クリスマスをもう一度
| 障子戸を開けると庭がうっすらと白くなっていた。雪でも降ったかと思ったが、さすがにそこまで出来すぎたシチュエーションではなく、たぶん霜が降りたのだろう。 くしゃみをひとつした。 何やら寒い。嫌な予感がするが、気にしたら負けだと思って一旦部屋に戻る。 着替えを済ませて朝の身支度を整えた。 よし、準備万端。 「大将、起きてるか」 廊下からの声に「起きてるよ」と返す。 あれ、何か声が変。 障子戸を隔てて向こうにいる彼も同じことを思ったらしい。 「大将、風邪か?」 「そんなはずはない」 きっぱりと返すと「開けるぞ」と一言断りを入れた彼、薬研が入ってきた。 「おはよう」 「おはよう。大将、そいつは風邪だ」 「見ただけで?!」 おでこに手を当てて熱を診たわけでもない。目が合った瞬間にそんな診断をされて私は納得できない。断固抗議。 「やだ」 「だめだ。ほら、布団に戻れ。今日は中止だ」 「やだ」 「大将、子供じゃないんだろう?」 「薬研からしたら子供だって言われた」 薬研はため息を吐き、「今日は中止だが、出かけるのは延期だから。いい子だから寝てろ」と困ったように眉を下げる。 その顔は卑怯だ、私が弱いと知っててこの顔をしているに違いない。 そんなことを思っても、私はこの表情には抗えない。 肩を落として寝所に向かう私を喉の奥で笑った薬研は「皆には大将は今日は風邪で寝込んでるって伝えておくな」と言って文机の上に置いていた紙に手を伸ばした。今日のみんなへの連絡事項だ。出陣や遠征、内番などもそこに書いている。 「出陣だけは取りやめにするぞ」 「大丈夫だよ」 「怪我なく帰ってくりゃいいが、何かあったとき大将の手が必要になる。今日は大人しく寝ておくんだ」 私に背を向けて薬研は部屋を出て行った。 寝間着に着替えて布団に戻る。 なんで分かったんだろう。ちゃんと顔色誤魔化すようにお化粧してみたのに。 お出かけが中止になった途端、なんだか体が辛くなってきた。 暫くして薬研が戻ってきた。 「大将、食欲はどうだ?」 「あまり欲しくない」 「食べられるだけ食べておけ。燭台切が心配しながら作ったやつだ」 「じゃあ、食べる」 私のために態々作ってくれたものを無碍にできない。 「それ食ったら薬な」 「……はい」 薬研の薬は苦いから苦手。 「ちゃんと薬飲んだらご褒美を準備している」 「ご褒美?」 「栗の甘露煮」 「飲む」 間髪入れずに、むしろ被り気味の反応に薬研はまた笑った。 風邪を引いてもそんなに食欲が落ちない私が、少し食欲が落ちているみたいで、光忠が作ってくれたお粥を残してしまった。 「結構重症だな?」 薬研も同じように思ったらしい。少し声のトーンが変わった。 「これは、がっかり感もプラスされているから」 「だが、さすがに風邪を引いてる大将を外に出すわけにはいかんからな」 沈んだ声で言われて「わかってる」と返す。私だって困らせたいのではない。いちばん悪いのは体調管理ができなかった私だ。 「最近、遅くまで起きていただろう。それも原因のひとつじゃないのか?」 「……たぶん」 認めざるを得ないだろうなぁ…… あ、そういえば。 「薬研、なんで見ただけで風邪だって言ったの?」 「ああ、大将が化粧してたからな。こりゃ何か誤魔化そうとしたなって思ったんだ」 正解だけど。正解だけど……! 「薬研と出かけるのが嬉しくてお化粧したとかそういうの思わなかったの?」 私の言葉に薬研はぽんと手を叩いて「おお……」と声を漏らす。全く思いもしなかったらしい。 薬研の用意した薬を飲んで栗の甘露煮を食べてまた布団に戻った。 「なあ、大将」 「なに?」 「今日は『くりすます』っていうんだろう?」 「なんで知ってるの?」 「乱が大将から借りた雑誌に載っていたんだ恋人同士が共に過ごす日だって」 「……本当はそうじゃないんだけど、私の生まれ育った環境ではそうなっている」 おそらく、正しいクリスマスではないけど、間違いじゃない。多くの人に受け入れられている時点で、それも文化となっているはずだ。 「どうして言わなかったんだ?」 「クリスマスって、とある宗教の神様の誕生日のお祝いっていうのが本来の姿らしいの。別の神様のお祝いの日ってどうなのかなって思って」 この国の信仰は凄くごちゃまぜだから信仰する側としてはそんなに気にしていないけど、信仰の対象となっているはずの神様的には面白くないというか、そういうのがないだろうかって思ってた。 でも、私の言葉を薬研は「意外と気にするんだな」と笑い飛ばした。 「そうそう。贈り物も渡すそうだな。何か身に着けるもの」 「うん、まあ……そういうのが多いかな」 「俺は、そういう感性がないからな。かといって他の男が選んだもんを身に着ける大将を見て何とも思わんほど懐も深くない」 薬研は溜息をひとつ吐く。 「乱や加州みたいに大将に近い趣味があるわけでもない。歌仙や蜂須賀みたいに雅を解するわけでもない。いち兄や小狐丸のように大将が喜ぶ言葉が思い浮かぶわけでもない。燭台切や堀川のように大将の胃袋を喜ばせることなんてもってのほか。できるはずがない」 シャツの胸ポケットから何かを取り出して私の枕元に置く。 「俺にできるのはこんなもんくらいだ」 身体を半分起こして薬研が置いたものに手を伸ばした。 「栞?」 押し花の栞が置いてある。黄色やピンクの可愛らしい色合いの花で作られている。 「花を摘むくらいなら俺にだってできる。押し花も薬の原料の標本を作るからな、下手じゃない。これで我慢してくれるか? ついでに言えば、実用性もある」 「これ、クリスマスプレゼント?」 「あー、やっぱりだめか」 苦笑いを浮かべて薬研が言う。どこかがっかりしたような表情。 「違う。これが良い。これ好き」 慌てて否定するとほっとしたように表情を緩めた薬研がすぐにいたずらっぽく笑う。 「それ、俺には言ってくれないのか?」 ニヤッと笑って言う薬研に呆れて私は体を起こした。 「おい、寝てないと」 「ちょっと取り出したいものがあるの」 今日出かけるために準備していた荷物を取って戻ってくる。 「私からはこれ」 「俺にか?」 「要らないなら薬研から別の人に渡して。私は薬研に渡すために用意したんだから」 「い、いや。驚いただけだ。誰にもやらん」 薬研は手にした物をじっと見下ろして暫くしてから「開けてもいいか?」と問う。 「どうぞ」 すでに布団の中にいる私はコクリと頷いた。 私が包装した少し不格好のリボンを解いて袋から中身を取り出した。 「これは……」 「夜更かしの成果」 薬研は天を仰いで「複雑だなぁ」と呟いた。 それは私も同感。夜更かししなきゃ風邪を引くこともなく出かけることができたかもしれない。でも、夜更かししなかったらこんな薬研の表情を見ることができなかった。 ……たぶん。 「不格好ですが」 「いーや。うん、そうだな。大将、早く風邪を治してくれ。これを身に着けて出かけるぞ」 「じゃあ、私は薬研の作ってくれた栞を髪に挿して出かけようか」 「それは、この部屋の中で使ってくれ」 私の冗談に薬研は苦笑を返しながらいつもの黒い手袋を脱いで私が編んだ手袋を着ける。 「あ、ちょっと大きいね」 「いーや、これが良い」 ぐっぱと手を握ったり開いたりを繰り返している薬研の表情は子供のようで、喜んでくれているのが良くわかる。 「よし、気合を入れて治す!」 「全力で補佐するぜ。任せろ、大将」 風邪を引いてこんなに気合を入れたのは生まれて初めてだ。 |
桜風
(16.12.4初出)
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