薄紅色の花咲く頃 57







茶州への出立を数刻後に控え、は城を後にしようとする。

「何処へ行くんだい?」

不意に声を掛けられては慌てて振り返った。

「お父様!?」

もゆっくり休まないと」

「ちょっと寺子屋の方に...3日も休んで今更ですけど、子供たちに宿題を出しておこうかなって。お父様も、たぶんご存知ですよね。縹家の...」

「ああ、知っているよ」

少しだけ殺気を孕んだ声で邵可が応えた。

「そうですか。それなら、大丈夫ですね。珠翠のこと、気に掛けてあげてくださいね」

「大丈夫だよ、あの子もちゃんと守るから...?!」

そこまで言って邵可は目を見開く。

「知っていたのかい?」

「まあ、殆ど勘ですけど...」

苦笑しながら肩を竦める。

「知ってたら、殺されますか?」

「いいや。どうせあの狸ジジイのことだから、この状況さえも楽しむだろうし。ただ...」

「他言はしませんよ。言いふらして楽しい状況になるものではありませんしね」

の言葉に邵可は悲しそうに微笑んだ。

「ごめんなさい、お父様。少しの間ですが、家にひとりにしてしまいますね」

目を伏せて言うの頭を邵可は優しく撫でる。

「昨晩もね、秀麗に同じ言葉を言われたよ。ひとりにしてごめんなさいって。今回はも一緒だからね。でも、大丈夫だよ。も知っているだろう?私にはとても頼りになる弟たちが居るのだから。それに珠翠も居るし、一人ではないよ。安心して行って、そして3人揃って無事に帰ってきなさい」

邵可の言葉には俯いたまま頷いた。


邵可は疲労のあまりフラフラと歩く娘の後姿をどうしても追えずにいた。

「邵可様」

柱の影から現れたのは珠翠だ。

「あの子は、知っていたようだね」

「はい...」

「聞いたと思うけど、縹家が動いているようだから、気をつけるんだよ」

邵可の言葉に珠翠は不安そうな表情を浮かべて深く頷いた。


寺子屋として場所を提供されている建物へと向かった。

まだ朝早いが、それでも下街はもう起きている。

「あれ?師だ!」

子供たちが居た。

寺子屋の時間にはまだ随分と早いのに。

「どうしたの、こんな時間に」

「それはこっちの台詞だよ!師はお医者として遠くに行くんだろう?父ちゃんたちが話してた」

子供の一人が言う。

「そうなの。ごめんなさいね、あなたたちに勉強を教えられなくて」

が言うと「大丈夫だよ!」と子供たちは口々にいう。

「商家の旦那様とかご隠居さんとかが先生をしに来てくれているんだ」

「へ?」

子供に言われてが頓狂な声を漏らしていると背中から苦笑している誰かが立っている。

振り返ると、が賃仕事でお世話になっている店の旦那だ。

「まあ、町で子供たちの育成に取り組もうということになってな。秀麗嬢ちゃんが官吏になって、嬢ちゃんもお医者になって。2人を目指す子供たちがここには大勢いる。親分衆に相談したら、町で育てようって話になったんだ。胡蝶さんが他の親分たちに声を掛けてくれたようだぞ」

「胡蝶妓さんが!?」

は思わず声を上げた。

「そうだ。自分たちの面倒見た子が大きくなるってのは嬉しいものだからってな」

いつも秀麗の名を誇らしげに口にしていた胡蝶を思い出す。

「まあ、には一応借りがあるしな」

いつの間にか親分の一人が寺子屋に来ていた。

「紅師も手伝ってくれるって言ってくれているし、お前さんは自分の出来ることをして来い。子供たちが目標にしているんだから、それに恥じないくらいの働きぶりをこの貴陽まで届けてほしいものだな」

は頷いた。

「で、どうしたんだ?こんな朝から。今日出立だって聞いたぞ」

「子供たちに宿題を出そうかと思ったんですけど...」

の言葉に子供たちは悲鳴のような声を上げたが、「おう、出しとけ」と親分は楽しそうにを促す。

「じゃあ、宿題ね。みんな、それぞれ自分に課題を出して、それについて研究をして。私が帰ってきたらみんな発表。いつ帰ってくるか分からないけど。いいかしら?」

「研究って?」

ひとりが質問する。

「自分の好きなことを極めるのもいいわ。例えば、独楽遊びが好きだった、どんな形のでどんな重さの独楽が強くて、長く回っていられるか、とか。たくさん独楽を作ってみて研究するのもいいわよね。
そうね。あとは、お天気の研究もいいわね。雪が降りそうな空とか、風が強い日の空とか。そういうのを観察して、空を見たら天気を予報できるようになったら凄いわよね」

の言葉に子供たちが声を漏らす。

「それって、遊んで良いってこと?!」

「遊びじゃなくて、研究よ。勿論、研究にかまけて家の手伝いをしないなんて駄目よ?家のお手伝いも勉強と同じくらい大切なことなんだから」

師はいつ帰ってくるの?」

「今はまだ分からないわ。ただ、茶州を出立する日が決まったら、先に文を出すわ。えーと、親分宛でいいですか?」

「胡蝶に送ってやれ。あいつが喜ぶ」

この場にいる親分に聞くとそう答えられては頷いた。

「それじゃあ、みんな。行ってきます」

子供たちにそう声を掛けては寺子屋を後にした。



城に戻るとは王の執務室に呼ばれる。劉輝の両側には彼の側近である楸瑛と絳攸もいた。

「紅。そなたを臨時の医官に任命する」

流石のもこの展開に驚いた。

目を丸くしたに劉輝は苦笑する。

「今回の茶州派遣の間だけだ。他の全商連所属の医師たちも同じ扱いとなっている。一応、正式な朝廷からの派遣となっているからな。給金を公費から出すからそういう手続きが必要になってくるのだ」

なるほど、と納得しては跪拝した。

「謹んでお受けします」

「邵可に、申し訳ないな」

ポツリと呟く劉輝にが目を細めた。

「大丈夫です。意外と..って言うとアレですけど。ボーっとしているようで実はしっかり者ですから。それに、主上もいてくださいますし」

の言葉に劉輝は泣きそうに笑った。

「秀麗を..茶州の民を救ってくれ」

「この力の及ぶ限り」

官吏顔負けの跪拝を取り、は王の執務室を後にした。


!」

振り返ると必死にそれこそ命がけと言った表情の絳攸が追いかけてきている。

だが、何故そこで曲がる...

確かにこのまま突っ切ってまっすぐ来られないが、そこで曲がってしまったらもの凄く遠回りになるのだ。

はそのまま回れ右をして絳攸が進んだと思われる回廊へと向かった。

「絳攸様」

ほっとした表情の絳攸が振り返る。

「どうかされましたか?」

首を傾げながら絳攸へと足を進めるに「あ、いや...」と絳攸は少ししどろもどろになっている。

「これを、渡そうと思ってな」

懐から布に包まれた何かを取り出してきた。

手渡されたそれをじっと眺めていると絳攸は居心地が悪そうにしていた。

「あけてみろ」

いわれるままに包みを解くと綾紐が通っている紅い石があった。

「これは?」

「お守り、だ。茶州は遠い。それに、今のあの地では何があるか分からないからな」

少し早口でそう言った。

「秀麗と供に、無事に帰って来い。邵可様や黎深様、玖狼様。他にもたくさんの人間がそれを望んでいるし、願っている。忘れるなよ、お前の帰る家はあの邸だ」

は苦笑した。

「門番のいない、屋根と塀は自分で修理をして敷地の中で家庭菜園を作っているあの邸、ですね」

の言葉に絳攸も苦笑しながら頷いた。

「では、行ってきます」

笑顔でそう言ったは絳攸に背を向けて足早に秀麗たちが待つ場所へと向かった。



―――その日、茶州に向けて朝廷から医師団が派遣された。



『心は藍よりも深く』終了です。
何とかして絳攸との絡みを、と思ってこうなったというか、この展開って強引だなぁ...
最初、本を読み返す前に頭に浮かべていた話だと、原作とえらい矛盾が生じてしまうので色々と却下にしてしまいました。
でも、当初のストーリーの方がたくさんの人と絡めてよかったんですけどね、個人的に。
しかし、一度弄ったら原作に戻すのが大変そうなので弄らずにそのままなるべく原作に沿わせておきました...


桜風
09.4.26


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