薄紅色の花咲く頃 36





そういえば、折角朝廷の門をくぐっているのだ。

そう思ってその日のは翌日早起きをすることを決心した。

秀麗が進士として朝廷で働いている間、家には誰も帰ってこない。

先日黎深から受け取った扇の話を父にすると「今回は、仕方ないね」と了承した。

それを知った黎深は「全力を持って、を守るからな」と物凄く崩れた笑みを浮かべてスキップをしながら去っていった。

はその背中を最後まで見送ることは出来なかった。流石に、アレは嫌だ...

そういう経緯もあって、は家に帰ってひとりで生活している。

勿論、影はその名の通り“影”なので、の前に姿を見せることがなく、ご近所が気にかけてくれている。それだけでも、随分心強い。

朝早起きをしては大きな弁当を持って仕事に向かった。


休憩時間の少し前。

いつものように室を追い出される。

今回は府庫ではなく、戸部へと向かった。

「失礼します」とが声を掛けると戸部侍郎の景柚梨がを目にして近づいてくる。

「おや、朱さん。何か御用ですか?」

「えーと、お忙しいだろうとは思ったのですが、黄尚書はいらっしゃいますか?」

の言葉に彼は頷いて尚書の室に案内する。

「失礼します」と声を掛けて先に景侍郎が入り、もそれに続く。

「何だ」と顔を上げずに何か書類を書きながら黄尚書が用件を聞く。

「朱さんがいらっしゃいましたよ。黄尚書にご用事があるようです」

そう言って景侍郎が話を促す。

「お久しぶりです」と言っては頭を下げた。

の訪問は黄尚書にとってもかなり意外であったため、思わず手を止めて顔を上げる。

「どうした」と幾分柔らかい声で彼が問う。

「えーと。先日のお礼に、と思いまして。おまんじゅう、作ってきました」

そう言いながら家から持ってきたお弁当を軽く掲げる。先ほど蒸かしたばかりでほかほかだ。

先日のお礼、というものに心当たりのある黄尚書だったが、

「あれは正当報酬だろう。別に改めて礼をされる覚えはないがな」

と返した。

「あー、でも。作ってきちゃったので食べていただけると嬉しいかな、と。確か、黄尚書は日に一度休憩を取られるんですよね。もう、本日分はとっちゃいましたか?」

が聞くと「まだだが」と返される。

「もし、今休憩されるのでしたら美味しいお茶も淹れますよ。どうですか?」

少し、仮面の向こうから笑った気配があり彼は筆を置いた。

「景侍郎もご一緒にいかがですか。一応、おまんじゅうは戸部の皆さんの分もありますよ。ここは人数が少ないので全員分を作るのにそう手間がかかりませんから」

の言葉に景侍郎は嬉しそうに頷いた。他の官吏には後で配るという。せっかく温かいのだが、冷めても美味しいと黄尚書が言うので後にすることにしたのだ。

休憩を始めてすぐに景侍郎が呼び出されて室から出て行った。

「あれが煩いだろう」

仮面を外しながら黄尚書が言う。とても面倒くさそうに。

「いいえ。いつも、その...気にかけていただいているのはありがたいことです」

言葉を濁しながら言うに黄尚書は苦笑を洩らす。

「大変だな」

「えーと...」

「無理をするな」

クツクツと笑いながら黄尚書が言う。

「しかし、相変わらず美味いな」

そう言って最後の一口を口の中に入れた。

「今度また作ってきます。よろしいですか?」

「まあ、ほどほどにな。あいつが煩いし」

そう言ってついと窓の外を見遣る。

は黄尚書の視線を辿ってそのまま固まる。恨みがましそうに紅黎深が窓の隅から部屋の中を覗き込んでいる。

「邪魔だ」と言いながら黄尚書は窓を開けた。

!」

窓をよじ登って部屋に入ってくる黎深だったが、黄尚書がバンッと今度は窓を閉めた。

「...今度、作ってお持ちしますので」

は窓越しにそう伝えると何だか嬉しそうに黎深が去っていった。

何だかどっと疲れた気分だ。

「お前も苦労するな」

「黄尚書にはいつもご迷惑をおかけしております」

「腐れ縁だ。...慣れた」

何だかその言葉に悲哀にも似た響きを感じ取ったは何も言えずにただ頭を下げた。




黄尚書と紅尚書は好きです。
歯に衣着せない物言いの黄尚書と厚顔不遜の紅尚書。
会話のテンポとか、読んでて楽しいんですよね。


桜風
08.6.8


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