最期への宣誓
| 障子越しの柔らかな日差しの暖かさに薬研はゆるりと目を明けた。体を起こして布団の上で一度胡坐を掻いて欠伸をひとつ。 身支度を整えて彼は隣室に声を掛けた。 「大将、朝だ」 隣室にいる主である審神者も大抵は同じくらいに起きて身支度を整え終わっている。 だが、返事がない。 同衾していれば彼女は「もう少し寝る」などと言うが、今朝はそういう状況でもない。 体調でも悪いのかと思って「開けるぞ」と声を掛けて襖を開けた。 審神者の寝所にはあどけない表情の幼女がちょこんと座っていた。 部屋の中を見渡しても彼女の姿はない。 薬研は幼女に近づいた。 くりくりとした目。肩口のところで揃えられている黒い髪。目元にあるホクロ。 (人間って、縮むんだったか?) 幼女から感じる霊気も彼女のものにそっくりだった。寧ろ、彼女そのもののそれだ。 「大将?」 問うてみた。幼女はこてんと首を傾げる。 「あー、えと……」 がりがりと頭を掻く。正直非常に困った。何せ、この幼女は何も身に着けていない。 寝所を見ると、彼女の寝間着がある。幼女はそこからはい出したのかもしれない。 どうしたものか、と幼女の前に座って数秒悩んだが、誰かの知恵を借りるしかないと判断して取り敢えず彼女の愛用の肩掛けを幼女に巻いて抱き上げた。 目を丸くして驚いた幼女に「ちょっと大人しくしててくれよ」と声を掛けて歩き出す。 幼女は薬研の頭にギュッと抱き着いた。 薬研は審神者の近侍であるため、普段は近侍部屋と呼ばれている審神者の部屋の隣が彼の自室となる。 対して、彼の兄弟の粟田口は人数が多いので大部屋で共同生活を送っている。薬研はそこに向かった。 「前田、起きてるか」 廊下から声を掛けた。 「どうしたんですか、薬研兄さん」 障子戸を開けて顔を出してきた前田は固まった。 「どうしたどうした」 他の兄弟たちも顔を出してくる。 「薬研、子供産めたの?!」 目を丸くして問う乱に「無理だな」と薬研は返す。 「この子……主、ですよね」 探るように問うてきたのは平野だ。 「ああ、たぶんな。今朝起きたらこうなっていたらしい。着るものがないから主の肩掛けに巻いて来たんだが……如何せん、子供を相手にしたことが全くなくてな」 前田なら何とかできるのではないかと思って頼りに来た。 その薬研の意図を察した前田は心得たとばかりに頷き、幼女を受け取る。 「少し大きいとは思いますが、僕たちの浴衣で代用しましょう。下着も考えてみます」 「すまんが、少し頼んでもいいか?」 「はい、お任せください」 力強く頷く前田に彼女を任せて薬研は背を向けた。 一度審神者の執務室に戻る。 「こんのすけ」 呼んでみると政府との連絡役になっている管狐が姿を現した。 「どうかされましたか」 「主が縮んだ。理由はわかるか?」 「そうですね……この城は人の想いを具現化する事ができる場所です。本当は存在しない刀剣が在る事でも納得できるでしょう」 目を細めていう管狐に「それで」と話を促す。 「そんな場所に居続けることができる審神者様は感受性が強く、ご本人の想いも強くていらっしゃるはずです。子供になりたいと強く願うようなことがあったのではありませんか?」 「あれは、主が望んだことというのか?」 「はい。ですが、困りましたね」 「何が」 「審神者の力がなければ城の、あなた方の維持が困難になってしまいます。早急に手を打つように政府に申請しておかなくては……」 「縮んでも主に霊力はある」 薬研の反論に管狐が笑う。 「いずれ消える微々たるもの。審神者様が子供となることを望んだことすなわち、あなた方を拒んでいる証拠ではありませんか? 政府としましても、力なき審神者に用はありません」 言うだけ言って管狐は消えた。 途中であの管狐を蹴っ飛ばさなかった自分を心の中で褒めながら薬研は大広間に向かった。 そろそろ食事の時間だ。 大広間に着くと幼女の周りに皆が集まっていた。 「これくらいの年の子は、主と同じ食事で大丈夫かな?」と朝食を作ったらしい燭台切が短刀たちに相談していた。 こういう時に役立つのは彼らだ。 「薬研」 声を掛けてきたのは審神者の初期刀だ。 「主はどうされたんだ?」 「朝起きたら縮んでいたんだ。ただ」と先ほどこんのすけから聞いた話をかいつまんで話した。 彼は腕組みをして「そうか」と相槌を打つ。 「しかし、こんのすけの話を信じたとして。まず、主の代わりを寄越すというならまだ時間は掛かるはずだよ。以前、主が『審神者は類稀なる存在』と言っていたからね。審神者になれる者はもうほかの城に赴任しているはずだ。予備はいない」 「そうか。あの様子だと、主は俺たちの事を覚えていないんだろう?」 「そうだね。悪いものではないとは思ってくれているみたいだよ」 ふと皆の中心にいる幼女と目が合った。 幼女はにこりと笑って薬研に向かって駆けだす。が、すぐにビタンと畳に衝突した。 短刀とはいえ、やはり浴衣大きすぎたらしく裾を踏んだのだ。 大広間の中に緊張と静寂が広がる。 「ふ、ふえ……」少しだけ顔をあげた幼女が目に涙を浮かべる。 鼻の頭が赤いのはこけた時の衝撃か、それともこれから涙を流すからか。 「大将、せっかくの美人が台無しだ」 彼女を起こして畳で擦った箇所に触れた薬研は「え、と。『痛い痛いの、飛んでけ』だったか?」と言う。 幼女はきょとんとして泣くのを忘れた。 「よく我慢したな」と頭を撫でられて幼女はにへっと笑った。 「薬研兄さん、子供を相手にしたことがないって言ってたのに」 「いや、あれは半分くらいは子供を相手にした態度じゃないよね」 こそこそとした会話が耳に届くが、とりあえず黙殺していつも審神者が座っている席に幼女を座らせた。 「薬研君、大丈夫かな?」 「ダメだったらその時だな。メシはメシだ」 それもそうか、と納得したらしい皆が自分の席に着く。 「大将、『いただきます』できるか?」 薬研に問われて「いただきます」と小さな手を合わせながら彼女が言う。 それに続いて皆が「いただきます」と手を合わせて食事を始めた。 魚の骨は取ってやったが、それ以外は手を出さない。根気強くひとりで食べ終わるのを待った。 食事を始めるときは皆で一緒にだが、終わるのは食事のペースは人それぞれだからという彼女の言葉に従い終えた者から席を立つ。 「多かったら残していいぞ。好き嫌いなら駄目だ」 燭台切の配慮より、いつもの半分の量ではあったが、どうも彼女にとって多そうだ。 しかし、ゆっくりと時間をかけて彼女は完食した。 「偉いぞ」と頭をなでるとまたしてもにへっと笑う。彼女が照れ笑いをした時と同じ表情だ。 「主さん、お茶をどうぞ」 湯呑を差し出してきたのは堀川国広で、薬研は思わずその湯呑に視線を向ける。 「向こうでちゃんと冷ましてるから大丈夫だよ。ぬるいくらいだから。あと、皆が軍議部屋で薬研君を待ってる。主さんは僕が見てるから行ってきて」 「わかった」と頷いて立ち上がると彼女は少しだけ不安そうに見上げてきた。 「すぐ戻るから、堀川と遊んでてくれ」 「主さん、僕と遊ぼう?」 彼女を抱きかかえて別の部屋に向かう堀川に背を向けて薬研は軍議部屋と呼ばれている部屋に向かった。 普段の軍議は基本的に各隊の隊長と審神者、時代や地域によっては縁のある者で集まる部屋のためさほど大きくない。 そこに体の大きな太刀を始めとして十を超える刀剣たちが集っていた。 「すまん、遅くなった」 「主はちゃんと全部食べられたかい?」 「まだ少し多かったようだ」 「オーケー、お昼はもう少し減らそう」 燭台切と軽く会話を交わして薬研は腰を下ろした。 「そなたが来るまでの間にこんのすけの事は聞いた。さて、如何する?」 早速話が始まり、薬研はため息を吐いた。 「正直何が正解なのかわからん。さっき、話す時間がなかったから歌仙には話せなかったが」 薬研が審神者の望んだ姿ではないかというこんのすけの推測の話をした。先ほどは他の者が聴いて動揺してはいけないと思って口にしなかった。 ここに集まった者たちはこの城のこれからの事を話すために集まった者たちだ。動揺させることの心配はなくもないが、情報は共有しておこうと思った。 「なるほど。まあ、主も人の子だ。色々思うところはあるだろう。では、近侍殿はどうしたい?」 「歌仙の話を信じて次の審神者が来るまでに時間があっても、このまま主が縮んだ状態で居るといつかは来るということになる。こんのすけが言っていた霊力の話もある」 「確かに、主の力は随分と落ちたね。あれは、正直良い状態とは言えないと思う」 神剣が頷く。彼が言うのだ、間違いないだろうと皆が納得した。 「そうはいっても、「ハイそうですか」と主を差し出す気は毛頭ない。俺にとっては縮んでしまったとしてもあの人が主だ。膝を折るべき相手だ。代わりの人間に傅く気はない」 「では、政府が代わりの審神者を送ってきた場合、そなたは戦うというのか?」 「穏便に話をして帰ってもらえるなら帰ってもらうが、実力行使だと言い出したら、まあ、そうなるだろうな」 何でもないことのように言う薬研に兄の一期一振はため息を吐いた。 「数日、様子を見ることは出来ないか?」 周囲を見渡して薬研が言う。 「様子を? 問題を先延ばしにするなんてお前さんらしくないな」 揶揄するように言われて肩を竦めた。 「主は、少しの間だけ幼子でいたいと思ったのかもしれない。情けない話だが、何が原因なのか俺にもわからん。だが、ここで勝手に結論付けるのは早計じゃないかと思う」 「かといってずるずる延ばすのもどうかと思うぞ?」 「わかっている。七日……いや、五日くれ」 「わかった。では、五日経って主があのままだった場合、またここで話をしよう。して、その間の出陣は如何する?」 「出陣と遠征はやめておいた方がいいだろう。内番だけだな」 何人かが不満の声を漏らしたが「主があの状態だ。手入れを頼めるかどうかも分からん」と薬研に言われて口を噤んだ。確かにそのとおりだ。 「では、五日後の朝餉の後にまたここで。それまでは幼子の主を堪能するか」 言って立ち上がった太刀は愉快そうに笑って部屋を出て行った。 「何をする気だ……」 半眼になって見送った薬研はそっと呟いた。 幼女となった彼女は本丸で好き放題だった。 と言っても、度が過ぎれば皆が注意する。 危ないことをすればなぜだめなのか理由を添えて叱るし、されて嫌なことは叱るだけではなくて「嫌だった」ということをきちんと口にした。 「いや、俺たちが子育てをするとはなー」 欄干に腰を下ろして彼女の様子を見ていると隣に座った太刀が笑いながら言う。 「そうだな」と嘆息吐きながら同意した。 明日、彼女が元の姿に戻っていなければまたあの会議がある。今度こそ先送りにはできない問題だ。本人の事だから同席させるべきかと悩んでいるところだった。 「どうだ、主は戻りそうか?」 「見てのとおり無邪気な幼子のままだ」 「原因がわからんとどうにもならんだろうな」 ちらと隣を見ると薬研はひどく思いつめたような表情をしていた。腕を伸ばして乱暴に頭を撫でてみると「わっ」と声を上げて薬研は前のめりに倒れそうになった。 抗議の意思を持った視線を向けられ、彼は肩を竦める。 「主がああなった理由がわからんからと言って自分を責めるな。我らは刀剣、主は人間。どうしたって相容れない、理解しあえない部分はあるだろうさ。体の構造上、男女の違いもあるしな。次は全員で額を寄せて話し合ってみることにしないか。何かいい方法が見つかるかもしれん」 「……ああ」と沈んだ声で薬研はその場を離れた。 見送った太刀は肩を竦め、いたずらし放題の幼子に向かって「主、それは俺の専売特許だったんだぞ」と足を向けた。 「やげん」 彼女のこれまでの言動を思い出しながら原因を考えていると隣室から声を掛けられた。もうとっぷり日が暮れている。 「大将、どうした?」 襖を開けてみると掛け布団をずるずると引きずった彼女の姿がある。 「どうした?」 膝を折って彼女の視線に合わせて同じ問いをする。 「いっしょにねむって」 「ああ、いいぞ」 どちらで眠るべきかと悩んだが、態々ここまで来たのだからと薬研は自分の部屋に彼女を運んだ。 「さあ、もう遅い。寝ような」 布団を掛けてやると「ねえ、おはなしして」という。 「話? 俺はそういうの得意じゃないんだがな……」 「おはなしして」 繰り返しねだられて薬研はため息を吐いた。 「そうだな。じゃあ、俺の主の話をするぞ」 薬研は体を起こした。 主の、彼女の話をする。薬研がここに来てからずっと見てきた彼女の話。 優しくて素直で、でも、たまに天邪鬼で。強がりを言うが、それが強がりだというのは見ただけで分かる。 新しい戦場に皆を送り出す前日は大抵眠れずに夜更かしをしている。目の下に隈を作っているのは皆が知っていることだ。 ひじきが嫌いだからなるべくおかずにしないでくれと燭台切に頼み込んでいるのを知っている。 胸が小さいと悩み、蜻蛉切に相談しに行った挙句蜻蛉切からその相談への回答の相談をされた自分の身にもなってくれたと思ったこと。 たくさん、たくさん彼女との思い出を語る。 昼間に太刀から何気なく言われた言葉。 ――相容れない存在。 彼女の感じる月日の長さと自分の感じている月日の長さが違うことは気づいていた。いつか置いて行かれることも。 それでも、彼女の最期まで側に在りたいと願い、密かにそれを誓っていた。 「なあ、大将。俺は大将に代わって審神者になれない。人でもないから大将の苦悩を完全に理解することは出来ん。だけど、大将の話を聞くことは出来る。辛いことがあれば抱きしめることができる。大将が流した涙は俺が拭う。嬉しいことは一緒に喜ぼう。この先、どんな苦境があっても大将を守る。大将が許すまで折れん。最期まで共に在る。帰ってきてくれ」 「え?!」 すぐ近くから聞こえた声に目を明ける。いつの間にか寝てしまっていたらしい。 「は?!」 また聞きなれた声。 薬研は目を丸くした。 「何で薬研の布団で寝てるの? なに、これ。え?」 薬研はくしゃりを顔を歪めた。目の前に在るのは、彼が主と認めている者だ。 「大将」 「薬研? え、何があったの?」 「いや、絶景だな」 ニヤニヤと笑っている薬研の視線を辿りはっと胸の前で腕を交差する。 「もう少しでお天道さんが昇ってくるが、これからしっぽりいくか」 「いくか!」 スパンと頭をはたかれた。 「なにこれー」と言いながら彼女は逃げるように隣の自室に駆け込んだ。 ぽたりぽたりと布団に雫が落ちていく。 彼女が帰ってきた。何が原因かわからない。あの管狐の話が本当かどうかも分からないが、もし仮に本当だとすれば、彼女は自分を受け入れてくれたということになる。 「ねえ、薬研」 襖の向こうから声がした。 「どうした大将。気が変わったか?」 自分の声が鼻声になっていることに気づいて少し気まずい。 「変わるか!」と返して一拍おいた彼女が「あのね、夢を見たの」と話を続ける。 「夢?」 「そう、私が死んじゃう夢」 「は?!」 薬研は思わず軽く腰を上げた。 「まあ、落ち着いてよ。あのね、私すっごいくしゃくしゃのおばあちゃんになっててね、お布団で眠ってるの。大往生ね。畳の上で逝くことができるなんて幸せだわ」 「……それで?」 「うん、それでね。薬研もいたの。今の顕現してもらってる形なのか、本体だけ側に在って私が見ていた幻だったのかわからないんだけどね。薬研がね、頭撫でてくれたの。「よく頑張ったな、偉いぞ」って」 「うん」 「私ね、それで思ったの。最期まで薬研が一緒にいてくれるんだ、幸せだなって。嬉しいなって。ねえ、薬研」 「いるよ、最期まで。大将の側に在り続ける」 襖の向こうから「ふふふ」と声が聞こえた。「私、幸せね」と彼女が沁みるように呟く。 「そうだ、大将。先に大広間に行っておく。大丈夫か?」 「いいよ、どうぞ」 彼女の返事を聞いて薬研は厨に向かった。 「燭台切」 「薬研君、今日は少し早いね。どうしたの? ……どうしたの?」 鼻の頭が赤い薬研に彼は瞠目した。 「あ、いや。俺の事は気にしないでくれ。それより、主がいつもの大きさに戻った」 「本当かい? わかった。ごはんはいつもどおりよそっておくね」 「頼んだ」 頷いた薬研はそのまま大広間に向かった。 「審神者様はお戻りになられたようですね」 「ああ」 「なぜあんなことになったのでしょうね。今後の参考に教えていただけませんか?」 「わからん」 「そうですか。では、政府への代替審神者の申請を取り消しておきますね。また次があれば声を掛けてください。今度は早急に代わりを用意いたしますので」 「とっとと消えろ白饅頭」 跳ねてくるんと回転した管狐は消えた。 「薬研」 声が聞こえて薬研は「どうした」と部屋を出る。 「ここにいたの。ねえ、お願いがあるんだけど」 「どうした?」 「なんか、色々やらかしてしまったみたいだからね。みんなに謝って歩くから一緒に来て。全然覚えていないんだけど……」 「承知した。大将のケツを拭いて歩くのも近侍としての務めだ」 「その表現やめて」 半眼になって言う彼女の言葉に薬研は声を上げて笑い、まずは粟田口の部屋を目指した。 |
桜風
(16.10.29初出)
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