薄紅色の花咲く頃 60





葉医師はため息を吐いていた。その隣でもため息を吐く。

翌日には虎林郡というところまでやってきた。

しかし、連れてきた医師たちに不安が残っているのだ。

「練習がまだまだ必要かのぉ...」

「時間と場所がないですよ。縫うことに関しては先日葉医師がお考えになった案でいけると思います。ダメだったら、患者さんには不恰好なことについては我慢してもらいましょう。命あってのものだねってことで。けど、そういう技術的なものはある程度いけるとは思うんですよ。彼らの精神が今くらい『穏やか』であるなら」

の言葉に葉医師は頷いた。

気を遣われることなく馴れない馬で最短距離を全力疾走し、その後も強行軍での移動で正直、『穏やか』というには程遠い環境だ。

だが、それを越える環境がこの先待っている。

秀麗も、もその目に焼きついて離れない凄惨たる光景。次から次へと人が死に、絶望により人々が嘆き、涙を流す。そして、自分無力さを思い知る現実。

「医師になる人って結局ボンボンが多いですからね。前の王位継承の時だってのほほんと家に守られて平和に過ごしていたでしょうし」

「だなぁ...しかし、これは体験しないことにはどうしようもないことだしの」

葉医師の言っていることは分かるし、だってそう思っている。

けど、現場についてボンボンだったんで使えませんでしたってなったら何のために秀麗と悠舜が無理を通してここまで強行に話を進めてきたのかさっぱり分からない。

ごめんなさい、で済ませられないことだ。

「...いざとなったらわしとだけで当分凌がんとならんかもな」

「そのお陰でどれだけ人が死ぬでしょうねぇ...」

の言葉に葉医師は肩を竦めた。結構厳しいことを口にするものだ...

との話を終えて葉医師は秀麗の元へと向かった。

秀麗に最後まで同行をすることになっている柴凛の持っている連絡体制を使って一足先に虎林城に宛てて文を届けてほしいと話す。

柴凛は全商連の指揮を崔里関塞で弟の柴彰に引継ぎ、その際に全商連の連絡係を定期的に寄越すように手はずを整えていたのだ。

時に公的機関の連絡体制を凌駕するそれを使えば明日の早朝にはこの文も届けることが出来るだろう。

そんな話をしていると丁度いいところに連絡係がやってきた。

連絡係からの報告を聞いた凛が秀麗にその内容を伝える。

まず、香鈴が一人で影月を追って石榮村に向かったこと。

それに対して秀麗たちは『一人で』追いかけたことには驚いたものの、彼女が彼を追ったことに関しては全く驚くようなことではなかった。

しかし、その香鈴とは虎林城で会えるかもしれないと柴凛は言う。

現在、石榮村には誰も居ない。

病人を連れて全員が虎林城へと向かったとの知らせも受けたのだ。秀麗たちが向かっているとの知らせを聞いて、少しでも早く治療を受けられるように、と村人全員で。

その話を聞いて秀麗と燕青が慌しく駆け出す。

対して、柴凛の話を耳に挟んだ医師たちは呆然としていた。

はため息を吐き、葉医師もこめかみをグリグリと揉んだ。

葉医師としても生身の患者と向き合う前に、病死した遺体で少しでも覚悟を決めさせようと思っていた。

「中々上手くいかないものね」

葉医師の考えていることを察していたはひとりごちた。

凛に文の早馬の依頼を終えた葉医師は同様を露にしている医師たちに向き直った。

「やることはわかってるな?」

葉医師が指示を出す。

しかし、医師たちはすぐには動けずにいた。

若手の医師が生唾を飲み込んだ。陶老師の弟子の一人だ。

「あの、葉医師......」

葉医師は何を問いたいのかわかったが、その問いごと吹き飛ばした。どうせぶっつけ本番になるなら不安材料なんて与えない方がいい。

「ほれ、さっさと動かんか!!」

もう一度葉医師に怒鳴られて医師たちはやっと動き始める。

振り返るとすでにが絹糸や酒、薬の残量の確認を行っていた。

!そっちは他のもんに任せてお前は紅州牧の手伝いをしてくれ」

離れたところにいるに葉医師はそう指示した。

は傍に居た医師に自分が確認した箇所の話をして軽い引継ぎをした後、秀麗が忙しそうにしているところへと駆けていった。

夕餉は肉を使った菜の予定だったが、全商連からの連絡を受けて急ぎ虎林城へ発つこととなったため、とりあえずの食事は干し肉で済ますこととした。

その肉の切り分けや道中必要な水分の確保、そして、先ほどまで医師たちが大量に切り出した肉を持っていけるだけ詰め込む作業を行っている。


荷造りが終了し、短い食事の時間も終えて一行は出発した

殆ど空いていない荷馬車の荷台の片隅に医師たちはぎゅうぎゅう詰めになって座っている。

殿...」

目を瞑って頭を休めていたにとなりに座っていた医師が声をかける。

「何ですか?」

目を瞑ったままは返事をした。

殿は、その...恐ろしくはないのですか?」

「具体的に、何を?あなたは今、何を恐れているのですか?」

目をあけてが問い返す。

医師は息を呑んだ。

荷馬車の中は必要がないため灯りを置いていない。

しかし、今自分に向けられている双眸は鋭く光っているように感じる。射抜くようなその視線が居心地悪くして視線を逸らせた。

「出来ることがあるのに、逃げて何か言い訳を考える方が私にはよっぽど怖いです。今の私には出来ることがあります。それをしないで尻尾巻いて逃げたらそれこそ、この先の未来が怖いですよ」

の言葉がその荷馬車の中にいる医師たちの胸に突き刺さった。

突然ぶつけ本番となってしまったこの状況で、逃げ出したいという気持ちはあった。

助けたいという思いは勿論あるが、自分はまだそこまで辿り着けていないのではないか。もし、明日の朝患者を切開したとして、本当に治せるのか。自分が患者を殺すことにならないのか。不安は尽きない。

「ただ、不安で死にそうな顔をして患者の前に立つのはやめた方がいいですよ。患者さんはその倍以上に不安に思います。もしかしたら、生きるのを諦めるかもしれない。生きる意思のない人を生かすのは本当に大変なことですから」

しんと静まり返った荷台の中に落ち着いたの声が響く。冷たく、鋭い声。甘えと言い訳を許さない容赦のない響きに誰かの喉がゴクリと鳴った。

「ただ、まあ。使えないと思っていたら葉医師はあなたをお連れしなかったでしょうし、陶老師も送り出さなかったと思います。あなたは腕を買われているんですよ」

脅しすぎたかな、と少しだけ反省したはそんな言葉を付け足した。

ピンと糸を張ったかのような緊張感が漂っていたこの空間の空気がじわりと緩んでいく。

ガタガタと疾走し続ける馬車の荷台は揺れがひどく休むことが難しい。

しかし、今の自分たちに出来ることは『体を休めること』だ。そして、明朝虎林城に着いたら現時点の最高の状態で患者を治療すること。

医師たちはそれぞれ体と頭を休めるようにそれぞれ目を瞑り始める。

明朝、自分たちの戦いが始まる。




ヒロイン性格きついな...
でも、わたわたされても正直邪魔というか...
ヒロインは自分に出来ることがあるから医師になりました。
だから、出来ることがあるのにわたわたしている他の医師に
ちょっとイライラするんじゃないかな?
それこそ、『このボンボンめ!』みたいな?


桜風
09.6.14


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