| 侍僮の恰好をしての官吏の手伝いという仕事は断ったが、今度は別の仕事で依頼が来た。 医務室の助手という仕事だ。 そちらの方も医者の不養生というか、そういうことで人手不足となっていた。 この仕事は無理に男の恰好をし無くてもいいらしいのでも安心した。 しかし、この医務室での仕事も非常に忙しい。 大した怪我でないのに人がわんさか押し寄せてみたり、ワケの分からない言葉で声を掛けられたり。 正直、邪魔な人が多い。 「やあ、絳攸。聞いたかい?殿目当てで医務室は連日大盛況だそうだよ」 「...らしいな。お前のところの人間もよく来ているそうだ」 「それは。上司に伝えておかねば。そういえば、殿は『紅』姓を名乗っていないらしいね」 「ああ。だから、わんさか暇人がやってくるんだろうな。そうで無かったらウチの上司が睨みを利かせておられるだろうに」 そう。 という訳でただいま絳攸の上司の紅黎深の機嫌があまり宜しくない。 しかし、そうかと思えば上機嫌で外出から帰ってくる。その原因は最近聞く噂だろう。 「そうそう。黎深様といえば、先ほど『秀君』の手伝いをしておられるところを見かけたよ」 『秀君』というのは秀麗の今の名前で『紅秀』というのが姓名だ。絳攸が名付けた。 黎深は秀麗に叔父として名乗る勇気がなく(嫌われたらイヤだから)、かと言ってみて見ぬフリができないのだろう。 折角こんな近くに秀麗が居るというのに接点を持たないで居られるような人ではない。 絳攸は軽い頭痛を覚えて溜息を吐いた。 「朱殿」 嬉しそうに声を掛けられ、は苦笑をしながら振り返った。 はこちらでは『朱』と名乗っている。 『紅』姓は名乗りたくないとが言ったため、紅家当主が名づけようと勝手に名乗り出て黎深がつけた苗字だ。 本当は『李』にしたかったのだが、これは無理に今名乗らせなくても、と本人たちを抜きに勝手に未来を想定して外した。 「吏部尚書様」 「噂に聞いたよ。大盛況らしいじゃないか。全く、暇な者が多いようだ」 「絳攸様も同じことを仰っておられましたよ」 の言葉におや?と口元が綻ぶ。 「は絳攸とよく逢ったりしているのかい?」 「ええ。特に府庫と、..庭院で」 つまり、迷子の絳攸を見かけているだけらしい。 「私の方も噂を耳にしておりますわ。『秀君』と親交を温めておられるようですね」 噂を聞いたときにははおかしくて噴出してしまうところだった。 「でも、吏部尚書様。そういう出会いだといずれ名乗られるとき、何だか気まずくなりませんか?」 の言葉に黎深がはっと息を飲む。 最高の場面で名乗りを上げたいと思っている黎深だが、益々難しくなってしまったらしい。 「いや、いいんだ。大丈夫、いつか最高の対面を果たしてみせるから。。変に言い寄ってくる官吏が居たら言いなさい。クビにしてあげるからね」 不穏当な言葉を笑顔で口にして黎深は手を振って去っていった。 相変わらずな叔父には苦笑をしながら手を振り返して「さて、と」と呟き目的地に向かう。 休憩時間の少し前になったら必ずお遣いを頼まれる。 を避難させるために暗黙の了解だ。 医務室への来客の症状は「胸が痛い」とか、「熱がある」とかそんなもの。 口説かれているのは分かっているが、相手にする気がないはその言葉を無視して適当に医師に診てもらうように振り分け、そこまでするほどではないときは適当に処方をして追い出している。 しかし、休憩時間になると就業時間と比べものにならないほどの来客がある。 それを全て相手にするのは時間の無駄ということで、は休憩時間が近くなるとお遣いを頼まれ、休憩時間が終わって少しして戻るようにしている。 最近はそれが噂になって訪問者の数は減ったがそれでも、面倒なことは面倒だ。 お遣い先は様々だが、大抵府庫が多い。 府庫だと出張被害が少なく、気のいい官吏である邵可の管轄なのでを派遣しやすいと言うことらしい。 府庫の中で資料を揃えて奥の室に向かう。 室を覗いてみると誰も居ない。 とりあえずここでお茶でも飲んで帰ろうと置いてある茶器に手を伸ばした。 そのとき、急に空が翳った。 さっきまで快晴だったというのに。 この時期独特の天気ではあるが、正直苦手だ。 予想通りに外は轟音とともに滝のような雨が降ってきた。 目を刺すような稲光の後、稲妻が走る。 突然の雨に驚き、すぐ近くの建物に入ったら府庫だった。 絳攸は軒の下で髪や服についた水滴を払い、府庫の中に入る。ここなら時間を有意義に潰せる。 邵可が居れば話をしようと思い、奥の室に向かうと部屋の隅で黒い塊が動いた。 「うわ!?」 正体不明の黒い塊に絳攸は驚いて後ずさるが、よく見てみるとそれはだった。 は耳を塞いで目をきつく瞑り、体を丸くして机の下に居た。 「...?どこか調子が悪いのか?」 絳攸が話しかけた途端、またしても空が光る。 はビクン、と体を震わせて小さく悲鳴を上げる。 どうやらは雷が苦手のようだ。 絳攸はの傍に膝をつく。おびえている机の下のの隣に自分も座り込んだ。 狭いと思いつつも、どう声を掛けていいのか分からず無言だった。 外が光るたびに小さな悲鳴を上げるの頭を恐る恐る撫でる。 おびえた目でが絳攸を見上げた。 「あー...」 絳攸は何と言ったらいいかわからない。何か言わないと、と思ってはいるものの上手く言葉を紡げない。 「雨がやむまで俺が傍にいてやるから。安心して怖がってろ」 大抵の官吏を論で捩じ伏せることの出来る絳攸だが、こういうことになるとどうも苦手だ。 今、言った言葉にも矛盾がある。しかし、それが精一杯だった。 驚いた顔で絳攸を見上げていたもまたも光る稲妻に絳攸の服をきつく握る。 自分の言った通り、雨がやむまで絳攸はずっとの頭を撫でてやっていた。 |
同じ頃。
秀麗は黄尚書に蝉のようにしがみついて泣いていましたとさ(笑)
姉妹揃って苦手なものが同じです。
桜風
06.7.17
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