【波が君のつま先まで】






空はまだ青かったけど、日が暮れ始めようとしているのが分かった。

日射しにほんの少し色がついてきている。

は白いサンダルを脱ぎ捨てて、足の先で海水を蹴っていた。

思い切り、という感じじゃなくて、ちょっと控え目に。

緩やかな浅い波に足をくすぐられながら、海をずっと見ていた。

そういえば家族で海に行ったのはいつだったっけ、と、そんな妹を少し離れたところで見ながらふと思った。




視界にちらちら入る長い前髪を指で触る。

普段はちゃんとしているんだけど、はそんな暇さえくれなかった。

今日は部活がなかったからずっと寝ていようと思っていたのに、一時間ほど前にインターホンの連打で起こされた。

妹じゃなかったら、ちょっと許せない。

久しぶりに会えたというのに、玄関のドアを開けた瞬間からは不機嫌だった。

それから適当に外を散歩していて、現在に至る。

大して口をきいてくれないんだけど、ただ一言だけ、やけに念を押された。


『お母さんから電話掛かってきても、絶対出ないでね』


分かったよとには頷いてみたけど、有無を言わさず、選択肢がそれしかなかった。

俺はほんの数秒前から震え始めている、ジーンズのポケットに押し込まれた携帯電話を手に取った。

やっぱり母親からの着信だ。

出ないと約束はしたけど、あんな風に言われたら余計にそういう訳にもいかないだろうに。

なかなか切れない電話を手で握ったまま、ちらっとに視線をやった。

まだ飽きずに波とたわむれている。

すぐ済めば大丈夫だな、と思ってもう少しと距離をとってようやく携帯電話の通話ボタンを押した。


「もしもし」


俺の声がかき消されそうになるほどの声が聞こえる。思わず耳から離してしまった。

ボリュームが大きすぎて、声が割れているみたいだ。

予想通り、は? と聞かれた。


いるよ。大丈夫、俺んとこにいるから」


やっぱり黙って出てきたんだな。

が持ってきた少し大きめのカバンを思い出した。

相槌をうちながら、また海の方を見る。

その時、思わず手に持った携帯電話を落っことしてしまいそうになった。

じっとが俺を見ていたのだ。出ないっていったじゃん、と言いたげな顔をして。

普通に考えてみて俺の行動は正しかったんだろうけど、兄妹との約束を破るっていうのは結構痛い。

しかも相手が親ときた。

いっそのこと携帯電話を取り上げられた方がましな気がする、こんな風に黙って見られるよりは。


「まあ、後で掛け直すから。じゃ」


適当にまとめて電話を半ば強引に切った。

そしてまたそれをポケットに押し込むと、立ち尽くしているの方へ行った。






「お母さん?」


俺が口を開く前に聞かれた。そうだよ、と答えると、もう何も言わなかった。

責められないのが、ちょっと意外だ。

は俺にくるりと背を向けて、波と並ぶように歩いてゆく。俺もついて行った。


「そういや、もう高校生だろ」


気を紛らわせようと思って、そう言った。まだ八月だから結構先の話かもしれないけど、まあいい。


「なれたらね。受からなかったら高校生にはなれないんだから」


首だけ振り返ってみせたはそう言うと、またふいっと前を向いてしまった。

当然といえば当然な言い分がやけに刺々しくて、それが触れてはいけなかったことだったと気づいた。

大股で歩くを見ながら、まずいな、と苦笑した。親子喧嘩の原因が分かった。

の足跡が砂浜に刻まれて、でもすぐに波にさらわれてく。

俺はスニーカーを履いたままだったから、波がかからないギリギリのところを歩いていた。


「わたし帰らないからね」


俯きながらが言う。

口を尖らせているのが簡単に想像出来て、少し笑ってしまった。


「分かってるよ」


が立ち止まって振り返る。


「だって、今帰ったってまた喧嘩するだろ」


俺も立ち止まってみた。そうすると、丸い瞳が見上げてくる。

会ってから随分経ったはずなのに、やっと顔を見れた気がした。


「とりあえず今日は頭冷やして」


手を伸ばしての頭に置く。その黒い髪は、日射しを受けて温かい。

伏せていた目を数回瞬かせると、やがては小さく頷いた。


「背、伸びた?」

二、三回撫でてから手を離す。

それから、ちょっと体をかがめて顔を覗き込んでみた。


「伸びないよ」


はぱっと頭を上げた。

最初は何でもないような表情をしていたのに、俺と目が合ったら笑った。

口元に笑くぼが浮かぶ。


「お兄ちゃんみたいにひょいひょい伸びません」

「何だそれ」

「前髪だらしない」


からかうように言いながらは俺の横をすり抜けて、来た方を戻っていった。

肩につくかつかないかくらいの長さの髪が左右に揺れている。

気分屋だなあとその背中を見ていたけど、さっきの笑顔を思い浮かべたら、あぁやっぱりこれだ、と思った。

遅れて引き返すと、砂浜を歩いているが目に入った。

言えば取りに行ったのに、そこら辺に放っておいたサンダルを両手で片方ずつ持ちながら、また波打ち際まで戻ってくる。

そして足についた砂を洗うようにして、指先を海の中で揺らす。


「そんなことしてたら、いつまでたっても埒があかないよ」


近づいたときにそう声を少し張り上げてみたら、こちらを向いては笑った。

そしてまた足元に目を落として、オレンジ色の空を映した海をしばらく眺めていた。






ちょっと奥さん、仙道の妹ですよ!
丁度良い距離感の兄妹ですよね。

みず子さんにリクエストを聞かれたときには此処まで萌えるとは思いませんでした。


みず子さん、ありがとうございました!!


07.4.7


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