薄紅色の花咲く頃 85





藍家の本家を遠くから覗いた。

香りはここまで届いている。藍楸瑛の義姉に施した呪いは、一応見逃してもらえたらしい。

そのことにほっと胸を撫で下ろす。

多少、記憶の混乱はあるかもしれない。あれだけ長い時間自分と共に過ごしてくれていた家族たちだ。

最初はふと何となく思い出すこともあるだろう。だが、とは目を伏せた。

彼女たちはこれから目まぐるしい日常の中に戻ることになる。その渦中の人となることは間違いない。

だから、きっとその忙しさも記憶の混乱の整理を手伝ってくれる。

態々思い出す必要がない。思い出せないものを必死に思い出そうとする時間はないはずだ。

「さようなら」

言の葉を一片落としては顔を上げ、そして姿をかき消す。


「龍蓮?」

窓の外を眺めている友人に秀麗が声をかけた。

「何だ、心の友其の一」

「え?あ、ううん」

何だろう。少しだけ寂しそうな表情をしていた気がする。

「そうか。では」

そう言って龍蓮は何故か笛を取り出し、それを口に当てる。

「待ちなさい!主上はまだ寝込んでるのに!!何が『そうか。では』よ!!意味わかんない!!」

全力で秀麗が龍蓮の笛の演奏を止めようとする。その中でふと秀麗の目に入ったものがある。自分の右手首にいつの間にか嵌っている数珠のような腕輪。とても透明なもので綺麗だと素直に感じた。

不思議に思ったが、それでも外そうという気にはならなかった。それがとても大切な何かに思えたから。

賑やかなその部屋に楸瑛が足を運んで秀麗の元気そうな姿に安堵する。ふと、鼻を掠める香りに何かを思い出す。

何か...?

「桜?」

ふと呟く。その呟きは誰の耳にも届かなかった。楸瑛自身それを否定したから誰にも聞くことはなかった。今は春ではない。だから、桜が咲いているはずもなく、そんな香りが届くはずがないのだ。

何かが脳裏をかすめた。人の姿だった。誰だろう。妓楼で一夜の逢瀬を楽しんだ誰かなのかもしれない。

楸瑛は頭を振った。今はそんなことは問題ではない。これから、とても大変な日常が始まるのだ。


「やっと追いついた」

不意に背後から聞こえた声に二人は驚いて振り返る。

そして「様...」と珠翠は驚きの声で呟く。

彼女はにこりと微笑んでいる。間違いなく、あの自分の憧れている紅邵可の娘の紅だ。

「どうして、此処に...?」

「私は、『』ではないわ」

珠翠の言葉に彼女は首を振る。

「どういう...」

困惑しながら珠翠が問う。

は微笑む。

「そうね、これから縹家に喧嘩を売りに行くの。というか、当主を屠りに行く予定だけど...付き合わない?というか、珠翠は貴陽に帰ればよかったのに。迎えに来てくれた人が居るでしょう?」

突然のその言葉に珠翠だけではなく、一緒に居た隼も息を飲んだ。「ちょっと市まで買い物に行くんだけど、荷物持つの手伝ってくれない?」くらいに軽く言われた気がした。

「何、言ってんだ?」

「あなたが、『元』司馬迅で、今は..隼だったかしら?あなたには頼みがあるの」

迅の問いに応えずには話を続ける。


「あんた、それ本気なのか?」

「超本気」

迅の問いにさらりと応えながら彼女は頷いた。

「でも、様」

「...ではないわ。ああ、でも。名前、ないんだった。じゃあ考えるまではでいいわ。不便だし」

珠翠の言葉を一度否定したはとりあえず『』の名を受け入れた。

様。縹家の禍つ力というのは...」

「縹家の薔薇姫が黒狼に誘拐されて、その数ヵ月後に姫が生まれた。珠翠は知らなかったでしょう?現当主の、娘。縹家の当主付の占い師に予言された。この赤ん坊は当主の存在を危うくするって。だから、瑠華が生まれて間もない赤子を牢に投げ込んだ。衰弱死をさせれば良いのだとね。
でも、その赤子は死ななかった。それどころか、その日からその牢番の2人の姿が忽然と消えた。着ていた服だけ残して。理由は、分かるでしょう?」

蒼い顔をして珠翠は頷く。縹家の禍つ力。これは、縹家のものならそれがどういうものか皆知っているし、皆が恐れる力だ。勿論、その力を持つもの本人すら厭い、恐れる。

様...」

「長い間黙っててごめんね」

はそう言って悲しそうに目を伏せた。

2人の会話の様子を見守っていた迅は溜息を吐いた。

「でも、お嬢さん。俺までなんで?」

「だって、私。術は得意だけど、腕っ節は弱いもの。自信ないわ」

肩を竦めながらそういうに迅は溜息を吐いた。

「あんた、それでよく当主を屠りに行くとか言えたな」

迅の言葉にはニコリと微笑み、「ありがとう」と褒められてもいないのに礼を言う。

「俺、協力するって言ってないけど?」

「貴方の主よりも私の方が若いわ。やっぱり老い先短い年寄りよりもピッチピチの20代のほうが良いに決まってるわ。未来があるほうがいいでしょ?」

そう言っては縹家本家に向かって足を進める。

振り返ると珠翠は何かを決意したかのように、迅は諦めたように自分の後ろを歩き出した。

再び縹家の方へ顔を向けたは先ほど迅と話していたときとは比べ物にならないくらい厳しい顔をしていた。

これから向かう地では、負けられない。

守りたいものがある。

与えられるはずのなかった愛情を受けた。

それを返す方法はこれくらいしか浮かばない。

早くしなければ碧家にも迷惑が掛かる。

自分が選んだとはいえ、もう戻れない場所を懐かしんだ。




やっと(?)こんどこそ(?)縹家編って感じになりました。よね??
と言うわけで、原作とは随分と違う道に進みますが、
色々とわたしの好きな感じで進めて行きたいと思っていますので、
お付き合いいただけるかかなり心配ですが、よろしければ、ぜひ!!
...今更かもしれませんけど(苦笑)


桜風
10.6.6


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