薄紅色の花咲く頃 52






に聞かれて陶老師は今日、ここに至った経緯を話しはじめた。


黒州州牧の櫂瑜と面談していた秀麗は影月と燕青から文を受け取り櫂瑜が預かってきたという書物を抱えて大医署へと向かった。

大医署で秀麗を見た陶老師は驚きの余り言葉を失う。彼は秀麗が紅貴妃だったときの姿を知っている。賊に襲われた秀麗の治療に当たってたのは勿論朝廷一の名医である陶老師だ。

秀麗は慌てて陶老師を室の外へと引きすりだして紅貴妃であったことはくれぐれも内密に、と念を押した。

陶老師は勿論それに頷き、室の中に戻っていった。

もう一度貴妃にもどるつもりはないか、と聞いたがそれは撤回した。

秀麗も、今の自分は茶州州牧である。そのつもりで話を聞いてくれるよう陶老師に言った。


室に揃った人たちの前で秀麗は現在の茶州の現状を話す。

誰もが言葉を失った。

秀麗が影月からの文で知ったその症状を話すと陶老師がその症状については聞いたことがあると話す。が、その声音の重さから治療法がないことを察することが出来る。

しかし、そんな重い空気の中で秀麗だけは希望を捨てていなかった。

先ほど櫂瑜から受け取った医学書を箱から次々と出していく。

陶老師も何気なくその巻書を手に取り、ぱらりと開いて目を通し、瞠目する。そんな師匠の様子に弟子たちは不思議そうな表情を浮かべたが、陶老師に促されて彼らもそれを手に取り、そこに書かれていることを目にした途端、驚愕と感動の声を上げた。

そこには、今までの医学の根底を覆すような薬の調合や薬効、治療法などが記されている。陶老師でさえ知らないことが山のように書いてある。

陶老師はこの書物の著者を探した。

そして、見つけた。『華眞』

その名を聞いて若い医師たちは更に驚きの声を上げる。

「あの、伝説の神医・華娜老師を輩出した華一族の!?」

「医仙の寵児と渾名されたという、あの神童・華眞!?」

流石の秀麗も飛び出てくるふたつ名に巻書を取り出す手を止めた。

「陶老師!」

秀麗は目の前の名医に名を呼ぶ。

彼はハッとして秀麗を見た。

念のために、医官の半数を割いて朝廷所蔵の医書から影月が送ってきた症状と合致する記述をさらってくれとほしい。そして、残りの半数にはこの巻書で照合を、と要請する。

秀麗の言葉に、陶老師は半日の時間と、府庫の希少蔵書室を借り切りたいと応えた。手の空いている医官全員で対応する、と。


そして、日が沈む頃やっとその治療法を見つけた。

しかし、それを目にして絶望した。その治療法は不可能だ、と。

華家に代々伝わると噂されるこの治療法は、華娜老師伝来秘術のひとつ。

つまり、今この世で華眞でなければできぬ、究極の医術法だった。


秀麗にこのことを話す。

治療が出来ないという答えに秀麗は呆然とした。

このときには、悠舜の他に、知らせを受けた柴凛と茶克洵も急遽登城していた。

秀麗は、理由を尋ねる。

この病気の原因は、『虫』であると話をする。虫が体内に巣を作るのだ。

元々その無視の宿主となっているのはユキギツネで、ユキギツネの糞と供に虫卵が排出される。だから、ユキギツネの縄張りで山菜や山果実をとって食べた場合、その卵がついているのに気がつかずにうっかり食べてしまった場合、その卵が体内で孵化して成長する。

しかし、最も感染経路としての可能性が高いのは、虫卵を含んだユキギツネの糞が井戸や川に落とされている場合、知らずにその水を飲んで卵を体内に取り込んでしまうことだ。

そして、この虫には虫下しの薬は効かない。

体内に巣を作るが、家として袋を作るのだ。その袋の中で成長や増殖をしていくため、虫下しの服用薬はその家に阻まれてしまい、その効力を発揮出来ない。唯一の治療法は、その家ごと取り除くということだ。

つまりは、人体切開。

しかし、それを出来る人間ももうこの世に居ない。

高度すぎる技術だ。どんなに手順が詳細に書いてあっても、全くその術式を見たことがない人間にいきなりしろと言うのは無理だ。

そして、今、この場でそれを見たことがあるのは、陶老師のみ。

だが、年老いた彼には無理だ。目はかすみ、手は震える。そんな状態で命の源が詰まっている腹を割くことは危険すぎる。治療なんて出来ないのは火を見るよりも明らかだ。

「他に、誰か居ませんか?」

秀麗が声を絞り出す。

「誰か、成功した人はいないんですか?!噂でも何でも!!」

室内に居る医師たちの顔をぐるりと見渡す。

治療法まで分かったというのに、それが出来ない。そんなの簡単に諦められない。諦めてはいけない。

絶対に、きっと、何かあるはずだ。誰か、ひとりくらい...!!

「その、ぼく、ひとり知ってるかもしれません」

おずおずと若い医師が手を挙げた。

彼が言うには、その医師は国中を巡っているらしく、今何処に居るか分からない。しかし、彼の故郷の村長がその医師の治療を受けたらしい。村長のおなかにしこりができて痛がっていたとき、その村に滞在していた医師が治療をしたと言う。その医師は、村長の腹を切開して石を取り出したらしい。村長の腹に、確かに微かだが縫い痕もあった。

「それ、華眞さんってオチじゃないよな?」

同僚の鋭いツッコミを彼は否定した。

彼の村の村長を治したと言う医師は、他ならぬ華眞が会いたいといっていた放浪の医仙だという。

「その方のお名前は?」

秀麗が陶老師に問う。

彼の口にした名前に秀麗は目を丸くした。

そして1拍の後に扉を蹴破って廊下へと出てそのまま全速力で駆けていく。


すぐに戻ってきた秀麗が伴ってきた人物に室の中の医師たちは唖然とした。

あの伝説の、華眞を凌ぐ医仙と謳われた葉棕庚が弾丸のように扉を蹴破って出て行った秀麗の隣に立っている。

「霄のバカに呼び出されたときには何事かと思ったがの」

そう言って目の前の巻書を広げる。

彼は何事か呟く。

「出来ますか!?」

秀麗が意気込んで聞くと

「まあ、秀麗嬢ちゃんの頼みじゃ。引き受けないわけにゃいかんの。貴陽にも随分長居しすぎたし、そろそろ茶州あたりにでも行ってみようと思っとったところじゃ。あの診療所の後継者は、もうおるしな」

「では、人体切開を...」

やっと我に返った陶老師が問う。

「あー、まあ、できるできる〜。じゃが、器具が必要なんじゃが...自分用に数本しか持っておらん。万一の事を考えて一応研いではおったんじゃ。しかし、患者がそれだけの人数居るんだったら、数が足りんわい。それに、素人に使わせるとなると...」

そう言って周りに居る医師たちを見渡す。

葉医師に目を向けられた医師たちはぎょっと飛び上がった。

まさか、自分たちが人体切開をするなんて全く思っても居なかったようで全員が怯む。

葉医師に一緒に茶州に行くのだろう?と聞かれて彼らは答えに窮した。

そんな弟子たちの様子を見て、陶老師は卓子をちからいっぱいバシバシと叩く。悔しい。自分がもっと若かったら我先にと、手を挙げて教えを請う。それなのに、自分お弟子たちは人体切開と言う命を繋ぐ最高峰の治療技術が学べる恵まれた環境に今立っているというのに。

悔しくて卓子を叩き続ける師匠を宥め、弟子たちは茶州に行くと言う。

そして、葉医師に向かって跪拝の礼をとった。

「よろしく、ご指導お願いします」

葉医師はつるりと顎鬚を撫でた。そして室内の医師を見渡す。


「そうそう、秀麗嬢ちゃん」

医師たちの決心が固まり、これから人体切開の練習が始まる。そんな緊張した空気の中で、葉医師はいつもの調子で秀麗の名を呼ぶ。

「はい!」

何事だろう。何でも自分に出来ることならする覚悟で返事をした秀麗に「は、今の時間は家か?」と日常の会話で行われる質問をされる。秀麗は一瞬面食らった。

「え?あ..えーと。姉さまならたぶん、花街で髪結いの賃仕事していると思います」

「そうか、それじゃ...」

そう言って葉医師はその場に置いてあった紙にさらさらと文字をしたため、秀麗に渡す。

「これを、に。あの子にも手伝ってもらおう。とりあえず、即戦力になるからの」

秀麗はそれを受け取り、急ぎの使いを出した。



「なるほど。それで私は呼び出されたのですね」

「人体切開をしたことあるのですか?」

「魚や豚くらいなら捌いたことがあります。あと裁縫も日常茶飯事です」

ニコリと微笑むに何故か余裕のような雰囲気を感じた陶老師は不思議な気分を味わった。




ヒロインが呼ばれた経緯です。
とりあえず、肉を切るという行為ならヒロインは慣れていますよね。


桜風
09.2.8


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