| 「お嬢様、此処です」 前方から人ごみを割って現れたのは静蘭だった。 「あら、静蘭」 「どうしたの?」 秀麗とは驚き、それぞれ言葉を口にする。 「今晩の夕飯は酒楼でと思いまして、お迎えに」 「そんな贅沢な!」 と悲鳴を上げた秀麗には苦笑を漏らし、静蘭も笑う。 「ちょっとした臨時収入がありましたのでお代の心配はいりません。遅まきながら秀麗お嬢様が適正試験に及第されたお祝いだと思ってください。旦那様も今いらっしゃいますよ」 秀麗が言葉を失ったのを見ては小さく笑う。 適正試験の及第の知らせを受けたときの秀麗は震えていた。今まであった壁が消え、夢を掴む障害がなくなったことへの喜びなのか。それとも、これから起きる様々な苦難を思っての武者震いか。 それはどちらでも良いと思った。この先、努力をして報われるかどうかは秀麗自身の実力で決まる。他の何にも邪魔される事は無い。 「...ありがと、静蘭」 「いいえ」 静蘭は笑った。その笑みは秀麗と邵可、そしてにしか見ることが出来ない特別な笑顔だ。 「じゃあ、今日はご馳走になろうかな」 秀麗が言うと静蘭は頷き 「どうぞたくさん召し上がってください。ああ、旦那様もいらしたようですね」 人通りの激しい往来を邵可が覚束ない足取りで歩いてくる。外見、中身共にいかにもカモにされそうなところはやはり影月を彷彿とさせる。 「あ、そうだ。あのね、静蘭。この男の子も一緒にご飯してもいいかしら?」 「え?」 静蘭は秀麗が右隣に向けた掌の先を見て、不思議そうな顔をした。 はその静蘭の表情を怪訝に思って影月を見遣る。 ...あれ? 秀麗の向けた掌の先には影月の姿がなかった。 慌てたが周囲を見渡すと 「秀麗!影月君、あそこ!!」 静蘭と話をしている秀麗の肩を叩きながらはいかにもな風体のごろつき数人に囲まれて、裏路地に連れ込まれようとしているのはまさしく影月だった。 「いやーっ!ちょっとちょっと、あんたたちー!」 「お、お嬢様たちはここにいらしてくださいね。すぐ済みますから!」 算盤の入った重い巾着を振り回しながら今にも飛んでいきかねない秀麗を押しとどめて、静蘭は器用に人の波を器用に縫ってカツアゲ現場へ急行する。 「今日もお仕事ご苦労様、、秀麗。どうしたんだい?」 「ええ、さっきまで一緒に居た男の子がちょっと連れて行かれそうになったから、静蘭が助けに行ってくれているの」 が答え、秀麗はカツアゲ現場を不安そうに見守っている。 「ど、どうしたのかしら?」 「なに?」 父と話をしていたため、は秀麗が呟いた原因がわからない。 「うーんと。あのごろつき、突然すっ転んだの」 は首を傾げてカツアゲ現場を見遣る。 「まあ、助けられたようだから良かったね」 邵可が飄々とそう言う。 静蘭が地べたに転がったごろつきを問答無用で踏んづけて次々と路地裏に蹴りこむ様子がの立っているところから少しだけ見えた。 あーあー... そう思いながら秀麗を見ると心配顔のままだから彼女からは今の静蘭の諸行が見えていなかったのだろう。 まあ、静蘭の事だから秀麗に見えるところであんな事はしないだろうけど... やがて、影月が静蘭に手を引かれて戻ってきた。小突かれてややヨレた感があるものの見えるところに傷はない。は安堵の息を漏らし、そして、秀麗が大事な事を聞いた。 「お財布は!?」 「え、と。あ...巻き上げられてしまいました...」 「......」 とろい。 さすがの紅家一行も、もはや返す言葉がなかった。 秀麗が妓楼での一軒をうまく誤魔化しながら影月の事をかいつまんで静蘭と邵可に説明した。 2人は顔を見合わせて苦笑し、勿論、影月の滞在も快く承諾した。 「それにしても最初からとんだ災難だったね...」 評判の酒楼に席をとり、注文を済ませた後邵可が労わるように影月に声を掛けた。 「黒州からじゃ、随分大変だったろう」 「そうよ。しかも13歳なんですって。でも今は会試直前で沢山外の人が入ってきてるときだし、なれない人が貴陽に来るのはちょっと危ないと思うの。ご用があるなら早めにすませて返ったほうがいいわよ」 「そう..ですねー...」 秀麗の指摘に影月は曖昧に答えた。 「それにしても、だいぶ受験者が増えてきたわね」 酒楼のあちこちには書物を片手に食事を摂っている書生がいる。 そのとき、がたりと椅子を鳴らして立ち上がった赤ら顔の書生が、朗々と詩文を暗唱し始めた。自分の才をひけらかして得意満面である。 「あ」「あ」 秀麗と影月がお同じところで小さく声を漏らし、も少しだけその書生の方に顔を向けた。 「間違ったね、今」 邵可があっさり言った。 「よく気がついたね。ほんの一語の間違いだったのに」 秀麗は心腑が裏返ったかと思った。隣には秀麗の会試のことなど知らない影月がいるのだ。 「え!?なななな何のこと、父様」 しかし、影月の方もなぜか焦ったように手を振っている。 「ぼ、僕ちょっと前の街で忘れ物をしてきたのを思い出しただけで別に深い意味は!」 秀麗の態度は納得できるが、影月のそれには首を傾げ、静蘭を見てみる。別に気にしていないようだ。 頃合よく菜が次々と運ばれてきた。注文よりも随分と皿数の多いことに秀麗は目を瞠った。 「ちょっと、荘おじさん。頼んでないものまできてるんですけど!」 「おごりだよ」 秀麗たちの前に皿を並べ終えた酒楼の主はニカッと笑った。 「あっちこっちで秀麗ちゃんに暇乞いをされたって話を聞いたからな。またどっか行くんだろう?秀麗ちゃんには散々世話になったからな。勿論、ちゃんにはこれからも世話になるだろうし。 だから、滅多に来てくれねぇし、ほんの礼だ。今日はたらふく食ってきな。そのかわり、帰ってきたら帳簿つけるのまた手伝ってくれよ」 秀麗は一瞬言葉に詰まった。卓子の下で拳を握りしめ、それからゆっくり笑顔を作る。 「勿論。帰ってきたら、またお仕事くださいね。お給料は銅一両上乗せで」 おうよ、と笑いながら荘おじさんは行ってしまった。 ...ひと月後、秀麗は会試に臨む。 落第しても、及第しても、これがたぶん、会試を受けられる最初で最後の機会だ。 悔いを残さないようにと、父と静蘭、そしてがひと月の自由をくれた。 秀麗はその言葉に甘える事にした。そして数多く引き受けていた仕事先全てに暇を願い出た。去年の春も一時的な後宮入りで、今回と同じような事をしたから、ほとんどの雇い主は荘おじさんのようにまた戻ってくると思っているようだった。 確かに、落第したらそうなるだろう。けれどもし及第する事ができたなら。 (長の暇乞い...) もしかしたらこの貴陽、いや、紫州からも。とも静蘭や父とも離れて一人で。 「秀麗。この鴨の変わり四菜、それぞれ美味しいわよ。はい、食べてご覧なさい」 が4種の鴨菜をとりわけ、秀麗の前に皿を置く。 「ありがとう、姉様。ほんと美味しそう。うちでも作ってみようかしら、ねえ、姉様?」 「鴨があればね」 は笑いながらそう応えた。 「とある筋から鴨を調達しましょう。あ、ちなみに今日のご飯代も、藍将軍のお志です」 ああ、やはりそうか... がずっと気になっていたことを聞くまでもなく静蘭があっさりと言う。 秀麗は目の前のご馳走に視線を落とした。 とある筋って... 「...気のせいかしら。藍将軍にタカっているような気分になってきたわ」 「お志ですよ」 にこやかな静蘭が、何だか少し怖い。 「それを、タカってると言うんじゃ...」 「いいんですよ。花街で湯水のように遣われるくらいなら、私たちの生活向上に役立てて頂いたほうがよっぽど有益というものです」 言い切った静蘭に 「...そうかも」 と呟く秀麗。 胡蝶から楸瑛の事を聞いたのだろうと思いながらも まあ、とにかく。次に会ったときにそのお志のお礼は言っておこう とはなんとなくそう思いながら箸を伸ばした。 |
ヒロインって結構大雑把、というか、性格は静蘭に近いほうかも...
あそこまで黒くないけど(苦笑)
桜風
07.7.16
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