薄紅色の花咲く頃 26





秀麗たちは猛然と姮娥楼の門を目指して走った。

たちが門をくぐった途端、その豪奢な門が音を立てて閉じられる。

肩で息をしながら顔を上げると灯篭の明かりのお陰で夕暮れでもお互いの顔が認識できた。

「へー......藍将軍と絳攸様をお供にお忍びで妓楼にやってきたってわけ」

秀麗のその声と視線に劉輝は慌てる。先ほど楸瑛に妓楼=後宮という図式を教えてもらっているため、秀麗の言わんとしていることが何となくわかって青くなる。

「ご、誤解だ秀麗。余ならこんなところに来なくても、自分のところでいくらでも出来る!」

秀麗の誤解を解こうと必死に言い繕ったその言葉を聞いて楸瑛は片手で目を覆った。

それは、言い訳にしてもあまりにもまずかった。

そんな劉輝の失言を呆れながらは息を吐く。

「胡蝶妓さん。お部屋に上がらせてもらってもいいかしら?」

後方で不機嫌全開の妹の怒りのオーラを感じながらも取り敢えず、玄関先ではご迷惑だと何となく冷静に思ったが楽しげに秀麗と劉輝の様子を眺めていた胡蝶に声を掛ける。

「ああ、そうだね。こんなところで立ち話してたら体が冷えちまうね。おいで。藍様たちもどうぞこちらへ」

胡蝶自ら部屋に案内してくれた。


「あ、あなたが昨日、僕を連れてきてくれたっていう人だったんですか!」

妓楼の一室に落ち着くと楸瑛が影月に昨日の話を始める。

はそれほど影月の経緯が気にならないため、冷える外を、全力で走ったとは言え、何となく体が冷えているようなそんな気がしたので取り敢えずお茶を淹れることにして皆から少し離れる。

室内にある茶器と茶葉を使ってお茶を淹れる。一瞬淹れても良いものかと悩んだが、一度振り返った胡蝶が頷いてくれたので心置きなくお茶を人数分淹れた。

お茶を淹れて盆に載せ、皆の元に戻ると秀麗が慌てて手伝いだす。でも、まだ少し不機嫌だ。劉輝にお茶を配るときには少々雑に置いていた。

「それにしても。こんなにいっぺんに藍様よりもイイ男に出会えるなんてねぇ」

胡蝶が部屋の中の男性陣を見渡して言う胡蝶の言葉に楸瑛は聞き捨てならないとばかりに

「胡蝶...せめて同じくらいイイ男とか」

と口を挟む。

しかし、そのすぐ後に放った胡蝶の言葉を耳にして皆は楸瑛に氷柱のごとき冷たい視線を投げつける。

墓穴を掘った楸瑛は、珍しくも深く後悔した。

「......そういえば、此処で邵可は有名なのか」

劉輝は先ほど秀麗たちが来る前に胡蝶が話していた言葉『紅師』を思い出して聞いてみる。

「ああ。元々風変わりな紅師のお噂はお客からちょくちょく聞いてはいたんだけどね」

そう言って胡蝶が秀麗を見つめて小さく苦笑する。

も、胡蝶の苦笑の理由を知っているため、苦笑をもらす。

「......秀麗ちゃんたちが此処で働きはじめて少し経った頃、おひとりでいらしてねぇ」

「父様が!?」

これには秀麗が目を剥く。

「あたしたちは殴りこみかと思ったんだけどねぇ。ばかっ丁寧に頭を下げて『娘たちをよろしく頼みます』って言うんだよ」

「え?は!?」

秀麗は混乱して言葉が出ない。

「『娘たちは母を亡くしたばかりで、これから先男の私ではわからないことがたくさん出てくるでしょう。どうか娘たちをよろしくお願いします』って」

「......」

胡蝶の言葉に秀麗は言葉が出ない。

を見て

「姉様、知ってた?」

と動揺半分、父の愛情に感動半分といった表情で問う。

「ええ、まあ。私が賃仕事に来てるときに父様来ちゃってね。慌てたわ。だって、娘が自分に黙って髪結いとは言え、妓楼で賃仕事って父親としたらあまり褒められることじゃないって思ってたもの。けど、父様。私を見て『こちらに迷惑かけるんじゃないよ。あと、秀麗のことは頼んだよ』って。怒られるどころか、公認よ」

の言葉に秀麗はぱかーっと口を開けた。

「何で教えてくれなかったの!?」

一生懸命自分は隠し続けていた。それなのに、隠さなくても良い事を姉は知っていたという。

「だって、秀麗隠したかったんでしょう?父様も『秀麗が隠したがっているから、知らんぷりをしておくよ』って言うし。そこまで気を遣われちゃったら言えないでしょう、普通?」

でも、敢えて言ってほしかった...

そんなことを思いながら秀麗は珍しく姉を半眼になって少しだけ睨む。

しかし、は何処吹く風で全く気になっていないようだ。

「それに、そのあと静蘭も来たのよ」

と軽く言う。

これには秀麗だけではなく、静蘭も驚いた。

「知ってたんですか!?」

「ええ。奥にいたら聞きなれた声が父様と同じことを言うんだもん。ビックリしたわ」

「そうそう。それが可笑しくてあたしは笑っちまってね。お陰で『紅師一家』は有名人さ。こりゃ、大事な娘さんたちを預かっちまったねぇと苦笑したもんさ」

「時々、二人とも様子を見にここに来てたのよ」

そしてと胡蝶は意味ありげに静蘭を見る。

「静蘭が花街に来るたびに大騒ぎだったのよ」

一度言葉を区切る。静蘭の反応を楽しむように。

お嬢様。もういいでしょう」

取り敢えず、その先を言われたくない静蘭はの言葉を制止した。

「はいはい。口を閉じます」

そう言っては胡蝶に目を遣る。

の視線を受けて胡蝶は楽しそうに先ほどの、静蘭に止められる前のの言葉の続きを口にする。

それを聞いて愕然とした表情の秀麗に静蘭は凍りつく。

この場で間違いなく最強なのは胡蝶だ。もしくは、同率で

絶世の美女は目を猫の目のように細めて笑った。

「他にも、秀麗ちゃんたちにはたくさんお世話になったからね」

詳しくは語らず、胡蝶は話題を転じる。


取り敢えず、ああいった手合いはしつこいため、秀麗たちに姮娥楼に泊まるように勧める。

しかし、秀麗は影月はともかく自分までいつまでもここにいるわけにはいかないと反論するが、邵可には文を送っているし、数日のうちにカタがつくからと胡蝶は言う。

「数日?どうしてですか?」

「ま、いずれ分かるさ」

秀麗に聞かれた胡蝶は自信有りげに笑った。

しかし、胡蝶の言葉に影月の顔は晴れなかった。拳をぎゅっと握って取り戻さなければいけないものがあるという。

そんな影月の言葉に楸瑛は不思議そうに昨夜自分の見た光景を口にする。

それを聞いて影月は慌て、劉輝は興味を示す。

和やかな雰囲気の中、秀麗の鋭い声が劉輝に向かって放たれる。

「ちょっと!いい加減にしなさいよ。今はそれどころじゃないでしょう」

先ほどのことがまだ尾を引いているのか、秀麗の劉輝に対する目は冷たい。

そんな秀麗に劉輝は魚を食べるように進める。今が旬のブリを届けさせるらしい。魚の骨まで食べればイライラがおさまると聞いたとか。そして、美味しいブリ菜を作ったらちょっとで良いから呼んで欲しい、と。

そんな劉輝の言葉を聞いて秀麗の肩はガックリ落ちた。

天然で人の気を抜かせる術では劉輝は人後に落ちない。は2人のやり取りを眺めながら感心していた。

「影月君。さっき、札、とか言っていたわよね?」

話を進めてしまおうとが聞くと何故か言いにくそうに影月は

「え、と―――はい。木簡..です」

と言ってそれ以上詳しいことを言わない。

木簡だけでは分かりづらいな、と思っていたが、男性陣の顔色の変化に気付いたは何となくその木簡が何かが予想できた。

それは、大変だ...

「大事な木簡、ね...」

楸瑛がゆっくりと繰り返して言う。影月は神妙に頷き、先ほどごろつきから聞いた事を離すと今度は絳攸が声を上げる。

話をしている途中にタカリ、と音がして静蘭、劉輝、楸瑛が一斉にその音がした扉に顔を向ける。

「藍様、大丈夫。うちの者だよ。―――用は何だい?」

胡蝶の厳しい声に、秀麗は首を傾げた。

胡蝶が、何だかいつもと違うように見える。

「青巾党のやつが一人、裏から入ってきました」

「...裏?あいつら新参者の集まりのはずだろう。それなのになぜここの裏なんて知ってるんだい」

「それが...よく秀麗お嬢さんを訪ねてくるガキで。午も姐さんに追い払われた小僧です」

秀麗と胡蝶は顔を見合わせた。

は首を傾げる。三太以外に思いつかない。

「...まさか、三太...?」

秀麗は午の三太の服装を思い出した。その中に確かに青絹布があり、今考えてみるとその位置は、腰。

胡蝶は深く溜息を吐いた。

「―――とにかく、連れてきな。取り敢えず今ンとこは丁重にね」

胡蝶の言葉に「へい」と頭を下げて男は室を辞した。





次回くらいで会試前騒動は終われるかな?
ヒロインもしれっと色々していますね。
彼女は静蘭よりも強いですね、実は。


桜風
07.10.8


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