薄紅色の花咲く頃 112





翌朝、が食事を持って絳攸の元へとやってきた。

身支度については、珠翠が手伝ってくれた。元後宮筆頭女官の彼女は手際がとても良かった。

「どうぞ」と出された食事を前に絳攸は話を先にするかどうか迷ったが、気になるものでしかも早く片付けられる方を先に片付けることにした。

つまり、食事を先に選んだ。


食事を済ませて食器類はが呼んだ子供が下げていった。

「さて、お話があると伺いました」

姿勢を正してが切り出す。

「ああ」と頷いた絳攸は正直ちょっと腰が引けていた。昨日だったら何だか勢いで言えたような気がするが、今は随分とその勢いはそがれた。

だが、此処で何も言わずに「顔を見たから安心した」と言って帰るなんて出来ない。

「以前..半年くらい前だったか。紫州の田舎の縹家に縁のある神社で二胡の音色を聞いた」

最初は本家のみとしていたが、いつのまに夕暮れ時にはすべての扉を開いて各寺社にも音が届くようにすることとなった。

は驚いたが頷く。そう言うこともあるだろう。なぜ、絳攸が縹家に縁のある神社にいたかは別として。

「その音色を聞いて、を思い出した。誰が弾いているかとかそういうのは村人は知らないといったが、たぶんだって俺は思った」

「凄い。私、弾いたことありませんでしたよね?」

の言葉に絳攸は頷く。

「何だろうな、音色を聞いたら何故か懐かしさがこみ上げてきたんだ。そして、もうひとつ」

言葉を区切った絳攸は短く息を吐く。そしてゆっくりと息を吸って「愛しさだ」と言った。

目の前のは目を丸くしている。

考えているようだ。

苦笑して絳攸は懐に入れていたに返された腕輪を取り出す。

、どうやら俺はお前が好きなようだ」

さらっと言えた自分に自分が一番驚いている。それは間違いないと思うが、同じだけが驚いているのは何となく分かる。

「あの、熱が...」

言うに事欠いて『熱』と言うか...

うな垂れてその衝撃に耐え、顔を上げる。

「まあ、確かにあの常春頭みたいなことを言ったな。だが、俺はこれを言いにきた。の二胡の音色を聞いて、やっと気が付いた」

そう言っての手を取る。その腕に持ってきた腕輪を嵌めた。

「これはお前が持っていてくれ、

「でも、私はもう『紅家』ではありません」

「だが、お前に最も似合う色だ」

外してしまいたいのに、外せない。だってとっくに分かっていた。分かっていたが、認めることは出来ない。

多くの同胞の命を喰った自分が。罪深い自分が...

は深呼吸をした。その瞬間、絳攸の知らないの顔になった。

「私は縹家当主、縹です。李絳攸、それは理解できていますね」

「ああ」と困ったように絳攸が笑う。

「知っている。そうだな...貴陽でも、に会いに行くと言ったら皆が会ってどうすると聞いたんだ」

「何とお答えに?」

「『分からない』と」

その言葉には目を眇める。誤魔化されたと思ったのだ。

「誤魔化しているつもりはない。俺は、に俺の気持ちを伝えに来ただけだ」

「死にそうになって?」

あのままが気のせいだとしていたら、絳攸は間違いなく死んでいた。

「そうだな。それはそれで仕方ないとも思った。諦めていたわけではない。結果的にそうなってしまうこともあるだろうとは思っていた」

「主上が、悲しむではありませんか」

の纏う空気がふっと和らぐ。表情も自分の知っているだ。

「絳攸様。私は自分の異能を失うわけにはいきません」

絳攸が首を傾げる。ああ、百合はそこまで話していなかったのか。

「男女の契りを結ぶと異能は薄れてしまうんです。だから、私は生涯独りであることを選んでいます。まあ、元々子も出来ない体ですから全く支障はないんですけど」

肩を竦めて言うに対して、突然話が飛躍していないか、と絳攸はちょっとたじろいだ。

「そして、今や私にとってこの縹家が一番大切な場所です。守るべきものです」

「ああ」と絳攸は頷く。当主になったのだ、当たり前なのだろう。黎深は随分と違っていたが、その経緯を考えればさもありなん。

「だから、私が最も優先するのは縹家の存在で、自分は二の次なんです」

それはどうだろう...

しかし、それも絳攸が口出しできることではない。

「でも、今から唯一度だけ。自分を優先にします」

はそう言って泣きそうに笑った。

「絳攸様、私も絳攸様と同じです。これ、中々手放せなかったし。正直、さっきつけてもらって嬉しかったです。ただ、今の私は自分の感情を優先することは出来ません。私は縹だから...」

絳攸は目を丸くしてそして困ったように笑う。「そうか」と。

何だかスッキリした。

「ありがとう、

絳攸の言葉には俯いて首を横に振る。

気持ちに気づいたのがもっと早かったら今の状況は変わっていただろうか...

そう考えて絳攸は首を横に振る。

おそらく、がもっと悩んで困っていただろう。だったら、今の状況が最良だったのではないだろうか。

絳攸は椅子から立ち上がり、の傍に立つ。彼女の髪をそっと掴んで唇を落とした。

の最優先が縹家であっても良い。俺は、主上が最優先だし。それでも俺はを愛しいと思う」

「...主上が最優先とか仰いますけど、野垂れ死にしかけましたよね?」

少し赤くなってが言う。

「こ..今回は例外だ」

少し決まりが悪く不機嫌にそう言った。




ある意味絳攸が壊れたな、と自分で思いました。
というか、告白してスッキリする派だった絳攸。
いや、まあ。ヒロインの立場を考えたらそうなるんでしょうけど...
次回最終話です。


桜風
10.11.28


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