薄紅色の花咲く頃 56





庖厨所に戻ると「遅いぞ」と少し葉医師に軽く窘められ「すみません」と謝り、急いで他の医師たちの指導に当たった。

驚くことに、彼らの殆どが刃物捌きの腕がかなり上がっている。

さすが、宮廷の料理長の任を担っている人物の指導は素晴らしいものがあるのだろう。

感心しながら、はまだ少し手元が怪しい人物にコツを伝授していた。

「よし、も戻ってきたことじゃし、当初の予定通り次の段階じゃ」

何だろう、とは首をかしげる。

正直、当初の予定自体知らされていない。

傍にいた医師がその予定をに教える。

はあ、なるほどと思っては頷いた。

人と、豚や牛。殆ど臓器の位置が似ているというのは聞いたことがある。だが、やはり肉の厚さや体の大きさなどの違いは見ていて分かるだろう。そして、その差を埋めるにはやはり死体など人の体で練習をさせてもらうしかない。流石に、生きている人に「練習させてください」なんていえないだろうし、言ったとしても断られるのがオチだ。

しかし、こういうことなら早々に教えておいてもらいたかった。

葉医師が言うには、下街の葬儀屋に頼む予定らしい。貴族はどうしたって話が通じない。

だから、申し訳ないが、下街の人を相手にしている葬儀屋に依頼をしたとのことだ。

下街の葬儀屋とは顔見知りだ。10年前の王位争いのとき、葉医師が手当てをした人々で亡くなったら葬儀屋に埋葬をお願いしていた。その葬儀屋たちは殆ど無償で請け負ってくれていたのだ。

勿論、もそういった業者とは知らない間柄ではない。

しかし、間に親分衆を通すのと通さないとでは対応の早さが全然違う。

そしては親分衆に顔が利く。

胡蝶は勿論、他の親分衆もによくしてくれている。それは、一方的なものではなく、で今まで色んな経緯で親分衆に手を貸したこともあるからある意味持ちつ持たれつと言ったところだ。因みに、そんな色んな経緯については秀麗は知らない。もしかしたら静蘭も知らないのではないだろうか。


大勢で移動するため、秀麗が軒を用意してくれた。一度に運んでしまって時間の無駄を省くためだ。

朝廷の医師だけならともかく。いつの間にか全商連に所属している医師までもが加わっていた。

この全員が茶州に行くだろうか...?軒の手配とか大変なんだろうな。

そんな事を思っていると軒が止まる。

「待ってましたよ、葉医師」

葬儀屋の代表がそう言って迎え入れてくれた。

「すまんな」

葉医師も軽くそう返す。

医師団の中にの姿を見つけた代表が軽く手を挙げた。もそれに応えて会釈をする。

「久しぶりだな。街の噂になっているよ、君がお医者になったって。そうそう、親分からくれぐれも手を貸すようにって言われてるんだ」

の前までやってきた代表がそう言った。

「親分が、ですか?」

「ああ、主上から手を貸してほしいと言われた。それに、紅師のご息女も居るからなって。どっちかなーって思ったんだけど。よくよく考えたら下のご息女は官吏だからお城のほうで駆けずり回ってるよな」

笑いながら彼が言う。

「お手数、おかけします」

が頭を下げると葬儀屋は笑った。

「いや。こうして民のために一生懸命に走ってくれる官吏が居るって結構心強いことじゃないか。俺たちが同じように倒れてもきっと、同じように走ってくれるんだろう?だったら、って言い方は適切じゃないかもしれないが、協力できることは協力するさ。それに、葉医師と紅師のご息女の頼みだろう?聞けないはずがないじゃないか。街のみんなも協力してくれるってさ。親分衆が説得に当たってくれたし、寺も協力するって言ってるそうだ。頼んだよ」

その言葉には再び頭を下げた。


その後、寺と葬儀屋の2班に分けて練習が行われた。

殆ど休まずに技術を身につけようとする医師のその姿勢は紛れもなく命を繋ぐもののそれだ。

彼らより随分技術的に勝っていただったが、いつの間にか彼らの技術はのそれと頭ひとつ分くらいの差に縮まっている。

凄いな、とは感心した。

自分は彼らとは違う。

ただ、目の前の手の届く範囲だけ。それだけを助けられたら、と思っているのが自分だ。

今回は秀麗が頼んだ。そして、それを受けられるだけの力が自分にある。

だから、茶州まで足を伸ばして命を助けに行くつもりだ。

だが、が助けるのに最優先としている命、運命がある。

残念ながら、と言うべきか、幸運にもと言うべきか。自分にはそれだけの力がある。

その力が例え疎まれるものであってもそれは逃れられないものだし、その力でたくさんのものを奪ってきたのだって、ちゃんと自覚しているつもりだ。


夜が更けて、昨日同様順番に仮眠を取っている。

今は3班に分けている。葬儀屋、寺、そして城の庖厨所に戻って刃物捌きの練習。

時間がないから、待っている時間が勿体無い。

そういう経緯で班を分けた。彼らの刃物捌きもだいぶ様になってきたものの、合格の太鼓判はまだ捺せない。

料理長も彼らを引き受けやると言ってくれた。とりあえず、刃物捌きだけは免許皆伝にしてやる、と。

頼もしい言葉だ。

「状況はどうだ、」と声を掛けられて振り返る。

「...何してるんですか?」

少し呆れながらが呟く。

そこには、今の時間は城に居るはずの者が居た。その隣には同様に呆れた表情を浮かべている人物と、女性受けする笑顔を浮かべている武官、そして、少し難しそうな表情を浮かべた文官が控えていた。

「お城に戻られたらどうですか?判を捺さなきゃいけない書類が茶州州牧からたくさん上がってきているんじゃないんですか?あと、工部とか」

に言われて彼はうっと怯む。しかし、彼はそのまましょんぼりと回れ右をせずに食い下がった。

「いや、何と言うか...気になって仕方ないのだ!」

「間に合わせてみせますからご心配なく。ああ、昨日からお肉ばかりの食事で申し訳ありません。おそらく、あと5日くらいは続くと思いますが、捨てるのは勿体無いというか言語道断なので甘んじてお肉を美味しく召し上がってください」

の言葉に彼は膨れる。

「冷たいなぁ...」と苦笑しながら武官が言った。

「はは、寝不足なので。ご容赦いただけるととても嬉しく思います...ああ、そういえば絳攸様」

が思い出して訪問者の傍に控えている文官を見上げた。

「何だ?」

「黎深様、珍しく本気を出されたようですね。庖厨所でももの凄く噂が飛び交っていましたよ。あの吏部尚書はニセモノだとか、何かに取り憑かれてたのだろうとか。奇跡が起こったから世界が終わるとか...」

色々と憶測が飛び交っているようだ。

「まあ、吏部でも大騒ぎだったがな。死に掛けていた同僚もやっと休めると自宅に帰っていったし。黎深様の身に何が起こったのか何となく想像もつくが、それでもやっぱりありがたいな」

何だ。何となく原因が分かっているのか...

まあ、ある意味、あの人の中で数少ない丸分かりの部分だから養子である絳攸は手に取るようにわかって当然か...

「そういえば、主上。望月の月下彩雲紋の衣を纏った暇人ジイサンが貴陽に居るそうですね」

の言葉に傍に控えていた楸瑛と静蘭がぎょっとし、初耳だった絳攸も驚く。

「うむ。よく知っているな」

「朝廷の古狸が教えてくださいました。と、いうことは主上はお会いになったのですか?」

の言葉に劉輝は首を振った。

「いや、まだ余は挨拶をしていないし今年の抱負も聞けていない。余自身は縹家の当主の顔を見たことはないのだが、は知っているのか?」

結構酷い形容詞をつけていた気がする。

は「いいえ」と、それはもう、大抵の人間ならば同性でもきっと見惚れてしまうほどの穏やかな笑顔を浮かべて応えた。

「ただ、まあ...」とは続ける。

「とっとと捕まえて縹家の邸に追い返した方がよろしいかと。ほら、ふらふらと徘徊されても迷惑でしょう?」

やはり見惚れてしまうほどの笑顔でそういう。

。何だか今のそなたは、あにう..静蘭みたいだぞ?」

素直に出てきた言葉に背後から冷気が漂ってくる。

「主上、それはどういう意味ですか?」

「いや、もう本当に。私、静蘭みたいに黒くないです」

お嬢様。黒い、とはどういう意味ですか?」

にっこりと背後にどす黒い何かを漂わせて静蘭が問うた。

「静蘭ほどの頭の良さをもってしても分からないのかしら?不思議ね」

静蘭と同じような笑顔を浮かべてそう言ったは「ほほほ」と笑う。

何だか城を出てきたときよりも5度くらい気温が下がったようでもの凄く寒い。

ぶるり、と楸瑛が震えて「主上」と声を掛ける。

殿の言うとおり、そろそろ城に戻りましょう」

「う、うむ。そうだな。、頼むぞ」

「徘徊老人の捜索と強制送還の方、お願いしますね」

はそう言って頭を下げて劉輝の背を見送った。




一緒に城に帰っていったものと思っていた静蘭が声を掛けてくる。

「縹家当主は...」

「私はさっき言ったとおり会ってない。けど、何で主上は知ってたの?」

「お嬢様がお会いになったそうなんだ。望月の月下彩雲紋の男と」

は視線を鋭くした。

「縹家って本当に執念深いからねぇ。まあ、茶州に私も同行することになるし。きっと静蘭は秀麗とずっと一緒にはいられないと思うけど、その分私があの子の傍にいるわ」

「ああ、すまない。だが、も無理をするなよ」

そう言い置いて静蘭は劉輝たちの後を追って城へと駆けていった。

「無理、ねぇ...」

静蘭の言葉を繰り返してそっと溜息を吐いた。




ヒロインは結構口の悪い子ですよね。
そして、劉輝たちをどうにかして出したいと思ったら、クソ忙しいはずなのに
城を抜け出させるという自爆的な行為に及びました。
猛省中です...(劉輝が)


桜風
09.4.12


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