| 秀麗たちが茶州へ赴いてからまだそれほど経っていないある日。 絳攸はいつものように城の庭院を彷徨っていると急に空が翳ってきた。 空を見上げる。 一雨来そうな、そんな空模様だった。 ふと、約1年前のことを思い出して絳攸は府庫へ向かう。 やっと府庫に辿り着いたときには、遠雷が聞こえるほどの土砂降りになっていた。 官服もかなり濡れており、府庫に入る前に上着を脱ぐ。 奥の室へ行くとやはり絳攸の予想通りに机の下に黒い影があった。 本が濡れないところに上着を置き、その黒い影に声を掛ける。 「」 まだ雷鳴が近くないこともあっては机の下で身構えているだけだった。 「絳攸様!?」 が慌てて机の下から這い出てこようとしたが、絳攸が机の下に潜り込み、の隣に座る。 「やはり狭いな」 「あの、えっと...?お帰りにならないんですか?」 何故絳攸がここに来て、そして机の下に潜り込んできたのかイマイチ理解できていないが疑問を口にする。 それを聞いた絳攸は大袈裟に溜息をついて、視線だけに向けた。 「雷が近づいてきてるんだ。そんな中、を放ったらかして帰れるわけが無いだろう。それとも、は俺がそんな冷たい男だと思っていたのか?」 無愛想にそう言う。 「いいえ。ありがとうございます」 正直、誰かが一緒にいてくれるというのに安心した。 ふと、が笑い出す。 「どうした?」 「いいえ。前もこうしていただいたなって思って」 「ああ。そうだったな」 その時のことを思い出して絳攸はここまで来たのだが、それは言わないでおいた。 それを聞くとが強がってしまうかもしれないから。 どうも、は人に甘えるというのが苦手のようだ。 自分ひとりで生きていけるように、そう思っているのではないかと思うくらい他人に甘えない。 実際、の持つ知識や今までの賃仕事で培ってきた技術等があればひとりで生きていけるだろう。医師の試験も受けるといっていた。の知識と腕や経験を考えるときっと合格するのだろうな、と彼女を知っている者なら誰でも思うだろう。 しかし、折角家があるのだから、そこで家族と一緒に過ごしていけば良いではないか、そう思う。 ぼやっとそんなことを考えていたら雷が近づいてきていた。 段々の表情が強張ってくる。 「2年位前に...」 突然、絳攸が昔話を始めた。 まだ、に出会う前の話だ。 2年前の春に、絳攸は楸瑛を巻き込んでこの府庫に出る幽霊退治をしたことがある。 春雷の中一人の女性が音も無く府庫に入ってきた。 その女性は、気品があり、若く、美しかったという。 どうやら、邵可たち家族のことを知っていて、饅頭が好きだった。 雷が近いというのに、は絳攸の話を聞き入っていた。 「そういえば、その幽霊が言っていたな。上の娘御に会うことがあったら伝えておいてくれと」 絳攸が思い出した。 も興味を持って言葉に耳を傾ける。 「たしか、『ひとりで何もかもしようと思うな。そなたには、どこか抜けておるがたぶん頼りになる父親と、可愛い妹と、しっかりしすぎている家人がおるから。ついでに、そなたが可愛くて仕方が無い叔父たちもおるだろう?そのことを忘れてひとりで生きようと思うな。泣ける相手があるなら、その者の前で泣けばよい』そう言っていた。上の娘って言ったらだろう?」 そう言ってを見遣った絳攸は慌てた。 がポタポタ涙を零していたのだ。 「?!な、どうした?」 は自身の服の袖で乱暴に涙を拭く。 「そんなに乱暴に拭くな。顔が赤くなるぞ。常春頭のアイツじゃないが、折角綺麗な顔が台無しだ」 そう言って手ぬぐいを渡す。 「ごめんなさい、絳攸様。ありがとうございます」 「で?突然どうしたんだ?」 が落ち着いたのを確認して絳攸が理由を聞いた。 「はい。絳攸様と藍将軍がお会いになった幽霊は、恐らく私の母です」 の言葉に絳攸は言葉を失う。 「直接その姿を見てないからはっきり言いきれませんけど、でも、たぶん間違いありません」 「あれが、の母上?」 「そうです、きっと。ほら、秀麗を思い出してください。秀麗ってお父様とお母さまの性格を足して2で割った感じがしません?実際、2人よりも要領は良くてしっかりしてますけど。それに、秀麗ももう少ししたらお母様のように綺麗になると思うんです。今は『可愛い』ですけど...」 の言葉を聞いて絳攸は引っかかった。 「だって、似てるんじゃないのか?母親だろう?」 は静かにかぶりを振る。 「母です。でも、違います」 絳攸は眉間に皺を寄せる。何が言いたいのかさっぱり分からない。 無言で次の言葉を待った。 「私は、お母様に拾われた、そうです。まだ赤ん坊で乳飲み子だったときに拾われたので、そのときの記憶は無いのですが...。だから、私は紅家の血を継いでいません。秀麗以外は知ってます。黎深様も、玖狼様も」 のこの告白に、絳攸は驚いた。 そんな話、今まで聞いたことが無い。 ただ、黎深が姪のことを何度か話していたのを聞いた。 とても可愛い、自分の自慢の兄夫婦の娘たちだ、と。 しかし、それを聞いて絳攸はやっと納得した。 の言動の端々に見られる家族たちへの遠慮は、こういう事情からきているのだ、と。 「たぶん、秀麗も知ってるんじゃないか」 絳攸の言葉に、は瞠目する。 「秀麗、も?」 「ああ、たぶん、な。俺の勘だ。でも、あいつは結構敏いところがあるからな。きっと気付いている。気付いている上で、を姉と慕っているんだ。それだけじゃ、ダメなのか?」 絳攸の言葉にはふるふると頭を振った。 言葉に詰まって何も話せない。 「静蘭、が...」 やっとの思いで口にした言葉がそれだった。 絳攸は静かにの言葉に耳を傾ける。 「静蘭が、茶州に行く前に言ったんです。『俺はに借りが有る。ただ、今はお嬢様に付いて行かないといけないからその借りは返せない。俺が、借りを返せるまでこの家に居ろ』 って。静蘭は昔、聞いたらしいんです。でも、そのときも、『旦那様と奥様が自分の子だと言ったからには、もおふたりの子だ』って」 何かを伝えたくて必死に言葉を紡ぐを絳攸は辛抱強く聞く。 「静蘭だって、私と同じなのに。静蘭は家人で、私があの家の『お嬢様』って言われて。変だって思ってました。秀麗が、知らないから、そうなんだって。私、あの子を騙してるんだって」 「だから、無理に距離を置こうとしているのか?秀麗だけではなく、家族に」 こくりとが頷いた。 「贅沢者め」 絳攸の呟きには驚いて顔を上げる。 「違うか?俺にはお前の言い分はわがままに聞こえる。家族が良いと言っているんだ。それ以外に何を望むというんだ?俺にはさっぱり分からん」 尚も続く絳攸の言葉に、はきょとんと絳攸を見上げ聞いていた。 そして、 「そか」 納得したように呟く。 「そうですね。私、わがままでした。...子供みたい」 クスクスと笑う。 「静蘭の言う『借り』が何か俺には分からん。だが、家族がお前を頼っているのなら、あの家に居てもバチはあたらんだろう。の母君もそれが言いたかったんじゃないのか?無理をするなって」 は絳攸の目を見て、吹っ切れたようににこりと笑った。 「ありがとうございます、絳攸様。すっきりしました。それに、いつの間にか雷も行っちゃいました」 の顔が直視できなかった絳攸は机の下から這い出て窓から外を見る。 先ほどの土砂降りが嘘のように澄み切った青空が広がっていた。 も絳攸に続いて机の下から這い出て窓の外を見る。 澄み切った青空が今の自分の心を表しているようだ。 「絳攸様。お茶は如何ですか?」 「ああ、もらおう」 吹っ切れた笑顔のに、絳攸も笑顔を返した。 |
幽霊退治のときのお話を思い出した絳攸でした。
ヒロインは色々と葛藤して生きてるんですよね。
そして、絳攸は少しだけヒロインの気持ちが分かる人です。
というか、ちゃんと誰が見てもヒロインは愛されているんだから贅沢ですよね...
桜風
08.9.28
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