変わらない形
鍛刀は朝食前に必ず済ませるようにしている。 朝の清涼な空気の方が神を喚ぶのに適しているのではないかと素人なりに考えてのことだ。 「まあ、気を落とすな」 白い装束に身を包んだ男、鶴丸国永がぽんと肩に手を置いた。 「ああ」と相槌を打つ主はあからさまに肩を落としている。主は女でありながら、また戦の経験がないながらもこの城の指揮を執っている。普段、気丈に振る舞う彼女だって落ち込むことはあるのだ。 苦笑を零してガシガシと女の頭を撫でた。 「何をする?!」 「いや、お前さんは頑張ってる。他が来るまで俺が支えてやるから安心しろ。時間は掛かったが、こないだ燭台切光忠が来たじゃないか」 「うん……」 「顔をあげろ。太刀以上は俺と光坊だけだが、それでも歴史修正軍はこの城の者に畏れを抱いているはずだ」 「今の私が言っても説得力はないだろうけど、私は皆を誇りに思っているよ」 「ははは」と笑った鶴丸は「確かに説得力がないな」と同意した。 朝食の席に着き、皆を見渡す。子供のような姿かたちをした者が圧倒的に多い。人数はそこそこあるのに部屋が広く感じてしまう。よその、大きな刀剣たちが顕現している本丸での光景はどんなものだろうか。 本日の出陣と遠征については、すでに昨晩報せてある。大抵食事が済み次第出立するため、何人か武装を解いた戦装束になっている。 物々しいからやめろという者もいるが彼女は気にしない。出陣する彼らの好きなようにすればいいと思っている。 食事が済めば順次出陣や遠征に出ていく。 彼女は彼らを見送り、刀剣男士の任務である刀装づくりを手伝ってやっと私室に戻る。 文机の上に置いていた端末のライトが明滅していた。メッセージの受信があったようだ。 「それは小さいんだね」 端末を手に取った彼女に声を掛けてきたのは燭台切光忠だ。彼はこの城に来て間もないため色々と覚束ない。よって彼女の身の回りの世話をするために控えている。審神者の世話をするという名目で側に置き、生活に慣れるまで彼女が面倒を見るというのが本当の理由だが態々口にする必要はないだろうと思い、黙っている。 彼女の側にいることが多い燭台切は以前彼女が操作していた政府連絡用の端末を目にしている。それに比べればこれは随分と小さい。彼女の掌に収まる大きさだ。 「これは審神者同士の連絡用だからな」 燭台切にそう返してメッセージを確認する。 「どうしたの?」 彼女の眉間の皺が深い。何か問題でも起こったのかと心配になり、端末を覗いてみたが何も見えない。 「これは犯罪だろう……」 物騒な彼女の呟きに「え?」と思わず声を漏らした燭台切に彼女は振り返った。 「ああ、いや。光忠、先ほどの食事の際に皆は揃っていたな?」 「え? うん」 「変わった様子、なかったね」 「僕がこちらに来てからそんなに時間が経っていないから何とも言えないけど。たぶん、昨日と変わらなかったと思うよ」 彼の返事に彼女は頷き、端末を操作し始めた。 カタリと文机の上に端末を置いたのを確認して「何があったの?」と聴いてみた。 積極的に教えてくれないのは、知らなくていいことなのかそれとも知らせてはならない情報だからか。 「ああ、さっき連絡くれた子の本丸の薬研が大きくなったんだよ」 「……大きく? 僕たち、人間みたいに成長するの?」 「しないと思う。だって、その体は本体に合ってるんだろうから。刀身は伸びたり縮んだりしないだろう」 彼女の言葉に燭台切は頷く。 「じゃあ、なんで?」 「わからない。だから、あの子も私に同じ症状の人いないかって聞いて来たんだろうね。心当たりがないもの」 なるほどと納得したがひとつ気になることがある。 「さっき、犯罪だって……」 「ああ、それか。薬研藤四郎が、そうだな……鶴丸くらいの大きさになったと思ってごらん。本体じゃなくて、人の姿が」 言われて燭台切は想像する。 「うん、何かこう……」 イケナイ気配を察知した。 「そういうこと。でも、返事は向こうにいつ届くことやら」 ため息交じりにいう彼女に「今着いてるんじゃないの?」と燭台切が問うた。 以前、政府に連絡を取るときには送ってすぐに届くと言っていた。便利になったものだと感心したことを思いだす。 「これは間に政府の検閲が入るからね」 「検閲?」 「そう。審神者同士で何か良からぬことをたくらんでいないかなって。元々この端末は演練の申し込みのために渡されているものなんだ。演練のために間に政府が入るのは面倒くさいんでしょうね。よその審神者と連絡取って離反者が出てきたこともあって、それからは検閲が入るようになった。でも、演練の時に顔を合わせたりするから、その時に結局政府に知られたくない情報交換はされてるんだけどね」 「僕が見えなかったことと関係あるの?」 「たぶんね。政府は科学の粋がうんたらかんたらって言ってるけど。一応、政府が見ることで記号化するみたい。その記号が、偶然かどうかわからないけど、刀剣男士には見えないってわけ。そうだな、光忠。かっこいい顔して」 彼女のリクエストに「難しいな」と言いながら視線を向ける。 態々かっこいい顔を作ったことはない。 彼女が端末を手にして「ちょっと眩しいよ」と言った瞬間の閃光に思わず目を瞑った。 「うん、ちゃんとかっこいい」 「なに?」 閃光の眩しさが視界に残る中、手招きされて彼女の手元を覗いてみると自分の姿がある。 「これ何? 僕がいるよ?」 先ほどは見えなかったのに、と首を傾げると「写真。検閲前だから光忠でも見れるんだと思う」と彼女が言う。 つまり、刀剣男士に情報を見せないというのも検閲のひとつに入っているというのだ。 「そういえば、政府からの通達も僕には見えなかったよね」 「あそこを通ったらたぶん、刀剣男士には見えない何かをされているんだと思う」 なるほど、と彼女の言葉に納得してた燭台切がふと思い出す。 「『政府に知られたくない情報』って、うちにもあるの?」 「うちは……まあ、ないけど。相談されることはある」 少し泳いだ視線に気づいた燭台切はこれ以上は訊かない方がいいだろうと判じて相槌を打って話を終わらせた。 この城の審神者は勤勉だった。 よその城の審神者の事は知らないが、彼女は空いた時間があると過去の戦績などのデータを分析し、次の戦での戦い方の参考にしていく。 政府から支給された端末はそういった情報を蓄積することもできるのだ。 大きな刀を招くことができていないことに責任を感じている彼女は、自分ができる可能な限りのサポートを行うと決めている。 直接戦えない、思うように戦力を揃えることができない。 苦労を掛けてばかりだ。 だが、そんな彼女の心情を鶴丸は笑い飛ばす。 「お前さんはよくやっている。来たばかりの者がこの城の生活に慣れやすいように側に置いている。まあ、その間俺を構わないというのは少し面白くないがな」 冗談交じりの心配りにいつも救われる。 「はい、主」 ふいに声を掛けられて顔をあげると燭台切がニコニコと微笑んでいる。 「なに?」 「コーヒーっての淹れてみたんだよ。飲んでみて」 確かに燭台切が持ってきたのは黒い液体で、香りも自分の知っているコーヒーだ。 「いただきます」 意を決して飲んだ。 「ど、どうかな?」 「ああ、上手に入ってる」 目を丸くした彼女の言葉に燭台切は安堵したようにゆっくりと息を吐く。 「コーヒーなんていつ練習したんだ?」 「鶴さんが教えてくれたんだよ。主は勉強を始めると根を詰めるから休憩を促してやれって」 そういえば、彼がそばに居るときにはしょっちゅう休憩と称して部屋の外に連れ出されていたと思い出す。 この城の中の年長者として周囲に気を配り、皆が過ごしやすい環境を作ってくれているのは鶴丸だ。 帰ってきたら、ホットケーキでも焼いてお礼に替えようと彼女は心に決めた。 以前、政府から配布された端末で写真を見せたらものすごく食べたそうにしていたのだ。ホットプレートがないと面倒くさそうだと思っていたが、ここは頑張らねばならないだろう。 昼過ぎになって出陣していた者たちが帰ってきた。 出陣先を考えるとまだ時間がかかるはずだ。つまり、誰かが負傷して戻ってきたことになる。しかも急きょ戻ってくるなら深い傷だ。 「すぐに行くと伝えて」 着替える準備をしている審神者に言われて「わかった」と頷いた燭台切は廊下を駆けて出陣部隊が戻ってきた門に向かう。 「伽羅ちゃん?!」 深い傷を負ったのは大倶利伽羅だった。 滴る体液に瞠目し、気を取り直した燭台切は彼に肩を貸そうとする。 「軽傷だ」 「見逃したら僕が主に叱られる」 「俺よりも鶴丸だ」 「鶴さん?! 鶴さんも重傷なの?」 「……わからん」 「は?」 「光忠!」 手入れ部屋から声が聞こえた。審神者が到着したらしい。 「まずは伽羅ちゃん手入れしてもらって」 逃れそうにないと判じた彼は大人しく手入れ部屋に向かう。 「大倶利伽羅!」と遠くから審神者の声が聞こえてきた。この期に及んで「軽傷だ」とか言っているのかもしれない。 「それで、鶴さんは?」 出陣していた他の者に聞くと皆が鯰尾藤四郎を見る。 「鯰尾くん?」 「燭台切さん。これ、何に見える?」 彼は小さな白いものを負ぶっていた。 「ん?」 顔を覗き込むと見覚えがある。 「……鶴さん?」 「何か、いきなり縮んじゃってさ。大倶利伽羅さんが鶴丸さんを庇いながら戦ったからあんな風になって。これ、どういうこと?」 首を傾げて問うのは乱藤四郎で。 燭台切はふと思い出した。他の本丸では短刀が成長した。 つまり、この本丸では主力としてここの戦力を支えていた太刀が短刀並みに縮んでしまったらしい。負われているためわかりにくいが、秋田藤四郎よりも小さいようだ。 「……どういうことだろう」 取り敢えず、審神者も含めてこの本丸に答えを持っている者はいない。 重傷の大倶利伽羅の手入れが済んだのは日が沈んだころだった。 審神者が手入れに入っている場合は、時間が来れば食事は先に済ませるようになっている。 手入れを済ませた彼女は自室に向かうと部屋の前には燭台切が居た。 「お疲れ様。夕飯、持ってくるね。ごはんはおにぎりにしておいたよ」 「ありがとう。光忠、ずっと待ってたのか?」 「まあ、今は僕が近侍のようなものだしね」 「そういえば、鶴丸は? 戦果を聞かなきゃ」 データを取らなくては、と彼女が疲れた顔をしながらも問う。 「うん。まずは着替えたらどうかな? その後は夕飯」 「……そうね」 そのとおりだと思って彼女は部屋の中に入っていく。 「どうしようか……」 何と説明をしたらいいかわからない。大倶利伽羅が手入れ中に話でもしているかと思ったが、どうやらそれはなかったようだ。 夕飯の支度を済ませて再び彼女の部屋に向かう。声を掛けると入室を許可する返事があり、障子戸を開けた。 「おにぎり、光忠が?」 不格好な握り飯が皿の上に二つ。少し大きめだ。 「うん。まだ上手にできないんだ」 「いや、上達したんじゃないの?」 彼女は握り飯に齧り付き、「お塩がちょっと足りないかな」と言う。 「わかった」と頷いた燭台切の様子が少しおかしい。 「どうした?」 「え?!」 「そわそわしてる。何か言いたいことある?」 問われて彼は意を決した。 「鶴さんが縮んだ」 沈黙が降りて彼女はもぐもぐと握り飯に齧り付き、少し冷めた味噌汁を飲み干して焼き魚を平らげる。 「御馳走様」と沁みるように声にだし、そして燭台切を見た。 「……なんて?」 「だから、鶴さんが縮んじゃったみたいなんだよ。ほら、今朝よその本丸では薬研くんが大きくなっちゃったんだよね。その逆」 思案するような仕草を見せた彼女は「だから……」と何かに合点がいったらしい。 「そっか。少し話を聞きに行こうか」 立ち上がる彼女に従い、燭台切も鶴丸がいるであろう私室に向かった。 「鶴丸、起きてるか?」 声を掛けたが部屋の中が騒がしい。 「開けるよ」と言って障子戸を開けると、和泉守兼定の腰に堀川国広がくっついて何やら止めようとしている。 同じく室内には加州清光と大和守安定がいた。彼らから憤りの気配を感じる。 「どうした、和泉守」 「おう、聞いてくれよ。こいつオレの事を知らないっていうんだ」 「和泉守だけじゃなくて、俺たちの事も」 加州がチラと鶴丸に視線を向けて彼女に告げる。 「鶴丸、そういう性質の悪い冗談はよせ」 彼女が言うと鶴丸はついと目を眇め「何の用だ、人間の娘」と温度のない視線を向けて彼が言う。 「鶴さん?!」 「おー、光坊」 にこりと微笑んだその表情には親愛の情がある。 「ちょっと、鶴さん。主も言ったけど、そういう冗談はよくないよ」 「冗談? 何のことだ? それよりも、なんで俺はこんな人間のようなナリをしてるんだ?」 「鶴さん?! 僕たちはこの人に呼ばれてここに来たんだ。この姿は、この人、主から頂いたものだよ」 「……主?」 胡散臭そうに視線を向けた。 「俺の主が女? 光坊、そう簡単に担がれんぞ」 「鶴さん!」 心底不思議そうな表情を浮かべる鶴丸に更に言いつのろうと口を開けた燭台切に「光忠、いい」と彼女が制して鶴丸に深く頭を下げる。 「大変失礼いたしました。ひとつお尋ねしたいのですがお許しいただけますか?」 「主?!」 「良かろう。なんだ?」 「ありがとうございます。鶴丸国永様、あなたは太刀の筈です。ですが、今の状態は、どうやら短刀となられている。理由に心当たりはございませんか?」 「知らん。お前たち人間が俺を呼びだしたというなら、そちら側でどうにかすべき話だろう」 冷たく言われて彼女は小さく震えた。 「仰るとおりです。しばらくご不便をおかけすると思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願いいたします」 深々と頭を下げる彼女に「俺はそう気が長い方ではないからな」と返した彼は「光坊、少し話でもしないか?」と明るく声を掛けたが「僕は主と一緒に行くから」と冷ややかに返されて瞠目する。 「光忠」と彼女が窘めるが「行こう、主」と彼女の背を押して部屋を出て行った。 背後で怒声が聞こえるのはまた和泉守が何か噛みついているのだろう。 鶴丸の部屋から少し離れたところで背に当てられていた燭台切の手が離れる。 「主、ごめんね」 「いや、鶴丸の言うとおりだ。人間の私たちの都合でこちらに来て頂いている神である皆に迷惑をかけてしまっている。彼が不愉快に思うのは当然だ」 「そんなことないよ」 否定するが彼のあの態度からはこの否定の言葉はただの気休めにしかならないことはわかっている。 この城に来て、自分を目にした時の彼女の表情はとても明るかった。 側についていた者が鶴丸国永だとわかり、そして二人の信頼関係をほほえましく思った。 自分が二人目の太刀だと聞いて彼女の明るい表情の理由もわかった。鶴丸が自分を目にしてほっとした意味はきっと戦力的なものではなくて、彼女の気持ちが少し軽くなったと察したのだろう。 人間と刀剣。人と人ではないもの。それでも寄せる信頼は同じで、単純に良いなと思っていたのに。 「主」 彼女の私室に向かっていると声を掛けられて振り返る。宗三左文字と平野藤四郎の二人だ。 「どうした?」 「鶴丸国永の事です」 宗三が言う。 「鶴さんの事、わかったの?」 「わかった、というか。おそらく鶴丸様はこちらに来られた時の記憶が全くないのです。だから、刀剣だった際に同じ主の下にいたことがある僕たちの事は覚えていました。たぶん、薬研兄さんの事もわかると思います」 刀剣皆をわかるわけではない。先程、和泉守が知らないと言われて激昂していた。加州たちもそうだという。 「小さくなられたのと関係があるのでしょうか」 「私の知り合いの審神者から、午前中に連絡が来ていてあちらは短刀が打刀の大きさになったらしい。ただし、記憶はある様子だった。少しあちらにも尋ねてみる。もしかしたらあちらの方が情報があるかもしれないから」 「主」 宗三が声を掛ける。 「なに?」 「あれは主の鶴丸国永ではありません。あまり気に病む必要はありませんよ」 「そうですよ。鶴丸様は記憶喪失になられているだけなんです。ちゃんといつもの鶴丸様にお戻りいただける日が来ます。この状況を打開できるよう鶴丸様とは僕たちがお話しますから。ね、宗三様」 「え?」と嫌そうな表情を浮かべた宗三だったが「まあ、いいでしょう」と請け負った。 「ありがとう。心配をかけてすまないな」 審神者の言葉に「いいえ!」と平野は首を振った。 「では、主。おやすみなさい」 「おやすみ」 昼間に連絡をしてきた審神者に一縷の望みを託してメッセージを送る。そちらでは、もう解決しているかもしれない。 翌朝、朝食の席に彼女が姿を見せると鶴丸が声を掛けてきた。 「なぜ人間の娘のお前が支度をしないんだ」 しんと部屋の中が静まる。 「おい、こら。いい加減に……」 「和泉守様、お鎮まりください」 青筋を立てた和泉守の腰に平野がしがみついた。さすがに力づくで引き剥がして鶴丸に詰め寄ることは出来ない。 ダン、と一際大きな音がして皆が視線を向けると堀川が飯茶碗をテーブルの上に叩きつけたところで固まっている。 「く、国広?」 和泉守がそっと声を掛けると彼はキッと睨み視線を鶴丸に向けた。 「鶴丸さん、いい加減にしてください」 「どうしたどうした。俺の何が気に入らん。お前たちとて刀剣の付喪神、神の末席に連なる者なのだろう? だとすれば、ただの人間の小娘に世話をさせてもおかしくないだろう」 肩を竦めていう鶴丸に彼は言った。 「一度ならずも二度までも僕の主を侮辱したこと。僕はそれが許せない」 「堀川、いい。私がやろう」 「ダメです。主さんは鶴丸さんの気持ちを酌もうとしているみたいですが、じゃあ、僕たちの気持ちはどうなるんですか? 僕はあなたを主と認めています。主に飯をよそわせるなんてできません。鶴丸さんが小さくなって記憶をなくしているのは聞きました。不便だろうし、色々と不安はあると思います。それでも、主のことを忘れるなんて、そんな不忠義者だとは思っていませんでしたよ」 「堀川!」 声を荒げたのは審神者だった。 「っ、すみません……」 堀川は肩を落とし、鶴丸は部屋を飛び出した。 「鶴丸様」 池の傍にある岩の上で膝を抱えている彼に声を掛けたのは平野だった。 「平野も同じように思っているのか」 「さあ、どうでしょう」 肩を竦めて言い、「おにぎり、持ってきました」と握り飯をふたつ差し出してきた。 「俺は、不忠義者だろうか」 「主はそうおっしゃらないと思います」 「あの娘が主というのは本当なのか?」 問われた平野はさみしそうにまつ毛を伏せた。 「僕は主が最初に鍛刀した刀です。まだこの城には加州様と主しかいませんでした。僕はこの城に住まう三番目の古参です。そして、鶴丸様も古参の一人です」 「俺は、何番目だ?」 「八番目です。ずっと僕の兄弟や短刀ばかりで、戦力的にも少し不安が出てきたころに鶴丸様がおいでになられました。主はそれはとても喜ばれましたよ。でも、その後も太刀が中々いらっしゃらなくて……でも、それでもこの城の剣士たちは強いです。鶴丸様が一人で大きな刀を相手するときの鍛錬の相手になってくださいました。「俺しかおらんからな」って笑いながら」 全く思い出せない。だが、少しだけうっすらと記憶しているものがある。眩しさだ。何を眩しいと思ったのか覚えていないが、おそらくそれがいちばん強烈な記憶なのだろう。 「主は鶴丸様をとても信頼されています。大きな刀が来ないこの城で、ずっと主を支えていたのが鶴丸様です」 「光坊は」 「燭台切様は先日いらっしゃったばかりです。主は中々太刀を呼べない状況をひどく愁いておられました。そんな主の愁いを鶴丸様はいつも笑い飛ばしておられたのです」 「……聞けば聞くほど俺じゃないぞ」 眉を下げて笑う。 「いいえ、鶴丸様です」 返されてやはり力なく笑った。 「ところで、鶴丸様。おにぎりはどうでした?」 渡された握り飯は完食していた。 「ん? ああ、美味かった」 「それはよかったです。主が握ってくださったんですよ」 鶴丸が瞠目する。 「ね? 主は怒っていません。不忠義と思っている者に自ら握り飯を作ろうと思われるでしょうか」 にこりと笑って平野は去って行った。 ふと浮かんだのは悲しげに笑うあの娘の顔だった。胸がざわついて落ち着かない。 鶴丸が元に戻るまで彼女は部屋で食事を摂ることにした。 昨日の審神者仲間の連絡ではあちらもまだ問題が解決していなかったという。 とはいえ、あちらは記憶喪失のオプションはなく、正直、羨ましい限りだ。しかしその反面、あちらが自分と同じ辛さを抱えていなくて良かったという思いもある。 思わず彼女が零した溜息に「大丈夫?」と燭台切が声を掛けてきた。 「ああ、うん。大丈夫だ。悪いな、仕事を増やして」 「いいよ、僕の事は気にしないで」 「……鶴丸は、まだひとりか?」 あの朝食の一件以来、彼は孤立してしまった。皆の前での発言だったのが拙かったのだろう。 「うん。でも、平野君が何かと気に掛けているみたいだよ」 「平野は懐が深いからな」 「……悪かったね、心が狭いカッコ悪い男で」 拗ねたように返す燭台切に彼女は笑い、「なら、かっこよくなろうとは思えないか?」と返した。 「鶴さんも、正直かわいそうな立ち位置になっているのはわかるけど、僕はまだ生まれたばかりで大人になれなくてね」 「なるほど。そう来たか」 彼女は力なく笑う。 「主だって、皆に仲良くしなさいっていう命令しないよね」 「正直、堀川の言葉が刺さってしまって。確かに言うとおりだって思ったから。主として、誰かに気持ちが傾くのは拙い。それに、気持ちというのは命令されて動くものではないから」 「主も大変だね」 「皆が大切だからね」 「僕、ちょっと厨の用事を手伝ってくるから。何かあったら呼んでね」 すっくと立ち上がった燭台切が部屋を出ていく。 「ほんと、かっこ悪いったらありゃしない」 廊下に出た燭台切はポツリと呟き、厨に向かった。 「鶴丸様、その間合いはまだ僕たち短刀のものではありませんよ!」 遠くから聞こえる平野の声にもう一度溜息を零した。 鶴丸が小さくなって三日目の夜。審神者は縁側に腰を下ろして月を見上げていた。 満月の夜には鶴丸と縁側で月見酒をしており、今夜もいつもの癖で酒の用意をしてしまったため、彼女はひとり月見酒をしているのだ。 カタリと音がして視線を向けると鶴丸がいた。平野から借りたらしい寝間着を身に着けている。 「どうされました」 「あー、いや。ここに来なくてはならん気がして」 俯きながらぼそぼそと彼が言う。 「お許しいただけるのでしたら、ご一緒にどうですか?」 結局、いつもの癖で盃もふたつ用意していたのだ。 「俺と、酒を飲めるのか?」 「何か不都合でも?」 首を傾げる彼女に「いや」と返した鶴丸はそろりそろりと近づいた。 人一人分の空間を置いて彼女の隣に座る。盃を渡され、彼女からの酒を受けた。 「昨日の朝餉の時には、すまなかった」 ポツリと零した鶴丸の言葉に彼女は苦笑した。 「いいえ。私はずっと思ってたんです。神様である刀剣の皆様にご苦労をおかけしてばかりで申し訳ないって。本当にあるべき姿を指摘されたと思っています」 「いや、違うんだ」 思わず鶴丸は彼女の言葉を否定した。自分の発した言葉だというのにどうしてか受け入れてほしくない。 「違う。お前さんは、この城の付喪神に慕われている。確かにお前さんは人間だ。ただの小娘だ。そして、お前さん以外の者が神の末席に連なる者で。だが、あいつらがお前さんを主と認めているのなら、お前さんはそれを否定してはいけないんだ」 鶴丸の言葉に彼女は瞠目した。じっと視線を向けられている鶴丸は居心地が悪い。 「俺が言っても説得力ないだろうが」 彼女は目を細め、そして俯いた鶴丸の頭を乱暴に撫でた。 「何をする?!」 「顔をお上げください。私の知る鶴丸国永はどんな時も前を向いて笑っていました。刀身が短くなったとてその本質は変わらないでしょう。それに、全く記憶が無くなったのではないと思います」 「どういうことだ?」 彼女は空を指差した。つられて彼も夜空を見上げる。 「今日は満月です。私と鶴丸は満月の夜にこうして月見酒をしていたんです。今日は一人酒かと思っていましたが、来てくださいました」 「……俺は、お前さんの事を思い出したい」 「大丈夫です。こう見えて政府にも意地があります。他の本丸でも似たような状況があるみたいですから、このままだとクーデターも可能性としてありますからね。そんなことされたら困るのは政府の方なんですよ」 「なるほど。うちが一口乗るときには俺にも声を掛けてくれ。政府とやらのせいで俺は皆に総スカンだ」 拗ねたように言う鶴丸に彼女は思わず声を上げて笑った。 「わ、笑うな!」 「いえ、そうですね。そのときにはいの一番に声を掛けさせていただきます」 「そうしてくれ」 徳利が軽くなってきたため、そろそろお開きにしようと審神者が鶴丸を見ると彼はこくりこくりと舟をこいでいる。 「鶴丸様、お部屋に戻られた方がいいですよ」 肩を揺すりながら声を掛けるが「だいじょうぶだ」と返され、戻りそうにない。 間もなく彼は寝息を立て始めた。 本質は太刀。だが、今は短刀。 以前、うっかり居眠りしたらしい秋田を運んだことがある。秋田よりも少し小さいからなんとかなるだろうと彼を抱えてみた。 思ったとおり軽くて、しかし、部屋に運ぶのは正直面倒くさい。 片づけをせずに眠るのは申し訳ないが、明日の朝小言を聴くことにして取り敢えずこのまま放置するわけにもいかないため此処から一番近い部屋、彼女の寝室に運ぶことにした。 「おお?!」 すぐ近くで声がした気がした。 「何だこれは?」 耳に響くのは心地よい柔らかな低音。聞き覚えのあるその声に彼女はゆっくりと目を明ける。 「主、昨晩俺と主はお楽しみだったのか?!」 目が合った瞬間のその言葉に体の力が抜けた。彼にはかろうじて布が引っ掛かっているという状態で、ほとんど裸だ。 「鶴丸」 「なんだ?」 とたとたと足音が近づいてくる。 「主、おはよう。朝だよ」 廊下から声を掛けられて障子戸が開いた。 「おー、光坊。おはよう」 軽く手をあげて返す鶴丸に燭台切は瞠目しくるりと背を向けてそのままその場を去って行く。 「いや、気を遣わせてしまったかなぁ?」 軽く頭を掻きながら鶴丸が言うが返事がない。振り返ると主がぽたぽたと涙を流しているのだ。 「ちょっと待て、主。俺は昨晩の記憶がない。どんなに酔っていたとしても俺は主を無理矢理手籠めにする男じゃないと自分を信じているが、まさか……」 「鶴さん」 地を這うような声で呼ばれて振り返ると、目が据わっている隻眼の男が刀を構えていた。 「ちょ、待て?! この城で抜刀は御法度だ! 落ち着け!」 「問答無用!」 振り下ろされた刀は鶴丸の右手と左手で挟まれて止まる。 「往生際が悪いんじゃないかな、鶴さん」 「なぁに、主の赦しなく首を差し出すわけにはいかんからな」 暫く睨み合っていた二人の間に「光忠、刀を納めろ」という声が投げられた。少し鼻にかかった声で命じられ、彼は刀を上げて鞘に納める。 「助かったぞ、主」 「鶴丸、歯を食いしばれ」 「お?」 次の瞬間、鶴丸の薄い腹に主の拳が入っていた。 咳き込む鶴丸を一瞥した彼女は、「光忠、これで鶴丸はチャラだ。皆にも伝えておいてくれ」と彼を見上げる。 「……オーケー。ちゃんとみんなに伝えておく。鶴さん、着替えを持ってくるからそれまでここで大人しくしておくんだよ」 青くなりながら燭台切は頷き、部屋を後にした。 「自分でやっておいて何だが、大丈夫か?」 「ははっ。まあ、俺は君に色々と酷いことをしたのだろう。光坊の様子を見れば何となく想像がついた。これはその報いと思えば安いものだ」 腹をさすりながら眉を下げて彼は笑う。 「……神である鶴丸に手を上げたんだが?」 「ん? あー、まあ。一般的にはそうなるかもしれんが、加州以外の俺たちは自分で主を選んだんだ。俺は、君を主として戴く事を選んだ。あまりに無体を働くようだったら見限るということもあるかもしれんが、この程度ならじゃれ合いのようなものだろう。さっきも言ったが俺は君に色々と酷いことをしたらしいからな。その報いを主が拳ひとつでチャラにしてくれるというんだ。甘んじて受けようじゃないか」 間もなく燭台切が鶴丸の服を持ってきた。着替え終わった彼は「またあとでな」と言って部屋を出ていく。 朝の身支度を整えていると、審神者同士の連絡端末のメッセージの受信を告げるランプが明滅していることに気づいた。 例の審神者からで、刀種に異変を起こした刀剣男士も明日になれば元に戻るみたいでよかったよね、という内容だった。受信の時間を確認すると、日付を越えてすぐだったようだ。 なぜ彼女が分かったのだろうと思っていると、政府連絡用端末に通信が入った。 今回、複数の審神者の元で刀剣男士の刀種が変わってしまう珍事が起こったが、それについては政府の方で修正を行う旨の連絡だった。発信日は昨日。受信は、今さっき。 「主、そろそろ鍛刀にいかないとご飯が遅くなるよ」 燭台切が呼びに来てみると彼女が背を震わせている。 「主、鶴さんよかったね」 嬉しくて泣いているのかと思ったがどうもそうではないらしい。 「あんの、くそ政府。ふざけんな!」 「……ん?」 いつも落ち着いている主が暴言を吐いた。わが耳を疑った燭台切の存在に気づいていないらしい彼女は、審神者連絡用端末に猛然とメッセージを入力している。 送信ボタンを押して振り返るとひきつった笑みを浮かべている燭台切の姿があった。 「ああ、すまない。今行く」 「主、大丈夫?」 「ん?」 「気を鎮めてからの方が……」 「ああ、大丈夫だ。心配をかけたな」 にこりと微笑んだ主にそれ以上に何も言えずに燭台切は彼女の一歩後ろに下がって歩くことにした。 |
桜風
(16.12.9初出)
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