薄紅色の花咲く頃 30





緊迫した空気の中、声をかけてきたのはや秀麗がよく知る人物だった。

「王旦那!?」

が声を上げた。

慶張の父親が立っていた。

「おや、さんに秀麗さん。うちの馬鹿息子がいつもお世話になっています」

と言って頭を下げた。

は思わず「いえ、こちらこそ秀麗がいつもお世話になっています」と頭を下げていた。

商人特有の人のいい笑みを浮かべていた王旦那だったが、成り行きを見守っている胡蝶たちの姿も視界に入って少し驚いたようだ。

「おやおや、胡蝶さんから親分方までお揃いで。なにやら凄いことになっているようですが、こちらに杜影月さんはいらっしゃいますか」

彼の言葉に影月は名乗り出た。

すると、王旦那は注文の品を持ってきたという。本日深夜に姮娥楼にということで、しかも値打ちものだったから店主である王自身が持ってきた、と。

影月は自体が飲み込めずに目を白黒させていた。

しかし、王旦那がひょいと差し出した薄汚れた木簡を見て三拍の後、文字通り飛び上がった。

それは、影月の受験札だった。

王旦那の話によると全額前払いであったため、担保は必要ないといったのだが、何かに巻き込まれてなくしかねないため、今回注文した酒と共に姮娥楼に届けてほしいと『影月』が言ったとか。影月が覚えていないので、正しくは『陽月』なのだろうが、この際関係ない。

影月の命よりも大切なものがちゃんとその手に戻ってきた。

しかし、そのまま続けた王旦那の言葉に影月は乾いた声を漏らす。

どうやら、陽月は元々影月が持っていた路銀の銀三十両とさらにごろつきからふんだくった金十両を豪快に使い込んで王様でもめったに口にすることが出来ない超高級酒に変換したらしい。

なにやら狐に摘ままれたそんな気分でへたり込んでいた影月に劉輝が声をかけてゆっくりと手を差し伸べる。

「札が戻ってきてよかった。―――見事及第し、余の元へ来い」

劉輝の本当の姿に気がついた影月はその言葉を呑んでただ「はい」と答えた。




秀麗の姮娥楼での賃仕事最終日。

算盤を弾く秀麗と胡蝶は影月のことを思い出して話す。

影月は結局あれからすぐに紅家から出て行って安宿に泊っている。陽月の注文した酒を楸瑛に買い取ってもらったため、お金も出来た。

だから、出て行くといって聞かなかったし、さらには迷惑料までおいていこうとしたため、これには秀麗が怒鳴ってつき返したが。

胡蝶が彼の律儀っぷりに感心して声を漏らした。

「......胡蝶妓さん。あの日の客の一人が主上だってことに驚かないんですか」

という秀麗の問いに胡蝶は何となく見当がついていたと答えた。あの、藍楸瑛に敬語を使わせる二十歳そこそこの男といったら、それは限られてくると。

秀麗はさすがの人間観察眼だと舌を巻く。

「ところで、今日が最後の賃仕事だね」

胡蝶は以前秀麗にいとまごい最後の日に贈り物があるといっていた。

それは、化粧の仕方とその道具一式。すべての妓楼の最高位の妓女たちが秀麗へ贈ったものだ。

「化粧は女の戦装束」と胡蝶は言う。

どんなに薄化粧でも泣いてしまえばみっともない顔になる。だから、泣けない。

胡蝶は秀麗がなぜ暇乞いをしていたかを知っていた。去年の春や夏のときとは違う。もっと長い、それこそ、最後の暇乞いになるかもしれない今回のそれ。

秀麗はそのことを知っている胡蝶に驚いたが、彼女は自分の情報網を甘く見てはいけないといった。

泣きそうになる秀麗をなだめて胡蝶は彼女を送り出す。何を言われても女であることに誇りを持つように。決して男になってはいけない。男に出来ない、女の秀麗にしか出来ないことをしに行ってくるように、と。

たった一人で戦いに出る秀麗を優しく「娘」と呼んで、いつ帰って来てもいい場所がここにあることを教える。

泣きそうになりながら秀麗はその言葉を聞いていた。

いつも優しく、幼いときから自分を見守ってくれていた胡蝶は、本当に母のような存在だった。

「姉様のこと、お願いします」

「ああ、なら大丈夫だよ。あたしたちも、他の街の人たちも気にかけているしね。秀麗ちゃんは、心配しなくても大丈夫だよ」

胡蝶の言葉に安心する。が、はた、と思い出した。

「じゃあ、胡蝶妓さん。姉様の、賃仕事知ってますか?」

秀麗の言葉に胡蝶が珍しく視線を彷徨わせる。

「まあ、何だって良いじゃないか。危ないことはしていないんだし。それについては、あたしが請け負うよ」

やはり、聞かないほうがいいことのようだ。

秀麗は頷き、「行ってきます」と胡蝶に微笑んだ。


秀麗が出て行った後、がその室に入る。

「胡蝶妓さん、ありがとうございます」

「いいんだよ。にも、何か贈らないとね」

胡蝶の言葉にが驚いた。

「私は、ここに居ますよ」

「分かってるよ。けど、秀麗ちゃんにだけ贈って、不公平じゃないか。というか、その話が秀麗ちゃんへの贈り物を考えているときに妓女たちから上がったんだよ。また、日を改めて用意するからね。受け取っておくれよ」

逡巡の後、は頷く。

「よし!」と胡蝶が笑う。





そして、あの騒動から数ヶ月後に国試の結果が発表された。

秀麗は見事探花及第を果たしたのだった。




本当にヒロインは何の賃仕事をしてあの碁石を投げるコントロールを身につけたのでしょうね。
ああ、気になる...
会試前騒動、やっと終了。
つきは第3巻『花は紫宮に咲く』ですね。
どんどんヒロインが出てきづらくなる...


桜風
08.2.11


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