっていた。
 駅にたどり着き、正確な時間と日付を確認する。
 時間の流れは則宗さんのところにいたときとこちらとでは変わらなかった。私が姿を消したのはたった二週間弱と言ったところで、特に大騒ぎされるほどの期間でもない。
 ひとまず、帰宅して荷物をおろし、着替えて洗濯して風呂に入って食事をした。便利ではあるが、物足りない。
 翌日、出勤すると上司が大満足といった表情で近づいてくる。お前は何もしていないのに何だこれはと思いながら則宗さんから預かった手紙を渡した。
「君はそういったところでの適応能力がありそうだな。では、次は……」と話し始めたから「それ、見てからにしては?」と返す。
『誰が協力するか、ばーかばーか』と書いてあるかもしれない。書いていないだろうけど。
 上司はひとつ頷き、その手紙を持ってどこかに行った。『物の心』からの手紙だからそういった部署に解読してもらったりするのかもしれない。そういった部署があるのか知らないけど。
 間もなく、幹部と言われている人たちが青くなって会議室に駆け込んでいった。やはり、『誰が協力するか、ばーかばーか』と書いてあったのかもしれない。となると私の首が飛んでしまう。でも、よくよく考えてみてもこの仕事にしがみつく必要はないし、山奥に籠ってのスローライフも悪くない。ただ、きっとクマと戦わなくてはならないだろうから、その準備を怠らないように気を付けなくてはならないような気がする。
 それから、私はどこかに派遣されることもなく、一度組織が解体され、新しく正式な組織が出来上がった。プロジェクトチームのような立場があやふやなものではなく、専門の部署だ。
『この秘密を知ったからには』という理由だろう、私もその部署に所属となった。
 その部署では、刀剣男士と呼ばれる刀剣の心が常駐するようになった。どうして刀剣男士を必要としているのかを知らされたのは、この部署が出来てからだ。プロジェクトチーム時代に私たちが派遣され、協力を取り付けた刀剣男士から他の刀剣男士に話が行くなどして協力してくれる刀剣が増えてきている。
 顔見知りも増えた頃、私は一振りの刀剣男士と対面する。彼は、軍服のような、少し硬い格好だが、刺繍やらストールなどで華やかさもあり、めちゃくちゃおしゃれで、おばあちゃんちでもらった飴の包み紙の色をした瞳を細めた。
「やあ、久しぶりだな」
「会えないって言ってましたよ?」
「ああ。僕はあの僕ではないが、あの僕が体験したことを知っている。お前さんのこともな」
 言っていることが曖昧で、いまいち呑み込めないが、それでも、やっぱり再会できたと表現しても差し支えなさそうで、嬉しさがこみ上げる。
「ごはん、食べに行きませんか?」
「ああ、いいな」
 鷹揚に頷いた彼ははらりと扇子を広げた。






桜風
21.4.29
(22.2.1再掲)


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