薄紅色の花咲く頃 76





茶州でのの住まいは街外れにあった。

がそれを望み、英姫が叶えた。

周囲は街中の便利なところを、と言っていたが街外れの方が薬草を摘むのに便利だし、そこまで中心地まで遠くない。何より、馬も貸してもらえたということで全く不便を感じない生活なので断っている。

今のの身分は、茶州府の依頼を受けて派遣されている医師の一人だ。

茶州は全体的に栄えているとは言いにくく、石榮村みたいに郊外に小さな村々が点在している。

また、その村に医師が必ず居るわけではなく、現在その調査を行い、医師の派遣を検討しているところのようだ。

その調査はが請け負っている。

もちろん、茶州府から役人が随行しているが現地に役人が居ることが多く、その場合はがひとりで向かったりもする。

安全面の観点から護衛として誰かをつけるように、と言われていたが、の馬術はかなりのもので、護衛がつくほうが時間が掛かるということで結果護衛なしの旅となっていた。

一応、今のところは1日馬を走らせたら中継地点となる町や村があるような土地への派遣のみとなっている。

街や村があるなら、一応大丈夫だろうと判断したし、もそれがいいといっている。

とはいえ、皆は心配なことは心配でが無事に戻ってくるたびにほっと胸を撫で下ろしていた。

さん、やっぱり護衛つけましょうよ」

が4回目の派遣から戻ってきたとき、眉を八の字にして影月が訴えてきた。

「って言っても...時間がもったいないでしょ?」

「安全を保障されるなら、時間は多少掛かっても...」

「どの口が言うかー...」

そう言っては目の前で八の字に眉尻を落としている少年の両頬をむに〜んと引っ張った。

なんと言うか、可愛い。

「まあ!様!!お手をお放しください!!」

影月と共にの居宅を訪ねてきていた香鈴が茶器を持って戻ってきた途端声を上げた。

まあ、愛しい人のほっぺたを楽しげに伸ばしている人が居たらそりゃ、怒るでしょうねぇ...

は苦笑して「ごめんなさーい」と大して反省した風もなく応えた。

「そうそう、さん。これを柴彰さんから預かってきました」

そう言って影月が風呂敷をドンと目の前に置く。

「なに、これ」

「全商連を通して送られてきた貴陽からの文です」

「文?こんなに??」

「毎日送ってこられる方がいらっしゃるみたいですよー?」

のんびり言う影月の言葉に、「あー、そーなんだ...」と脳裏に浮かんだ人物の顔を思い浮かべながら応えた。

「お返事はやっぱり全商連を通しての方がいいと思います。別の方法もありますけど、確実なのは全商連でしょうし、その文を出された方たちは全商連に定期的に顔を出すって仰ってたみたいですから」

「じゃあ、私も全商連に定期的に顔を出した方がいいのね」

頷いたに何故か香鈴と影月が慌てる。

「いえ!あの、さんには僕たちがお届けしますから。大丈夫です」

「そ、そうですわ!お返事は様がかかれるからそのときに出されないといけないでしょうけど、わたくしたちは全商連の前をよく通りますので、その...」

は2人の顔を見て苦笑した。

「別に、用事がなくても遊びに来ていいのよ?」

の言葉に「え?!」と2人は目を丸くした。

「あら、違った?」

影月たちは俯き「いいえ」と応えた。

まったく、近頃の子供たちはいい子が多い。自分とは比べ物にならない。

「じゃ、早速だけど。夕飯食べて帰ってよ。久しぶりに誰かと一緒に食事することが出来るわ」

そう言ってが立ち上がる。

「お手伝いいたします!」と香鈴が続き、「僕もお手伝いさせてください」と影月がついてきた。


食事を作っているとき、密かに香鈴は首を傾げた。何だか、少し多くないだろうか。

しかし、その理由は数刻後に分かった。

楽しい夕餉の席にすっかり時間がたつのを忘れて滞在してしまった。

とっぷりと日が暮れ、何より街外れのこの家から帰るには山道の傍を通らなければならない。

しかし、夜は獣が出てくるとも聞く。

「ちょっと待ってて」

はそう言って扉を開けて不思議な形の笛を吹いた。

暫くすると草を踏む音が近付いてきた。

「何か御用か、殿」

やってきたのは茶州の禿鷹の2人だ。

「影月君と香鈴ちゃんを街まで送ってもらえるかしら。お礼は、これね」

そう言って先ほど多めに作っておいた饅頭を渡す。

「おお、かたじけない。殿の饅頭は美味だからな」

「よかったですねー、お頭。殿のお饅頭大好きですもんねー」

「な!?余計なことを言うな!では、その依頼確かに受けた。影月殿、香鈴殿、準備は如何か」

促されて2人は慌てる。

「あ、じゃあ。さん。また遊びに来させてくださいね」

と影月が家から出て行き、

「お邪魔いたしました。またお菜を教えてくださいませ」

と香鈴が続いた。

は彼らの姿が見えなくなるまで手を振り、見送った。


影月たちが帰ってからは持ってきてくれた文に目を通す。

一番の難関は、いちばん最後に取っておく。

『一番の難関』、それは黎深からの文だ。毎回長文を、たぶん、2日に1度くらいの頻度で出してきているようだ。

仕事もこれだけ勤勉であれば絳攸たち吏部の官吏たちも助かるだろうに...

そんなことを思いながらは苦笑した。

秀麗は、現在冗官となって朝廷内を駆けずり回っているらしい。またしても周囲の面倒を見て、世話を焼いて。

相変わらずだ、とは苦笑した。

そのことは秀麗からの文で知ったことではなく、別の人たちが気を遣ってか、秀麗の近況をたくさん書いてくる。

秀麗からは文は届いていなかった。たぶん、忙しくてそんな時間がないのだろう。

しかし、この返事を全部するのか...

文を書くのは苦ではないが、何より黎深への返事をどうするか。

全ての文の返事をひとつの文にまとめてもいいのだろうか。ま、いっか。良いということにしよう。

おそらく、数日中にはまた派遣の話が出てくるだろうから、それまでに今この場にあるものだけでも片付けておきたい。

文をくれた人物の中には、寺子屋の子供たちのものもあった。

字を練習して、その課題としてへの文というのを出したのだろう。

すぐに帰ってくるといったに対しての恨み言が書いてあったり、純粋に励ましの言葉があったり、それぞれの子供たちの性格が良く出ている。

はそのひとつひとつに丁寧に返事を書いた。

次は、超難関の黎深、とも思ったが、下手すれば朝日を拝みかねないので、それ以外の人物に、と重ねてある順番に返事を書き始める。

良い調子で返事を書いていたのに、ある人の文で手が止まった。

「...あれも、何とかしなきゃ..かしら?」

そう言って部屋の隅の箱に視線を向ける。

患者を治療するのに、特に外科的治療において装飾品を身につけておくことは出来ない。

貴陽を発つ日に渡された腕輪。綾紐が通った紅い石。紐がそう長くないので、たぶん腕輪用だったのだろう。

「『紅』は、もう身に着けられないんだけどなぁ」

もし、再び貴陽に戻れる日があって、そのときは、もう『紅』ではないはずだ。

しかし、それを返すのは失礼だろう。

失礼というか、勘付かれるのはちょっと困るし...

「今は、まあ。お返事を書くことかしら?」

一度も身に着けていない紅い石を思い浮かべながら筆を手にする。

『拝啓 李絳攸様』

絳攸の文には、秀麗のこと、邵可のこと、静蘭のこと、劉輝のこと...

自分以外の者たちの近況だった。

自分のことは書けなかったのか、書かなかったのか...

たぶん、『書けなかった』の方だと思う。黎深が仕事をせず、忙しいという毎日はいつもと変わらないな...

これからきっとさまざまなことが起こるはずの貴陽の生活は今のところ、変化がないようだ。

は束の間の平和な風景を綴った便りを何度も読み返し、笑みを零した。




これを読んでくださっている皆様の中で、どれだけの方が絳攸からの贈り物(紅い石の)を覚えていてくださったでしょうか。
正直、わたしが忘れていました(汗)
絳攸から手紙がきたと書いた瞬間、『あれ?』と思い出したという...
ごめんね、絳攸(汗)


桜風
10.2.14


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