薬研






 空が白み始めた頃に部屋を出る。

今日の季節は夏のようだ。ということは、おそらく4時くらいなのだろう。

この城にある殆どの者たちにはなじまない時刻の表現だが、主が気の向くままに季節を変えるため、主の時代の時刻の表現をしていくのが最も正確だというところに落ち着いた。


この城の季節は主の気分次第で変えることができる。

昨日紅葉が散っていたのに、今日桜が満開ということも少なくない。

それで特に不都合があるでもないため、ほとんどのものは文句を言わないが、一部口うるさい者もいるようで、主の零した愚痴を耳にすることもある。


庭に降りて井戸に向かい、顔を洗う。

「おはよう、薬研くん」

落ち着いた声音で挨拶を向けられて振り返ると燭台切光忠が居た。

「おはよう」と返す薬研の隣に立ち、彼も顔を洗う。

「毎朝早いね」

「旦那もだろう」

喉の奥で笑いながら返すと「そうだね」と相槌が返ってきた。

彼は自主的にこの城の胃袋を担っている。勿論、ひとりでは賄いきれないため、他にも料理を得意分野とする者たちが共に厨に立ち、毎日皆のために食事を用意してくれているのだ。

一度、彼を怒らせた者がおり、当分苦手なもので構成された食事が出た。その時皆は心に刻んだ。厨当番の者たちを怒らせてはいけない、と。




夏の朝は緑のにおいが立ち込める。

その空気が好きな薬研は庭を散歩することが多い。

五感というのは面白いなと人の姿を得てからというもの、感動してばかりだ。

薬研は、薬研藤四郎という短刀だ。この城の主である審神者と呼ばれる人間の力により、人の体を得てここに在る。

人の体を得た当初は正直困惑しっぱなしだった。今ではそれを楽しんでいるのだから、適応能力は刀剣にも備わっているらしい。

暫く庭を散歩していると城の外れにある道場までたどり着いた。

道場の中からは怒号が聞こえる。

自分よりも早起きをして、尚且つ道場で手合せをしている者たちがいることに苦笑を零し、足を向ける。

ひょっこり顔を覗かせると中にいたのは練度差がある2人だった。

思わず肩を竦める。もう少ししたら自分の仕事が増えるらしい。

真剣による負傷は審神者の力による手入れでなければ直らない。

しかし、木刀による負傷はそうではない。人間の負傷、ここでは打撲というのだろうが、それと同じで特別な力による治療は必要ない。人間と同じように患部を冷やす。その後、湿布を貼って腫れを抑える。

薬研はそういった治療を審神者に任されている。そのため、非番であってもやることは沢山ある。

作り置きの湿布薬が足りないかもしれない。ひとまず作業部屋に戻って在庫の確認をしておいた方がいいだろう。

道場を後にして薬研は本丸に戻った。



本丸の大広間手前で足を止める。見上げて確認するのは本日の当番表。

出陣については、朝餉の席で審神者の近侍から発表があるが、それ以外は前日の夜に札で示される。

今日はどの当番にも当たっていないらしい。

非番の時は何をしても良い。ただし、外出する際には、同じくこの当番表の『外出』の欄に自分の札を表示しておく必要はある。

全体の動きを把握するためだと言われている。

兄弟の多くが非番のようで、今日は外に連れて行かれるかもしれないと小さくため息を吐き、薬研は作業部屋に向かった。

「おはよう、薬研」

視線を向けると同じ刀派の太刀、一期一振がこちらにゆっくりと歩いて来ている。

「おはよう、いち兄」

少し疲労の色が見える。昨晩遅くに帰ってきたのだろう。彼は遠方への遠征の隊長で暫く不在だった。

「疲れてるんだったらもう少し休んだらどうだ?」

見上げて言うと「目が覚めてしまったからね」と彼は肩を竦めた。

「薬研も相変わらず早いな」

「まあ、癖のようなもんだ」

「主が『朝が早いのは年寄りの証拠だ』とおっしゃっていたが」

「人の子に比べりゃ、この城にある俺たちはみんな『年寄りだ』」

笑いながら応じる薬研に「そうだな」と一期一振も頷く。

少し会話をしてその場を離れ、作業部屋で湿布薬の材料の準備をしていると、部屋の外から声を掛けられる。

応じれば、先ほど手合せをしていた者が随分と腫らした顔を覗かせてきた。

「待ってたぜ」というと彼は眉間に皺を寄せ、痛みに顔を歪める。

丁度治療が終わったところで朝食ができたと兄弟が呼びに来た。



朝食を済ませて出かけていく兄弟たちを見送り部屋に戻ろうとしたところで呼び止められる。

「どうした、堀川の旦那」

「万屋に行くんだけど、付き合ってくれないかな?」

「承知した。少し待っていてくれ」

丁度切れかけている薬の材料があったのだ。補充しようと思っていた。

堀川に何を買いに行くのかと問えば、日用品を挙げる。

そういえば、最近彼の相棒が城にやって来たばかりだ。彼のために揃えようとしているのだろう。

「あと、主さんにおつかい頼まれて」

「大将に?」

「そう。本当は主さんが行きたかったみたいだけど、ちょっと忙しいんだって」

「それで、何を?」

「お守り」

「ああ……」

最近、この城にある刀剣が増えてきた。早くからこの城に在る者たちとそうでない者たちの練度の差が大きい。

重い傷を負っても審神者の手入れを受けず、戦い続ければポキリと折れてしまう。刀剣だからそれは仕方ない。

しかし、お守りを持っていれば、その折れることを防ぐことができる。

刀剣、つまり物だから消費して折れることを気にしない審神者もいるらしいが、この城の審神者は自分たちを大切にしてくれる。

お守りはそんな奇特な審神者のために政府が用意した道具らしい。

全員配布をしないのは、基本的に壊れても替えがきく物だからなのだろう。気になる審神者は自分の懐を痛めろということらしい。そのことについて、以前ぷんすか怒っているのを目にした。変わった人間だと思う。


堀川と買い物を済ませて城に戻るとお守りを預けられた。

「ちょっと僕用事があるから」と言われて薬研は引き受けた。

審神者に渡せばいいのだ。

本丸の一番奥の部屋が審神者の執務室でこの時間はここにいるはずだ。

「大将。薬研だ。入るぞ」

言って一拍おいて障子戸を開ける。

「大将?」

部屋を見渡すと次郎太刀が「しー」と人差し指を口に当てた。次郎は審神者の今の近侍だ。

「どうした?」

声を落として問えば苦笑を零しながら次郎が文机を指差す。

俯せになって寝ている審神者の姿があった。

「布団を敷いてやったらどうだ?あれだと後々体が痛くなるだろう」

「さっき寝たところなんだ。すぐに起きると思うし、動かして起こしちゃったら可愛そうだからね。薬研はどうしたんだい?」

「ああ、さっき堀川の旦那と万屋に行ってきたんだ。旦那が大将に頼まれていた買い物を預かってきた」

「わかった。主が起きたら渡しておくよ」

差し出された手に、堀川から預かった袋を置いて「頼んだぜ」と部屋を出る。


自室に戻って薬研は先ほど万屋で見つけた書物を開く。非番の日は常備薬を作るか読書をするのが大抵だ。

兄弟たちも出払っており、静かな時間が流れた。

ふと気づくと部屋が暗い。夜にしては早いと思って障子戸を開けてみるとちょうどぽつりぽつりと雨が降ってきた。

足早に庭の一角に向かうと慌てて洗濯物を取り込んでいる者たちの姿が目に入る。

庭に降りて手伝う薬研に「ありがとう」と声を掛けて彼らはずぶ濡れになりながら洗濯物を取り込んだ。人数が人数だ。取り込むのにも時間がかかる。

「通り雨か?」

雨の雫を滴らせながら天を窺うとまだ当分やみそうにない。

「そうだね。今日は夏だった」

苦笑して応じる仲間に「だな」と肩を竦める。

庭の季節に合わせて天候も応じる。天候は審神者の力ではどうにかできるものではないらしい。

「ありがとう」と礼を言われ、ひとまず手は要らないようなので自室に戻って読書を再開した。

ふと、遠くから足音が複数聞こえてきた。どうやら兄弟たちが戻ってきたらしい。

読書はここまでだな、と諦めて立ち上がった。

「おかえり」

障子戸を開けて廊下に出るとちょうど兄弟たちの姿が目に入る。

「ただいまー」

「お土産あるよ」

「薬研も来ればよかったのに」

口々に声を掛けられて薬研は応じる。

お土産というのが饅頭で、この城に人数分あるというのだから太っ腹だと眉をあげた。

しかし、太刀に「土産を買ってきてくれ」と小遣いをもらったと聞いて納得する。普通は、中々全員分買ってこようとは思わないだろう。

兄弟の淹れた茶で饅頭を食べながら土産話に耳を傾ける。審神者には秋田が饅頭と茶を持って行ったと聞いた。審神者もさすがにもう起きているだろう。



夜も更け、廊下に出た薬研は少し遠くに明かりがついていることに気づいて足を向けた。

灯りは審神者の部屋から漏れていた。

「大将」

部屋の前に腰かけている審神者が振り返る。

「薬研」

「早く寝ないと、また昼寝するようになるぜ」

薬研の言葉に、審神者は不思議そうに首を傾げた。何故知っているのかと問われて苦笑する。

「昼間、御遣いのものを届けたからな」

「ああ、お守り」

納得した審神者に薬研は頷く。

「薬研はどうしてこんな夜中に?」

「厠だ」

「なるほど」

見上げた夜空にはぽっかりと丸い月が浮かんでいる。

「眠れないのか?」

「昼寝したからね」

「仕方ない」

そういって薬研は審神者の隣に腰を下ろした。

「ひとりじゃ味気ないだろう。俺が付き合ってやるぜ」

にっと笑う薬研に審神者は肩を竦めて「それはどうも」と返して夜空を見上げた。









桜風
(16.9.22初出)


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