薄紅色の花咲く頃 96





「おや、穏便に済んだんだね」

扉から出てきたに朔は微笑んだ。

「まだ居たの?」

「契約解消してないからね」

既に室の外には暗殺傀儡の姿はなかった。

「今度は何処に?」

「室の中で休んでても良いわよ?」

の言葉に朔は一瞬悩み、そっと扉を開けた。誰も居ない。

「さっきまでいたんじゃないのかい?」

「たぶん、中身だけがね?」

の問いに「ふーん」と呟き、「ここで休憩しておく」と言った朔はそのまま室の中に入っていく。


もうを襲ってくる者はいない。

縹家は瑠花の意思の下に統制が取れている。言い方を変えれば、考えて行動できるものが極端に少ない。

集団としては望ましいかもしれないが、何でも言うことを聞くだけの存在がいてもそれは大抵荷物になる。

先を読んで、どうすればこの先が良くなるかを考えて行動されることが望ましいと思う。

人を遣ったことなんてないので、にはそこら辺が良く分からない。

教えられた室の前に立った。

深呼吸をひとつして扉を叩く。

返事がないがは扉を開けた。

中にいた人物はの姿をぼけーと見ていた。

「失礼します」と構わずはその室に足を踏み入れた。

自堕落な生活を送っていると聞いてはいたが...

溜息をつき、はその人の前にたった。

「お久しぶりです、縹家当主、縹璃桜」

敬称略は、まあ、しかたない。

これを『父』と呼ぶには他人過ぎる。血の繋がっていない邵可の方がにとっては『父』だ。

璃桜は視線をに向けた。

「わかった」と一言言う。

は一拍考えてみた。でも、わからない。

「何が『わかった』のでしょうか」

「当主を譲れって話なのだろう?だから、当主の椅子を譲るといっている」

何も言っていないの意図を察してそう言ったと、璃桜は言うのだ。

「元々、好き好んで座っていた椅子ではないし」

「座った回数は極端に少ないでしょうけど」と少し嫌味を口にしてみたら彼は笑った。少しだけ、口元が緩む。

それを『笑った』と判ずることができる者がどれだけいるかは不明だが、共有した時間が殆どないのにはそれが『笑顔』と分かった。

「やっと、帰ってきたんだな」

ポツリと溜息のように璃桜が言う。

の眉間に物凄く深い皺が刻まれた。過去最高記録の深さだ。

「『やっと』?『帰ってきた』?」

が問い返すと璃桜は瞳を閉じて微かに頷いた。

「そなたが生まれて縹家で最も高位の占い師が予言しただろう?だから、いつ帰ってくるのかと待っていた。とても、面倒だからな、この椅子は」

璃桜の言葉には深く溜息を吐く。

「自分の命を狙いに来る人を待つってどういう神経なんでしょうね」

嫌味のつもりだった。だが、璃桜はきょとんとした。

「だって、父親殺しの予言だったじゃないですか」

生まれてすぐに自分が耳にした予言。

生まれた直後からの記憶があること自体、尋常ではないことを秀麗との会話で知ったは、そのときやはり自分が『化物』であることを突きつけられた気がした。

いや、今はそんなことはどうでもいい。

「父親殺し?誰が??」

「耄碌ジイサンめ。だから、私が貴方を...」

「私もその占い師の言葉は聞いている。『当代当主の存在を脅かす』ではなかったか?」

璃桜に指摘されては記憶を辿り、確かにそうだったと頷く。

「ほら、殺すなんて一言も言っていないだろう?」

今度はがきょとんとした。

「当代当主の存在を脅かす。それは、つまり当主としての後継となるということだったのではないか?まあ、私が望んでその椅子に座っていた場合は、君の存在は脅威だったかもしれないが、そうではないからどちらかといえば願ったり叶ったりだ」

ふら、とは気が遠くなった。

言われてみれば、そういう解釈が一番妥当だったかもしれない。むしろ、それがきっとドンピシャだ。

それなのに、生まれて間もなく命を狙われて、呪われた力を使って他人の魂を取り込み、そのまま迷うことなく密かに修羅の道を歩んでいたのか...

はフルフルと震えていた。なんだか、別の意味でむかっ腹が立った。

「早くそう言えーーーー!!少なくとも、あんたの姉さんにはそう言え!!」

そしたらもっと気楽な生活を送れたのに...!!

怒鳴られた璃桜はどこ吹く風で「当主の交代はどうすればいいのだろうね」と呟いている。

も『コレ』にイライラしても仕方ないと悟り、とりあえず怒りを逃がすために溜息を吐いた。

「じゃあ、当主の椅子、もらいますよ」

「うん、いいよ。そういえば、名前はどうするんだい?」

あ、そういえばそれは大問題。

「あー、適当でいいや。適当に名乗ります」

がそう言ったが「では、『』で」と璃桜が言う。

「はあ?!」

抗議の意味をこめて声を上げると「それは、薔薇姫からもらった名なのだろう?」と言われた。

渋々頷くと満足そうに「だろうね」と言う。

「だから、薔薇姫がくれた名前で。あの男から贈られた名なら捨てさせるがね」

「あなたの指図は受ける気はありませんけど」

間髪入れずにが言う。

「あの人は、私に『愛情』をくれました。絶対に触れられるはずのない、幻想を現実にして...私の父は今でも『紅邵可』です」

そう言って、は室を後にした。

残された璃桜はとても詰まらなさそうだ。は薔薇姫ではないが、薔薇姫が残したものでもある。

彼にとって、気まぐれに気に掛ける程度の価値はあった。

そして、あの大嫌いな『黒狼』を父と慕っているといった。あいつよりも劣っていると思われるのは面白くない。

少し考えて璃桜はいい事を思いついた気がした。早速それを実行に移すことにした。




そして、当主の椅子をもらいました。
というか、ヒロインの苦労はコイツ(璃桜)のせいなのが大きい。
間違いないです(笑)


桜風
10.8.8


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