ハッピーエンドをはじめよう
煌びやかな街の中、酒に酔った人々の笑い声が狭い夜空に響く。
「二次会どうですか」
そんな風に誘われた彼女は「迎えが来るので」と首を横に振った。
彼女は社内でも有名だった。仕事はできるし愛嬌がある。どこかミステリアスな雰囲気を纏っているため、お近づきになりたいという人物は男女問わずあるのだが、彼女には一定の距離を詰めることができない。物理的なものではなく、心理的なものだ。
彼女が視線を向けた先には人影があった。先程はなかったような気がすると多くの者が思ったが、如何せん酒が入っている。気のせいかもしれない。
「では、お先に失礼します」
コツコツとヒールを鳴らして迎えに向かって歩く彼女の足取りは少し軽い。
彼女は審神者であり、一方で現世では会社勤めをしている。審神者の中にはそういう手合いもいるが、数は少ない。
彼女の場合、就職後に審神者となったためこの生活を選んだ。幼い頃に身内と離れ、施設で育った彼女は早々に自立を目指し、実行したのだ。
「もういいのか?」
迎えとして現世にやって来たのはこれが初めてではない一文字則宗だ。
「義理は果たしたもの」と彼が差し出した手にバッグを渡しながら返す。
「何とも味気ない」
ひとまず彼女は政府から用意されているセーフティハウスに向かう。都会から少し離れたワンルームマンションだ。そこで一晩過ごしても良いし、そのまま本丸に戻ってもいい。近侍にもその旨を話して了解を得ている。
このワンルームマンションは会社に報告している住所とは異なるため、知り合いに会う可能性が低く頻繁に利用している。
審神者は、政府から人の世での身の安全が保障されている。ただし、人の理の外にあるものには関知しないため、基本的には護衛が必要になる。四六時中護衛を付けている者もあるが、彼女は仕事をするのに不便だからと何かあった時に緊急召喚できる準備をしたうえで、迎えだけを頼んでいる。
電車を降りて駅前のコンビニエンスストア前で立ち止まり、隣に立つ男を見上げた。
「則宗、何か飲む?」
「いや、僕はいい」と返すと彼女は少し悩み、「私はちょっとデザートが食べたい」と言って店に足を向けた。
いくつかのデザートを持って帰宅すると彼女は脱いだコートとジャケットを無造作にソファーに投げてエアコンのリモコンに手を伸ばす。
自身のコートをハンガーに掛けながら一文字則宗は本丸に彼女と合流したことを連絡した。ついでに彼女がソファに投げた衣服もハンガーに掛ける。
本丸の門は彼女がいれば開けられるため、帰ってくるも一泊するも好きにするようにと留守居役の近侍に告げられ、彼女にもそれを伝える。
「じゃあ、一泊」
そう言いながら彼女はベッドに腰かけて先ほど購入したデザートのパッケージを開ける。
「今日で終いか?」とソファに腰をおろしながら一文字則宗が確認する。
「あと二件、だったかな。忘年会なんていう古き悪しき風習なんてやめてしまえばいいのに」
「本丸でもしたじゃないか。お前さんが音頭を取って」
「気心知れている仲間と職場の上司を含めてのほとんど義務化されたそれとでは価値が違う」
「そういうもんか」
「そういうもん。則宗はなかったの?」
「僕か? 政府所属と言っても皆干渉しなかったからな」
「それが理想」
デザートをぺろりと平らげた彼女はベッド脇のサイドボードに空になった容器を置いてそのまま寝ころんだ。
「ねえ」と彼女が一文字則宗に向かって手を伸ばす。
少しだけ困ったように微笑んだ彼は立ち上がり、彼女の傍に腰をおろした。
「仰せのままに」
低く囁いた一文字則宗が彼女の首筋に口吻けを落とすと彼女はくすぐったそうに目を細めた。
翌朝目を覚ました彼女の隣に一文字則宗の姿はなく、体を起こし、キッチンにその姿を認めた。
「おはよう、お寝坊さん」
声を掛けられて「おはよ」と返した彼女はぐしゃぐしゃに乱れた髪を手で梳いてみた。引っかかる。
それはそうだ。昨日はあのまま行為に耽っていつの間にか眠ってしまい、今に至っている。
「シャワーを浴びてきなさい」
一文字則宗に言われて頷いた彼女はベッドから降りようとしてズルンと転げ落ちた。
「おいおいおい」
呆れた声が近づいてくる。
「まだ寝ぼけているのか?」
「だっこ」と手を伸ばすと彼は苦笑して「仰せのままに」と昨晩と同じ言葉を口にした。
脱がせた折に散らかしっぱなしにしていた彼女のシャツを適当に羽織らせてそのままバスルームに向かう。
「溺れないでくれよ」
「うん」
こくりと頷いた彼女はドアを閉めた。
溜息をひとつ吐いて彼はキッチンに戻る。軽い食事なら作れる。それなりに彼女とこちらで過ごす機会が多いため、いつの間にか身に着けたスキルだ。
一文字則宗と彼女は恋人という名称で呼ぶ間柄ではない。どうしてか、彼は本丸に赴任して数か月たった頃に彼女に同衾を命じられるようになった。同衾を命じるといっても明言されたのは最初の一回だけだ。それ以降、明言したことがないが、ただ、彼女は彼を求めるのだ。今まで誰が相手をしていたのか聞いてみたが、誰もそういった役目を負っていたことがないらしい。最も彼女の傍に長くいた加州清光に聞いてみたが彼女が同衾を求める理由は彼にもわからないという。しかし、わからないと言いながらどこか腑に落ちた様子だったことが不思議だった。
とはいえ、主人に求められ、しかも無理難題とまでいえないことを断る理由もなく、彼は彼女の求めに応えている。激しく抱いてほしいと言われれば獣のように彼女を貪り、優しくしてほしいと言われれば蕩けるように甘やかす。最近では、彼女がどうしてほしいのか言われなくてもわかるようになった。ただし、ひとつだけ彼女が拒否することがある。口吻けだ。身体のどこに唇を落としても彼女は悦ぶのに、どうしてか唇を合わせることだけは拒む。物欲しそうな目で見る癖に唇を合わせようとすればふいと顔を逸らすのだ。もしかしたら、彼女が想いを寄せる相手がいて、自分はその代わりなのかもしれないと思ったが、それでも別に構わない。
「ただいまー」と本丸に戻ると近くにいた刀剣男士たちから「おかえり」と声が返ってくる。
「おかえり」と迎え出たのは加州清光で、審神者の姿を見て眉を上げ、一文字則宗に視線を移した。
「じじい、俺ちゃんと教えたよね。スーツをそんな紙袋に突っ込んだら皺になるじゃん」
「主は、形状記憶と言っていたぞ」
「形状記憶にも限度ってものがあんの。主も、ちゃんと手入れできるようになんないと」
「形状記憶って企業が謳ってるんだから、信じてあげないと」
カラカラと笑って彼女は紙袋を持ったまま自室に向かった。
「待って、主。その荷物は俺が預かるから」と慌てて彼女の背を追う加州清光を見送り、一文字則宗は任務が終わったと言わんばかりに伸びをした。
本丸の外にいる間は敵襲に備えて気を抜くことができない。彼女の傍にいるのが自分だけなら尚更だ。本丸に帰って初めて心身を休めることができる。
仮眠を取った後、一文字則宗は本丸内を歩く。特に目的はないが、この本丸の空気は落ち着いていて居心地がいい。押しかけた形でこの本丸の配属になった時も一部渋面を作った者は居たが、反対する者はなく、審神者も「いらっしゃい」と歓迎した。
その時はこんな関係になるとは思ってもいなかったのだが、縁とは不思議なものだ。
刀剣男士と審神者が性交することは、霊力の補給又は強化に効果あるとまことしやかにささやかれているため、彼らが同衾する事例は一般的に少なくない。しかし、実際はそういう効果はほとんどなく、お互いが行為に興奮することで一時的に生命力が強くなるため、霊力の充足が見られているだけだ。政府としては、それだけで審神者が審神者の使命を全うし、刀剣男士が審神者の命に従い続けるなら安い話だ。目くじらを立てるほどのことでもない。一文字則宗も政府所属だった時にそういう話は聞いたことがあった。
夜が更けて部屋を出た。吐く息が白く、見上げた空に浮かぶ月は十三夜で、もうすぐ満月だ。
ふと、審神者の寝室から灯りが漏れていることに気づき、一文字則宗は足を向けた。
「眠れないのか?」
彼女は薄着のまま縁側に腰をおろしていた。冷え込んでいる中、その格好では風邪を引くと心配した彼は彼女の寝室に入り半纏を取ってきた。
「これを着なさい、風邪を引く」
頷いた彼女はそのまま半纏に袖を通した。
「眠れないのか?」
先程の問いを繰り返す。
「う、ん」
彼女の返事は曖昧で、『眠れない』のか『眠らない』のかがわからない。
「ねえ、則宗」
「どうした?」
「歌を歌って」
「歌? ……歌だと?」
「うん、上手そう」
「歌なんて歌ったことないぞ」
眉を下げて返す一文字則宗だったが、審神者は期待の眼差しを向けている。
溜息を吐いた一文字則宗は、時折粟田口の短刀たちが口ずさんでいる童謡を歌う。歌詞も正確に覚えていないが、童謡は耳に馴染みがある。刀だというのに不思議なものだ。
歌い終わるとぱちぱちぱちと彼女が手を叩く。「やっぱり上手だったね」と微笑んだ。
「さあ、子守唄も歌った。もう寝なさい」
「はーい。おやすみなさい」
「おやすみ」
立ち上がった彼女は挨拶を口にして部屋に戻っていった。
同衾を命じられるかと思ったが、今晩はそういう気分ではなかったのだろう。
審神者の部屋の灯りが落ちるのを確認して一文字則宗も自室に戻っていった。
春の便りが届き始めた頃、つまり一文字則宗がこの本丸に押しかけて来た季節となった。
「ああ、いたいた」と声を掛けてきたのは審神者だった。
「どうした、執務は終わったのか?」
「終わったよ」
「ならばよし。それで、僕を探していたのか?」
「うん、明日買い物に付き合って」
「買い物?」
珍しい頼み事だ。迎えに来るようにと言われることはしばしばあるが、供に出かけようと言われたことはおそらくなかったと思う。
「他の者たちに振られたのか?」
ありえないことを口にしてみると「まさか」と笑われた。
「僕でいいのか? お前さんと趣味が合う自信がないぞ? 役不足だ」
「則宗がいいの」
そこまで言われるのならと彼は承諾した。
「それで、何を買いに行くんだ?」
「着物を誂えに行くの」
益々役不足だと思ったが「じゃあ、よろしくね」と彼女が去っていったため、断ることができなくなった。
翌日彼女に言われるままに供に出かけた一文字則宗は後悔する。やはり、物事には向き不向きがあると思う。
「ねえ、どれが良いと思う?」
彼女はいくつも並べられている反物を眺めながら一文字則宗に問うた。
審神者の給金は随分と高額だと聞いたことがある。危険手当だという話だが、使い切らないまま生を終えることが多く、政府に返還されることを見越してのそれだ。
審神者になってそれなりに年月が経っている彼女の財産はおそらく多額で、この目の前に並ぶ反物を購入することを躊躇う必要がないほどは蓄えているだろう。
なるほどと納得した。
加州清光や脇差以下の小さい刀たちだと子供のように思われてしまい、相談しながらの高額な買い物がしづらい。よって、普段供に買い物に出ている者ではそれこそ役不足となってしまうのだ。
その点、太刀である一文字則宗は大人として見られるだろう。少なくとも、十代と勘違いされることはなく、こういった買い物をするのにも釣り合いが取れる。
店員が熱心に勧める反物があるが、彼女には不似合いだと思った。
「これはどうだ?」
少し落ち着いた色合いのそれは、年嵩の女性に似合いそうなものだった。彼女には早いかもしれない。
「んー、ちょっと地味」とバッサリ斬られたが、「でも、好きかも」と彼女は笑う。
「帯とか小物を工夫したらいい感じになるんじゃないかな」
彼女の言葉に店員は満足げに頷いた。
それから店員と話を進める彼女の傍に控えて買い物の行方を見守り、店を後にする。
「ありがとう、助かっちゃった」
「だが、本当に僕で良かったのか? 着物なんて門外漢だ。他に、そうだな……歌仙兼定や蜂須賀虎徹。日本号も造詣が深いやもしれんぞ」
「造詣が深い人たちは、話が長くなりそうだし、好きなのを選ばせてくれなさそうだから」
物凄く納得してしまった。店内で長々と蘊蓄を述べられても困るだろう。
「お前さんの買い物はこれだけか?」
「そうだよ。でも、せっかくだから何か食べて帰ろう。則宗は食べたいものがある?」
「お前さんの好きなものでいい」
「んー、じゃあ。餃子」
一瞬、抵抗を感じたが「いいな」と頷いた一文字則宗に「言うと思った」と彼女は笑う。
二人で餃子を食して本丸に戻るとその日の夕飯の献立が餃子で、二人は顔を見合わせて笑った。
着物ができたと連絡を受けた審神者は、一文字則宗を伴って出かけた。
「受け取るだけなら僕が行くぞ」と一文字則宗は提案したが、審神者は供に出かけることを選んだ。
「そう言えば、唐突に着物を誂えるなど、どうしたんだ?」
理由を聞いていないことを思い出して一文字則宗が問うと、「ああ、来週お見合いだから」と軽く返されて彼は思わず足を止める。
「お見合い?」
「そう。政府からの指令。お相手は政府が重宝している審神者らしいよ。お顔はまだ知らないけど。則宗も知ってるかどうかわかんないけど、審神者ってそうそうなれるものじゃなくて、資質が必要でしょ? 今はランダムで見つけているけど、最近は資質が発現する条件とかそういう研究が進められているんだって。ひとまず、審神者同士の子供はどうかということで、そういう話が進んでいる」
一文字則宗は絶句した。
――まるで家畜ではないか。
「まあ、私みたいな数合わせの審神者は政府にたてつくことができないからね。後ろ盾があればまだもうちょっとマシな対応があったかもしれないけど」
身内がいない彼女はそういうことが期待できない。
「お前さんは、それを受け入れたということか」
「政府の指令に拒否権がないことはご存知なのでは?」
選択権があるように見せかけて、実は用意されていない。
「さすがにビジネススーツでお見合いするわけにはいかないでしょ。だから、せっかくだし着物を誂えるなどしてみたの。政府が用意するお見合いの席がどういうところかまだ聞いてないんだけど、ドレスコードがあるかもしれないし」
あっけらかんという彼女に一文字則宗は呆然とした。
「則宗?」
隣を歩く男の姿がないことに気づいた彼女は足を止めて振り返る。
「ほら、置いていくよ」
「ああ」と返事をしたが彼の心はここにあらずといった様子で、話を振っても生返事をするだけだった。
彼女のお見合いの話は、その日の晩に皆に告げられた。皆も色々と思うところがあるようだが、主が決めたことだからと受け入れた。
翌週、審神者は先日誂えた着物を着て政府が用意したお見合いの席に加州清光を伴って向かった。
これまで一度も敷居を跨いだことがないような高級料亭だと言っていた。着物を誂えてよかったと笑っていた。
着物を着た審神者は、随分と落ち落ち着いた雰囲気を纏っていた。選んだ反物のお陰か、実年齢よりも少し上に見える。今まで見たことのない審神者の様子に感嘆の声を漏らす者は少なくなく、随分と様子の違う彼女に居心地の悪さを感じたのか「化けるもんだな」と揶揄う者も出た。
彼女は成人して随分と経つが、彼らにとってはどうしても幼い印象が抜けない。だからこそ、ここまで落ち着いた大人の女性に成った彼女にどう接していいかわからないのだ。
「じゃあ、行ってきます」
しずしずと歩いて門を出ていく審神者を多くの者が見送った。
彼女は「振られるかもしれないから」と笑っていたが、政府の画策だ。そう期待できる話ではないだろう。
審神者が不在の本丸は、いつもの出勤で不在の時とは異なる静けさがあった。部屋や庭、畑などそれぞれいつもどおりの生活をしているはずなのにやはり物足りなさ、物寂しさを感じているようだった。
手持無沙汰な一文字則宗は、本丸の中を彷徨っていた。ふと審神者の部屋に視線を向けた。
初めて審神者を抱いた時を思い出す。
彼女は夜中に縁側に腰掛けて空を見上げていた。何を見ているのか気になり、足を向けて何を見ているのかと声をかけた。
あのとき、彼女はその問いに答えることなく唐突に「抱いて」と言った。
しかし、彼にはそれが「寂しい」と聞こえた。子供が素直に吐露した本心のようなその言葉に、彼は彼女に対する憐憫の情を抱き、そして希われたとおり、彼女を抱いた。
この日から始まった彼女との関係はただの主従というには歪なものだった。彼女は良く気配りができ、苦手なものを克服しようとする努力を怠ることなく、この本丸に在るどの刀剣男士にとっても良き主であった。だが、それは随分と取り繕った張りぼてだったのだろう。彼女と体温を重ね、零れる言葉を拾っていた一文字則宗には『良き主』の彼女に違和感があった。おそらく、加州清光もそれを感じていたのだろう。ただ、彼はそれを見守ってきた。今回の審神者の選択も、きっと一度は「本当にいいの?」と問うたのだろう。だが、彼女の思いを尊重して従った。近侍として正しいのかもしれない。
だが、だが……。
大きな池のある、見慣れた庭によく似た日本庭園に面した部屋で彼女はお見合い相手と向かい合っている。
お見合いの相手は老年と言ってもおかしくない姿だった。
自分のような者に声がかかるのだからその可能性は高いだろうと思っていたが、実際目にすると何とも言えない気持ちになる。
とはいえ、その様子はおくびにも出さない。嫌なことがあっても顔に出さずに受け流すスキルは高い。随分と昔に得て捨てることができない処世術だ。
ふと、部屋の外が騒がしくなる。
政府の担当者は早々に退席し、この部屋には当人たちとその近侍だけになっている。
「どうしたのでしょうな」
相手の審神者がちらと近侍の一期一振に視線を向けた。彼は小さく頷き騒ぎの元に足を向けようとした。
と、そのタイミングで縁側から人影がぬっと現れる。
「則宗?!」
審神者が声を上げた。
「ちょ、じじい。どうしてここにいるんだよ」
慌てる彼女と加州清光を見て一期一振は主に視線を向けた。彼は頷く。とりあえず、警戒は解いて良いと判断した。
「お前さんが主の見合い相手か?」
「左様。しかし、一文字の祖がこの場に乱入してきた理由は?」
「なに、大義も何もない我がままだ。この場に乱入した不躾は詫びよう。しかしな、さらなる不躾を働く」
高らかに宣言して一文字則宗は自身の主を抱き上げた。
「この見合いは破談ということにしてもらおう」
そう言ってトン、と畳を蹴ってその場からいなくなった。
「は、はあああああーーーーーー?!」
残された加州清光は声を上げる。こんなところに残されて何をどうすればいいのかわからない。
恐る恐る相手審神者に視線を向けた。
微笑みを湛えた表情だ。隣の一期一振は殺気を放っている。わかる、その気持ち。自分だって主の目の前で見合い相手がいなくなったら虚仮にされたと腹が立つ。
「え、えーと」
「あの二名は恋仲なのかい?」
「いや、違う……。うん、今は違う」
違うと言い切りがたいが、そうでもない気がして少し困る。しかし、現状で答えるなら『違う』で間違いない。
「なるほど……。私はね、物語を好むんだ。本でも映像でも。でも、その結末は必ずハッピーエンドでなくては面白くない」
突然相手審神者が語りだした。
「この見合いは、元々破談の予定だった」
「は? え、でも。そっちは政府に重宝されている審神者だからこっちから断るのはできないって主が言っていたんだけど」
「重宝!」彼は笑う。腹を抱えて笑い、ひとしきり笑った後、加州清光に向かって鋭い視線を向けた。
「若い娘を相手に種馬になれと言われていい気になると軽んじられている審神者だが?」
「でも、主が……」
「まあ、確かに重宝されていると言っても嘘ではないと思うけどな。今回の政府の私への対応は業腹だったんだ。だから、そちらの審神者に破談の相談をしようと思っていた。そろそろ話を切り出そうと思ったところに闖入者だ」
「えっと……怒ってないの?」
「怒っているように見えるかい?」
「一期一振が……」
「これはとてもまじめだからね」と返して彼をなだめる。
「私は、家畜に成り下がった覚えはない。だから、政府のこの実験は反対だし、従う気はない。それでなくとも人身売買をしているこの国の政府に思うところはあるんだよ」
「じゃあ、どうして審神者なんてやってんの?」
「私にも家族があったんだ。歴史が変わったら私の家族の存在が無くなってしまう。それが嫌なんだよ」
愛おしむように目を細めて彼が言う。
「えっと、じゃあ。これからどうすれば?」
「私のほうからそちらにお断りの連絡を入れるよ。政府のほうにもそちらが悪くされないように理由を作っておこう」
加州清光はほっと胸を撫で下ろした。とりあえず、丸く収まりそうだ。
「ああ、でもそうだな。条件がある」
「条件?」
「そう。さっき言ったように私はハッピーエンドが好きなんだ」
確かにそう言っていたと加州清光は頷く。
「私にハッピーエンドを見せてほしい。すぐには、おそらく難しいだろうから、いつかでいい」
「えっと、それって……」
相手に審神者はぱちんとウィンクをした。
「さて。帰ろう、一期。私は人生で初めて振られてしまったよ」
笑いながら立ち上がった彼に倣って一期も立ち上がる。
「ではね、加州清光。君も苦労するね」
「どーもね」
「ちょっと、則宗。戻って!」
「嫌だ」
「だって、清光置いてきた」
「坊主ならうまく立ち回るさ。何せ、お前さんの近侍だ」
「そうじゃなくて、そうだけど。相手が怒ったら……。一期は真面目だから絶対怒ってるよ」
「そうかもしれんな」
尚も抗議する審神者に返事をすることなく一文字則宗は彼女を肩に担いだまま見合いの席があった料亭から離れていく。往来で女性を肩に担いで歩けば、普通は何か問い質されるだろうが、幸いなことに今のところそんな事態に陥っていない。
暫くじたばたと暴れていた審神者が大人しくなった。
「わかった。戻ってとは言わないけど、降ろして。私は米俵じゃない」
審神者の言葉に内心安堵した。これで「則宗とは絶交」と言われたら正直辛い。
「勿論、お前さんは僕の大切な主だ。米俵なんかじゃない。しかしなぁ……」
「なによ」
「お前さんを攫う際に草履を持ってくるのを忘れてしまった。流石に主を裸足で歩かせるわけにもいかんだろう」
審神者はため息を吐き、「足袋をはいてるから大丈夫。この姿勢辛いのよ」と言って一文字則宗を促した。主がそういうなら、と彼は肩に担いだ彼女をそっと降ろし、少し乱れている裾や帯を直してやる。
「まったく……」と審神者は呆れた様子を見せ、ちらと彼を見上げて「どうして場所が分かったの」と問うた。
「愚問だな。僕は元監査官だ」
「今権力がない監査官に誰が協力するの」
「そこは、これまで培ってきた関係だ。使えるときに使わないとな」
「どうして来ちゃったかな」
「主が嫁げば今の本丸はどうなる」
「どうにもなんないよ。数合わせの審神者って言ったでしょ。数は必要なの。もしかして、それで政府とのコネクションがまだ生きてる則宗が代表してやってきたってこと?」
審神者が返すと彼は「そうか」と納得した様子を見せたが、彼女の疑問には答えていない。
じっと見上げて答えを待っていると、「違うな」という。
「何が?」
「皆がどう思っていたかは知らない。僕が、嫌だったんだ。これは僕のわがままだな」
審神者を攫うと決めたとき、自分の中で色々と理屈を並べてみた。どれも無理のない理由で、動機としては充分だった。
しかし、よくよく考えてみるとそれは建前で、では本音はと問われたら、「だった」の一言に尽きる。
彼女が誰かのものになるというのは受け入れがたい。本当の彼女、誰かの期待に応えて自分を偽っている普段の彼女ではなく、甘えたで子供っぽくて少しわがままな彼女を知っているのはおそらく唯一自分だけで、これからも自分だけが知っていたい。そう思ってしまった。何とも俗っぽく、こちらも子供っぽい。
「則宗の、わがまま?」
「ああ、そうだ。僕のわがままでこんな大ごとを引き起こした。後悔は一切していないがな」
「そうか、わがままか……」
何度も繰り返されると居心地が悪くなる。
「そう繰り返してくれるな」
「則宗ってさ、自分が主語って苦手なのにね」
不意に指摘されて彼は首を傾げる。
「どういうことだ?」
「誰かのため、誰かの期待に応えるのはとても得意。でも、自分がどうしたいという話になったら戸惑うというか、距離を置く。自分の心との距離ね」
言われて考えてみた。確かにそうかもしれない。そうかもしれないが、だが、それは。
「お前さんの話か?」
「則宗の話」
少し拗ねたように彼女が返す。ちゃんと話を聞いてよね、と続けた。
「だが、お前さんこそそうだろう。お前さんが良き主であろうとしているのは誰かの、本丸の者たちの期待に応えるもので、本当はそんなに優秀でもなければ大人でもない。幼稚でわがままで甘えただ。勤め先でも誰かの期待に応えるような振る舞いをしているんじゃないか?」
「随分と下げるじゃない」
「まあ、そこが愛らしいんだがな」
「急に上げるのやめてくれないかな?」
「お前さんが懸想している相手がいたとて、それはもう些細なことだ」
穏やかな表情で頷く彼に「は?」と彼女は首を傾げる。
「なんて?」
「いるのだろう? 確かにな、審神者なんてものをしていては中々難しい恋路もあろうさ」
したり顔で頷く彼に彼女は混乱する。何を言っているのかさっぱりわからない。
「私、則宗以外に好きな人がいるの?」
「そうなんだろう? だからお前さんは僕の口吻けを拒む……。ん? 僕以外?」
「だって、キスは好きな人以外としちゃダメなんでしょ。則宗は私のことを好きというわけではなく、ただ、義務として仕方なしに……その……抱いているわけで」
語尾が小さくなる。俯いた彼女の耳が真っ赤だ。
一文字則宗は彼女の言葉の意味を真剣に考え、何度も至った答えに頭を抱えた。
「待て待て待て。お前さん、本当に……」
――無垢にも程があるぞ。
身体の関係を求めている時点で無垢と表現するには些か違和感があるが、それでも、彼女の心はまだ幼子のように純粋だ。
ああ、確かに彼女が周囲の期待に応えようと努力する姿は、子供が親に褒めてもらいたくて背伸びをしているそれにそっくりではないか。
「主、顔を上げてくれんか」
促されて彼を見上げると美しい顔立ちが目の前にあり、そのまま唇を重ねられた。
触れるだけのキスに彼女は暫し呆然としていたが、やがて顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開閉する。何か抗議したいのに、言葉が浮かばない。
「つまり、お前さんのことを好いていれば口吻けをしても問題ないというわけだ」
「え、あの……?」
「そうだな、確かに最初は憐みだ。泣きじゃくる子供に縋りつかれて無慈悲に振りほどくことができなかった。ただな、少なくとも、今、僕がお前さんをこうして攫ったのは保護者面をしてのことではない。他の男に渡したくないという、お前さんを愛している男のわがままだ」
「やきもち?」
窺うように問う彼女に「そうだな」と頷く。
彼女は目を細めてくすぐったそうに首を竦めた。そしてはたと気が付いたように彼を見上げる。
「でも、だからってお見合いを壊しても問題ないかと言えば、別の話」
「……まあ、そうだな」
彼女はため息を吐き、「本丸に帰ろう。清光が帰ってきてるかもしれない。先方への謝罪とか、そういうの考えなきゃ」と言って歩き出す。
「そうだな」と少し肩を落として一文字則宗もそれに続いた。
「ただいまー」と玄関の扉を開けると「おかえり」と加州清光が仁王立ちして待っていた。どれだけの時間を待っていたのだろうか。
「あの、ただいま」と窺うように審神者が改めて挨拶をし、「今帰ったぞ」と一文字則宗が言う。
「……主、草履は俺が持って帰ってるから。まずは、足元をきれいにしといで。着替えたら俺の部屋に来て」
「はい」
「じじい、話があるからついて来い」
「ああ」
「あの、清光」
背を向けた彼に審神者が声を掛ける。
「ん?」と振り返った彼に「ごめんなさい」と彼女が頭を下げる。
「主は悪くないでしょ」と返し、「でも、後で話があるからね」と言ってその場を去っていった。
「それで、どうした坊主」
加州清光に続いて近侍部屋に入った途端、一文字則宗が口を開く。
「どうした、じゃないでしょ」
ため息交じりに抗議し、一文字則宗に視線を向けた。座るように促す。
「反省の弁は?」
「ない。ただ、お前さんに迷惑をかけたことに対する謝罪はある。すまなかった」
「まあ、そっちはいいけど」
「ただし、お前さんが再び政府の言いなりに主を差し出すなら全力で阻止する」
「あのね、じじいも知ってると思うけど、そもそも今回のは主が受けたことなんだけど。ホントは俺だって反対だったよ」
これ見よがしのため息を吐いてみせた加州清光は「で?」と話を促した。
「で? とは?」
「主を攫った理由とその顛末。俺は聞く権利がある」
赤い瞳がまっすぐ一文字則宗のそれを捉える。
「そうだな」と頷いた彼は、正直に見合いの席から彼女を攫った理由とその後の顛末について話をした。彼女の了承なく話すのもどうかと思ったが、この際仕方ない。このことで、加州清光には多大な迷惑をかけた。
「あー、つまり。やっと纏まったってこと?」
「やっと?」
「そう、やっと。じじいがヘタレのままだったらダメだろうって話をしてたんだけど……。主、そういうの苦手そうだから、主からは無理だろうし」
誰とだ、と突っ込みをいれたくなったがひとまず話を聞くことにする。
「俺さ、この本丸の最初の刀剣男士に選ばれて、初めて人の姿になって主と一緒に頑張んなきゃって思った。人としての振る舞いとかそういうのでわかんないことがあったら主に聞いて、主は審神者だから、俺の主だからきっと凄いんだって勝手に期待した。実際、凄いし、とても優しい人だったんだけど、ただ、俺が期待しすぎたからちょっと窮屈になったみたいで。でも、それに気づいても、俺が主への期待をやめたら主はきっと落ち込むと思って主に窮屈な思いをさせてるのわかってて『審神者』に期待した。一年ちょっと前の特命調査に出陣して、現地で落ち合った監査官にどうしてか既視感を覚えた。そいつがこの本丸に来て、主と話をしてるのを見てその既視感に納得した。こいつ主に似てるんだって。俺じゃできない、できなかったことをこいつはできるはずって期待したら、期待以上というか、予想の斜め上でちょっと思うところはあったけど、でも、主が『審神者』っていう看板降ろせる瞬間があるならいいかなって」
「……坊主、意外と主のことを見ているんだな」
「当然。俺は主の『いちばん』だからね」
それはそうだと思う一方でちょっと面白くない一文字則宗は渋面を作った。
「清光」と廊下から審神者の声がした。
丁度いいタイミングだ。
「入って」と促されて彼女は障子戸を開ける。加州清光と一文字則宗が向かい合って座っており、自分はどちらに座るべきかと考え、説教を受ける立場のため、一文字則宗の隣にしおしおと座った。
「まず、今日のお見合いの話だけど。元々先方は断ろうと思ってたんだって」
「え、」と審神者が声を漏らす。「私が力のない審神者だから」と肩を落とす彼女に「そうじゃないよ」と加州清光が否定する。
彼は審神者がいなくなった後、相手の審神者から聞いた内容を話す。
「でも、最初から先方が破談にするつもりだったとはいえ、失礼なことをしたのは間違いないのはわかるよね」
一文字則宗に視線を向けると彼はバツが悪そうに視線を泳がせる。
「てなわけで、二人で先方に謝りに行ってね」
「怒っていないのだろう」
「失礼なことをしたのに謝罪もしないような無礼な本丸って思われるのなんて俺は嫌だよ」
「わかった」
審神者が頷く。
「会社の研修で習った謝罪の方法を実践する機会ってことね。則宗は、同行しなくていいよ。私一人で行くから」
「待て待て。無礼を働いたのは僕だ。お前さんは僕に攫われただけなんだから、僕が行かなかったら話にならんだろう」
「でも、責任者は私だし」
「だが」
「はいはい。だから、二人で行ってくればいいでしょ。先方への連絡が俺がするから、日程決めといて。絶対、二人で行くんだよ」
加州清光から追い立てられるように部屋の外に出た二人は顔を見合わせた。
謝罪は早い方が良いという研修での学びから、審神者はその翌日謝罪に赴いた。高級和菓子を持って先方を訪ねる。
加州清光の話のとおり、相手は特に怒っていないようだが、どうにも期待に満ちた様子だ。心当たりがなく、通常の謝罪では物足りないということだろうかと考えていると「何を期待しておいでだ?」と一文字則宗が相手に問うた。
「私はね、物語を好むんだ。でも、その物語はハッピーエンドでなくてはならない。この話はそちらの加州清光にもしている。私は、ハッピーエンドが見られそうかね?」
「他人に見せびらかすつもりもないし、何を以てハッピーエンドというのかは個人の感覚によると思うのだが。どうだろう?」
「なるほど、確かに納得のいかないハッピーエンドもあったな。では、元監査官殿。これからどうする? 御両人は恋仲とお見受けする。そうでなければ見合いの席に乱入などできないだろう」
乱入後にそうなった身としては少し刺さるが、一文字則宗は気を取り直し、「何、言うまでもない。誰かにとってのハッピーエンドなんざ知らんが、僕にとって、僕とこの子にとってのハッピーエンドをはじめるだけさ」と返した。
相手は声を上げて笑い、膝を叩く。
「うん、いいものを見たし、聞かせてもらった。そちらの加州清光にも話したが、見合いの破談の話はこちらから政府に適当にそれらしい理由を付けて報告しておこう。何、君たちの話は出さないから心配する必要はない」
そう言って彼は立ち上がり、上機嫌に客間を出て行った。
取り残された審神者は呆然としたが、残っている一期一振に視線を向けた。これで話は終わりということでいいのだろうか。
「季節の便りなど頂ければ、主はきっと喜ばれます。その際、ちゃんと惚気てください」
ちゃんと惚気ろとはどういうことかと思いつつも、「良いご縁を頂きましたので、そうさせていただきます」と彼女は返した。
一期一振に玄関まで案内されて、その本丸を辞した。
「良いご縁とは何だ」
突然拗ねたように言われて審神者は隣を歩く一文字則宗を見上げた。
子供みたいで少し可愛いと思い、笑みが零れる。
「笑ったな?」
「少し」
正直に答えると一文字則宗は肩を竦めてするりと彼女の手を取る。
何度も並んで歩いているのに手を繋いだのは初めてだと気づいた彼女は目を細めた。
「そういえば、お前さん。今日は勤めはなかったのか?」
「どう考えてもこちらの用事の方が急ぎで重要だったので、急病したことにしたの。普段品行方正を貫いているから、多少の融通はきくんだ」
なるほど、と納得した一文字則宗は、「ではどこかに寄って帰るのは難しいな」と零した。
「デートのお誘い?」
「ああ、デートに誘いたかった」
「じゃあ、日を改めて誘ってくださいな。楽しみにしてるから」
顔を覗き込むようにして彼女が言うと「そうさせてもらうよ」と一文字則宗は返してそのまま額に口吻けた。
桜風
21.8.29
(22.2.1再掲)
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