薄紅色の花咲く頃 50





「秀麗ちゃんはどうだい?」

姮娥楼での髪結いの仕事をしているところに胡蝶がやってきた。今日は随分と早く降りてきたものだ。

「仕事の鬼と化していますよ。この間、仕事の一環なんでしょうけど、もの凄い酒気を漂わせて帰ってきました。あの子、乙女として何かを失いましたね...」

苦笑しながら言うの言葉に少し驚いたように目を丸くした胡蝶だが、すぐに笑顔になる。

「つまりは、秀麗ちゃんは元気ってことだね?それなら良かった。でも、時間が取れれば良いんだけどねぇ。難しそうかい?」

胡蝶に聞かれては眉根を寄せる。

「難しい、でしょうね。仕事をしに戻ってきたのだし、こちらでの仕事が終わったら茶州にすぐに戻るでしょうから。でも、あの子も胡蝶妓さんにお会いしたいって言ってましたので、仕事が一段落ついたら顔だけ見せに来るかもしれませんよ」

の言葉に胡蝶は嬉しそうに笑う。

「それは、嬉しいね。まあ、余り大きな期待をせずに待つことにするよ。期待しすぎて、秀麗ちゃんに会えなかったらその分余計にがっかりするらね」

そんな会話をしながら目の前の妓女の髪を結い終わった。

「じゃあ、次はあたしだね」

まだ時間が早いのに、と思ってそれを確認すると「たまにはいいじゃないか」と笑いながら胡蝶が言うのでも納得して早速そのぬばたま髪に手を伸ばした。


髪を殆ど結い終わったところで「あの」とがおずおずと胡蝶に声を掛ける。

「何だい?」

「...まだ分からないんですけど。何となく予感と言うか、本当に勘なんですけど」と、珍しく歯切れが悪く更にやけに前置きで念を押すに心の中で首を傾げながら「良いから言ってごらんよ」と胡蝶が促した。

「もしかしたら、私も当分こちらに顔を出すことが出来なくなるかもしれません」

の口にした言葉に胡蝶は驚く。

ちゃんも、国試を受けるってのかい?」

「あ、お役人ってのに全く興味がないのでそれはありません。あれは、秀麗に任せます」

さらりと返すに安堵しつつも、では何故かと胡蝶は思う。

ちゃんがお医者になったのと関係があるのかい?」

「たぶん、あると思います」

「なるほど。本当に勘なんだね。分かったよ。一応、ちゃんが不在の間の髪結いを探しておくように旦那に伝えておくよ。でも、あたしはちゃんが結ってくれるのが一番だって思ってるからね」

「ご迷惑をおかけしてごめんなさい、胡蝶妓さん」

暗い顔をして言うのほっぺたを胡蝶は軽くつねる。

「何だい?お医者になるくらい賢い子が言葉を間違ってるよ」

は顔を上げて苦笑する。ほっぺたを抓られたまま「ありがとうございます」と言うと、ほっぺを抓っていた手を離して「よろしい」と胡蝶が笑顔を返した。


夕方、本日の賃仕事を無事に終えて戻ってみると、料理をしている良い香りがしている。

秀麗が早く帰ってきたのか、と思って庖厨を覗くとそこには玖狼と克洵がいる。

「玖狼様、克洵君!?」

が慌てて彼らに駆け寄る。

「あの、私作ります!休んでいてください!!」

「いや、いい。此処まで作ったのだ。最後まで私たちが作ろう。もたまには休むといい」

お客様にこんなことをしてもらうなんて申し訳ない、と楸瑛と絳攸を棚に上げては小さくなる。

いや、楸瑛と絳攸が夕飯を作っていたら勿論「自分がする」と止める。だが、そんな状況に持っていくのは大抵静蘭で、そんな静蘭をは止められない。彼は意外と強引だから。

玖狼はともかく、いっぱいいっぱい感を漂わせている克洵を見るのがとても忍びない。

しかし、克洵もまた玖狼に倣って食事を作ることに一生懸命で声を掛けることが出来ない。

、玖狼たちの言葉に甘えたらどうかな?」

ポン、と肩に手を置いて父がそう言った。

「...はい」

申し訳なさは消えないが、それでも彼らの厚意を無碍に断ることも憚れる。

「そういえば、龍蓮君は...?」

奇怪な笛の音が聞こえないし、この場にも居ない。

克洵が居るということは、きっと用事は済んだのだろうし。秀麗は、まあ。柴凛とともにたぶん、全商連に行ったのだろうからそのまま仕事だろう。

「ああ、彼は用事が出来たらしいよ。克洵くんが文を預かって帰ってきたんだよ」

そうなのか、とは納得した。


仕事を終えて家に帰ってきた秀麗は蜜柑を持っている。

「あら、玖狼様から頂いたお蜜柑を全部持って帰ったの?」

それにしても多いな、とが思っていると秀麗は首を振る。

「悠舜様がどなたから私にって預かった物なの」

は暫く沈黙したままその蜜柑が入っている巾着を眺めた。

「姉さま?」

巾着をじっと見詰めたまま沈黙している姉の顔を覗きこむ。

「さ、夕飯にしましょうね」

は笑顔でそう言って庖厨へと足を向ける。その蜜柑の話題に触れるのはやめた。

「ごめんなさい、今日もお手伝いできなくて」

「ああ、今日の夕飯を作ったのは私じゃないの」

の言葉に秀麗の顔は蒼白する。

「お父様でもないから、安心して?」

「じゃあ、誰が...?」

そんな会話をしながら秀麗は庖厨に向かう。

「帰ったか」

そう言って振り返ったのは他ならない、叔父の玖狼だ。

「玖狼叔父様!?克洵さん?!」

菜を皿に盛っている玖狼の姿に驚きの声を上げ、その隣でなれない料理に疲れきった様子の克洵の名を口にする。

「え、どういうこと?!」

「玖狼様がお休みをくださったの。今日の夕飯は玖狼様と克洵君の手料理ってこと。龍蓮君は急用が出来たんだって」

急に居なくなった龍蓮に関してはよくあることだから別に気になる出来事ではない。だが、玖狼が夕飯を作ってくれたことに関して秀麗は甚く感動している。勿論、手伝ったという克洵にも感謝をしているが、それでもこんなに美味しそうな夕餉を作れる玖狼と言う人物は今までずっと父の不器用っぷりを目の当たりにしてきていたので、その分上乗せで尊敬の対象であり、益々好きになってしまった。

こうして、未だに叔父と名乗れない黎深は時間を重ねれば重ねるほどどんどん玖狼に差をつけられていく。

でもまあ。これに関しては流石の黎深様も無理だよね...

黎深が料理をするなんてことは、天地がひっくり返るか、「黎深の手料理が食べたいよ」と邵可が言わない限り実現しない椿事、というか奇跡だ。

流石に期待できないし、彼自身そういったことを思いつくことはないだろう。

よくよく考えたら、昔から玖狼はこんなに無愛想だが、子供の心をぐっと掴むコツを心得ており、さらに何も気負うことなくそれを実行できる。

それに対して黎深はそういうのが全くダメだ。本人頑張っているが、空回りに終わることが多く、大抵玖狼の二番煎じとなっている。

たぶん、黎深があそこまで玖狼に突っかかっているのはそこに原因があると思う。は少なくともそう思っている。


食卓で秀麗は今日悠舜が預かったといってどなたからか貰った蜜柑を披露した。

その蜜柑を眺めたまま邵可と玖狼は暫く沈黙をする。

先ほどのと同じ反応だったため、秀麗はに目を向けたが、はニコリと微笑み返してそれ以外の反応を見せない。

とても不思議に思いながら秀麗は首を傾げた。




蜜柑事件(笑)
確かに、あれだけ色々出来る玖狼を見たら、邵可が邵可だけに感動は大きいでしょうね。
ちょっと愛想がなくても優しいし。
黎深との差は一方的に開くばかりですね!(笑)


桜風
09.1.11


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