薄紅色の花咲く頃 44





年の瀬が迫る中、は自宅の屋根の上で釘を口に咥えて金槌を右手に携えていた。

、それくらい私がするから降りておいで」

庭院から父が声を掛けてくる。

「あと少しですから」

そう答えては金槌で釘を打ち始めた。

梯子から降りると珍しい客人の姿があった。

「黎深様」

、『叔父様』を忘れているよ」

はらりと扇を広げてそう言う黎深に「失礼しました」とは詫びて頭を下げる。

「ところで、屋根の上に上って何をしていたんだい?」

が降りてきた梯子を見上げて黎深が問う。

「屋根の修繕です」

捲くっていた袖を直しながらがそう言った。

「屋根の..修繕...」

の言葉を繰り返した黎深がくるりと兄である邵可を見る。

「影を寄越しましょうか?いや、職人の方がいい。そうしましょう」

「いらないよ。これくらい、本当なら私だって出来るんだから」

父の言葉にはそっと溜息を吐いた。

確かに、父も屋根の上に上って釘を打つことが出来る。

が、そこからの雨漏りが止まらないから今回が屋根の上に上ったのだ。つまり、直せきっていなかったということだ。

「黎深様、お茶をご用意しますね」

「ああ、ありがとう」

いつもよりご機嫌な叔父に苦笑をしながらは庖厨へと向かった。


「そういえば、兄上。もうすぐ秀麗が戻ってきますね」

寒いから邸の中で、とが促したが縁側がいいと黎深が言い、邵可も反対しなかったので北風吹き荒ぶ庭院の縁側に座って2人はお茶を口にしている。お茶請けには今朝、が作った饅頭がある。

は少し下がってその場に同席した。

「そうだね」

のんびりそう言って邵可は茶を口にした。「ああ、美味しいね」と呟く。

そうか、秀麗が帰ってくる。

室の掃除をもう一度きちんとして、屋根の修繕を全て終わらせて。ああ、きっと静蘭も一緒だ。力仕事で父に頼めなかったことは彼に頼もう。崩れた壁の補修は、何とか間に合わせられるだろう。

は頭の中で彼女たちが帰ってくるまでのことを計画しながら一口お茶を飲んだ。

朝賀の席には各州の州牧と七家の当主が挨拶に訪れるのが慣わしだ。勿論、尚書などの重役も出席する。

黎深はその席で成長した可愛い姪の姿を目にすることが出来るのをとても楽しみにしている。

「そうそう、

振り返って黎深が名を呼ぶ。

「はい、何でしょう?」

は姿勢を正して次の言葉を待つ。

「せっかく医師の資格を取ったのだから自分で診療所など開いたらどうだ?若しくは、全商連の組員になって職を手にするとか。賃仕事を続けるよりも給金はいいだろうし、よほど腕が磨けると思うが?朝廷の仕事は辞めてしまったしな」


は、秀麗が茶州に赴いてからも朝廷での賃仕事は続けていた。もう用はないだろうと思っていたのだが、医師たちに勧められて続けていたのだ。しかし医師の資格を取得した途端、朝廷の賃仕事を辞めた。

は医師の資格試験は主席で合格した。官吏ほど閉ざされていない医師の世界だが、やはり女の下というのは男の矜持が傷つくだろう。

何となくそう思って辞めたのだ。

これくらいで傷つく矜持の低さも問題だろうが...


黎深の言葉を聞いて「ああ、そのことか」とは納得した。同じことを父にも言われたのだ。

「ですが、私は世間的には一応、紅家本家の子という扱いになっています。全商連に所属するのは少しばかり紅家に不利なことになりかねませんし、私は賃仕事が好きなのですよ。時間もある程度融通が利きますし、いろんな人と話をするので..お店で値切ってみることも出来ます。楽しいですよ」

がそう言い、

「いや、実は。私も黎深と同じことをに言ってみたんだがね。同じことを返されてしまったのだよ」

と邵可が言い添えると何だか腑に落ちない表情を浮かべたまま黎深は「そうですか」という。

賃仕事をしている限りが正当な評価をされないのでは、と思って勧めたのだが...

「ありがとう、黎深。の事まで心配してくれて」

邵可が言うとぱっと表情を輝かせて

「何を仰るのです、兄上!も立派な兄上の娘です。それを気にかけないなど叔父の風上にも置けません。ええ!叔父ではありませんよ、そんなのは!!というわけで玖狼は叔父と思わなくてもいいからね、

自分を物凄く主張しながら玖狼を蹴落としている黎深に苦笑を洩らしつつ、は「いつも気にかけてくださってありがとうございます」と頭を下げた。

勿論、黎深と同じくらい玖狼だってを気にかけてくれているのだが、黎深ほど大っぴらに行動を起こしていないから目立たないだけだ。

は玖狼の心遣いにいつも感謝している。



それから数日後、賃仕事から帰っていると家の前に軒が止まっていた。それがゆっくり動き出す。

ああ、帰ってきたのだなと納得した。

軒とすれ違う際、中にいた人の姿がちらりと見えた。秀麗のほかに数人。

鄭悠舜の姿も目にする。彼は黄鳳珠と同じく黎深の同期で親友だ。

そういえば、鳳珠もだが一度邸に遊びに来たことがあるのを思い出した。

遊びに来た、というか黎深が覗きに来たのに付き合わされて木の上から降ってきたというのが正しい表現であろうか。

彼と目が合い、は静かに頭を下げる。彼もそれに気づき、静かに目礼を返した。そして隣に居る少女に何事か囁く。

「姉様!」

軒の窓から体半分を乗り出した少女が声を上げる。軒が止まった。は彼女の貌を見て少し瞠目し、やがて微笑み手を振った。いってらっしゃい、と。

すぐに動き出した軒が見えなくなるまで見送り、は帰宅した。




秀麗の茶州州牧就任編はサクッとすっ飛ばしました。
なので、えーと、影月編っていうやつでしたっけ?
取り敢えず、秀麗の帰郷です。


桜風
08.10.12


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