心が動くとき






目の前に立っている黒い髪をした女は何とも生真面目そうな様子だった。

 この城にやってきて二日経つ。
 審神者という役職に就く者の声に応えてみた。
 人間の体を得たのは刀生初の経験で中々に面白い。
 思うとおりに行かないことも多いが、唯の刀だったときに比べれば随分と自由だ。
 自分の意志で移動できる。考えられる。感情というものも得た。
 毎日が新鮮で、その新鮮さを忘れないために驚きを求める。一番感情が動くものだと、そう位置づけた。
 城にやって来た初日は審神者の近侍である乱藤四郎がひととおりの面倒を見てくれた。
 城の案内から人間の体の仕組みについてまで丁寧に説明をしてくれた。
 女のような成りをしているが、男で、彼には多くの兄弟が在るという。
 殆どが短刀らしいが、唯一太刀がおり、彼の事を『いち兄』と呼んでいた。
 今は審神者の命で任務に出ているらしい。通常の出陣とは少し違うとか。


 審神者に呼ばれて応えた以上戦場に出る。まだ先になるだろうと言われたが、いずれそうなることは確定しているらしい。
 道場で手合せをしていると、相手の燭台切光忠が手を止める。
「どうした?」
「主だよ」
 言われて視線を向ける。確かに主の姿が道場の入口にあった。
「どうしたんだろう」という燭台切光忠の声が耳に届く。珍しいことなのだろうというのは、道場内の仲間たちの様子から理解した。
「あるじさまー、どうしたんですか?」
 子供の姿をした天狗、今剣が主に声を掛ける。
「なんでもないの。ちょっと、近くを通りかかったから」
 返す主の様子は少し寂しげで誰かを探しに来ているようにも見えた。
「予定よりも少し長引いているからね」
「予定?」
 燭台切光忠に視線を向けると眉を下げていた。
「主からの任務で城を空けてる人たちがいるんだよ」
「粟田口の長兄がその任務で居ないと乱藤四郎から聞いたぞ」
「そう。少人数で出ているから心配なんだろうね」
「ふーん……」
 固い表情をしていた彼女は今剣に対して柔らかい笑みを作り会話をしている。


「わっ!」
 廊下の曲がり角で主を待ち伏せてみた。
 ひょっこり顔を出しながら声も出してみると目を丸くして立ち止まる。
「どうしたんですか?」
「いや、なに。暗い顔をしていたからな」
 彼女は目を丸くして「そうですか?」と問う。自覚がないのか、もしかしたらこれが地顔なのか……
「君の笑った顔を見てみたい。というわけで、まずは驚かせてみることにした」
 彼女は眉間に皺を寄せて目を細め、言葉を咀嚼しようとしていたようだが、その表情は長く続かなかった。
「驚きと、笑顔の関係性が良くわかりません」
「人は驚いた後に笑うのだろう?」
「怒ることもありますよ?」
「では、笑う驚きを用意しよう」
「はぁ……」と曖昧に頷く彼女を置いて『笑う驚き』を探してみることにした。

 そもそも主のことを知らない。
 よって、主の為人、そして趣味嗜好を皆に聞きまわってみた。
何故そんなことを聴くのかと訝しむ者たちは少なくなかったが、理由を話せば呆れながらも彼女の話をしてくれた。
 どうも甘いものが好きらしい。あとは、空を眺めている姿をよく目にするという。たまに空を見上げたまま歩き、躓いたりするらしいが、その際には誰も見ていなかったかと周囲を見渡してほっとするそうだ。皆が見て見ぬふりをするから、見られていると気づいていないらしい。
 料理も手伝いに来るらしいが、少し苦手らしく正直手つきが危なっかしいため何を頼もうかと頭を悩ませるとか。包丁を握らせるなんてもってのほか。彼女の身のためにも、周囲の者の心のためにも。
 どうやらここ最近の主はいつもの主とは異なるらしい。


 主の好きなもので、驚かせれば笑顔が浮かぶのだろう。
 だとしたら、今のところ『空』が有力候補だ。
「空か……」
 刀を抜いて空に向かって一閃。
 何も起こらない。
「まあ、そうだな」
 刀を納めながら苦笑を零す。
 自分の存在は付喪神と聞いている。付喪神なのだから神様なのかもしれない。だったら何か起こるかなと思ったのだが、そんな頻繁に何か起こせるような何かがあるはずはないと一応自覚しているが、もしかしたら自分の知らない何かがあるかもしれないという淡い期待が無きにしも非ず。
 くすりと背後で笑われて振り返る。
「何をしていたんですか?」
 主が立っていた。気づかなかったとは、不覚。
「いやなに。君は空が好きなのだろう? 空を切り取って驚かせてみようと思ったんだ」
 彼女は目を丸くした。
「空を切り取る?」
「そう。ぽっかりとそこに穴が開く。何を代わりにするかは、まあ、これから考える」
「おもしろいわね」
「そうか?」
「ええ。でも、空は切り取れなかったようね。では、次は?」
「今から考える。期待していてくれ」
「楽しみにしているわ」
「主さーん!」
 本丸から彼女を呼ぶ声がした。
「はーい!」と返した声は思いのほか大きく、彼女からこんな声が出るのかと驚いた。
「じゃあ、期待してるからね」
 彼女は本丸に向かって駆けて行った。
 期待されたからには頑張らねばならんだろう。



 屋根に張り付いて花を降らせてみたり(足を攣りそうになった)、万屋で見かけた簪を彼女に見繕ってみたり(既に全く同じ意匠のものを持っていた)、菓子を作ってみたり(砂糖と塩を間違えて「凄くベタ」と真顔で言われた)と奮闘してみたが、どうにも難しい。
 自分の行動で相手の感情を動かそうとするのはこうも難しいものだったのかと驚く。驚きをもたらす相手が違うだろうと心の中でツッコミを入れる。
 次なる作戦を考えていると本丸の中がバタバタと忙しなくなる。
「どうした?」
 目の前を駆けていた平野藤四郎に声を掛けた。
「いち兄が帰ってきたんです」
 弾んだ声音で返され、彼らがこれから大広間で帰還報告をすると聞いた。
 噂の『いち兄』とやらを見に行ってみることにした。
 大広間には今しがた戻ってきた三人が座って主を待っていた。
 廊下から少し早い足音が聞こえる。
 障子が開き、主が姿を現した。
 ――ああ、なんだ……


 報告を聞き終わって大広間を後にする。
 あの手この手で頑張ってみたが、結局彼女を笑顔にさせることができる者は決まっていたようだ。
「ま、それはそれで面白かったな」
 誰かの心を動かすことの難しさ、相手の笑顔を思って何かを考える楽しさ。
 随分と人の感情というのを学ぶことはできた。
「さて、落とし穴でも掘ってみるか」
 以前から常々掘ってみたいと思っていたのだ。あれは絶対に驚くはずだ。
 伸びをして顔をあげるとからっとした青空が広がっていた。









桜風
(16.10.26初出)


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