光る






香ばしい匂いに誘われて寄り道をしてみると、駅前に出店がいくつも並んでいた。
毎年春の終わりにある祭りに、私はもう何年も無関心だった。
日曜の夕方だから人が多く、小さい子どもを連れた人が目立っている。

「もうそんな時期なんだねぇ。最近日付感覚ないから忘れてたよ」

一番端の出店の横に、私と一郎は立っていた。
興味本位で立ち寄って、でも一々まわるつもりはなかった。
スーパーの帰り道で、買い物袋が重たいから。一郎に渡した袋の方が重いんだけど。

「商店街とかにポスター貼ってあったけど」
「へえ、気が付かなかった」

綿飴の袋を持った子どもが、楽しそうに私たちの前を駆けてく。
その後ろを父親らしき人がゆっくり付いて行った。
その様子を何となく目で追いながら、瞬きの間に私は昔を思い出していた。

「ねぇ、」

ふと、私は口にしていた。
違うところを見ていた一郎が、こちらを向いたのが分かった。

「ラムネ買ってくるから、ちょっと待ってて」

ゴボウがはみ出ているビニール袋を一郎の空いた方の手に押し付けて、私は立ち並ぶ出店に向かって歩いて行った。








「やっぱりラムネは夏だよね」

炭酸でピリピリする下唇を舌先で舐めて呟くと、一郎はちょっと呆れた風だった。

「じゃあ何で買ったんだよ」
「だって祭りに行ったらラムネでしょ」

ガラスの瓶を垂直に持ってみたら、あんまり減っていなかった。
歩きながら確認しているから、ラムネがゆらゆら揺れている。

「何だよその常識」
「さあ・・・」

駅前からは少し離れたから飴の匂いもソースの香りも何もしなかったけれど、浮ついた空気は残っていた。
今も、祭りに向かいそうな親子とすれ違ったばかりだった。
行儀悪く歩き飲みしながら、時々スーパーの袋が足に当たってガサガサ音を立てた。
その度一郎に、卵が割れる、と注意された。

「減らない」

ふた口飲んで、また量を確認する。中に入っているビー玉が瓶と触れて、鳴った。

「俺に寄越すなよ」
「分かってるよ」

氷水の中で冷やされていたラムネは今も冷たかったけれど、瓶の表面の水滴は少しずつ乾き始めていた。
飲もうと瓶を傾けると、またビー玉が鳴った。
口が慣れてきたのか、もうあまり痺れを感じなくなってきている。

「私本当は、炭酸そんなに好きじゃないんだよね。何で買っちゃったんだろう」
「は?」
「炭酸飲んだのなんて二年ぶりくらいかも」
「そういやはるなが飲んでるの見たことないな」
「でも、祭りのラムネっていつも美味しそうに見えるんだよね。何でだろ」

瓶を目の高さまで持ってくると、軽く横に振ってみた。
夏ならふさわしいような、涼しい音がした。

「一郎、私が飲み終わったらビー玉取って」
「ビー玉?」
「うん、これ」

もう一度、瓶を揺らしてみる。

「取れるっけ?」
「取れるよ、たぶん。昔、小学生の頃に取ってた子いたもん」

瓶と同じ色の水色のビー玉。私は小さい頃、これが欲しくて仕方なかった。

「瓶割れば取れるだろ」
「ダメ。それじゃダメなの。夢がない」
「夢って、何の」
「分かんない」

よく、片目を閉じてビー玉の中を覗くのが好きだった。
透明で薄く色のついた閉じられた世界を、何度も見つめていた。
そんなこと、今はもうしなくなって、祭りに毎年行かなくても何とも思わなくなって。
ラムネも時間が経てばただの砂糖水みたいになることを私はいつの間にか知っていた。

「私、祭りに行ったのなんて何年ぶりだっただろう」
「俺は中学の時以来だな」

私がぽつり呟いた独り言を一郎が拾った。隣を見ると、一郎は前を見ていた。

「祭り、行くんだ」
「行くんだって、だから中学の時。鷹村さんに連れられて」
「さっきの場所でやってる祭り?」
「確か」
「私も中学の時行ったよ。もしかしたら、すれ違ってたかもね」

もともと狭い町だから、どこかで会っていたって不思議じゃなかった。
数年前まで全く他人だった一郎と私は、今さら出会って並んで歩いている。
私は一郎から聞いて、少しだけ一郎の過去を知っている。
でも、それは一郎のほんの一部分で、私は知らないことの方が多い。
私たちが住まうのは過去じゃないから、本当は知らなくてもいいのに、どうして時どき知りたくなるんだろう。
一郎は私のこと、どれぐらい知ってる?
今まで通り過ぎていった出来事のひとつひとつを私は知らないし、私だって自分のことすら全て覚えていられない。
でも、何だか寂しい気がする。知らないことが知らないうちに消えて、それがほとんど当たり前だってことが。


「ねぇ、一郎」

ふいに今、一郎と手を繋ぎたくなった。
でも私は両手がふさがっているから無理だった。
何となくねだるように横顔を見上げると、ふと目が合う。

「何?」
「夏になったら、また行こうか」
「祭り?」
「うん」
「気が向いたらな」
「そうだね」

もうひと口ラムネを飲んだ。
それからガラス瓶を握った私の手を、一郎の左手にそっと当てた。

「もう温くなっちゃった」

甲と甲を触れ合わせながら、しばらくそのまま歩いた。
小さく美しい世界は今も閉じ込められたまま、何でもない土手道の上、ふたつ影が伸びてゆく。



『夢と現と幻と』4周年おめでとうございます。桜風様へ。

2008/04/29 執筆



頂いて、読んだ瞬間ぐへへと笑いました。
ゴボウのはみ出たスーパーの袋を一郎が持つんですよ!?
普段全く生活感というものがない彼なのに、生活観があふれんばかりのそれを持つんですよ?
素敵です、みず子さん!!

ありがとうございました!(ぐへへ)


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