通り雨と雨宿り






「たーいしょ」
 ふいに声を掛けられて思わず体がびくりと震える。
 手元を見てため息をひとつ。
 字が潰れてしまった。
「薬研」
 恨めしげに名を呼ぶと「すまんすまん」とおおよそ反省の色が見えない声音で返され、彼女は再度ため息を吐く。
 政府に宛てた報告書を最初から書き直さなくてはならない。
「なあ、大将」
「なに?」
 筆をおいて薬研に向き直る。
「ちょっくら付き合っちゃくれないか?」
「どこに?」
「そうだな……行き先はこれから決める。ま、俺と“でぇと”ってやつだ」
 にっと笑って言う薬研に彼女はため息を吐いて「はいはい」と頷いた。

 ここ最近の彼女は根を詰めているように見える。
 出陣回数が増えてきたし、その分彼女の仕事も増えている事がその原因だろう。
“審神者”というのが彼女の役職の名前だ。だが、人間である以上疲労はあるだろうし、気分転換は必要だ。
 どうもそういう気を抜くことが苦手らしい彼女に薬研は声を掛けて息抜きをさせることにしたのだ。



 城の外に出たのはいつ振りだろうと彼女はふと思う。
「それで? どこに行くか決まった?」
「いいや。だが、そうだな……大将は行きたいところはないのか?」
 問われて彼女は軽く顎に手を当てた。
「そうね。じゃあ、万屋にでも行きましょうか」
「“うぃんどうしょっぴんぐ”ってやつか。承知した」
「残念でした。今日は買うわよ」
 いたずらっぽく笑って彼女が言う。
「何を買うんだ?」
「お香」
「香? 香ならそういうのが好きな旦那たちが押し付けているだろう」
 むくれた表情を浮かべながら薬研は首を傾げた。
「ああ、あのね。あれ、どっちかのを使ってたら片方が自分の合わせた香はそんなに良くなかったかっていってくるからもう面倒くさくなって両方一度に焚いてみたらひどい香りになっちゃったのよね」
「そして、もう贈って来なくなった、と。そいつはいい」
 笑いながら薬研が言う。その反応に彼女は肩を竦めた。
「だったら、俺が大将に合う香を探してやる」
「雅なことはわからんって前に詰まらなさそうにしてたじゃない」
 彼女の指摘に薬研は「そうだったか?」と惚けた。
「まあ、俺に任せろ。つまり、大将の首筋に顔をうずめたときにどんな匂いがいいかって話だろう?」
「そういう話なの?!」
 思わず頓狂な声を上げる彼女に「まあ、任せてくれ」と薬研は胸を張って頷いた。
 諦めたように息を吐いた彼女は「じゃあ、任せるわ」と返し、万屋に足を向けた。

 万屋に着くと薬研はそのまままっすぐに香が置いてある一角に向かった。
 あれでもないこれでもないと香りを見ている薬研の姿が少しおかしくて彼女は笑う。
「なんだ、大将」
「ううん、なんでもない。どう? いいのありそう?」
 彼女の問いに薬研は眉間に皺を寄せた。
「大将が身に着けるもんだと思ったらどうも気合が入ってな」
「じゃあ、私が決める」
「駄目だ。俺に任せてくれ」
 これはまだかかるなと思った彼女は「ちょっとウィンドウショッピングしてくるね」と一言声を掛けて薬研の側を離れた。
 店内を一周ぐるりと回って戻ると薬研の姿がなく「待たせたな」と背後から声を掛けられた。
「決まった?」
「難しいもんだな」
 照れ笑いを浮かべて応じる薬研に「雅への道を一歩踏み出せたね」と彼女が笑う。
「当分遠慮しとく」と返した薬研が店の外に出ると遠雷が耳に届く。
 空を見上げると、まだ薄いが雲がかかっていた。
「大将、そこの茶屋で団子でも食っていかないか?こりゃ一雨くるぞ」
 薬研に続いて店から出てきた彼女を振り返って言うと彼女も空を見上げた。
「うーん」と暫く唸ったが「帰る」と彼女が言う。
「大将?」
「仕事溜まってるし、走ったらきっと間に合う」
 言って彼女が駆け出した。
「おい、大将」
 薬研も慌てて駆けだしたがほどなく鼻の頭に雫が落ちてきてあっという間に土砂降りになってしまった。
「大将、これを被ってろ」
 素早く上着を脱いで彼女の頭に被せてその手を引く。
 目に入ったのは寂れた屋敷。
 門の前の庇の下で足を止めた。
「少し借りるぜ」と振り返って屋敷の方に声を掛けて隣に立つ彼女に視線を向ける。
「大丈夫か、大将」
「薬研のおかげで。でも、その分薬研がずぶ濡れになっちゃった。ごめん」
「なーに、水も滴る何とやらだ。気にするな。大将が濡れなかったんならそれでいい。通り雨だろうがひとまずここで雨宿りだな」
 彼女が差し出した手ぬぐいを受取ながら薬研は笑い、空の様子を見た。
 山際まで雨雲がかかっている。雨がやむまでもう少し掛かるだろう。
「お天道さんも」
 水気を拭きとりながら薬研が零す。
「なに?」
「お天道さんも、大将に休めって言ってるんだよ。ここ最近、根を詰めすぎだ」
「でも」
「でもじゃない。大将が全然構ってくれないから我慢できなくてでぇとに誘っちまったじゃないか」
 にっとからかうように笑う薬研の言葉に「ごめん」と彼女は俯く。
「大将がのんびりしたって誰も文句を言いやしない。でも、ちょっと今文句を言うぞ」
 彼女が窺うように視線を向けると「俺ともっとでぇとしてくれ」といたずらっぽく笑いながら薬研が言う。
「大将が“審神者”の時間は、まあ、仕方ない。俺も我慢する。けど、大将が任務から離れる時間は少し俺に分けてくれ。俺は大将ともっと一緒に過ごしたい」
 思い返せば、ここ最近の薬研は今日みたいに強引ではなかったものの、何度も声を掛けて休憩を促してくれていた。
「そうね、縁側でゴロゴロしたいわ」
「いいな」
「昼間は暑いから庭に出るのは夕方にしようか」
「そうだな」
「時々お城を抜け出して甘い物を食べに行きたいね」
「もちろん、俺を連れてってくれるんだろう?」
「当然。デートだもの」
 少し空が明るくなってきた。
「上がるな」
「本当に通り雨だったね」
 雲の隙間から薄い光が差し込み始めてきた空を見上げている2人は指を絡めながら雨が上がるのを待った。









桜風
(16.8.31初出)


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