薄紅色の花咲く頃 91





はらはらと空から桜の花びらが降ってくる。

絳攸は空を見上げた。どこから降ってきているのだろう。

「大変そうねぇ」

崖を降りているところに声を掛けられて危うく手を滑らせるところだった。

「な、な...!?」

絳攸は開いた口が塞がらないどころか、言葉が出ない。

「何では浮いているんだ!!」

「だって、幽霊みたいなものだもの」

しれっと彼女が言う。

「ほらほら、頑張って」

軽やかな声で彼女が言う。

くそっと思いながら絳攸はふと、を見た。

「じゃあ、今日はが話せ。俺はご覧のとおりそんな余裕はない。そうだな、家族は居るのか?」

「どっちの?」

の言葉に絳攸は眉を寄せた。

「どっち?」

口を動かしつつもちゃんと手も動かしている。なんとしても戻らなくてはならないから。

「私、捨てられたの。で、運よく拾ってくれた人が居て...妹も居たわ。あと、そうね、幼馴染みたいな人も」

何となく、自分に境遇が似ている。

いや、どうだろう。『拾われた』という点だけが似ているのかもしれない。

「じゃあ、その幼馴染みたいなやつの話」

「えー?聞いても面白くないと思うわ」

「俺の話だって聞いただろうが」

お相子だと主張されればも応じないわけには行かない。

「んー、そうねぇ...」

思い出す幼馴染みたいな人こと、静蘭はいつも心配そうな表情を自分に向けていた気がする。

「黒い、かしら?」

自分の記憶にある、自分に向けられたことが無いその特徴。

絳攸はうっかり足を滑らせるところだった。

「黒いって何だ!?」

「黒いのよ。うん、真っ黒。さわやかな笑顔を向けながらどぎつい事をさらりと口にするのよねー。私は言われたことないけど、言われている人を見たり聞いたりしてたわ」

「してた?」

絳攸が繰り返す。

「うん、してた。私、家出したから」

「子供か!何が理由かは分からんが、謝って帰らせてもらえ。家族を簡単に手放すな」

額に汗を浮かべながら言う絳攸には視線を落とした。

急に静かになったが気になって彼女に視線を向けると今にも泣きそうな表情を浮かべている。

「な?!ちょっと待て、泣くなよ!いいな、まだ泣くな!!」

『まだ』という絳攸には首を傾げた。

「俺はこのとおり手が離せん」

「離せたらどうなるのかしら?」

「頭をポンポンと叩いてやる」

絳攸が真面目くさってそう応え、は思わず噴出した。

「出来ないことは言わないほうが良いわよ」

「う、うるさい!」

何となくお前にならできそうな気がしたんだ、と絳攸は心の中で反論した。

その反論に自分で疑問が浮かぶ。

何故だ?あの常春頭じゃないのに、そんなことできるのか?自分に...??

たくさんの疑問符が頭の上に浮かぶ。

「ねえ、貴方にこれを出してくれたのは誰?」

の言う『これ』とはつるはしや縄梯子だ。

「ああ、俺の...知り合いだ」

「ここまで来てるのね?」

『誰』というのには拘らないようだ。

「ああ、文鳥だ」

そういえば、が居ると文鳥は居ないな。

「じゃあ、その文鳥に伝えられたら伝えて」

が言う。この先にとりあえず出しておいてほしい道具。そして、そちらの夜では寝ること。夜半から夜明けが来るまでは休むこと。

「ああ、分かった。...は、夜半から夜明けにかけて来てくれているのか?」

その間に来るな、ということは自分が来るということなのだろうと絳攸は好意的に理解した。

「そうね。その文鳥くんは、ここに来るのに物凄く精神力を使っているはずだから。絶対に休みが必要なの」

それは自分の知らなかったことだ。

絳攸はを見た。

「本当か?」

「ええ。それだけ、貴方の帰りを強く願っている人たちがいるのよ」

の言葉に絳攸は俯く。

「俯くにしても、手を動かしながら」とが促す。

「俺は、間違っていたのか?」

「自分でお考えなさいな、李絳攸さん」

はどちらとも言ってくれない。

絳攸が俯きつつ手を動かしていると「でもね」とが続ける。

「言わなきゃわかんないことってたくさんあると思うの。そして、それを口にするのが苦手な人もいる。相手が苦手なら、自分が頑張ってあげるのも手でしょうね。ねえ、李絳攸」

が名前を呼び捨てした。

絳攸は顔を上げる。

「貴方の名前、とても素敵ね。たくさんの想いが詰まっているのね。ねえ、名前ってね、親から子供への最初の贈り物なんですって。知ってた?親は子供が幸せになるように願いをこめて名前をつけるらしいわよ」

ふと、絳攸の頭に過ぎった邵可の言葉。

以前、自分の名前で落ち込んだ。名前はたいした問題ではなく、きっかけだったと思う。だが、邵可は教えてくれた。あの人の一番好きな花は、スモモだと。

自分の名前に込められたその想いを聞いて、何でうじうじとあんなことで悩んでいたのかと自分が恥ずかしくもなった。

は」と絳攸が視線を向けると彼女の姿はなく、またひらひらと桜の花びらが空から降ってくる。

「なんだ、もう時間だったのか...」

彼女の滞在時間は短い。もしかしたら、こちらでの時間と現実での時間の流れは違うのかもしれない。

ずっと日が沈まないからそれはありうる。

パタパタと文鳥がやってきた。

「おや、絳攸。随分進んだんじゃないのか?」

白文鳥が言う。

そういえば、と絳攸は不思議だった。

既に谷底まで後ちょっとのところまで来ていた。

彼女が来たときはまだまだ、半分降りたかどうかのところだったのに...

絳攸は彼女から言われたことをリオウ文鳥に言う。

「そいつの名前は?」

聞かれて口に出そうとして、言葉を紡げない。

彼女の名前を口にしようとした途端頭の中に霞がかかる。

絳攸は自分のその状況を説明して「すまん」と謝った。

リオウ文鳥は暫く思案したようだったが、「わかった」と返事をした。




ヒロインのことはお話できないようにしてあります。
でも、そういうことについてはリオウ君は敏いので理解しました。
楸瑛文鳥は不思議そうにしながら静かに聴いてくれていると思います。


桜風
10.7.4


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